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    straight1011

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    straight1011

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    書きかけです供養です

    金神の夢 その日は綺麗な夕陽が見える日だった。秋に入る手前、まだ夏の暑さをどこか残していて、額にじんわりと汗が滲む。
     今晩の夕飯はカレーにしよう、そう考えながら駅のホームで電車を待つ。
     来年受験を控えた私は、遊ぶなら今しかないと思い、友人と一緒に遊園地に遊びに行った帰りだった。友と別れた帰り道は寂しかった。早く家に帰りたい、そう思って線路内を覗けば、遠くに電車の陰が見えた。

    「危険ですので、線の内側までお下がりください」

     そんな声が聞こえて一歩下がる。また一歩下がろうとした時、誰かに触れられた。
     ぶつかってしまったのだろうか。咄嗟にすみません、と言って後ろを振り返れば、知らない男がこちらを見ていた。
     男は目が合うなりニヤリと黄色い歯を覗かせた。ゾッとしたのもつかの間、強い力で線路内へ押された。思ったよりも高さがあり、衝撃に頭を打つ。
     何をするんだ、そう怒鳴り付けてやろうと起き上がる。しかし、声より先に身体への衝撃が早かった。避けようなどと考える間もない内に、電車は私へ向かって進んできた。

     つんざくような誰かの悲鳴を聞きながら、私の身体は宙を飛んだ。




    「……ん?」

     という記憶があったはずなのに、目を開ければ見知らぬ土地にいた。ここが天国というやつだろうか。それにしてはやけに寒い。ならば、地獄か。いやいや、それにしては生温い。
     とりあえず歩こうとすれば、何かに躓いた。転びそうになるのを耐えて、何につまづいたか確認するとそれは人だった。

     そこには軍服を着た人が倒れている。しばらく固まった後、やはり地獄かと考え直した。よく見ればあちらこちらに人が倒れているし、銃声も爆発音もする。地獄というよりかは、戦場という方が適切なようだ。
     とにかく生きている人を探そうと辺りを見渡せば、自分の視界がやけに低い位置にある。下を見れば、地面がとても近い。手を見れば、子どものように丸い手があった。
     幼くなっている。この混乱する状況に新たな情報が追加され、頭が痛くなった。
     その時、旗を持った軍服の男がこちらへ向かってくる。銃だとか構えている様子がないので、こちらも構えるような真似はせずに大人しく待った。

    「何故ここに……とにかく、子どもにここは危険ですので、あちらに。私が逃がしますので」

     彼は私の手を引いて逃げ出そうとした。その瞬間、発砲音が後方から響く。それは男の脇腹に当たり、彼はその場に崩れ落ちた。
     数秒ほど固まった私は、男がうめき声を上げてやっと動き出した。とりあえず姿勢を低くして男の側に座る。生きてはいるが、血が溢れ出していて止まらない。
     止血方法なんて、傷を押さえることしか知らない。とりあえず手で傷口を……正確には血管を直接抑えた。その感覚は生暖かく、脈打つように溢れる血液が気持ち悪い。
     
    「早く、お逃げ、ください。ここは危険ですから……」

     んなこと言われても、道がわからない。
     それを口に出すのはしなかった。私は自分の持ち物を見たが、服は昔の日本のように和服で、着ていたはずの私服ではなかった。
     仕方なく傷口を抑える手を離し、素早く自分の服を破った。それを包帯のように使い、男の腹に巻き付けた。効果があるかはわからない。素人知識の応急処置なのだから。

    「生きてますか」

     何も言わない男に不安になって、問いかけた。

    「……」
    「動けないほど痛いですか?」
    「……あなたは……」

     そう呟いて動かなくなる彼を見て血の気が引いた。このままだと死んでしまうのは何となくわかって、心臓がバクバク鳴り始めた。

     とにかく、鳴り響く銃声や雄叫びから身を隠すように、持っていた旗を男の側に置いた。そして、誰か別の人を探すため走った。

     しばらく走れば、深い溝のようなところへ落ちてしまった。先程の電車の出来事が頭をよぎったが、極力考えないようにして、周りを見渡した。

     すると既視感のある男がこちらに銃を構えて立っていた。こちらに向けるその目は敵意というより、困惑が強い。

    「何者だ……?」
    「あ、あの! あちらに人が倒れてて……早く手当てしないと」

     そう訴えれば、男は怪訝そうに目を細めた。動こうとしない男をどうにかしたいが、銃がこちらに向いている。下手に動いて撃たれるなんてごめんだ。

     そうしている内にまた、違う人の声が聞こえてきた。振り返れば、先程撃たれた男が別の兵によって運ばれてきていた。

    「花沢少尉、しっかりしてください!」
    「……あの子どもは……どこへ……」
    「子ども……? 戦場に子どもなど……!」

     先ほどの撃たれた男は花沢少尉と呼ばれていた。そこで、ん? と思う。何だかこの間読んだ漫画に出てきたような気がする名前だ。
     振り返って、銃を向けている男の顔を見た。どこかで見たことがあると思ったら、あの漫画だ。混乱しながら、とにかく優先順位を身の安全に切り換える。

    「勇作殿」
    「兄様、私は……」

     なぜか謝る勇作と呼ばれた男に、私の記憶が正しければ……尾形が、冷たい目をした。

    「尾形上等兵! この子は?」
    「俺が知るか。とにかく花沢少尉を連れていけ。ついでにこれもな」

     抑揚のない声でそう尾形が言う。記憶にない兵……つまりモブ兵は、これ呼ばわりされた私に、着いてこいと言った。私は素直に頷いて隣を歩いた。勇作さんの血は流れ続けている。

