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    straight1011

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    straight1011

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    五家の先祖さんがhrak世界に生まれ変わった話

    hrak×じゅじゅ その日、緑谷出久の隣部屋には引っ越し業者が来ていた。以前の隣人は一ヶ月前に引っ越し、新しい住人がなってきたようだ。
     丁度、母が買い物に出掛けた数分後に、インターホンがなる。事前に母から、「お隣さんが挨拶に来るかもしれない」と言われていたので、何の躊躇もなく玄関に向かう。

    「こんにちは」
    「こっ……」

     玄関を開けて、思わず出久は言葉を詰まらせた。その人は、パンツとブラウスを着こなすスタイルのいいオフィスレディのようだった。だが、その艶のある銀髪を巻き込んで、目元には包帯が巻かれている。
     彼女は包帯を親指でグッと押し上げて、片目を顕にさせた。長い睫に、大切に守られた蒼の眼が出久を映す。

    「今日から引っ越して来た一条ですけど……君、親は?」
    「あっ、母は、今買い物に……」
    「ああそう。ならこれをよろしく」

     彼女は淡白に出久へ紙袋を渡してきた。引っ越しの挨拶代わりだろう。

    「……どうかした?」
    「あっ、いえ……」

     出久はその女性に既視感を覚え、ついつい見つめてしまった。しかしどこで見たのかを思い出せない。

     パタン、と閉まる玄関。何故包帯を目隠しのように巻いていたのか、目が不自由な人なのか、それにしては、しっかりと出久の顔を見ていたような気もするが……そんなことを思いながら、出久は玄関に鍵を閉めた。





     ビルからは多数の悲鳴が聞こえている。外にはヒーローと警察が慌ただしく動いていて、事態の緊迫感を漂わせている。
     ヴィランに襲撃されたこのビルに取り残されているのは、職場見学にやって来た小学生と引率の先生、職場職員だ。ヴィランは彼らを人質に金を要求している。

    「せんせい……こわいよ……」
    「大丈夫だからね。ヒーローが今助けてくれるからね」

     怯える小学生を励ましているのは、不運にもこの日に教育実習に来ていた、轟冬美だった。他にも担任が来ているのだが、担任はヴィランによって暴行を受け、気絶してしまった。よって、児童達を守れるのは冬美しかいなかった。

     冬美とてこの状況に恐怖を抱かないはずはない。目の前で殴り飛ばされた担任を見て、いつ自分の番が来るのかと震えている。だが、児童達の手前、そんな情けない姿を見せるわけにはいかなかった。

    「くそ、ヒーローが来ちまってる」
    「慌てるな。逃げる算段はついてんだ。あとは金さえあれば」

     ヴィランは二人組だった。1人は拳銃を持った小柄な男、もう1人は体格のいい筋肉質な大柄な男だ。

    「うっ、ぐすっ……帰りたいよぉ……」
    「ひぐっ、ぐすっ……」

     段々と限界を迎えた児童達は、1人が泣き出したのを皮切りに伝染するように広がっていく。ほとんどが泣き出してしまったので、冬美の声すらも届かなくなってしまった。

    「うるせぇな!!」

     痺れを切らした小柄な男が怒鳴り、拳銃を天井に向けて発砲した。シーン、と一瞬静まり返ったが、徐々に泣き声が戻っていく。

     大柄な男は小柄な男とアイコンタクトを取ると、冬美達の方へ歩いてくる。嫌な予感がした冬美は、児童達を庇うように前に出た。

    「な、何をする、つもりですか……」
    「うるさいやつはぶっ壊すんだよ。イライラするからな」
    「……も、もう子ども達は限界なんです。だからやめ……っ」

     大柄な男は片手で冬美の首を掴み上げた。冬美の足は宙を蹴り、離れようと男の腕を掴むが、びくともしない。

    「うっ……はなしっ……て……」

     冬美の首を締め上げる男は、ニヤニヤと苦悶の表情を眺めている。息もままならず、指先の力が抜けていき、死を覚悟した時だった。

    「ぶっ!?」

     大柄の男の後ろにいた小柄な男の声がした。何が起こったのかと、全員の視線がそちらを向く。
     そこにいたのは、俯せに倒れる小柄な男の背中に座り込み、拳銃を眺めている女性だ。職員ではない。この場にいる誰も見覚えがなかった。

    「だ、誰だ!? つか兄ちゃん!? 何やられて……」

     大柄な男は冬美から手を離し、女に向かって叫んだ。女は特に気にした様子もなく、くるくると銃を回している。

     咳き込みながら、冬美は滲む視界で彼女の姿を捉える。男に対してまったく恐怖を感じていないその表情は、男を更に怒らせた。

    「てめえ!!」

     すかさず男は女に殴りかかった。拳が大きく振りかぶられ、子ども達が悲鳴を上げる。振り下ろされるというのに、女は避ける仕草をしなかった。

    「……は?」

     拳は、確かに振り下ろされた。
     その筈なのに、何故か女の眼前で、まるで見えない壁でも存在するかのように、ぴたりと止まっていた。男は困惑し、女と自身の拳を見比べる。

    「はは、何してんの」

     小馬鹿にしたように女は笑った。女はサングラスを着けていて、目元は見えないのだが、唇は綺麗に弧を描いていた。

     困惑する男をよそに女は立ち上がって、冬美の元へ歩いてくる。無意識に身体を強ばらせた冬美は、その場から動けずにただゆっくり歩いてくる彼女を待った。

    「夏雄のお姉ちゃんだろ」
    「えっ……え?」
    「やっぱり」

     1人納得した様子を見せる女に、冬美は混乱する。夏雄、とは冬美の弟のことである。彼女とどのような繋がりがあるかはわからないが。

    「てめえ……なめんじゃねぇ!!」

     そんな会話に割り入るように、再び男の拳が飛んでくる。危ない、と冬美が叫ぶ前に女は身体を翻して、今度は拳を掴んだ。

    「……!?」
    「うるさいなぁ」

     鬱陶しそうな表情でそう呟くと、女はぐっと男を引き寄せてから、倒れている小柄な男の方へと蹴り飛ばした。どん、と鈍い音がして、男は気を失う。ヴィランは、急に現れた女になす術なくやられたのだ。

    「じゃあ、夏雄によろしく」

     女は少しだけサングラスをずらして、宝石より遥かに美しい蒼眼を冬美に向けて、そう言った。

     女が立ち去ってすぐ後に、ヒーローがやってきた。その時まで、冬美は目の前で起きた出来事を理解できないまま、ほとんど放心していたのだった。
     

     
     ここは雄英高校、校長室。校長というには可愛らしいネズミのような校長、根津が座っていた。

    「一条くん」

     その校長室の壁にもたれ掛かり、腕を組んで立っている女性が1人……一条智美(さとみ)である。

    「ビルでヴィランと鉢合わせたんだって? 災難だったね」
    「あー……」
    「ついでにヴィランを捕まえて……」
    「知り合いの家族がいたんで、挨拶にいっただけですよ」

     そんな他愛ない話をしてから、校長は本題に入った。

    「……つまりね、事務仕事とたまにヒーロー科に指導補助に入ってもらえたら、それで十分なんだ」

     智美はどこを見ているのかよくわからない。考え事をしているようで、何も考えていないようにも見える。

    「ヒーロー資格はないけれど、代わりの特別資格を、公安が用意してくれた」
    「……」
    「わかるだろう? 君は社会に必要とされてる。このヒーロー飽和社会でもね」

     智美は肩を竦めて、小さくため息を着いた。彼女なりの、わかりましたという仕草だった。

    「書類は新居に郵送したからね」
    「……私の拒否権は、校長のおやつにでもされちゃったんですか」
    「本当にすまない。私も色々お願いして回ったんだけれど……やっぱり、あの一件が」
    「あーわかりました。ちゃんと働きますよ」

     面倒だな、という顔を隠しもせずに、智美は口をへの字に曲げた。
     じゃあ帰りますね、なんて言って出ていく智美を見つめ、校長はポリポリと頬を掻いた。

    「すまないね一条くん」

     再度謝った校長は、公安から届いた文書をデスクにしまい、小さくため息をついた。
     

     この世界は実に奇妙だった。誰もが、術式とも似ている能を持っている。人はそれを個性と呼んでいた。

     私の両親はその中でも少数派、所謂無個性だった。個性は突然変異でもない限り遺伝するもので、無個性の両親から生まれた私に、個性を発現させる遺伝子があるはずがない。つまり、私も高い確率で無個性になるはずだった。

     だが、何の因果か、私は無下限呪術と六眼を持ったまま、この世界に生まれた。それは個性と似ているが、エネルギーが異なる。これは身体能力ではない。だから今、私は遺伝子上無個性であるが、個性を使えているよくわからない人体と思われている。

    「あの……」
    「……」
    「一条さん」

     椅子に座って、ぼんやり窓ガラス越しの外を眺めていた私に、轟夏雄は話しかけてきた。彼は私のよく行くカフェでアルバイトしている。

    「暇なんですか? いい加減働いた方がいいですよ」

     バイト中だというのに呑気に話しかけられるのは、このカフェに私以外の客がいないからだ。多分このままいけば、一年後には潰れるだろう。だから私は毎日来ているのだ。ここのパンケーキは美味しいから。

    「そう思う?」
    「俺、一条さんみたいな大人にはなりたくないですね」
    「はぁー酷い言い方。そういえば、君のお姉さんに会ったよ」
    「聞きましたよ」
    「それだけ? もっとないの?」
    「結果的に助けただけで、実際は顔見たかっただけでしょ。一条さんが人助けなんて想像つかねぇし」

     夏雄とはそれほど長い付き合いではない。しかし毎日私はカフェに来ていて、数日に一回アルバイトに入る夏雄と顔合わせすることは多い。それに……出会い方も、中々強烈なものだった。

    「ま、姉ちゃんはまた会いたがってましたけど」
    「人の良さそうな顔してたねぇ」
    「一条さんそういうのわかるんだ」
    「あのねぇ、私を何だと思ってんの」
    「無職で、親の脛かじって生きてるダメな大人」
    「親に頼るのは悪いことじゃないだろ?」

     お前には難しいだろうけれど。
     最後の言葉は呑み込み、私はメロンソーダに口をつけた。
     夏雄はやっぱり複雑そうな表情をしていたが、やがて私に聞こえないようにこっそりため息をついてから、キッチンに戻っていった。

    「きゃあああ!!」

     その直後だった。カフェの外から、女性の悲鳴が聞こえた。キッチンから夏雄とご老人……この店のオーナーのお婆さんが出てくる。
     外を見れば、多分ヴィランであろう熊の形をした人間が暴れていた。車を片手で投げ飛ばし、信号機をへし折り、笑っている。これまでの鬱憤を払うように。

    「た、大変だ……ヒーローは!!」

     ヒーローは既に駆け付けていたが、早々に吹っ飛ばされた。あのヴィランは中々でかいから、パワーのあるヒーローか、器用なヒーローでないと相性悪いだろう。

     頬杖をついてその様子を眺めていると、オーナーが私の腕を引いた。

    「あ、あなた、逃げないと危ないわ」

     お婆さんが焦ったようにそう言うので、私は立ち上がった。
     夏雄は焦ったように辺りを見渡し、安全な避難経路を探っているようだった。

    「裏口からでましょう!」

     夏雄がそう言った瞬間、カフェの窓ガラスが割れた。熊男の拳がカフェに向いたのだ。
     私たちの目の前に、ヴィランが現れる。身長は3mほどで、手には鋭い爪がついている。

     足がすくんだのか、お婆さんは目を見開いたまま動けなくなった。それに気づいた夏雄がお婆さんの腕を引っ張るが、強く引きすぎてお婆さんがふらつく。

    「オーナー! 早く!」

     ヴィランは鋭い眼光を向け、腕を振り上げる。爪が私達に向かって、振り下ろされる。夏雄がお婆さんを庇うように前に出た。

    「……え?」

     夏雄の間抜けな声が落ちる。ヴィランは何かに足を掬われ、派手に転倒した。

    「やー、危なかったね」

     ひらり、赤い羽根が舞い落ちる。そこにいたのは、真っ赤な羽を羽ばたかせ、鳥のように軽々と地面に降り立ったヒーローだった。

    「ホークス……!」

     夏雄が感動したようにその名前を呼ぶ。私はヒーローをよく知らないが、私服でもスーツでもない奇妙な服装の人は大抵ヒーローだと記憶していた。

    「ありがとうございます!」
    「仕事だからね…………?」

     ホークスは笑いながら、しかし私を見た瞬間気にかかる表情をした。

    「君……」

     何か用があるような顔をしたホークスだが、私は彼をまったく知らないし、大体私に近づいてくるヒーローにろくなやつはいないと経験している。何か適当に逃げ出そうとしようとしたが、しかしその前に腕を掴まれた。
     しまった、うっかり無限を解いていてしまった。