     歩きながら振り返れば、尾形はこちらを見ていて目が合ってしまう。よく見えないが、睨んでいるというか、負の感情が向けられた気がする。今にも銃を向けてきそうだ。

    「おい、言葉はわかるか?」
    「あっ、はい……」
    「この止血、お前がやったのか?」
    「そ、そうです」

     話しかけられてキョドるが、モブ兵は大して気にしていないようだ。それよりも、勇作さんが危ないのだろう。呼吸が不安定で、上手く吸えていないようだ。

    「勇作さん……」
    「お前、花沢少尉を知っているのか」
    「あ……い、いえ……」

     とにかく、自分の身を案じて私は、うっかり余計なことを話してしまわないように口を閉じた。







     それから私は、毎日勇作さんの看病をした。といっても、軍医なのか何なのかわからない人の命令を聞いていただけだが。勇作さんだけでなく、名のないモブ兵の手当てをしたりした。

     何故そんなことを私がしたかといえば、することがなかったからだ。私は自分が何者かわからないし、そもそもここがあの漫画の世界だと確信したわけではない。たまたま同じ名前で似た顔だった……という可能性もあるわけだから。

     兵隊からの目線を感じながら、私はひたすらに看病した。気分はナイチンゲールだった。もっとも、彼女のように看護の知識があるわけではないから、致死率を下げるなどという神業は出来ない。ただ、まだ生きている人の苦しみを和らげようと必死だった。

     私とて、一度死を体験した人間なので彼らの苦しみを少しわかるつもりだ。実は、身体の衝撃と感じた痛みは記憶している。思い出したら吐きそうになるくらい、鮮明な記憶で、今でも駅のホームを少しでも連想させる溝を見るだけで足が震える。何の恨みがあったか知らないが、あの男だけは許せない。幽霊になったら呪ってやったのに。

    「何なんだあの子どもは」
    「戦場で花沢少尉が保護したらしい。ロシアのものではないらしいが……」
    「何故手当てを?」
    「何か手伝わせてほしいと言われてな。最初は渋ったんだが……驚くくらい賢い。子どもには思えんな」

     そんな会話を聞きながら、勇作さんに水を飲ませた。確かに見た目6、7歳にしては賢いかもしれないが、中身は凡人JKである。部活は運動部でバリバリ脳筋なので、賢いわけではないはずだ。中身が老けているだけで。

    「とにかく、戦争が終わるまでこの子を安全に返す方法はない。そもそも、どこに返すんだ?」
    「神が誤ってここに落としてしまったのかもしれんな。戦場にあのような存在がいるのは、ある種の尊さを感じる……7歳までは神の子なんて呼ばれるしな」

     救護人たちは、私を横目に見ながら会話していた。私は聞こえないふりをしながら、顔をしかめる。
     正直さっさとここから避難したい。いつ敵兵が攻めてくるかわからないし、今度こそ死んだら終わりかもしれない。

     勇作さんはゆっくり水を飲むと、私を見た。

    「ありがとうございます……」
    「……生き抜いてください。死なないで……」

     弱々しい勇作さんを励ます。薄々感じていたが、仮にここがあの漫画の世界だとして、勇作さん死亡ルートが回避されたのではないか? この勇作さんが受けた銃弾は、尾形の放ったもので、頭を狙ったつもりが腹に……主に私の存在が、勇作さんに予想外の行動をさせて。

     なんて、今はわからない。わからないから、考えても無駄だ。だから、今することは自分の身の安全確保。それに、せっかく助けた勇作さんを死なせないことだ。





     と、決意し約1年。やっと戦争は終わりを向かえた。

     たくさんの屍を見た。多くの遺言を聞いた。教科書で見た戦争より、はるかに辛い。何度心折れそう
    になったかわからない。未来ある者が、国のために命を捧げるのは、やはり可哀想だと感じてしまうのだ。それは、この時代に生きていないから思うことなのだろうか。
     平和ボケした私にはやはり、映画の中にでも入り込んでしまったという気持ちが大きかった。

     そして、勇作さんは無事に回復し、この戦争を生き抜いた。この時点で私は、もはや漫画の世界であると疑っていなかった。なぜなら、戦場で谷垣も、二階堂兄弟も、杉元すら見つけてしまったからだ。もしかしたら、鶴見中尉も月島軍曹もいたかもしれないが、見つけられなかった。

     私は陰で神の子だの何だの、勝手に神聖化されていた。確かに、身元不明の子どもがこんなところに迷いこんできたら、神か仏だと思わないこともない。しかし中身は現代JKであり、神聖さなど微塵もない。残念ながら、拝んでも意味などない。

    「あなたにはぜひお礼をしたいのです。ご両親はどちらに?」
    「……」
    「私にも話してくれませんか……せめて、名前だけでも」
    「……」

     そして今、困ったことに私は勇作さんに事情聴取されている。名前がないわけではないが、そちらの名前の私は死んでいる……いや、時期的には死ぬ予定という、ややこしい言い方になるのだが、とにかくそちらとは区別したいので、名乗らない。

     とまあ、私が私自身を知らないので、結局黙りを決め込んでいた。勇作さんは困ったように眉を下げる。あまり困らせたくないが、こればかりは仕方あるまい。

    「とにかく、軍の方でしばらくは保護いたしますから……さあ」

     そう言うと、勇作さんは私に手を差しのべた。
     ん? と一瞬首をかしげたが、勇作さんのキラキラした目を見て、ああそういうことね、と納得する。
     そして、私は勇作さんの手に自分の手を重ねた。

    「……ずっと兄弟が欲しかったのです」

     寂しそうに呟く勇作さんにぎょっとした。まさか、尾形の方が死んでしまったのか? 私が迂闊に物語に関わったせいで? まさか……いや、絶対生きてそうだ。あいつ死んだら物語的につまらない。

    「あなたを見て、こんな妹がいたらと……そう思いました。もしも帰る場所がないのでしたら、私の元へいらしてください。必ず力になりましょう」

     一人焦る私をよそに、勇作さんは何やら熱く語っている。内容はほとんど聞き取れなかった。曖昧に笑えば、勇作さんも微笑み返してくれる。

    「ですがまず……鶴見中尉の元に行かなければなりません。あなたのことをたくさん聞かれるはずでしょう。心配なさらずとも、この勇作も側にいます」

     鶴見中尉、という名前にびくりとする。それに関われば絶対に金塊争奪戦に巻き込まれる。それは勘弁だ。

    「さあ、帰りましょう日本へ……」

     勇作さんが私の手を強く握る。
     こうして私は、新たな人生を始めさせられたのだった。








     日本に着き、数週間私は、第七師団の人達が住む宿舎のような場所で過ごした。見覚えがあると思ったら、ここは二階堂の片方が杉元に殺される場所だ。つまりいずれ火事になるので、メタ的にさっさと出ていきたい。

     ちなみに尾形はバリバリ元気に生きていた。ただ勇作さんを避け気味で、勇作さんも気まずそうだったあたり、罪悪感がなんちゃらの下りはやった後みたいだった。

     何やら戦争の後片付けがあるらしく、第七師団は慌ただしく働いていた。勇作さんももちろんそちらへ行くが、夜には私の元に戻って話し相手になってくれた。本当に妹のように接してくるので、こちらもだいぶ絆されてきた。恐るべし勇作さん。聖人とはこういう人のことなのだろう。

    「私は、何でずっとここにいるの」
    「皆あなたに感謝しているからです。あなたは帰る場所に困っていたでしょう? 私達は力になりたいのです」

     笑顔でそう語る勇作さんに偽りはなさそうだ。ただそれは建前で、本音は疑いをかけられているのだろう。ロシアのスパイとか。でなければ、部屋の扉の前に見張りがいる意味がわからない。

     まあ、勇作さんは知らなそうだが。

    「勇作さんに兄弟はいないの?」

     とりあえず、私は生かすことに成功した勇作さんの身を守りたいので、尾形との仲をそれなりに探ることにした。

    「兄弟……兄はいますが」
    「仲はいいの?」
    「……実は、戦時中に少し……気まずくなってしまって避けられているようなのです。兄様には兄様の考えがあるとは知っていますが、私には理解が出来ずつい……」

     落ち込む勇作さんに私は頭を悩ませた。この後尾形は父親を殺害するし、その流れでもしかしたら勇作さんも殺してしまいそうな気がする。それは防ぎたい。彼がいなくなれば、この世界での私は孤独になってしまう。

    「勇作さん、きっと2人には時間が必要なんだよ。お互いの考えを理解し合う時間が。それまで、勇作さんが寂しくないように、私がたくさんお話をするから」

     だから、極力尾形に近づかないでくれ。尾形にとって勇作さんは地雷でしかないから。いつ狙撃されても可笑しくないから、勇作さんにはいつも窓の死角に居てもらっているこの努力を、決して無駄にはしないでくれ。

    「……こんなにも幼い子に心配されてしまうなんて……そうですね、しばらくは兄様に近づきません。」
    「大丈夫、勇作さんは優しいから、いつか仲直り出来るよ」

     まあ、兄貴は造反して七師団には戻れなくなりますがね。勇作さん、衝撃で倒れたりしないかな……というかそもそも、あんな兄を好く要素は無さそうなのに何故ここまで慕えるのだろうか。

    「ところで、明日は鶴見中尉が会いに来ると思いますよ。許可が出れば外にも連れていけるはずです。そうしたら、一緒に散歩しましょう」

     そう言って勇作さんは部屋を出ていった。

     鶴見さんの前では子どものふりを通すことにしていた。下手に賢いふりとかせずに、現代JKの馬鹿さを全面に出す。怪しい者なんかじゃありませんよと、アピールするのだ。 

     そして、次の日。


    「ご機嫌よう、名前は……無いんだったね。とりあえず座りなさい」

     鶴見中尉の部屋なのか、ソファと椅子のある部屋に案内された。鶴見さんの座る椅子の向かいに腰掛け(身長が小さいので、月島さんがすわらせてくれた)、辺りをキョロキョロ見渡した。

    「落ち着きなさい。取って食べたりはしないから」

     月島さんはドアの入り口に立ってこちらを見ていた。勇作さんは仕事があるらしく、側にはいない。それが物凄く心細いが、仕方がない。

    「まず……君の身元を知りたい。君は何故戦場にいた?」
    「……わからない」
    「何故? あそこにいる前は、何処にいた?」
    「……わからない」
    「名前は?」
    「……わからない」

     なにも知らないふりをして、幼稚に足をぶらぶらさせた。私はただの子どもだ。だからさっさと解放してくれ。四六時中監視は勘弁だ。

    「……君の戦場での活躍は聞いている。子どもとは思えない働きで、負傷した兵の手当てに当たったそうだね」

     鶴見さんは話題を変えて、戦争の話に移る。しまった、そこでの振る舞いは完全にボランティア精神で、演技など頭になかった。7歳くらいの子どもには思えなかっただろう。

    「口々に皆が言っていた。賢すぎると。そんな君が、自分のことがわからないとは……思えないな」

     いや、本気でわからない。

    「本当に、何もわかりません。父も母も、自分の名前も正体も」
    「なら何故、花沢少尉を助けた?」
    「死にそうな人を、助けない理由はありません」

     放っておく方が変な話だ。いや、その判断も戦場ならば命とりなんだろう。私は気がつかなかったが、銃弾は私に当たる可能性だってあったわけだ。そんな中で彼を助けようとしたのは、やはり現代日本で平和ボケしていたからで。

    「……これから君はどうする」
    「どうする……って?」
    「両親も名前もわからない君を、どこへ返せばいいかわからなくてね」
    「ああ確かに……」

     そういえばそうだ。私は何処に帰ればいいんだ。この身体の産みの親がいればいいのだが。何となく、いない気がする。だってこの姿は、私の幼い頃そのままだ。現世の私が、何処ぞの名探偵の如く幼くなってここにきたと思うのが妥当だろう。