    「怪我、してるね」
    「いや……」
    「お婆さんは無事だね?」

     夏雄は腰の抜けたお婆さんを支えて、床にしゃがみこんでいた。2人とも怪我をした様子はない。もちろん私も。

    「君は手当てしてもらうから、着いてきて」
    「いや、怪我なんてしてな」
    「ほら、腕がガラスの破片で切れてるよ」

     ホークスの表情は穏やかだが、目はいいから着いてきてくれと訴えている。これは面倒な事情があるようだ。そして多分、私にはよくない面倒事。

    「一条さん怪我したんですか? 珍し……」

     夏雄の呟きにホークスは視線を移した。

     私はいい加減面倒になり、無限を発動させた。まるで磁石が反発するように、ホークスの私を掴む手が離れる。

    「え?」

     ぱん、と手のひらを合わせて術式を発動させる。瞬間移動をして近くのビルに逃げた。
     さて、今のを個性使用だとされたら法律にひっかかるので、トンズラすることにしよう。あの男、速さには自信があるようだから。


    「や、先日ぶりですね」

     後日、営業が再開したことを確認していつものようにカフェに行くと、見知らぬ男がいた。
     正直名前が出てこないが、赤い翼は先日見たヒーローに似ている。多分同一人物だ。

     今日は夏雄のシフトではないらしく、違うバイトの若い女性がいた。彼女はチラチラと男を見ている。というか気になりすぎて仕事が疎かになっている。

     そんなお姉さんに私はいつものメロンソーダを頼むと、男から最も遠い席に座った。

    「酷いなあ、俺のこと見えてない?」

     男は気にした様子もなく私の席まで歩いてきて、正面に腰掛けた。

    「この間、一瞬でいなくなったのは君の個性?」
    「……」

     私は外を眺めて、疎らに通る人を何となく目で追った。この通りはあまり人がいない。寂れた商店街なのだ。だからこそ、眼が疲れなくて済む。なのに、今日は眼が痛くなる男が正面に座りやがった。

    「……あの、何か喋ってもらえます? 俺の独り言みたいになってるんで」
    「……」
    「……お、お待たせしました、メロンソーダです……あ、あの、ホークスですか? サインください!」

     お姉さんはメロンソーダを少々雑に置くと、男にサインを求めた。男は笑顔でそれに応じた。

     サインが終わり、お姉さんがキッチンへ引っ込んだ後、男は再び私に話しかける。

    「一条智美さん」
    「……」
    「この間のビルでの一件、あなたに個性の無断使用の疑いが出てるんですよ」

     やっぱり、そうだと思った。

    「その顔、心当たりあるんですね」

     少し反応を示しただけなのに、男は揚々と指摘した。
     私はメロンソーダに口をつけ、なんと誤魔化そうか考えた。ぶっちゃけ、こいつらに私の個性使用を立証することは不可能である。どれだけ解剖しようが、私の身体から個性は検出されない。とうの昔にわかっているはずである。

    「はぁ……」
    「やっぱり、使用したんですね」

     男は目を細めて、うっすらと笑みを浮かべた。
     この男も、あの老害どもに言われて事情を聞いているのだろう。まったく、呪術師連中よりかはイカれてないが、しかし無駄なことを繰り返す辺りはバカだ。このやり取り、もう6年くらい続けている。

    「公安の人?」
    「さあ? でも聞いてこいって頼んできたのは、そこら辺ですよ」
    「……」
    「……どうかしました?」

     急に天を仰いだ私を不思議に思ってか、男は不思議そうな声を出した。

    「いい加減さぁ……」
    「?」
    「……いや、言っても無駄か」
    「……いいですよ、何でも言ってください」

     許可が出たので、私は頬杖をついて、指折り文句を数えた。

    「ヴィランとの繋がりはないから疑うな、疑うにしても上手に監視しろ、個性は使用してない、あとは……」

     ある不満を陳列していくと、案外どうでもいいことで悩んでいたことがわかったりする。実際、今述べたことは些細なもので、本当に言いたいのは……

    「3年前の事件、いちいち掘り起こすなって」

     そう言うと、男はピタリと動きを止めた。

    「三年前っていうと……」
    「あー言わなくていい」

     面倒になりそうな予感がして、男にストップをかけた。
     男は何か言いたげにしたが、私は構わず話を続けた。

    「別に私は悪いことなんて企んでない」
    「わかってますよ」
    「いいや、お前ら絶対思ってる。こいつは何をしでかすかわからない、って」
    「……」
    「……ま、もう慣れてるけど」
     
     慣れ、というのは単純にこの6年だけではない。呪術師として、当主として、常に相応の振る舞いを求められつつ、力を恐れられ続けた経験もある。
     この力は、きっと呪いのない世の中に必要ないのだろう。だったら、私が少しでも快適に過ごすために使ってやろう。もうクソみたいな仕事をしなくて済むのだから。

    「ところでお兄さん、名前は?」
    「え? ……ああ、ホークスですよ。知らない? 結構有名なはずなんだけどなぁ」
    「へぇ」

     自分で言うのかよ、とは突っ込まなかった。ヒーローという職がこの社会を回しているのは知っているが、いちいち個人名などは覚えていない。大抵、「ヒーロー」と一括りで認識しているからだ。

    「ホークス、ね。覚えた」
    「サイン要ります?」
    「いらない。そして2度とこのカフェには来ないで欲しい」
    「えー、酷いな」

     へらへらと笑うホークスを放って置き、私は会計へ向かう。カバンを持って、店員のお姉さんの元へ向かったときだった。

    「会計なら済ませておきましたよ」

     ひゅん、と飛ぶ赤い羽根。2枚のレシートが釣り置きに置かれていて、一枚には私が頼んだメロンソーダの支払いが書かれていた。

    「俺、速すぎる男で有名なんで」

     覚えといてください、そう言ってホークスは私より先に店を出ていった。



    「あー!!」
    「わあっ!! び、びっくりした。どうしたの出久?」

     突然大きな声をあげた息子に、引子はびくりとした。危うく、拭いていた皿を落としそうになるのを、何とかこらえる。

     出久もまた驚愕した顔で引子を見ていて、引子は首をかしげた。

    「お、お隣の人……」
    「え? ああ、一条さん? ご家族で越してきたのよね。私は奥さんと旦那さんには会ったけど、娘さんにはまだ……」
    「そ、その娘さん! 智美さんって、もしかして!」

     出久は急いでリビングを出て二階に上がり、すぐに戻ってきた。その手には6年ほど前の雄英体育祭の録画ディスクが握られていた。

     出久はテレビをつけて、そのディスクの内容を映す。雄英の1学年の体育祭映像を決勝まで早送りし、決勝で再生した。

    「ほら! この人、智美さんだよ! 唯一、普通科で決勝にあがってきた……」

     そう、ずっと既視感があると思っていたのは、テレビ越しで智美を見たことがあったからだ。
     彼女を実況していたヒーローは、このように紹介していた。

    『何かわからねーけど超強い!! 何で普通科!? つか個性はなんなの!? サングラスの意味は!?』

     決勝戦はヒーロー科の成績トップの子とのタイマン勝負だったが、これまたあっさり勝ってしまった。しかも個性を使った様子もなく、純粋な力勝負で。
     だがすぐに彼女の優勝は取り消された。何でも、着用していたサングラスがサポート科作製のもので、申請していなかったらしい。よって反則負け。優勝は繰り上がりになった。

     これ以降の年に彼女の姿は見えなくなった。おそらく体育祭にすら出ていないのだろう。結局、体育祭優勝は3年間、同じ男子生徒だった。

    「へぇ、すごく美人さんね」
    「何か、眼に関する個性持ちかな……この間も包帯を巻いてたし……」

     すごい人が隣に越してきたことに胸を踊らせて、出久は今度会ったら体育祭のことを聞いてみようと思ったのだった。


     ホークスは屋上で羽を休めながら、一枚の写真を取り出す。白髪で、サングラスを掛けた女性の写真だ。明らかにカメラの方を向いていて、然り気無くピースまでしている。一応、バレないよう離れた場所で撮影したはずの写真だ。完全に気づかれているが。

     一条智美に接触しろ。それが公安から依頼された仕事だった。彼女は三年前のある事件に関わる重要人物であり、また無個性でありながら個性のような力を持つ人物として、監察対象だった。

     今までは職にもつかずにフラフラしているようだが、最近になりやっと雄英高校の事務をやることが決まったらしい。公安はこれを期に、彼女にヴィランに対してヒーローと同等の権利を与えることも決定した。これは、雄英高校の校長である根津に提案されてのことらしい。

    「何で俺が……」

     この仕事でホークスに期待されているのは、彼女の監視だ。取り入って、情報を引き出してこいとのこと。ある事件で容疑者疑惑もあるので、そこら辺の情報を公安は欲していた。

     要は色仕掛による諜報活動である。俗に言う、ハニートラップ。
     この手の活動を得意としているかと聞かれたら、答えは否、初めてである。どんな無茶振りにも飄々とした態度で応えてきたが、これには流石に頭を抱えた。

    「しかも、よりによって手強そうな……」

     どんな人物かは事前に聞いていた。だからこそ、カフェでは変に騙そうとせず、あっさりと公安に言われて接触したと明かした。誤魔化したところで、あの手のタイプは素直に納得するはずがないからである。

     彼女がヒーロー好きであったなら、ホークスは苦労しなかった。彼はヒーロービルボードランキングでトップ10入りを果たしている人気ヒーローだ。だが、薄々察していたが、彼女は全くヒーローに興味がないらしい。

    「……愚痴っても仕方ないか」

     重い腰を上げたホークスは、その翼を羽ばたかせ、空気を掴む。屋上からひゅんと飛び立ち、彼女が毎日通うカフェへと向かった。


    「……」
    「やー、奇遇ですね。相席いいですか?」

     カフェに行ったところ、今回は彼女が先に来店していた。相変わらずガラガラな店内だが、人気ヒーローにとってはありがたい。
     智美の許可を聞かず、ホークスは正面に腰掛けた。智美はサングラスをしていたが、明らかに口がへの字に歪んだので、相当嫌がっているのがわかる。

    「あ、俺にも彼女と同じのを」
    「は、はい」

     今日のバイトは初めて会った日にいた男の子だ。彼はエンデヴァーの実の息子である。彼ともたくさん話したい気持ちがあるが、流石に迷惑だろうと無駄な話はせず距離を置いている。

    「俺もここ気に入っちゃって。落ち着けていいですよね」

     営業スマイルは彼女の心に何一つ響いていないようだ。むしろ怪しんですらいる。
     すぐに届いたクリームソーダを、ホークスは一口飲む。別に好きなわけではないが、相手のことを知るということは大切だ。好意的ですよ、というアピールにもなる。
     もっとも、彼女に対しては焼け石に水かもしれないが。

    「ホークス」
    「はい?」

     名前を呼ばれて、ホークスは顔を上げた。智美は机に手を乗せ、白く滑らかな人差し指でとんとんと叩いている。
     改めて見ると、彼女は綺麗な容姿をしている。艶のある白い髪に、陶器のような肌、唇は新鮮な果実のように赤く、まるで絵画から出てきた作品のようであった。だが魅力より先に、よくわからない緊張感がやってくる。

     そんな彼女から紡がれる言葉を、ホークスは息を呑んで待つ。

    「何が知りたい?」

     確信めいた言い方だった。おそらく、ホークスが情報を手に入れたいことを察しているのだろう。そして、それによっては教えてやろうとも思ってる。大方そんな感じだ。

     ホークスに今、2つの選択肢がある。ひとつは正直に情報提供を求め、彼女が話してくれる情報だけを持ち帰ること。
     もうひとつは、持久戦だ。つまり、計画の続行。

    「俺は」
    「……」
    「俺は、あなたの事が知りたいんですよ」

     息を呑む音がする。目の前の女からではない。会計レジに立って、こっそり会話を聞いていた、夏雄から。智美は忙しなく机をタップしていた指の動きを止めた。

    「もし、迷惑じゃなかったら、またここに来てもいいですか」
    「……」
    「ヒーローとしてじゃなく、貴方と関わりたい」

     つらつらと、嘘を並べる舌に罪悪感を持たないわけじゃない。これも仕事だ。彼女が持つ情報が、事件の解決に繋がるのなら。
     でももし、智美が事件とはそれほど関係のない、一般市民だったとしたら。そしたら、ヒーローとして……