     鶴見さんはニコリと笑う。これが噂のタラシスマイルか。宇佐美の気持ちが少しわかる。何と言うか、顔の傷すらも魅力的だ。

    「もし行くところがないのなら、しばらくここにいたらいい。君には助けられた。少しくらい迷惑をかけられても構わないさ」
    「なら、何かお手伝いします。私に何か出来ることなら」
    「それなら……連絡係をお願いしよう。私の代わりに人を呼んだり、伝言を伝えたりしてくれるか」
    「……そんなことでいいの?」
    「もっと難しいことがいいのかな」
    「いや……」

     何だかまだ探られている気がしなくもないが、気にしたら負けだ。私は記憶がなくてちょっと賢い子ども。そういう設定にしてくれ。

    「早速だが、月島と一緒に尾形上等兵を呼んできてくれるかい」

     そう言われてコクリと頷き、ソファを降りて月島さんの元へトコトコと向かった。

    「行こう、月島さん」
    「……」






     月島さんはチラリとこちらを見て、歩き出す。勇作さんなら手を繋ごうとするのにな、と少し残念に思った。別に人肌寂しいわけではない。そうでないと、子どもゆえに歩幅が合わないので疲れるのだ。

     と、思っていたが月島さんの足は思ったよりも遅い。よくよく見れば片足を引きずって歩いていた。

    「月島さん怪我してるの?」
    「……いや、そういうわけではないが。右足に違和感があって歩きづらくてな」
    「見せてください」

     待てと止められる前にズボンを捲る。靴下を少し下げれば、足首が腫れていた。歩けないほどではなさそうだから、軽い捻挫といったところだろう。しかし、歩き方から見るに痛みはあるらしい。

    「……おっ」
    「痛いですか、ここ」
    「いや、痛くはないが……」

     一応骨を押してみたが、反応からするに骨まではいっていない。にしても、軍人の月島さんが足を捻るなんて珍しい。北海道の雪道になれていないのだろうか。

    「とにかく、あんまり歩くと治りにくくなりますよ。尾形は私が呼ぶから、月島さんは待ってて」
    「尾形上等兵の顔がわかるのか」
    「う、まあ……勇作さんのおかげで」

     そう誤魔化して尾形を呼びに行く。実は勇作さんに、あれが兄ですなどと紹介を受けたことはない。戦場では勇作さんの次に会った兵なのだが、それっきりなので向こうはよく覚えていないだろう。

     歩こうとする月島さんを睨み付けて止める。数秒にらめっこが続いたが、やがて折れた月島さんが廊下の突き当たりにいると教えてくれた。

     言われた通りに歩くと、尾形のいる部屋にたどり着いた。座り込んで銃の手入れをしている尾形は、こちらに気づいて顔をあげた。

    「こんにちは、尾形さん」

     ひきつらないように笑顔をつくって挨拶すれば、尾形も表面上は優しそうに挨拶を返した。漫画の尾形を知っている民からすれば、ちょっとビビる。

    「鶴見さんが呼んでました。お部屋にいます」
    「そうか、今行く」

     尾形は素早く銃を組み立てた。その手際は素晴らしいもので、思わず素でわあ……と言ってしまう。これは人気なのも頷ける。

    「どうかしたか」
    「えっ、いや……かっこいいなぁ、と。私も持ちたい」
    「お前が? …………はっ、ほら」
     
     鼻で笑った尾形は、自分の銃ではなく誰かの無防備に置いてあった銃を私に持たせた。

     ここで忘れていた設定を紹介するが、私の力は17歳のままだ。つまり、6歳程度の貧弱な腕ではない。

    「……」
    「……あ、やべ」

     だから私は、子どもが片手で持てるはずのない銃を軽々ともって見せた。運動部だったこともあり、このくらいはそう……片手で持てた。尾形が不自然だと言わんばかりに顔をしかめる。

    「……きゃあ、重たい!」

     不自然な真似をしてしまったことを焦り、ぽい、と銃を放り投げればごとりと鈍い音がした。冷や汗をかきながら、早く行こうと尾形を急かす。

    「おい、銃を粗末に扱うな」
    「尾形さん、早く早く! こっちだよ!」

     尾形の注意を聞き流して、尾形の手を引く。硬くてゴツゴツした手は、気温のせいか冷たかった。
     尾形はしばらく静かに着いてきていたが、私に何か思ったのか声をかけてきた。

    「やけにガキ臭い振る舞いだな」
    「……子どもだもん」
    「戦場じゃ、そんな真似してなかっただろうが。どっちが本当のお前だ」

     そう質問されて押し黙った。まさか未来からきた女子高生なんですとは言えまい。そもそも、今が某名探偵状態であることを、真実味をもって話せる自信はない。というか、誰も信じないだろうし。

    「あっ、月島さん。連れてきたよ」
    「ああ、ありがとう。尾形、鶴見中尉のところへ行け」
    「ほら、さっさと離せ」

     尾形は私の手を離すと、鶴見中尉のいる部屋へと入っていった。月島さんは大人しく待っていたようだったが、手を繋いできた私と尾形を怪訝そうな顔で見ていた。

    「尾形と面識があったのか」
    「……ないよ。それより月島さん、足マッサージしてあげる」

     実際には面識があったが、ここでそれを伝えるのが面倒で言わない。
     うっかりマッサージって言葉を出したが、この時代にあるのだろうか。学び不足のせいで、意味のわからないことを言ってしまうかもしれない。そのときは、方言だと誤魔化そう。
     とりあえず、月島さんを座らせてズボンを捲る。足はやはり軍人らしく、筋肉質だった。

    「どこで捻ったの? ……そこらの雪道で?」
    「この雪道に慣れなくてな。戦場から帰って、気が抜けていたのかもしれない」

     血流が悪くなって浮腫んでいる足を、血管に沿って擦る。痛そうな顔をしたので力を緩めれば、すまないと謝られた。

    「……実は、この捻挫に気づいたのはお前が初めてだ。よくわかったな」
    「……え」

     感心するような目で月島さんが私を見るので、面食らってしまった。確かに一見普通に歩いているように見えたが、それでも違和感はあった。だとすると、周りが月島さんの怪我に気づけないくらい、余裕がなかったということだろうか。私の観察眼が、軍人に感心されるほど鋭いとは思えない。

    「……隠さなくても、ここは戦場じゃありませんから」
    「そうだな、だが……簡単には変わらない」
    「なら、私の前でくらいは普通を思い出してください。戦争にいるままでは、苦しいでしょう」

     足へのマッサージに集中しながら、そんなことを話した。月島さんの反応はなかったが、顔を見るのは何だか失礼な気がして、結局私は下を向いたままマッサージを続けた。

    「もういいよ、月島さん」
    「ああ、ありがとう。……名前は、ないんだったか」
    「なくても困らないよ」

     そう返せば、そうか、と返される。これが勇作さんならば色々言われてしまうので(実際言われた)、ある意味気が楽な人だ。

    「ああ、そこにいましたか」
    「勇作さん」

     そうしていると勇作さんがこちらにやってきた。月島さんは上官の前なので背筋を伸ばして挨拶した。私は、完全に絆されたので勇作さんを見れば顔が綻ぶ体質になってしまった。責任をとってください。

    「ふふ、機嫌が良いのですか?」
    「勇作さん、私まだここに居られるみたい」
    「それは……だから、こんなに喜んでいるのですね」
    「勇作さんと一緒にいられるのが、嬉しい」

     ガードを張っている鶴見さん尾形と違い、勇作さんにはデレデレで接する。勇作さんは聖人なので、信じきっても大丈夫な存在だ。
     勇作さんはまるで妹のように私を抱っこして微笑む。月島さんが微妙な表情でこちらを見ているが、気づかないふりをして勇作さんの首に抱きついた。

    「私ね、鶴見さんのお願い事を聞くことになったんだ」
    「中尉殿はお優しい方ですから。でも、あまり困らせてはなりませんよ。あなたはイタズラがお好きなようですから」

     別にイタズラが好きなわけではない。ただ勇作さんを窓の死角に移動させるためにあらゆる手段を使ったまでで、それを勇作さんはイタズラ好きと捉えたようだ。

    「月島軍曹、私が居ないときはこの子を頼みます」
    「……花沢少尉、随分と懐かれておりますね」
    「ふふ、可愛いくてつい、甘やかしてしまいます」

     それから月島さんと勇作さんの会話が続く。私はというと、とてつもない睡魔に襲われていた。
     力だけ17歳のままであるが、身体は小学生だ。勇作さんが背中をトントンしてくるので眠たくなってきてしまった。勇作さんの肩に頭を預け目蓋の重さに全てを任せた。

     どんどん意識が薄れていく。月島さんが私の顔を覗き込んで、勇作さんに何か言っている。勇作さんが私に何か話しかけたが、意味がわからずに適当に返事をした。




    「眠ってしまいましたね」
    「……花沢少尉、あまりこの子どもに肩入れするのは、如何かと」

     月島は、大切そうに少女を撫でる勇作を見る。すやすやと勇作の腕の中で眠る姿は、純真無垢で可愛らしい。しかし、少女の振る舞いは子どもには思えないほど大人びている。子どもらしくしているつもりだろうが、それに騙されているのは実質勇作くらいだった。

    「何故です?」
    「この子ども、自分の情報を一切開示せずに、こちらのことはよく見ている……用心すべきだと思いますが」
    「……」

     勇作は返す言葉が見つからずに黙った。この小さく賢い少女が、大人にそういう疑いをかけられていることを、わかっていないはずがない。そんな中で笑顔をつくるのは、どれほど辛いことだろうか。
     自分だけはこの子の味方でいよう。勇作は腕の中の少女を強く抱き締めた。

     月島との沈黙を破るように、近くの部屋のドアが開く。中からは尾形と、鶴見が二人で出てきた。鶴見が勇作に話しかける。

    「これはこれは花沢少尉、どうかしたのかね」
    「いえ、月島軍曹と少し立ち話を」

     勇作は近くにいる尾形を視界の端に捉えたが、以前のようにように話しかけるのことは出来ない。何かが、埋めるのは困難な溝が二人の間にあると、勇作は感じていた。

    「寝てしまったのか?」
    「はい、今から彼女を部屋に運ぶところでした」
    「ああいや、それは尾形に頼んでくれ。花沢少尉、私は君に話がある」

     そう鶴見がいえば勇作は険しい表情に変わる。勇作の父である花沢将校が、先日自害した件についてだとすぐにわかった。
     勇作は少女を尾形に預けようとしたが、思いの外強い力で服を掴まれていて離れない。実は起きているのかと疑ったが、寝息をたてているしそうではなさそうだ。

    「鶴見中尉、申し訳ありません。彼女を抱いたままでもよろしいですか」
    「……ああ、構わんよ」

     部屋に案内されるまま、勇作は歩いた。
     尾形とすれ違い際に目があった。尾形は勇作に意味ありげな笑いを浮かべたが、勇作はといえば(兄様は父上のことで心を痛めていらっしゃる)と、見当違いなことを思う。

    「……勇作殿は、戦争帰りであっても清いままですな」

     尾形が、すでに扉越しにいる勇作に聞こえないよう月島へ言う。月島はそれに皮肉が混じっているのを感じたが、指摘はせずに言葉を返す。

    「そうとは思わないな」
    「と、言うと?」
    「花沢少尉はあの子どもに対して……異様なほど信頼を置いている。可笑しい程に」
    「……信仰でもしているのでは? 現に彼女は、未だに戦場に現れた女神やらなんやらと言われているそうじゃないですか」

     尾形は勇作の腕に眠る少女を思い浮かべた。確かにその顔立ちは日本人とはかけ離れた彫りの深い顔立ちをして、瞳は蒼く、作り物のようであった。特に男だらけの戦場において、その容姿は存在を放っていた。