    「いいよ」

     数秒して、彼女は肯定の言葉を紡いだ。

    「名前教えて」
    「え?」
    「ホークスじゃないんだろ」

     あっさり肯定されたことに、ホークスは混乱していた。彼女が何を考えているのかわからない。照れたようすも、喜んでいる素振りもない。淡々としていた。

    「……鷹見啓悟」
    「啓悟」

     ここでやっと、智美は口角を上げ、笑みを浮かべた。笑っているのを見たのは初めてだ。面食らいながら動揺を隠していると、彼女はポケットから携帯を取り出してきた。

    「ん」

     こんなにもあっさり、連絡先を交換させてくれるのか。事がスムーズに進みすぎて、啓悟は怖くなってきた。内心冷や汗をかいている。

    「……もっと、こう、嫌がるかと思いましたよ」
    「何で?」

     堪えきれずに本音をもらすと、智美は不思議そうに首をかしげた。

    「てっきり俺のこと嫌いなのかと」
    「別に好きではないけど」
    「やっぱり」
    「でも……」
     
     智美は口元に手を当てて考える素振りをした後で、閃いたようにパッと顔を上げた。

    「ときめいた」
    「……」
    「だからいいよ」

     満面の笑みでそう話す彼女に、啓悟は心配になった。案外、チョロい人なのかもしれない、と。

     一方、レジ近くで全てを聞いていた夏雄はホークスのことを「(手を出すのが)速すぎる男」と称していたのだった。



     愛とは歪んだ呪いである。愛という感情は一見綺麗で純粋なものに思えるが、呪いとしてはこれ程厄介なものはない。粘り強く、いつまでも後を引き、最悪死ぬまですがり付いてくる。
     というのが、我が家の教えである。幸い私は愛などと無縁な呪術師人生を送ってきた。呪いを祓いはしたが、誰かを呪ったことは少ない。
     女を見下す禪院の奴らにとって、私はさぞ目障りだっただろう。私は六眼と無下限術式を持ち合わせた、呪術師として奴らより優れた女だったから。ま、私が特別優れていたか、奴らが雑魚だったのかはわからないが。多分前者だが、後者でも構わない。

    「ぜっったい、やめた方がいいです」

     夏雄は真剣な顔でそう言った。彼のこれほど真面目な顔を見たのは初めてだ。

     私は頬杖をつき、ストローでコップの中を意味もなくかき回す。そうして、必死な説得を試みる夏雄を眺めた。

    「一条さん、確かに顔はいいです。でも、中身はひっどいですよ」
    「あはは、ひどい言われ方されてるね」
    「思いやりがないし、ドン引くようなこと平気でやるし、そのくせ何でも出来るからムカつく要素しかないです。だからやめましょう。ホークスにはもっといい女の人がいますって」
    「……そこまで言う?」

     必死になって説得する夏雄の言葉を、啓悟は苦笑しながら聞いていた。
     私の性格なんて、こいつの上司からさんざん聞いているだろう。むしろ、夏雄よりも表面的なことを啓悟は知っているはずだ。

    「俺はこの人を信頼してるし、悪い人だとも思いません。でも……尊敬は出来ない人です」
    「おいおい」

     上げて落としてくる夏雄に思わずツッコむ。こいつ、仮にも命の恩人になんて言い方だ。

    「……君たち、随分仲がいいんですね?」

     ふと、気づいたようにホークスが尋ねてきた。夏雄はハッとして、窺うように私に視線を寄越す。

     私は肩を竦めて、どうぞという仕草をした。夏雄は店内に私たち以外の客がいないことを確認し、こう切り出す。

    「あれは……」




     
     
     絶望的な状況であった。ビルからは火の手が上がり、夏雄は追いやられるように上へ上へと逃げる。屋上にさえ逃げれば、飛べるヒーローが助けてくれると思ったからだ。

     だが、ヒーローは消火活動と、火事の原因であるヴィランを捕まえるのに夢中で、夏雄に気づかない。携帯は落としてしまって手元にない。
     真っ黒な煙が舞い上がり、ひたすらに喉を焼かないよう呼吸をした。これだけの炎に、夏雄の個性は役に立たない。じんわりと、死へ近づくのを感じていた。

     肌を焼く暑さと、滲む視界の中で、夏雄は屋上のフェンスに手を掛けた。
     一か八か、飛び降りてヒーローが受け止めてくれるのを期待するか。いや、もし気づかれず、誰かを巻き添えに落ちたら……

    「やめといたら~?」

     ふと、頭上から声がした。凛と通った女性の声だ。
     顔を上げると、フェンスに腰かけている白髪の女性がいた。白いシャツに黒いパンツスタイルの女性だ。この黒い煙のなかでも、そのシャツに一切の汚れがないのが違和感だ。目元には包帯が巻かれているが、視線ははっきりと夏雄を捉えていた。

    「落ちたって死ぬだけだよ。丁度私も逃げるとこだったし、ついでに連れてくよ?」

     ほい、と手を差し伸べられ、夏雄は困惑する。ヒーローだろうか? ……いや、ヒーロースーツを着ていない。
     とりあえず、藁にでもすがる思いで手をとる。すると、グッと手を引かれ、視界があっという間に反転した。夏雄を、まるで布団でも持つみたいに軽々と小脇に抱えたのだ。

    「へ……?」
    「よっと」

     そのとき、夏雄の頭は「終わった……」と絶望した。女性は夏雄を抱えたまま、躊躇なくビルの屋上から飛び降りたのだ。高さはビル10階分、バンジージャンプくらい度胸がいる。

    「うわああああ!!」

     徐々に地面が近づいてくる。絶対無理、死ぬ、姉ちゃん、焦凍、ごめん先に逝っ……
     目をぎゅっとつむったが、衝撃はいつまでもたっても来ない。恐る恐る目を開ければ、どん、と衝撃が走る。

     女性に落とされたのだ。夏雄の頬にはコンクリートの感触がある。どうやら、生きているようだった。

    「あ、あれ? 生きて……!」
    「なっ……何故生きている貴様!!」
    「えっ……」

     突然見知らぬ男に叫ばれ、夏雄は身体を起こした。その言葉は夏雄ではなく、女性に向けられていた。
     ここはビルの裏側で、ヒーローたちはいない。かわりに、スーツケースを持った男がいた。

    「爆発に巻き込まれなかったのか……!? あの場にいた奴らは全員死んだと」
    「死んだね、私以外」

     夏雄は驚いて女性を見た。
     この火災の原因は5階で起きた爆発だった。5階は会議室になっている。この日も何人かが使用していた。

    「こ、この人、ヴィランか……」
    「君、そこから動かないで」

     後退る夏雄を女性が制す。
     ヴィランはスーツケースから拳銃らしきものを取り出し、女性に向ける。

    「くそっ、くそっ……! 何で生きてんだ!?」
    「わあ、今撃てばヒーローに気づかれちゃうなぁ」
    「……ちっ」
    「でも私を殺さなきゃ報酬はもらえないしなぁ……爆弾も安くないし……さてどうする?」

     まるでクイズでもだすかのように、笑いながら女性は選択を迫った。
     男は銃を女性から、夏雄に向けた。にやり、と口角が上がる。

     躊躇なく引き金が引かれ、夏雄はひゅっと息を呑んだ。間違いなく今度こそ死んだと思ったから。

     しかし、銃弾は夏雄の目の前でピタリと止まった。

    「……あ」

     女性が、夏雄の肩に手を置いていた。そして止まった銃弾を指先で弾き飛ばす。からから、と金属音をたてて、銃弾は転がっていった。

    「これでくたばれ!!」

     その隙をつき、ヴィランは手榴弾らしきものを投げようと振りかぶっていた。だが、手榴弾を投げる前に、女性が少し笑った瞬間、男の腕が手榴弾ごと吹き飛ぶ。
     男はバランスを崩して膝から崩れ落ちた。なくなった腕の痛みのせいで、無様に叫んでのたうち回っている。

    「……ひっ」
    「あーあ、腕ちぎれちゃった」

     恐ろしい光景に震えている夏雄の隣で、女性は呑気に呟く。

    「君、今見たことは秘密ね」

     震える夏雄にも構わず、女性は人差し指を立てて口元に持っていき、シー、とジェスチャーした。

    「あ、あの!」

     立ち去ろうとする女性を咄嗟に呼び止めて、夏雄は立ち上がる。

    「なに?」
    「……手当て、した方がいいんじゃ」

     いまだにのたうち回っているヴィランを指差し、夏雄は女性にそう言った。女性はポカンとした表情をしてから、ええ? と困惑した表情に変わる。

    「何で?」
    「何でって……痛がってますし……」
    「……?」

     本気でわかっていないような顔をするので、夏雄はもどかしい思いをしながら説明した。

    「あの、ヴィランならどんな目にあってもいいわけじゃないでしょう。怪我人がいたら助けてやらないと……」
    「ええ? だってこいつ、大量殺人犯でしょ」
    「こいつを裁くのは法律でしょ! つかアンタヒーロー!? 個性を無断で使用しちゃ駄目だろ!」
    「あーもーわかったってば」

     後から冷静になって、命の恩人に何言ってるんだ俺……と夏雄は反省した。しかし、腕を奪って逃走しようとしたことは、どうしても納得できない。

     女性は渋々といった様子で男性に近づき、どこからか包帯を取り出して巻き始めた。器用に止血するが、応急手当でどうにかなりそうな怪我ではない。

    「しっかたないなー……私はこいつ運ぶから、君もついてきて」
    「?」
    「こいつが手榴弾の扱い間違えて自爆したことにするから。君もそう証言してよ」

     そうして警察に事情を話す過程で、夏雄は女性の名前を一条智美であることを知ったのだった。





    「それから縁あって度々会ってますけど……この人本当に酷いんです!! 多分、道徳を履修して来なかったんですよ!」

     熱弁する夏雄に啓悟は苦笑するしかない。確かに、彼女がヒーローに興味がない理由も頷ける。そもそも、ヒーローとは混じり合わない、水と油のような性質の関係なのだろう。

    「で、どうする?」

     智美は軽薄そうな笑みを浮かべ、啓悟に問いかけた。

    「私は大歓迎だよ、啓悟」
    「……」

     一体、自分のどこを気に入ってくれたのかはわからないが、とりあえず啓悟は彼女に微笑み返した。

    「ますます知りたくなってきましたよ」

     そんな会話をする横で、「忠告したのに……」と、夏雄は頭を抱えた。




    「一条、何してる」

     声をかけてきたのは、雄英の教師をしている相澤だった。彼はいつもの仏頂面に、ほんの少し驚愕の表情を滲ませている。
     ここは雄英高校、職員室。その隅でパソコンを開く智美に近づいてきたのが彼だ。

    「見てわかんないですか? 仕事ですよ」
    「……まさか、ここに就職したのか?」
    「昨日挨拶したんですよ? あんたいなかったけど……」

     そう、昨日相澤は出張でいなかった。だからといって、普通は挨拶せずしれっと座るなんて……いや、こんなことをぐちぐち言うのは合理的ではないと、相澤は思い直す。

    「……戻ってきていいのか?」
    「それはどーいう意味で」
    「てっきり、ここが嫌いかと思ってな」

     相澤は担任ではなかったが、智美とはある生徒を通じて関わりがあった。
     智美がこの高校にいい思い出がないことを、相澤はわかっていた。だからこそしれっと座っている状況に顔にはでないものの、驚愕していた。

    「私は相澤せんせー好きですよ」
    「……」
    「なんでちょっと嫌そうにするの……」

     へらへら笑う一条を見て、相澤は溜め息をついた。心配するのも馬鹿馬鹿しい。彼女はタフな人間なのだから。

     自分の席に戻ると、先程からずっと様子を窺っていたプレゼント・マイクが椅子ごとやって来た。

    「……オレ、あいつのことよく知らねぇけど、大丈夫なの?」
    「心配ないだろ」
    「あ……そう……」

     この高校にいたなら、彼女のことを知らないはずがない。智美はこの高校にいて、よくも悪くも目立つ人間だった。
     雄英体育祭では、一年の時にヒーロー科を出し抜いて決勝まで進んだ。その時相澤はまだ教師ではなかったが、体育祭はたまたま見ていた。純粋な身体能力はもちろん、身体能力では説明できない力を、使っていたように相澤には見えた。