    「俺は好きではありませんね。月島軍曹、あの子どもは師団にとって敵ですよ」
    「……何の証拠があって言っている」
    「勘ですよ」

     ニヤリと尾形が笑う。月島は表情こそ変えなかったが、目の前の男にしかめっ面をしてやりたかった。お前の方こそ味方には思えない、と。

    「では、俺はこれで失礼しますよ。玉井伍長にも呼ばれていましてね」

     立ち去る尾形の姿を、月島は横目で睨み付けた。



    「……お父上のこと、残念に思う」
    「父上は責任のあるお方でした……本来、私はここにいるべきではないのでしょう」
    「……」
    「死ぬべきは、私のはずでした」

     ソファに座る鶴見と勇作。鶴見からは勇作の腕の中に眠る少女の顔は見えない。かろうじて寝息が聞こえている。
     鶴見は勇作の反応を見る。父上の自決という……尾形による偽装は、この男にどういう変化をもたらすのかを。

    「鶴見中尉の申し上げたいことは、わかります」
    「言ってみなさい」
    「……私に、軍を抜けろと」

     腕の中に眠る少女が微かに身動きしたのを、鶴見は見逃さなかった。いつから起きていたのか、今起きたのか。とにかく、意識は覚醒したようだった。

    「私とて心苦しい。君は優秀で、人望もあり、軍の上に立つべき人材だ」
    「……私などにはもったいない評価です」
    「ただ……ここ第七師団には居づらかろう」

     勇作に心底同情するように、鶴見は語りかけた。勇作の表情は揺るがないままだ。
     勇作は、きっと兄にも同じ話をしたのだろうと思っていた。しかし、実際は勇作を追い出すための算段を立てていた。

    「そこで、だ。お父上のご友人である、鯉登少将の元へ行ってはどうだろうか」
    「……鯉登少将の元へ……? 海軍に、私がですか?」
    「君ならよいと、向こうから許可が出た。陸軍とは勝手が違うが、ここよりは肩身が狭くはないだろう」
    「……兄様も、そこに」
    「尾形上等兵には断られたよ」

     鶴見は何かを見るように目を細める。勇作は少女を抱き締める力を強くした。

    「私は……そのお誘いをお受けします」

     




    「これで本当に、いいのですか」
    「……」

     その日の夜。私に個別に与えられた部屋で、勇作さんと話す。言葉を発するのは夕飯について。本題は、筆談にて行われていた。

    「私は豆菓子が食べたいなぁ。勇作さんは?」
    (鶴見さんなら必ず勇作さんを守る。彼は部下を大切に扱う人だから)
    「私は最近カレーというものを食べまして……明日にでも、店屋に連れていきましょう」
    (しかし、あなたの言う通りであるなら、兄様はどうなるのですか)
    「わあ、嬉しい。勇作さん」
    (尾形さんなら上手くやるはず。鶴見さんが金塊探しを始めれば、第七師団は中央に造反したことになる)

     勇作さんは、原作にはいない存在。だから、彼がいることで何が起きるのかは全く予想が着かない。ならばどうすべきか。そう考えて思い浮かんだのは、勇作さんを金塊戦争に関わらせないことだった。

     そして、たまたま鶴見さんが鯉登パパと連絡をしているのを聞き、この誘いに絶対乗れと以前から勇作さんに促していた。鶴見さんにとってまっすぐで扱いにくい勇作さんは邪魔だろうから、早めに消したいだろう。彼は鶴見さんと根本では合わないはず。鶴見さんの目的を知れば、絶対に対立するし殺される(気がする)。

     もちろんそんなこと(鶴見さんのやばい面)は勇作さんに伝えておらず、適当に海軍最近人手足らんらしいよ、的な事を話した。つまり、あんたは邪魔になるから早々に出ていけと伝えたのだ。

     筆談なのは、外にいる見張りに聞こえるのを防ぐため。書いた紙は勇作さんが薪と一緒に燃やしている。この話がバレることはなかった。

    (兄様は、大丈夫でしょうか)
    (尾形さんは強いから、うまく立ち回れるよ)
    (なら、あなたはどうするのですか)
    (私は)

     私は、どうすべきだろうか。
     勇作さんに全てを伝えてもいい。尾形が勇作さんを嫌っていること、父を殺したこと、勇作さんを殺そうと考えていただろうということ。
     でもそれをしたことで、原作が大きく改変することは避けたい。勇作さんが生きているだけでだいぶ違うのだ。これからどこかの歯車が狂って、主要メンバーの誰かが死んだら、杉元佐一という男の物語が完結されなくなるかもしれない。

    (私は、別に何もしませんよ)

     だったら、勇作さんを助ける他に何もすべきではないはずだ。
     




    「……夜遊びとは感心しませんな」
    「お便所ですよ」

     夜中、用を足すために起きた私は、不運にも尾形に出くわした。全くもって不運だ。私の見張りの二階堂兄弟が、今日ばかりはサボったから自由だと思ったのに。
     尾形は銃をもってどこかへ行くつもりのようだった。夜遊びしているのはどちらだ、と内心悪態をつくがすぐに造反連中との密談だと察しがついた。

    「お休みなさい尾形さん」
    「……一緒にくるか」
    「どこへ」
    「わかってるだろう。まさか、勇作殿から聞いていないのか」
    「……?」
    「金塊の話、詳しく教えてもらおうか」
    (………………勇作さん言っちゃったな。あの兄馬鹿め……)

     一瞬にして冷や汗が溢れ出た。寒い気温が、また更に冷え込んだ気がした。
     私との筆談を、おそらく勇作さんは尾形に伝えていた。いや、聞き出していたのだろう。勇作さんが自分から話すはずない。そうなれば、私が金塊について知っていることが全て筒抜け。何故だと質問するだろう、この男なら。

    「勇作殿は俺を信用しすぎだと、そう思わないか?」
    「……全く、今ばかりは同感」
    「ははぁ、お前の必死の努力は筒抜けだったな」
    「……」
    「だが、おかげで俺は勇作殿を撃てないままだ。お前のせいで」
    「……私は別に何も」
    「まあいい。寝ていたらそのまま連れていくつもりだった」

     尾形は来いと言った。正直着いていきたくはなかったが、断っても無理やり連れていかれる。二階堂がサボったのは偶然ではなくこいつの差し金だろう。仕方なく後ろを歩けば、ニヤリと笑う尾形が視界の端に見えた。