     体育祭決勝で反則負けとなった彼女だが、これを機にヒーロー科首席の生徒と交流を持つことになる。

    「一条といえば……冬水、あいつどこに行っちまったんだ」

     マイクは声を落とし、相澤にしか聞こえない声量でそう呟く。

     ヒーロー科首席だった冬水優輝は3年生の時、雄英高校から除籍された。無差別に市民を襲い、殺害事件を起こしたのをきっかけに。そしてその現場にいて、唯一生き残ったのが、一条智美だった。

     現在も冬水の身元は掴めていない。冬水による被害は確認されていて、公安が行方を追っているが、それでも確かな情報を掴めていない。唯一、繋がりが噂されているのが、一条だった。

     3年の時に冬水と面識を持った相澤は、二人の関係を知っている。彼らは親友だった。片方はヒーローを目指すまっすぐな少年で、もう片方はそんな少年を何だかんだ認めていた、良き友であったはずだ。

     誰もが気づけなかった冬水の変化。今でも、相澤は後悔の気持ちが押し寄せて身体が重くなる感覚がする。だが、相澤より近くにいた智美は、一体どんな思いなのだろうか。

     相澤は書類をまとめながら、そんなことを考える。今はヴィランである冬水を、いつか止めることが出来る日を願って。




    「へぇ、こんな朝から偉いですね」

     ばさっ、と赤い翼をはためかせて、啓悟は地面に降り立った。私は額に滲んだ汗をぬぐい、息を整える。
     早朝のランニングは私の日課だった。フィジカルの強化は呪いに打ち勝つため、呪詛師に負けないために、幼い頃から強要されてきた。今や習慣となっている。
     六眼持ちなんていつも命を狙われるものだから、信頼のおける人物も限られていた。その点、今の人生は生ぬるさすら感じる。

    「朝からお仕事してる方がよっぽど偉いんじゃないの」
    「ここでパトロールすれば、貴方に会えるんじゃないかと思いましてね」
    「……管轄外じゃないの。他のヒーローに怒られるよ」
    「その時はその時ですって」

     歩き始めた私に合わせて、啓悟も隣を歩く。この時間帯は、犬の散歩をする人か、私と同じくランニングする人しかいない。
     寝ぼけ眼のおじさんが、すれ違う啓悟を2度見する。それが面白くて笑えば、啓悟は私を見てパチパチと瞬きした。

    「笑うんですね、一条さんって」
    「智美でいいよ」
    「じゃあ智美さん」

     距離のある呼び方をしてくるのが気に入らず、訂正させる。
     啓悟は小さく欠伸をして、それから眠そうに瞬きを繰り返した。

    「……無理して会いに来たの?」
    「あ、バレました? 今すっごく眠くて……」

     こいつがどういう目的で私に近づいてきたのか、大方の予想はついている。この若さで随分苦労しているようだ。全面的な同情はしないが、多少は協力してやる気にもなる。

    「今度は私から会いに行くかな」
    「わぁ、ならここまで来ずに済みますね」
    「いい店探しとくから」
    「俺、焼き鳥が食べたいです」

     そんな会話をしていると、携帯の着信音が聞こえた。啓悟のものだ。すぐに電話に出た啓悟は、片手を上げて私にウインクをした。

     私は背面でヒラヒラと手を振り、帰路へつく。啓悟は電話をしたまま飛び立ち、ヒーローの顔をして現場に向かっていった。


    「……酷いな……」

     現場に到着したホークスは、もはや人とは呼べないほどに散乱している肉片を見て呟いた。同じく現場にいる警察は、あまりの光景に直視できていない。

    「間違いありません。冬水優輝の個性"呪い"によるものです」

     公安の刑事が資料を見ながらそう話す。
     冬水優輝の個性、呪いは非常に危険なものだった。3年前、一般市民に対して個性を使用した結果、その場に居合わせたヒーロー含む殆どが亡くなった。

     呪いがどのようなものかはわかっていないが、それは冬水にのみ操られ、身の毛もよだつような異形の化け物を象っているらしい。
     だからこそ冬水はヒーロー科にいる内はこの個性を使用しなかった。明らかにヒーローとは真逆の存在を生み出していたから。しかし彼は個性を補うように自らの身体を鍛えていた。成績は優秀、ヒーローとしての活躍も期待された人物だった。

     この呪いは国家を転覆させるほどの驚異を持つとされている。何故なら、呪いに対抗する手段がいまだにわかっていないからである。唯一の生き残り、一条智美はその手段を知るとされているが、取り調べでは一切話さず、現在まで沈黙を保ったままだ。

    「また手掛かりはなし……か。厄介だな」

     冬水の仕業とされる殺人の被害者の多くは一般市民である。ヴィランもいるが、ヒーローは最初の事件での犠牲のみ。共通点は、何かしらの誹謗中傷活動を行ったことくらい。

    「ホークス、今回の被害者もやはり、ヒーローへの誹謗中傷を行っています」
    「? ……引退まで追い込んでる。酷いな」

     被害者は、ネット上での誹謗中傷から、虚偽の内容で炎上させるなどの手段で、とあるヒーローを引退に追い込んでいたようだ。やはり、冬水が狙う人の特徴と一致する。

     呪いへの対抗手段が見つからないなら、本体を見つけて叩くしか対処法はない。だが、本体はまったく姿を見せない。本当に厄介な男だ。ヒーローとして優秀であった分、こちら側を欺くのにも長けていた。

    「今月は5件目です。……ここのところ、活動が活発化してきました。一般人にもどこからか情報が漏れ……広がっています」
    「……なるほど」

     公安は雄英とも話し合い、冬水の事件は世間には隠していた。それは冬水をインターン生として受け入れていた相澤の提案だった。

    『奴の個性は……恐れられるほど力を増すようです。彼の存在を世間が恐れるほど、脅威を増す……下手に情報が拡散されるのは、まずいと思いますが』

     おそらく、近々大きな動きがある。公安は彼がこのような事件を起こす目的を探り、止めなければならない。

     ……だからこそ、一条智美の持つ情報を、冬水との繋がりを、早急に暴く必要がホークスにはあった。



     呪い、というものはこの世界でも個性としてあった。
     冬水優輝は、まさに私の知る呪いを個性として持っていた人物だ。彼は自他共の負の感情……私の知るところで言う呪力を、呪霊として生み出し、操れた。

     呪いは呪いでしか祓えない。生み出した呪霊を祓うことが出来るのは、私しかいなかった。生み出した冬水本人ですら、呪霊を自らの身体にしまうことしか出来なかった。

     その情報を、私は優輝にしか話していない。優輝以外に話したところで無駄だからだ。呪力だなんだと、常人に理解できるはずがない。幸い、呪霊は常人にも見えるらしいが、何故祓えないのかと聞かれて、お前らは呪力を垂れ流しにして操れないから、なんて言えるはずがない。馬鹿馬鹿しいと言われて終わりだろう。

    「……さん、智美さん?」

     背後から近づいてくる人影に気がついてはいた。だが声をかけられて、やっと私は振り向く。だって驚かそうとしているのに、先に気づかれるなんて悲しいだろう。私は気が遣えない訳ではなく、普段はやってないだけなのだから。

     振り向けば、ヒーロースーツを脱ぎ、カジュアルな服装に身を包んだ啓悟が、片手を上げて笑った。今日は彼と居酒屋に行く予定だ。

    「俺より早かったですね。もしかして待ちましたか?」
    「電車の都合でね」

     時刻は夜、日が沈みかけ、街灯に光が灯る時間帯だ。帰宅中のサラリーマン、下校途中の生徒達が歩いている。
     梅雨入り前の時期だから、じめじめした暑さがある。暑さが無限で防げるならどうにかなるが、残念ながら術式はそう便利なものではない。

    「今日は涼しそうな格好ですね」

     啓悟が言う通り、私の今日の格好はノースリーブのフリルブラウスにジーパンだった。
     
    「似合ってます」

     爽やかに微笑んだホークスに、私はなんと返せばいいのかわからなかった。奇妙な気持ちだ。うんと幼い頃、当時の当主に術式を褒められたときに似ている。

    「行こうか。予約してあるから」

     焼き鳥が上手い店を選び、結果的に居酒屋になったが、私は下戸である。酒なんて飲めばコロッと出来上がってしまう。
     残念だが、私は反転術式を取得していない。あればアルコールの分解ぐらい出来たかもしれないが、現時点では不可能だ。

     やって来た居酒屋で、案内されたのは個室の部屋だ。個室じゃないと眼が疲れるから、私の都合で選んだ。

    「何飲みますか? やっぱりビール?」
    「私はクリームソーダ」
    「好きですねー。カフェでも頼んでましたし……お酒はいいんですか?」
    「下戸なの」

     焼き鳥は啓悟に注文させて、品物が来るまでしばらく待つ。畳の個室だったため、正座をしていたが、足がしびれそうだ。

    「ねぇ、啓悟」
    「なんですか?」
    「何でヒーローやってんの?」

     食事前の会話として、ヘビーかライトかはわからない。正直答えの内容による。でも、純粋に興味が湧いた。
     啓悟は少し悩んだ表情をしたが、誤魔化すようにパッと笑顔を作った。

    「そりゃ憧れですよ。この世の中にいたら、ヒーローに憧れるものじゃないですか?」
    「ふぅん」
    「特に、智美さんみたいな強い個性なら、迷わずヒーローを目指すものですけどね」

     うまく逸らされたような感覚がした。多分、嘘はついていないが、重要な部分も話していないのだろう。
     こちらに取り入ろうとするくせに、自分のことはひた隠そうとする姿勢は気に入らない。私が優位とまではいかずとも、フェアであってほしいのだ。

    「私に個性はないよ」
    「遺伝子上の話でしょう? 個性の研究はまだ発展途上。あなたが例外だってことも考えられますよね」
    「まあね」
    「それとも、ヒーローは嫌いですか?」

     そう問いかけられた時、タイミングよく個室の入り口がノックされた。
     運ばれたドリンクと焼き鳥を眺めながら、私はヒーローについて考えた。

    「嫌いじゃない」
    「それはよかった」
    「でもなりたくはないね」

     ヒーローは素晴らしい職業だと思う。弱い市民を悪から守る、必要不可欠な仕事だ。呪術師だって呪いから人を守っていたが、ヒーローのように綺麗事を実践していたわけではない。非術師から垂れ流された感情を片付ける、汚物処理みたいな仕事だった。

    「人のために良いことしてるとさ、見返りが欲しくならない?」

     焼き鳥を一本取り、一口食べる。熱々で肉汁が滴る、ジューシーな味だ。はふはふと、熱を逃がしながら咀嚼した。

    「要らないって、ヒーローは言うんだろうけどさ、でも心のどこかで思ってるだろ。ヒーローは感謝されるべきだって」

     啓悟は焼き鳥に手をつけずに、私の話を聞いていた。その表情は、いつの間にか笑顔ではなくなっていた。

    「それで、いざ力不足で批判されたら、凹んでさ」

     私は呪術師として優れていた。でも、全部を助けられたわけではない。呪いを祓うことはできたが、間に合わなかった命はたくさんある。だが落ち込むことはなかった。
     何故なら呪術師の仕事は呪いを祓うことだからだ。非術師が死んだならそれは不運だったことで、呪術師が死んだなら実力が足らなかった、それだけだ。そう割りきることが出来た。

    「ヒーローの仕事は人助け? それともヴィラン成敗か? どう思う、啓悟」
    「……両方だと思いますが、俺は前者を優先しますよ」

     あまり間を空けずに、啓悟は答えた。

    「私もそう思う。だから私はヒーローにはなれないし、ならない」

     啓悟は私の話が終わったことを察すると、焼き鳥の串を選んで食べ始めた。私に、どれがおすすめだとかを選んで渡してくる。本当に焼き鳥が好きらしい。

     焼き鳥以外も注文し、他愛ない話をして、1時間が経過するといったところだった。
     追加で注文したドリンクに口をつけると、違和感があった。ソフトドリンクではない、独特の味が混ざっている。そこで正体は察したが、しかし吐き出さずに飲み込んだ。

    「……あれ、智美さん。それ俺が注文したカクテル……」



     まさか、ここまでとは。啓悟は目の前で顔を赤らめて机に突っ伏す智美を見て、頭を抱えた。
     別にアルコールを飲ませようと意図したわけではないが、たまたま似た色のアルコール飲料とソフトドリンクを注文したせいで、こうなってしまった。だから、決してわざとではない。