    「これはこれは、お楽しみ中失礼します」

     尾形が入っていった店は、明らかに男女がそういう行為を行うことを商売としている店だった。
     玉井伍長が女性とお楽しみ中な横に、野間さんが気まずそうに酒を飲んでいる。尾形はそんな野間さんをからかうような目線を投げかけた。
     野間さんが私を見て目を見開く。

    「子どもが、このような場所に来てはいけないだろう」
    「興味があるらしいからで連れてきたまでだ」
    「……んなこと言ってないっつーの」

     尾形の言葉に反論するように睨み付けた。
     その後、心の中で思った事が、ほんの少しだけ声になってしまった。つい素の口調に戻った。

    「なにか言ったか」
    「何も。それで、私に何の用があったの」
    「そう急かすな。野間、玉井伍長はいつ終わる?」
    「もう少しでしょう」

     野間さんと尾形が並んで座るが、私は突っ立ったままでいた。今すぐ逃げたい。勇作さんの胸の中で安らかに眠りにつきたい。そう思っても、結局成功率が低いので行動には起こさなかった。

    「……とにかく、座ったらどうだ」

     野間さんが見かねて声をかけてきたので、仕方なく私は野間さんの膝の上に迷いなく座った。野間さんがえっ、とか呟いたし尾形は何してんだこいつと眉を寄せたが、気にしない。野間さんは離れた場所にいるより、肉盾に利用してやる。

    「……寒い」
    「尾形上等兵、上着くらい着せてきたら良かったんじゃ」
    「悪かったな、気がつかなかった」

     全然悪いと思っていない声色で、尾形が謝る。あまりに寒いので野間さんに身体を寄せれば、野間さんは親切に毛布を貸してくれた。正直場所が場所なだけに借りたくなかったが、背に腹はかえられない。
     野間さんが気を使って私の頭を撫でてきた。すると、隣の尾形が鼻で笑う。

    「野間、こんな子どもに誘惑されてどうする」
    「なっ、違いますよ」
    「……」

     眠気に耐えながら、毛布を握っていればやがて玉井伍長が事を終えて隣の部屋からやってきた。やっと本題に入るらしい。

    「……尾形、そいつが鶴見中尉の情報を握っているのか」

     玉井伍長が私を指してそう尋ねる。そうだ、と尾形が答えるので、面倒なことになったと微睡む意識で考えた。

    「おい、起きろ。お前、どこまで知っている」

     尾形に頬を叩かれてほんの少し意識が覚醒する。目を見開いて、何というべきか数秒考えた結果、こう答えた。

    「……知っていた」
    「何を?」
    「未来を」

     インカラマッさん路線で行くことを。



    「なら、お前には俺たちの未来がわかるってか?」

     野間さんの笑い声が聞こえる。馬鹿にしているようだ。あなたヒグマに殺されますよと伝えればいいのだろうか。まあ、たとえあの場でヒグマを倒しても、杉元が控えているので生存は不可能だろうが。

    「わかる」
    「はは、やっぱり神様だったらしい。この子は」

     玉井伍長が同じく笑う。信じていないらしい。

    「なあ、本当は鶴見中尉から手に入れているんじゃないのか」
    「違う」
    「……そろそろ言わないと、子どもでも痛い目に遭うことになるが」

     尾形が、刃物を右手でクルクル回す。脅されているようだ。

    「過去もわかる」
    「ほぉ……」
    「尾形さんの過去、わかるよ」

     そう言えば、尾形は手を止めて挑戦するような目を投げかけた。

    「……銃はお祖父さんに習った」
    「……」
    「あんこう鍋を……毎日食べて」
    「……」
    「…………祝福が」

     と、ここで本当に目が覚めた。尾形の殺気を感じたせいで。何だかんだウトウトしていて、思考が浅かったのだ。
     まずいと思って、野間さんの膝の上から飛び退いた。そして縺れる足で入り口へ向かう。

    「どこへ行く」
    「……帰る」
    「帰すと思うか」

     カチャリ、銃を構える音がした。玉井伍長も、野間さんも黙っていた。私はゆっくりと振り向いて、尾形が向けた銃口を見つめる。

    「……」
    「お前が、俺たちに有益な情報を与えてくれるなら生かしてやる」

     玉井伍長がそう言ったが、そんな事は耳に入らず、私は銃口から目が離せなかった。
     死ぬ、殺される、そう思うと頭が沸騰しそうなくらい息が上がった。恐怖ではなく興奮だ。一度死を体験した人間は可笑しくなるらしい。頭が冷静に対処法を考えるくらいには落ち着いていた。生も死も境が曖昧になる感覚は、電車が自分に向かってくる瞬間や、戦場で銃声を聞くのに似ている。
     全然関係ないが、生も死も同じだと、某エヴ◯の美少年が言っていたのを思い出した。

    「……不死身の杉元」
    「は?」
    「……彼には気を付けた方がいいよ、あと熊にも」

     私は引き金に添えられた指から目をそらして、部屋から出ていった。発砲音が聞こえることはなかった。







     やってしまったと後悔し、一晩明けた。結局一睡もしていない。どうやってこの部屋まで帰ってきたのかすら、曖昧である。

     フラフラしたまま、いつも通り鶴見中尉の元へ行けば、流石の鶴見さんも気づいたらしい。しゃがみこんで私と視線を合わせ、心配するように声をかけてきた。

    「病かな? 顔色が悪いようだが」
    「……眠れなくて」
    「どれどれ……仕方ない、今日は寝ていなさい。そこのソファを使って構わない」

     そう言って優しく私を抱き上げた鶴見さんは、そのままソファに私を移した。ゆっくりと身体をおろして、毛布を掛けてくれる。やはり子どもには優しい。まるで我が子のように扱ってくれると、少し過ごしただけだが感じていた。