    「……うう、気持ち悪……」
    「大丈夫ですか?」

     下戸だ、と話していたのは嘘ではないらしい。いつもの余裕そうな表情は消え、顔を赤らめて不快そうに顔を歪めている。想像以上に弱かったようだ。

    「今日は帰りますか」
    「……」
    「歩けそうですか?」

     だが、いつかは酔わせてみるつもりだったので、ある意味成功したとも言える。この状態なら、聞き出せることがあるかもしれない。
     しかし、翌日に記憶が残っているタイプなら信頼にヒビが入ることになるし、難しいところだ。今日は普通に帰して、次の日確かめてからまた機会を窺うとするか。

     店員によって届けられた水を飲ませるため、身体を起こさせ、肩を抱き寄せた。近づくと、意識せずとも女性らしいやわらかな香りがする。それと同時に髪の合間から、白いうなじが見えた。

    「ほら、飲んでください」
    「ん……」

     辛うじて受け取ったコップで、智美はゆっくりと水を飲む。上下する喉を確認して、啓悟はコップを受け取り、テーブルに置いた。

    「で、今日はどちらに帰るんですか」
    「……」
    「家? ホテル? 場所さえ教えてくれたら送りますから」

     背中から支えていて、智美の表情は見えない。起きているかすら怪しい。困ったな、と頬をかいて、どうしようかと悩み始めたときだった。

    「泊めてくれないの?」
    「え……」

     智美はサングラスからずれて見える眼で、こちらを上目遣いで見て、そう聞いた。
     表情こそ笑顔で取り繕っているが、啓悟は内心冷や汗をかいていた。泊めてしまっていいものだろうか。
     今、自分の中のヒーローはホテルをとってやるべきだと言っていて、ヴィランはさっさと持ち帰れと笑っている。

    「智美さん、酔いすぎですよ。ほら立って」

     どこか、適当なホテルを探せばいい。そう思い、半ば無理やり彼女を立たせて、ふらつくので腰を支えながら、店を後にした。
     こんなところ見られたら、間違いなく記事にされるな。そう思って人のいない道を通ってきた。歩いている内に彼女の酔いが冷めることを祈りながら。

    「ホテルとりましょう。ほら、このホテルとか……」

     行こうとしたホテルの入り口に知り合いが見えて、思わず隠れてしまった。あれはヒーローのミルコだ。大方、ここらで任務があったのだろう。会ったら絶対に気まずい。こちらは完全にオフだ。

    「……」

     他にホテルを探そうかとも思ったが、もう時刻もそれなりに遅い。もう仕方がないから、家に招き入れるか……
     智美はするっと啓悟の腕に自分の腕を絡ませて、上機嫌そうに笑っている。何がとは言わないが、柔らかい何かが当たっている。

    「はぁ……」

     ひとつ溜め息をついて、啓悟はタクシーを拾った。


     啓悟の住む部屋にはほとんど物がない。中々帰ってくることはないし、必要なものはヒーロー事務所の方に置いてある。

     だが流石にベッドとソファーくらいは置いてあるので、ベッドに彼女を座らせて、自分は水を取りに行った。すっからかんの冷蔵庫に、ペットボトルのミネラルウォーターがあったので、コップに注いで持っていく。

     座らせたはずの彼女だったが、戻ったらベッドに寝転んでいた。仕方ないのでコップをテーブルに置き、無防備に眠る彼女の近くに腰かける。ベッドスプリングがギシ、と音を立てて沈んだ。

     サングラスが邪魔そうだったので、そっと手を伸ばして取ると、長い睫毛が顕になった。いつもは見えないが、その閉じられた瞼の下には、息を飲むほど美しい眼があることの、情報だけ知っている。まだしっかり見たことはないが。

    「……うわ、何も見えないな」

     気になってサングラスをかけてみると、そこには真っ暗な世界が広がっていた。光を遮断するとか、そういうレベルではない。これはもはや目隠しに近い。確か、サポート科の友人が作った特注品だと、公安が持っていた情報に書いてあった気がする。

    「こんなんでどうやって見て……」

     サングラスを戻そうとした時、蒼の眼が啓悟を捉えているのが見えた。起きていたとは思わず、固まってしまう。

    「気になる?」

     ふっ、と笑う智美に、酔っている様子はない。いつから、酔いが覚めていたのだろうか。

    「……」
    「教えて欲しいんでしょ」

     何もかも見透かしたような眼が啓悟をみる。無防備に思えていた智美だが、今は何故かまったく隙が見えなかった。

    「何が聞きたい? どの情報が欲しい? 答えてやるよ」
    「……」
    「遠慮しなくていい。嘘もつかない。何なら縛りを結ぶ」
    「……縛り?」
    「そう……契約って方がいい?」

     智美は身体を起こして、啓悟からサングラスを取った。

    「お前に対しては、私は嘘をつかない。冬水優輝についても話す……ただし」
    「ただし?」
    「代わりにそっちの情報もくれ」

     啓悟は少し悩んだ素振りをしてから、わかったと言った。
     全部、智美はわかった上で、啓悟を受け入れていたのだ。その事が不思議でならない。何故、監視されるような、騙されるようなことをしているのか、啓悟にはわからない。

    「もしも破ったらどうなるんです?」
    「その時は……そうだね、私は片目を失うことにしよう」
    「……本気ですか」
    「それは破るまでわからないだろうけど……そんくらいの覚悟だと捉えてくれたらいい」

     片目なら失っても、もう片目の六眼が機能さえすれば術式は使える。腕や足よりもまだマシだろう。特に腕は、失えば術式の発動に支障をきたす。そう考えた智美はこれを提案した。

    「……」

     啓悟は慎重に、智美を窺うように視線をやる。相変わらず、その意図は見えない。緊迫した空気が流れた。

    「……うう、やっぱり気持ち悪い」

     しかし、智美が急に顔を青くし、口元を抑えたことで張り詰めた糸が切れるように消えた。
     うずくまる智美の背中をさすり、啓悟は個性を使ってテーブルからコップを取った。

    「どんだけ弱いんですか」

     智美は水を飲むと、俯いたまま啓悟に寄りかかった。

    「アルコールなんて……人の身体に入れていいものじゃないんだよ……」
    「体質は人それぞれですからね」
    「あー……駄目、やっぱり質問は今度にして。もう寝る」

     ずる、と滑るようにベッドに寝転び、智美は目を閉じた。
     なんて自分勝手な人だろうか。何を聞くか考えてた時間を返して欲しい。そう唖然として彼女を見る。

    「一緒に寝る?」

     目を閉じたまま、智美はそう聞いた。冗談か本気か、図りかねる言い方だ。
     本当に無防備に見えるが、多分襲ったところで、返り討ちに合いそうだ。一条智美の実力を生で見たことはないが、報告によるとヒーロー内でもトップクラスに当たるという。

    「魅力的なお誘いですが、やめときますよ」
    「……意気地無し」
    「こう見えて、俺は紳士的な人間なんで」

     据え膳食わぬは……とは言うが、今日はやめておこう。気が進まない。やがて寝息が聞こえてきて、啓悟は智美に布団を掛けてから、寝支度をした。



    「あっ……あー!!」
     
     突然大声を出され、智美は顔をしかめた。
     仕事帰りの夕方、ショッピングセンターでウィンドウショッピングを楽しんでいたが、やたらと視線を感じるとは思っていた。悪意はなさそうだし、放っておくかと思っていたのだが、まさか叫ぶとは思わなかった。

     振り向くと、どこかで見たような顔。白髪に所々赤が混じった、優しげな女性。……そして六眼からわかる個性情報で、やっと轟冬美だと思い出した。

    「この間の! あの、私わかりますか? 夏雄の姉の冬美です!」

     興奮気味に近づいてくるので、智美は多少面倒に思いつつ、愛想笑いをして対応する。

    「あー、どうも」
    「前は助けてもらってありがとうございました! あなたがいなかったら……私……」
    「たまたま通りすがっただけだから。本当に気にしなくていいから」

     たまたま、夏雄が言っていた姉の容姿と一致する人物がいたから、覗きに行っただけだ。行ってみたら、見た目も夏雄と似ていた。つまりは智美の興味本位でしかなかった。

    「一条さん、よかったら……その、この後暇ですか?」
    「えっ」
    「その……少しお茶でも……」

     遠慮気味に、いじらしく誘ってくる冬美に断りの文言を考える前に、すぐ近くのファミレスの期間限定メニューが智美の目に入った。メロンパフェだ。

    「……そこでいいんなら」
    「行きましょう!」

     パッと顔を輝かせた冬美をよそに、智美はパフェを食べることしか頭になかった。
     

     冬美は一条智美の話を夏雄から聞いていた。夏雄曰く、思いやりのない人、常識を知っているのにあえて守ってない人、なんか知らないけど強い人……と、あまりいい話は聞かない。

     しかし、彼女は夏雄の命の恩人であり、自分と、あのビルにいた子供達のヒーローだった。子供達は智美が何のヒーローか探していたが、見つかるはずもない。彼女は一般人なのだから。

     ファミレスに入り、真っ先にパフェを注文した彼女と、ブラックコーヒーを注文した冬美。比較的客が少なかったので、すぐに品が届いた。

    「この間は……本当にありがとうございました」
    「だから気にしなくていいって」
    「でも、一条さんがいなかったらきっと大変なことになってました」

     智美は本当に興味がなさそうにしていた。彼女の興味はパフェに向いていて、冬美の話にから返事気味だ。

    「それで……実は、あの時の子供達が貴方にお礼を言いたいって話していて」
    「……ふぅん」
    「もしよかったら、あなたの事を学校に連絡してもいいですか? あっ、私は教育実習生で……もう実習は終わりましたけど……」

     智美は味わうようにメロンを咀嚼して、うーんと悩む素振りを見せてから、ニコッと人のいい笑顔をつくった。

    「やだ」
    「えっ……」
    「わざわざ学校に行くのは怠いし……あっ、手紙とかも要らないよ。ゴミになるから」
    「……で、でも」
    「あのね夏雄のお姉さん。私は本当に通りすがっただけ。お姉さん、目の前に虫が飛んできたら手で払うでしょう。私にとって、あれはそんくらいの事」
    「……」
    「気が済まないってなら、お姉さんが連絡しといて。子供達に感謝されてるって聞いて、喜んでましたって」

     冬美は呆気にとられた。確かに夏雄から、いい人ではないと聞いていたが、ここまでとは思っていなかったのだ。子供達が感謝をしてるというのに、そんなのはどうでもいい、といった態度だ。

    「……一条さん」
    「なに?」
    「私は……私達は本当に一条さんに感謝してます」

     冬美は座ったまま、智美に頭を下げた。いやいいよ、と智美が止めても、冬美は頭を上げない。

    「一条さんにとっては何でもないことだったかもしれませんが……それでも、命を救われたんです」
    「……」
    「だから、厚かましいかもしれませんが、私が子供達を代表してお礼を言います」

     智美は黙って冬美の言葉を聞いていたが、やがて深々とした溜め息をついた。冬美が頭を上げると、智美が呆れたような表情で冬美を見ている。

    「君たち、まともな教育されてるね」
    「え?」
    「善人すぎてびっくりしちゃう」

     あっはっは、と軽快に笑った智美は、食べ終わったパフェの器を退かして、テーブルに腕を置いた。

    「冬美、だっけ?」
    「は、はい」
    「悪いね、巻き込んじゃって」
    「え? ……きゃあ!!」

     がしゃん、と大きな音がして窓ガラスが割れた。それは智美と冬美に向かって降り注いでくるので、咄嗟に冬美は頭を守った。しかし、いくら待っても衝撃は来ない。
     恐る恐る目を開けると、不思議なことに、ガラスの破片が冬美の目の前で止まっていたのだ。

    「な、何……?」
    「動かないで」
    「ひっ……」

     いつの間にか冬美の後ろにいた智美は、冬美を引き寄せた。
     椅子から立ち上がった2人は窓からじりじりと距離をとる。店内はパニックになっており、2人の後ろでは逃げる人達が忙しなく通っていた。

    「な、何あれ……」

     冬美が目にしたのは、自分の身長よりはるかに大きいヘドロだった。それは黒く、無数の目玉がつき、見るだけで嫌悪感を抱く気持ち悪さがあった。

    「あれはね、呪いだよ」

     智美が動揺もせずに、あっさりそう言った。得体の知れない恐怖に足がすくんでいる冬美に対し、智美は余裕そうな表情を崩さない。

    「怖い?」

     冬美は智美の問いに頷く。何か、本能的なものが、逃げろと警告している。ヴィランに対峙したときとは違う恐怖だ。

    「やっぱり見えない方がいいんだろうね」

     智美がどういう意図で言ったのか、冬美にはわからなかった。
     そうしていると、騒ぎを聞きつけたヒーローがやって来る。そのヒーローはやって来るなりいきなりあの化け物にビームを浴びせた。
     しかし、ビームを浴びたところで呪いは消えたりしない。それどころか呪いはヒーローを見て、奇妙な笑い声をあげたのだ。けたけた、クスクス、うふふ、と何人もいるような笑い声が聞こえた。

    「な、何で……こ、こっちくるな!!」

     呪いは流動性のあるからだをびちゃびちゃと床に溢しながら、ヒーローに近づいていく。あのままだと、何かまずいことが起こる。そう思った冬美は咄嗟に智美の肩を掴んだ。

    「一条さん助けて!!」

     それとほとんど同時に、智美は手を伸ばした。何かをひねり潰すような仕草をしたかと思うと、呪いの身体が捻れる。ア、ア、と不気味な声を出して、呪いは智美達を見た。

     ぐっと、智美が手を強く握る。それと同時に呪いがおぞましい叫び声をあげ、身体が四散した。びちゃ、と辺りが黒い液体で汚れる。

    「やー、久しぶりだと加減が難しいな」
    「……一条さんがやったんですか?」

     冬美は智美にそう聞いた。智美は意味深に笑って、それから人差し指を口元に持っていく。

    「この事は黙っておいてくれる?」
    「えっ? でも……」
    「あれは勝手に吹き飛んだ。そういうことにしよう」

     じゃ、と言って智美はその場を去っていく。その背中を見て、冬美はしばらく立ち尽くしていたのだった。


    「……強いなぁ、智美」

     ショッピングセンターの、防犯カメラを見ながら、長髪をハーフアップにした男が呟いた。彼はニヒルな笑みを浮かべ、カメラの記録を抜き取る。

    「さて、もう少し……もう少しで、わたしの理想が叶う」

     そう言って、男は……冬水優輝は、ドアを閉じて立ち去った。


    「なぁ、知ってるか緑谷。最近ここらの道に幽霊が出るって噂」
    「無個性のお前は、簡単にやられちまうかもなぁ」

     あはは、と馬鹿にしたような笑いがこだまする。同級生達は、出久を馬鹿にしながらどこかへ去っていった。
     出久は情けなく下を向いたまま、肩からずり落ちたスクールバックを直した。
     今からオールマイトに言われた特訓をしに行くというのに、少し気分が下がってしまった。そう思いながら溜め息をつくと、見知った顔が前から歩いてくる。

    「……あっ、一条さん!」

     前から歩いてきたのは、サングラスをかけた智美だった。智美はサングラスをずらしてから、お隣の……と呟く。

    「こんにちは」
    「下校中? 中学生だったんだ」

     制服を見て判断したのか、智美はそう聞いてきた。出久が頷くと、智美はたいして興味もなさそうに相槌をうった。

    「あの、一条さん。一条さんって……昔、雄英の体育祭で優勝してましたよね?」

     立ち去ろうとする智美を引き留めるように、出久が質問する。智美は何の事かと一瞬固まったが、やがて思い出したようにあっ、と声を出した。

    「そういや一回だけ出たな……でも優勝はしてないよ。サングラスでアウトだったから」
    「あの、智美さんの個性って……」

     ここで出久は言葉を詰まらせた。智美は表情も変えず、次の言葉を待っていた。

    「……もしかして、バリアですか?」
    「へぇ、何でそう思うの」
    「決勝で一回だけ、相手の蹴りが不自然に一瞬止まったことがあって……もしかして、見えないバリアが出せるとか……かな、って……」

     ここまで話して、出久はしまった、喋りすぎた、と後悔した。ヒーローでもない人の個性をペラペラと話すなんて、失礼にあたるのではないかと。

    「うーん、5割正解」
    「えっ」
    「あん時ねぇ、使わないつもりだったのについ使っちゃって。悔しいから無理言って優勝を辞退したんだよ」

     どうやら半分は当たっているらしい。それから、智美は個性を使わずに優勝しようとしていたことを、平然と話し始めた。

    「サングラスも、別にサポートアイテムじゃなかったから反則じゃないんだけどね」
    「ど、どうしてですか? 優勝したら、ヒーロー科への転入も出来たかもしれないのに」

     不思議だという表情で出久が聞く。ヒーローが憧れな出久にとって、智美がヒーロー科への転入を目指していると思って疑わなかった。

    「いや、私はヒーロー目指してないから」
    「あっ、そうですよね……そういう人もいますよね」
    「君は? ヒーロー目指してんの?」

     逆に質問されて、出久はドキリとした。出久が無個性であるかを智美が知っているかはわからないが、出久がヒーローを志すことは、つまりは人に馬鹿にされる事であったから。

    「はい……僕、雄英を受けようと思ってます」

     でも、オールマイトと出会い、ヒーローになれると言ってもらえた。だから、胸を張って言わなければ。
     少し緊張しながら伝えたというのに、智美はへぇ、そう、とあっさりした返事をした。

    「学食美味しいから、いいと思うよ」
    「へ……? が、学食……」
    「季節限定スイーツは当たり外れあるけど、春のやつは当たりだったかな。夏はね、スイカ系はあんまり好きじゃないんだよねぇ」

     普通、ヒーロー科の設備のすごさとか、ヒーローが教員をやっているとか、雄英といえばヒーローというのを語らないか? なのに、この人デザートのことしか話してくれない……

     出久は拍子抜けして、うまく言葉が出せなくなった。それをどう捉えたのかはわからないが、智美はふっと笑って肩を竦めた。

    「大丈夫だって。案外受かるもんだよ?」
    「……いや、ヒーロー科は倍率すごくて……」
    「あー、らしいね。じゃあ頑張ったら?」
    「あ……はい」

     軽薄に笑いながら、智美はその場を立ち去っていく。
     何か、想像よりも軽い人だったな……出久はそんな感想を抱きつつ、オールマイトのいる特訓場へと向かった。



    「手、出して?」

     ここは啓悟の自宅である。話が聞きたいと直球で連絡をした啓悟に、智美は二つ返事で了承した。酔っぱらい事件から一週間が経過していた。

     智美は手のひらを啓悟に向けて、ほらほらと揺らしている。
     手を吹っ飛ばされたりしないだろうな、と内心警戒しながらも、啓悟は手を重ねた。

    「……! 触れられない」
    「今触ってるのは私と啓悟の間にある無限ね」
    「無限?」
    「啓悟は私に近づくほど遅くなってる。だから触れない」

     どれだけ力をいれても、智美の手に触れることは出来ない。ぐぐ、と力んでいると、するりと智美の指が啓悟に絡んでくる。

    「ま、私からは触れるけど」
    「なっ……」
    「おいおい照れるなよ、こっちまで照れるだろ」

     細く傷ひとつない指が滑らかに啓悟の指の間に入ってくる。そのなんとも言えない感触に啓悟は思わず手を引いた。

    「あっ、逃げた」
    「……」
    「そう睨むなよ……で、続きだけど、これを可能にしてるのがこの眼」

     智美はサングラスを外し、ゾッとする程綺麗な、水面のように凪いだ眼を向けた。

    「この眼はじゅ……力を繊細にみることが出来る。これがないと繊細な力加減が出来なくて、うまく発動しないんだよね」
    「…………」
    「でも、常時発動は脳に負担が大きい。頑張っても2日が限界、それ以上は脳が焼き切れる」
    「…………」
    「あとは蒼と……反転は習得してないし……」
    「……あの」
    「ん?」
    「それ、本当に個性ですか?」

     啓悟は眉を潜めて、怪しむように尋ねる。個性とは、だいたい1人ひとつ持つもので、複数あるように見えても、どこかで繋がっている。なのに、智美の能力はまったく別の力を複数持っているようにしか思えない。

    「だから、遺伝子上は無個性だって」
    「……随分と使い慣れてますけど、特訓でもしたんですか」
    「そう、小さい頃からずっとね。正直"もう"使わないかと思ってたけど、この調子じゃまだ必要そうだよ」
    「へぇ、一体どこで必要何ですか」

     智美はコップに注がれた麦茶を一口飲むと、ふぅ、と息を吐いた。

    「冬水優輝の個性呪いは、私しか対抗手段を持たない」
    「!」
    「どんだけ強い奴でも呪いは祓えないよ」
    「何故ですか」
    「何故って、そういうもんだから」
    「……」

     暑いからとつけたエアコンの音が、沈黙を埋めてくれる。そろそろ蝉が鳴き始めそうな時期である。
     質問には正直に答える、これが智美との縛りだ。だから、これまでの発言に嘘はないはずである。

    「で、多分だけど」
    「……」
    「優輝はこれから大規模テロを起こすね、多分」

     さらっと話された物騒な話題。これを天気の話のような軽さでいうものだから、啓悟の脳は一瞬バグを起こす。

    「ちょうど3年前。とあるヒーローがヴィランを殺したことで、世間からバッシングを浴びたでしょ」

     唐突にそう言われたが、啓悟には思い当たる節があった。

    「冬水里子(りこ)……」
    「そうそう、あいつの姉」

     冬水里子は、新人ヒーローだった。その活躍は優秀で、あのオールマイトが彼女を話題にあげたことで、世間からは注目を浴びていた。
     しかし、彼女はヒーロー活動中、どうしようもない状況でヴィランを殺してしまった。その場にいた市民を助けるため、致し方無い判断だった。

    「あれは確か……警察の、指示ミスだったはずです。里子さんは人質を助けるためにヴィランを……」
    「まー、不運だったね。にしても、新人にそんなこと任せるなよ」

     智美は珍しく顔をしかめて、啓悟を見た。

    「あのヴィランを仕留められるのは彼女しかいなかった。一刻を争う事態だったんです」
    「……で、ヴィラン殺しのヒーローとして、世間の酷い言葉に心を病んだ彼女は自害……」

     智美ははっきり覚えていた。それは、高校3年の12月24日だった。冬休みの前日、実家に帰った冬水から、智美に連絡があった。
     「明日、映画みる約束してただろう、……あれ、行けなくなってしまってね」。電話越しの声がやけに震えていたが、智美は冬水が動揺を隠そうとしているのを察して、あえて指摘しなかった。

     それから冬休み期間の間、冬水から一切の連絡はなかった。冬休みが明け、久しぶりに見た冬水は少しやつれていて、だが何でもないと笑っていたから、大丈夫だと思ったのだ。

     冬休みが明けてすぐの事。放課後、下校途中に懐かしい気配がした智美は、引き寄せられるように向かった。それはとあるビルの……冬水の姉がヴィランを殺害した場所だ。
     間違いない。多大な呪力が、特級にも劣らない呪力が溢れている。この世界でそれを引き起こせる人物を、自分以外で、智美は1人しか知らない。

     そこに、冬水はいた。血で染まった床と、数人の死体の中で、彼は静かに佇んでいた。

    「本当は止めるべきだったんだけどねぇ」

     呪力で人を殺めた。そんな呪詛師を、過去に何人も葬ってきた。だから、冬水にも躊躇なく呪力を向けることが出来た。あの顔をみるまでは。
     何もかも絶望した顔だった。いつもはきちんと纏められている長髪が乱れ、表情は抜け落ちていた。今まで見てきた、冬水というヒーローが、堕ちた瞬間だったのかもしれない。

    「啓悟」
    「……」
    「あれは私にしか祓えないからな」
    「……」
    「戦わないでさっさと逃げろよ。そんで私に連絡。わかった?」

     まるで子どもに言い聞かせるような、諭すような言い方をして、智美は啓悟に念を押した。




     という会話を思い出しながら、ホークスは目の前の化け物と対峙していた。
     一見して異形の個性を持つヴィランのようだ。ホークスの数倍はあるような身長に、長い黒髪の女性のような風体。長い髪から覗く目はくり貫かれたように、漆黒が広がっている。

    「誰か、助けて!!」
    「嫌だ! 死にたくない!!」

     その化け物はヒーローの呼び掛けに応じず、市民を無差別に襲っていた。近くにいた市民は恐怖に足をすくませ、また触れられたものは肌に気味の悪い痣が浮き上がっている。

    「ホークス! 一般人の避難は終了しました!」

     サイドキックの呼び掛けに、応える暇もなく、化け物は啓悟に向かって大きな巨体を突進させる。そのスピードは、ホークスでなければ避けきれなかっただろう。

    「図体のわりに速いな」
    「……ォ……オ……」
    「……」

     近頃目撃されるヴィランの特徴によく似ていた。こちらの攻撃は一切効かず、意志疎通もはかれない。それが人であるかどうかを確かめる前に、一瞬で弾けて消えるという。

     ホークス以外のヒーローもやって来て、その巨体に向かって拳を振り下ろす。だが化け物は軽々と受け止めて、ぐしゃりと握りつぶした。

    「うわあああ!!」

     悲痛な叫びが辺りに響く。ホークスは翼で負傷したヒーローを化け物から引き剥がす。

    「あ、あんなのにどうやって……」
    「だ、誰か、オールマイト……」

     この場にいるヒーローではどうにもならないことを察し始めた者達は、後退り、オールマイトの助けを乞い始めた。
     ホークスは先ほどのニュースで、オールマイトが東北地方にいる情報を得ていた。ホークスですらオールマイトの力を頼りたいところだが、それはすぐには不可能だろう。

    「ヒ……ヒヒ……」

     笑い声のような奇妙な声を出している化け物は、ゆっくりと首をかしげ、真っ黒な目をホークスに向けた。全身の鳥肌が立ち、得体の知れない恐怖がホークスに走る。

    「!? ぐっ……」

     その一瞬、動きが固まった瞬間に化け物はホークスの目の前に迫っていた。咄嗟に避けようとしたが、避けきれずに脇腹に化け物の拳が当たる。

    「ホークス!!」
    「だ、駄目だ……ホークスがやられちゃあ……」

     コンクリートに叩きつけられたホークスは全身に痛みを感じながら、辛うじて立ち上がる。あの速さに力もあるとくれば、本当に厄介だ。しかもこちらの攻撃はまったく通じない。

     絶望的な状況であった。一般人の避難が済んでいたことが幸いだ。ホークスのサイドキックは既に応援を要請しているはずだ。それまで、ここから動かないようにさえ時間を稼げれば……

     翼で羽ばたき、ホークスは脇腹を押さえながら飛び立つ。酷い痛みが走っていた。

    「くそっ!! どこに行く気だ!」

     ヒーローの誰かがそう叫ぶ。
     化け物はヒーローに背を向け、どこかへ歩き出す。俯いて、何かをぶつぶつ呟きながら歩いている。
     ヒーローは化け物を止めようと躍起になっている。だが、まるでハエでも払うように化け物はヒーローを手で凪ぎ払った。

    「止まれっ!」

     ホークスは無数の羽を化け物の膝に向かって飛ばし、バランスを崩させた。それは膝をつき、動きを停止する。
     やっと攻撃が通じた、そう喜んだのもつかの間、化け物の腕が機動力の下がったホークスをとらえる。

    「くっ……」

     力を入れられ、ホークスの全身に痛みが走る。ニタニタと笑った化け物は、動けなくなったホークスをつまみ上げ、大きく口を開けた。

    「ホークス!!」

     逃げようにも、全身が痛みに襲われ、思うように動けない。ヒーローやサイドキックが叫ぶが、どうすることも出来なかった。

    「……?」

     しかし、化け物はホークスを食べるのをやめた。そして、ア、ア、と声を漏らし、息を荒げる。まるで何かに怯えるように、化け物は後ろを向いた。

    「や」

     ホークスは、歪む視界の中で辛うじてその姿を見た。白髪で、目に目隠しのような包帯を巻いた女性を。彼女は旧友にでも会うかのように、片手を上げて化け物に挨拶した。

    「ヒ……ギィィィ!!」

     バシュッ、と鈍い音がしたかと思うと、化け物は足を失い無様に倒れ込む。気味の悪い叫び声を上げながら、ホークスを投げ捨てた。
     投げられたホークスはサイドキックに受け止められ、支えられる。そうして、化け物の動向を伺った。

     惨めに這いつくばり、化け物は彼女から逃げようとしている。彼女はゆっくりと化け物の方に歩いていたかと思うと、一瞬で化け物の目の前に移動した。

     彼女は倒れている化け物に合わせるようにしゃがみこむ。

    「楽しかったか? 人間をいたぶるのは」
    「ウ……ギィ……」
    「じゃあ祓っても問題ないよな」

     彼女はそう言って化け物の頭に手を乗せた。瞬間、まるで風船が破裂するように化け物の身体が膨らんだかと思うと、パン、と弾け飛んだ。

     あれだけヒーローが苦戦した化け物を、たった一瞬で倒してしまった。彼女が何者であるかを知っているのはホークスだけだ。だからか、ヒーロー達は安堵するよりも、彼女が誰なのかの疑問を口にする。

    「……彼女は」
    「あーあ、やられちゃったねぇ」

     ホークスが説明しようとした時、またも彼女は一瞬でホークスの隣に移動してきた。ホークスを含む周囲のヒーローが驚いているが、智美は気にせずホークスに話しかける。

    「呼んでって言ったじゃん」
    「……これの事だったんですか」
    「ああそうか。呪霊とヴィランの区別はつかないのか……」

     1人で勝手に納得したようにそう呟き、智美はトントンとホークスの肩を叩く。

    「まー生きてるならよかったよ」
    「……」

     無事、とは言うが結構な重傷を負ったホークスは、複雑な顔で智美を見た。だが智美はそれに構わず、歩いてその場を立ち去る。ホークスも、他のヒーロー達も、呆然として誰も彼女を引き留めることが出来なかった。



    「あの女が戻ってきてるという話を聞きました」

     その女性の声を聞いて、智美は足を止めた。
     ここは雄英高校の廊下、応接室前だ。休憩をしようとしていたところで、智美は偶然にもその場面に立ち会った。

    「冬水さん、一体どこからその話を」

     対応しているのは校長と相澤だろう。そして相手は冬水の母だ。智美は近くで聞き耳を立てるため、壁に寄りかかる。

    「優輝が何を思ってああしたのか……彼女は知ってるんですよね」
    「ですから、冬水さん。一条は何も知らな……」
    「嘘よ!」

     相澤の言葉を遮るように、冬水の母は声を荒げた。がちゃん、とコーヒーカップが音を立てる。

    「優輝の残した手紙に書いてありました。一条智美について」
    「……」

     智美は腕を組み、ハキハキと話をする冬水の母の声に耳を澄ませた。

    「智美には全てを話す、智美に会わないと……そう綴っていて、実際会ったんでしょう!?」
    「冬水さん、落ち着いて」
    「もし息子と繋がっているなら……」

     それから冬水の母は興奮気味にまくし立てた。息子を止めてほしい、どうして気付いてやれなかったんだ、返してくれ……どこか自分を責めるような部分もあり、対応していた2人はひたすら宥めるしかなかった。

    「……何をしているの?」

     と、話の途中でミッドナイトがやって来て智美にそう問い掛けた。しかし中から聞こえる声で察したのか、早く立ち去るわよ、と言って半ば無理やり智美を職員室まで引きずる。

    「立ち聞きは駄目よ」

     ミッドナイトは静かにそう諭した。智美ははいはい、と軽い調子で返事をし、自席へ戻っていく。その様子を見てから、ミッドナイトは再び職員室を出た。

     ミッドナイトが戻ってみると、相澤だけがあの部屋にいた。校長は帰りを送るためにまだ冬水の母のところにいるようだ。

    「聞いてたわよ、あの子」
    「一条ですか」

     相澤が聞き返すと、ミッドナイトは神妙に頷く。

    「わかってるんじゃないの。どうしてこの高校に呼び戻されたか」
    「……多分、薄々察してはいるはずです」
    「私思うんだけど、あの子、まだ隠してることがあるんじゃない?」

     ミッドナイトの言葉に、相澤は何も返さなかった。

     数年前の冬のことを、ミッドナイトはよく覚えている。
     冬休み期間の前日、冬水の姉が自宅のマンションの屋上から飛び降りた。第一発見者は冬水優輝。そうなれば、学校としてもメンタルの面を心配する。
     冬休み明け、冬水優輝は普通に登校してきた。多少窶れたような気配はあっても、それ以外は普通に……冬水の姉の話はクラス中にも広がっていたから、皆が気を遣いあっていたようだった。

     冬水はよく普通科の一条智美と行動していたが、冬休み明けは極端に一緒にいるところを見なくなった。元々、冬水から絡みに行っていたので、智美もわざわざ彼の元に行くことはなく。それが、目に見える一番大きな変化だった。

     そうして、事件は起こった。それはとある日の放課後。雄英に一報が入る。

    「冬水優輝らしき者が……」

     ビルで起きた大量殺人。その場にいた市民、ヒーローは無惨な姿で発見された。唯一、智美だけが生きてその場にいたらしい。彼女は警察で取り調べを受けていて、そこへ真っ先に向かったのがミッドナイトだった。

    「冬水優輝の姿を見たんですね」
    「……」

     警察の問い掛けに、智美は小さく頷いた。サングラスのせいでよく表情は読み取れなかったが、ミッドナイトは、彼女が奥歯を噛んで何かを耐えるようにしているのに気付いた。

    「彼の目的などはわかりますか」
    「……」

     それから先、智美は何も答えなかった。
     ミッドナイトは黙ったままの智美を家まで送った。相変わらず黙ったままだったが、車内でやっと彼女は言葉を口にした。

    「ヒーローって」
    「え?」
    「どうして自己犠牲に走るんですかね」

     ミッドナイトはミラー越しに彼女を見る。窓の外を眺める横顔から表情は読み取れなかった。

     未だ、冬水優輝の目的は掴めていない。彼の個性は大変危険であると判断され、捜索が続けられているが、何もわかっていない。
     唯一の手掛かりである、一条智美。雄英に呼び戻したのは、彼女の協力を得るため、また繋がりがないか監視するため、両方の意味を含んでいた。

    「一条は多分、どっちでもいいんだと思います」
    「どういうこと?」

     相澤はコーヒーカップを片しながら、淡々と話をする。

    「冬水が何をしようが誰を殺そうが、一条にとっては大きな問題じゃない」
    「……」
    「ただ、再び一条の目の前に冬水が現れたら、一条は冬水を止めるはずです」

     相澤は冬水からしか、智美の話を聞いていなかった。智美と直接会ったのは、冬水の事件後だ。そこでやっと、相澤は冬水の言っていたことを理解できた。

    「一条は唯一、冬水を止めることが出来る」
    「……」

     わたしの個性なら、オールマイトすら簡単に殺せちゃうんですよ。
     冬水は相澤にそう話していた。姉のようなヒーローになりたい、けれど自分の個性はヴィラン向きだ。だったら、個性は最低限、後はわたし自身の力で。

     そう語る少年の目は真っ直ぐだった。そして、こうも語っていた。
     もし、わたしが暴走してしまったら"親友"に止めてもらうんです。彼女ならわたしを止められる。強いんですよアイツ、ムカつくくらいに。

     相澤は智美に、よくわからない信頼を抱いていた。その実力だけでなく立ち振舞いも、強者の風格を漂わせていたから。
     彼女なら、絶対に冬水を止めることが出来る。最初に出会った時から、いや冬水から話を聞いた時から、感じていたことだ。

    「俺は、あいつが味方だと思ってますけどね」

     相澤の言葉にミッドナイトはそうね、と小さく呟いた。



     デート、それは恋愛関係にあるもしくはそれを期待する者達が会うことである。待ち合わせに早く来すぎた、あるいは前日寝れなくて寝坊した、なんて可愛い失敗を若い内に経験する人もいるだろう。

     啓悟は待ち合わせの10分前に着いて、のんびりと智美を待っていた。速すぎる男なんて巷では言われるが、デートに速く来すぎても何にもならない。というより智美と会う目的はデートではなく、隠しているとされる情報をそれとなく暴くことである。

    「お待たせ~」

     公安は冬水優輝の足取りを掴むため、一条智美の行動を監視していた。彼女の行動パターンや性格はほぼ把握してある。今日のように、5分~8分の微妙に怒りにくい遅刻をしてくる頻度が高いことも、啓悟は把握済みである。

     やって来た智美は、今日はサングラスに黒を基調としたスタイリッシュなコーディネートだった。白い髪に黒が映えている。そういえば、彼女は黒を選ぶ頻度が高いような気がする。

    「誘ったくせに遅れて来るんですね」
    「あっはっは、ごめん」

     一ミリも罪悪感を感じない謝罪をして、智美は啓悟を爪先から頭までじっくり見た。

    「まだ治ってないなぁ」
    「療養中ですからね」

     先日の戦いの傷が癒えていない啓悟は、ヒーロー業を3日ほど休んでいた。動けないほどではないが、また時々痛みがある。そんな状態だというのにデートの誘いに乗ったのには、訳があった。

    「とりあえず、お茶でもしませんか」

     テラス席に座り、適当に飲み物を注文する。智美はちゃっかりパフェを頼んでいる。そんなに長居するつもりはなかったが、パフェを食べ終わるのを待たなければならないようだ。

    「先日のあれ、本当に対抗手段はないんですか」

     どうせこの話をしたかったのだろうとわかっていた智美は、唐突な質問にも狼狽えずに応えた。

    「ない」
    「あれがもし、日本中に現れたらどうするんですか」
    「私が来るまで逃げ回れ」
    「……」

     攻撃の手段が一切ない。そんな個性があっていいものか。実は智美が嘘をついているのではないか。ヒーロー協会の見解はこうだ。
     だが、彼女は啓悟の質問に正直に答えるという縛りを結んだ。だから、縛りが何なのか啓悟にはよくわかっていないが、信じることにしたのだ。

    「例えば、イレイザーヘッドが彼を見たら、あの呪いは消えませんか」
    「一度出した呪いは消えないね。量産は出来なくなるみたいだけど」
    「……彼は、あれを何体所有していると思いますか」

     智美は口元を指でもにゅもにゅ動かしながら、考える素振りをした。

    「多く見積もって……1000体くらい?」
    「1000体……」
    「1日1体が限界そうだったし、毎日作ってもそんくらいでしょ」

     あの化け物が1000体もいる。そうなれば、ヒーローは勝ち目が見えない。攻撃は一切効かず、スピードもパワーも化け物じみているのだから。

    「ま、1000体くらいなら余裕なんだけど」
    「……本当ですか?」
    「まじまじ。ただ、周囲の被害を無視すれば、の話ね」

     運ばれてきたパフェを食べながら、智美は話を続けた。

    「私のちょー必殺技があってね」
    「……」
    「それやれば大抵はイチコロだけど……範囲攻撃みたいなもんで、敵味方関係なく当たっちゃう」
    「当たったらどうなるんですか」
    「何も感じなくなる」
    「……」
    「廃人になるね」

     領域展開、とは言わずに智美は説明した。啓悟は結構彼女の情報を聞き出しているが、彼女を知った気には一切なれない。まったく別次元の力の話を聞いているような気がするからだ。

    「心配しなくても人を巻き込んでまで使ったりはしない」
    「それはよかったです」
    「それに、これは本当に奥の手だからね。使ったら、使ったなりに反動は来る」

     まるで使ったことがあるみたいな言い方だ。だとしたら一体いつ……と聞こうとしたが、それを読んでいた智美からストップがかかる。

    「いつ使ったの、なんて聞かないでよ」
    「どうしてですか」
    「それは……聞かれたら困るからね」

     はぐらかすように笑うのでますます聞いてみたくなるが、啓悟はこの間助けられたばかりだ。流石にそんな意地悪は出来ない。

    「さて、あと聞きたいことは?」

     パフェを食べ終わり、満足そうにそう聞いてきた智美に、啓悟は首を横に振った。とりあえず、必要なことは聞いた。

    「じゃあデートだ」

     嬉しそうに頬を緩めた智美の後ろに、知らない女性が立った。その女性は隈の濃い目を智美に向ける。

    「へぇ、デートか」
    「……ありゃ?」

     智美がわざとらしく惚けた振りをして後ろを見た。啓悟が誰だろうと首をかしげていると、智美は笑みを浮かべて馴れ馴れしく挨拶した。

    「晶子ちゃーん、奇遇だねぇ」
    「……」
    「さっきは様子を見てただけだったのに、遂に声まで掛けてきちゃって」

     晶子と呼ばれた彼女は、大きく溜め息をつくと、啓悟を見て同情するような表情を向ける。

    「見る目ないな」
    「え?」
    「女以前に人を見る目がない」

     破棄のない目で淡々と話され、啓悟は呆気にとられる。それと同時に、智美のことを知っている素振りで話すので、晶子が何者なのか啓悟の中で謎が深まる。

    「ちょっとひどーい。私を何だと思ってんの」
    「目隠し馬鹿、クズ」
    「辛辣~……あ、この人は晶子ね。私のサングラス製作者」

     そういえば、智美のサングラスは特別製だと聞いたことが啓悟にあった。なるほど、彼女が……と納得する。

    「で、何しに来たの?」
    「そこの男が後悔する前に忠告しに来てやった」
    「晶子ちゃん優しい~」
    「あー……どう意味ですか?」

     困惑しながらも、営業スマイルに切り替えて啓悟はそう尋ねた。

    「一条だけはやめとけ。こいつはお前が想像する以上に頭がおかしい」
    「……」
    「忠告したからな」

     そう言って晶子はその場を立ち去っていく。啓悟は散々な言われ様の智美の顔色を窺うと、特に変化もなくケロッとしていた。

    「ん?」
    「怒ったりしないんですね」
    「なんで?」
    「……」

     確かに、そんなに長い付き合いではないが智美がどこか可笑しいのは感じる。考え方も力も。
     それでも啓悟は彼女と会う中で、少しだが好意的な印象も抱いていた。冬水の個性に対する対抗手段が自分しかないといい、それに戦う姿勢を見せている。ヒーローでもないのに、どうして戦ってくれるのか疑問でもあるが。

    「よし、映画観に行こう」
    「今からですか」
    「だって質問はもういいんだろ?」

    まるでそれを楽しみにしていたかのように、智美は子どもっぽい無邪気な笑みを浮かべた。
     あくまで冬水の情報を得るための手段だ。そう自分に言い聞かせ、多少の罪悪感を押し退けるように啓悟は作った笑顔を彼女に向けた。
     

    「最近一条さん来ないですね……」

     夏雄は客のいない店内を見回して、店長に話しかけた。店長であるお婆さんはのんびりと椅子に腰掛けて、そうねぇと呟く。

    「最近は朝に来るわね。昼食用にサンドイッチを作って欲しいって言って」
    「えぇ!? そんなサービスないでしょ……あの人、面倒な客だなぁ」
    「そんなことないわ。きっとうちの売り上げを心配してくれてるのよ」

     お婆さんがそう言うので、夏雄はそれ以上何も言わなかった。

    「にしても最近見ないなぁ……」



    「……いや、なんで家にいんだよ」
    「やっほー夏雄」

     夏雄が家に帰ると、何故か智美が轟家にいた。当たり前のように寛いでいるので、夏雄も一瞬素通りしかけたくらいだ。

    「冬美がご飯一緒にっていうからさぁ」
    「はぁ? 姉ちゃん、なんで急に」

     これお土産、そう言って智美はテーブルの上のケーキの箱を指差す。そんな智美に何も言えないでいると、冬美がやってきた。

    「ああ、夏雄おかえり!」
    「姉ちゃん! なんで一条さんがいるんだよ!」
    「この間助けてもらったお礼に、ご飯に誘ったの!」

     そう言って冬美はいつもよりウキウキした様子で台所に戻っていく。
     夏雄はえー……と納得いかないまま智美を見る。

    「嫌なら帰るけど」
    「いや……弟が……」
    「焦凍くんになら会ったよさっき」

     会ったのかよ、と夏雄は頭を抱える。焦凍は今受験期でピリピリしている時期だ。デリカシーがなさそうな智美と相性は悪そうだから、出来れば会ってほしくなかった。

    「お部屋で勉強するってさ。真面目だねぇ」
    「推薦試験近いんですよ、雄英の」
    「えー、後輩になるかも」
    「アイツはヒーロー科目指してるんです」

     親父の力を使わずに。

     夏雄の頭には、幼い頃の火傷前の弟の顔が過った。焦凍が炎を使わなくなったのは、あの事がきっかけだろう。家族内であってもデリケートな問題に、夏雄は踏み込めないでいた。自分は親父にとってハズレで、焦凍は違う。だから、そこには大きな壁が存在している。

    「余計なこと言わないでくださいよ」
    「あー……」
    「……まさか、何か言ったんですか」

     笑ったまま、しかしやべっ、という表情をしたのを夏雄は見逃さなかった。

    「いや別に~……」
    「……とにかく、自制してくださいよ」



     その日の晩ごはんは確かにいつもより豪勢だった。テーブルに並べられた料理の品々は冬美の得意料理のはずだ。なのに、冬美はどこか自信なさげに、もじもじとしていた。

    「焦凍はこっちに座って! 夏雄はここ、智美さんはこちらに!」

     冬美は料理を盛り付けながら、テキパキとそう話した。焦凍は特に気にした様子はなかったが、夏雄は冬美と同じく、少し緊張する。

     いただきます、と手を合わせ、智美は料理に口をつけた。冬美は口を一文字に結びながら、その様子を見ている。

    「美味しい」
    「……! ほ、本当に?」

     冬美は安心したように胸を撫で下ろし、やっと自分も箸を持つ。

    「わざわざ豪華にしなくたってよかったのに」
    「で、でもせっかく智美さんをもてなすから……ね?」

     冬美は食事よりも智美と話すことに気がいっている。そんな姉の様子が落ち着かず、夏雄もあまり料理の味がしなかった。

    「智美さんは、普段は何してるの?」
    「ん? ……雄英の事務員」
    「雄英!?」

     大きく反応したのは夏雄だった。てっきり無職だと思っていたのに、まさか就職しているとは。だからカフェに来なくなったのかと、合点がいった。

    「言ってなかったっけ」
    「……だって全然カフェに来ねぇから……」
    「それもそうか」

     智美は納得したように頷き、再び料理に集中した。
     夏雄は何だかショックを受けて、そこから話すことを諦めた。相変わらず冬美は積極的に話しかけていて、智美が適当に相槌をうっている。

    「智美さん強いから、焦凍にアドバイス出来るかも」
    「おー、ボコボコにするよ」

     自分の名前に反応した焦凍と、物騒な言葉に顔を上げた夏雄。夏雄が弟いじめないでください、と言えば、智美は口角を上げた。

    「焦凍はヒーロー目指してる?」
    「はい」
    「偉いねー……そういや、私の近所にもいたな。雄英志望」

     もしかして会うかもしれないねぇ、なんて呟くが、焦凍はチラリと視線をやっただけで、特に大きく反応を示さなかった。



     焦凍はご飯を食べ終わると、勉強があるからと言って部屋に戻っていく。夏雄も課題を終わらせるために部屋に行き、残されたのは智美と冬美だけになった。

    「はぁ……智美さん、彼氏とかいますか?」
    「何、恋人欲しいの?」
    「居なくなったんですよ、もう~……会えないとすぐに気持ちが離れていくっていうか」

     冬美は家のこともあり、自由な時間はそれほど多くない。その少ない時間の中で出来た恋人は、大抵会えない時間の多さから別れを告げてきた。先日もそうだ。

    「数撃てば当たるんじゃない?」
    「そんな……そうだ、智美さんはモテるんじゃないですか? 美人だし……」

     そう言われて、智美は過去を振り返った。確かに、声をかけてくる人は多い。だが純粋な気持ちで声をかけてくれたのは中学までで、高校に入り、体育祭に出てからは、それはもうパタリと止んだ。色々な理由はあるだろうが、一番は冬水が側にいたことが大きい。

    「男の見分け方教えてあげる」
    「え?」
    「ヒーローはやめときな。特に、真面目に取り組んでるやつ」

     冬美がいれてくれたお茶を飲みながら、智美はそう語る。何だか体験談が混じっているような気がして、冬美は微妙な笑いを浮かべた。

    「この間も、ヴィランが出たからってデート途中でどっか行ったし……その前だって、ドタキャンされたし……」
    「え、あ……それはその、なんか残念だね」

     不貞腐れたように顔をしかめながら智美は膝を抱えるように座り直した。その様子がいじらしくて、冬美はちょっと胸がぎゅっとなった。

    「別に文句言う訳じゃないけどさ。ないけどさぁ……」
    「智美さんでも悩んだりするんですね。何と言うか……振り回す側だと思ってました」

     冬美の言う通り、基本智美は振り回す側であるし、智美もそれは自覚していたが、あえて言わなかった。

    「でも……好きなんですよね?」

     冬美が、少しの興味と意地悪を混ぜながらそう質問すると、智美はお茶を飲みながら斜め上を見て、うーんと唸った。

    「さあね」
    「ち、違うんですか」

     照れたりする様子もなく淡々と智美が答えるので、冬美はよくわからなくなってしまった。恋愛って、複雑だなぁ……なんて感想を持つ。
     恋の話はここまでにし、智美はここらでお暇することにした。夏雄が送っていくと申し出たが、別に要らないといって帰る。

     玄関先まで見送りに来た冬美が、笑顔で手を振った。

    「また来てね」

     智美も手を振り返し、帰っていく。冬美がずっとこちらを見ていたのに気づいたが、特に振り向くことはせず、しかし出来るだけ早足で、帰路についた。
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