     堪えきれずに目を閉じれば、頭を撫でる手を感じた。昔母にされたのを思い出す。鶴見さんの過去を知っている身からすれば、少し切なくなる行為だ。

    「……オリガ」

     その呟きは私にはよく聞こえなかったが、鶴見中尉にしてはやけに暗い声色だと感じた。
     そして意識を手放すまで、確かにその手は私の側に居てくれた。



    「……鶴見中尉、部屋に移しますか」
    「起こしてしまうだろう? そのまま寝せておけ」

     月島はすやすや眠る少女を見下ろした。警戒の欠片もない。だが、尾形に言われた言葉が妙に突っかかり、つい疑うような目をしてしまう。

    「気になるか、月島」
    「……いえ」
    「尾形も危険視していたが、私はそうは思わない」

     鶴見は、仕事の手を止めて息を吐いた。椅子から立ち、少女の眠るソファの元へしゃがむ。寝返りをうちずれてしまった毛布を、鶴見はそっとかけ直した。

    「この子に敵意はない」

     愛おしそうな表情で少女を撫でる鶴見に、月島は驚く。初めてみる顔だった。まるで人の親のような仕草と顔は、自分の知る鶴見中尉と掛け離れていると、月島は感じた。別人のようだ、とも。

    「だから、こちらへ引き込む」

     しかし、先程までの表情が嘘のように、鶴見はニヤリとした。それは死神の顔だった。純真無垢な少女の魂を、躊躇なく食い荒らす悪魔の顔をしていた。

     月島は少女の身を案じた。この幼く賢い子どもが、大人達に利用され、壊されてしまわないかと。ただ、それと同時に、この子が私達を"出し抜く"こともありえるのでは、とも考えていた。

    「月島、協力してくれるか」
    「……」

     月島は先程の矛盾した気持ちを隠すように、鶴見の言葉にゆっくりと頷いた。


    「目が覚めましたか」
    「……勇作さん」

     目を開ければ、赤い夕日が真っ先に差し込んだ。それに照らされる勇作さんは微笑んでいて、何だか神様を見ている気分になる。

    「鶴見中尉、失礼します」
    「ああ、もう夜更かしはしないように」
    「……鶴見さん、ありがとうございました」

     相当寝てしまったらしい私は、勇作さんに身体を起こされて立ち上がる。少しだるいが、朝より何倍も元気だ。やはり睡眠は大切らしい。

    「……勇作さん、カレー」
    「身体は大丈夫なのですか」
    「平気。勇作さんが居なくなる前に、一緒に食べたい」

     勇作さんが海軍へ移るまで数日。金塊から遠ざけるためとはいえ、寂しいものは寂しかった。これから勇作さん無しで生きるなど辛すぎる。そもそも、この世界で生き残るのはギャグ補正でもないと難しそうだし。というか……元の世界に、帰りたいのだが。

    「実は兄様も誘っておりまして」
    「はっ……」
    「嫌ですか?」
    「あっ、い、いや、そんなことは」

     急に爆弾発言をする勇作さんに焦り、素が出た。慌てて笑顔で取り繕うが、しかしひきつった笑みにしかならなかった。

    「あ、あまり話したことないから……緊張します」
    「そうですか? 兄様は何度かお話したことがあると」
    「……そ、そういえばそうだったかも」

     尾形が何の目的も無しに勇作さんとご飯など食べるはずがない。もし、仮にその目的に私が含まれているのなら……

    (いや、むしろそちらの方が安心か? 勇作さんを毒殺よりもよっぽど……)

     とにかく、寝ぼけていた頭を必死に起こし、これから何も起こらないことを祈った。



    「兄様」

     テーブルに腰掛ける尾形は、勇作さんを見ずに私だけを視界に入れ、口角を上げた。懐にハンカチのような物をしまいながら、座るように促す。何を企んでいるのだろうか。

    「勇作殿、さあ座ってください」
    「はい。あなたは、どちらに座りますか」
    「私は、勇作さんと尾形さんの間に」

     万が一を予想して間に座る。ウキウキした様子の勇作さんと反対に、私は昨晩のこともあって気が張っていた。それを見抜いてか、尾形は私を労る言葉をかける。

    「どうかしたか」
    「……いえ、別に」

     そのぎこちない様子に、流石の勇作さんも首を傾げた。おかしな空気を破るかのように、店員がカレーをもってやってくる。

    「……とにかく、冷めないうちに食べましょう」

     勇作さんがそう言うので、私は息を吐いて尾形から目を離した。
     尾形は、スプーンを勇作さんと私に渡したので、素直に受け取る。そこで私は、尾形が二本のスプーンを"選別して"勇作さんに渡したのを、見逃さなかった。

    「こうして居られるのも、あと数日です。勇作は、兄様と離れることを寂しく思います」
    「仕方がありませんよ。父上のことがありますから」
    「……すみません、飯時にこのような話を」

     とまあ、完全に勇作さんの頭には私がいないので、大人しくカレーを食べることに努める。二人が会話している間にこっそり自分のと勇作さんのスプーンを交換し、私は箸でカレーを食べ始めた。

     漫画のファンとして、尾形は嫌いではない。ただこの場に生きている私としては、勇作さんを独り占めする尾形に妬いてしまう。勇作さんくらいしか私に構う人がいないのに。

    「今日はずいぶん静かだな」
    「……尾形さん、人参あげます」

     やっと構ってきたのは尾形の方だったので、嫌がらせに人参を追加すれば、勇作さんに咎められる。結果的に勇作さんに構ってもらえたので満足だ。

    「……ところで、お前は勇作殿に着いていくのか?」
    「私が? まさか、そこまで勇作さんに迷惑はかけられません」
    「しばらくは鶴見中尉が面倒を見てくださるはずです。里親が見つかるまで」

     勇作さんがそういえば、尾形はへぇと意味深に呟いた。出来るなら勇作さんに着いていきたいのだが、現実問題不可能だろう。軍に子どもがいる時点で、結構無理があるわけだし。

    「兄様も、無理なさらないでくださいね」

     本気で心配する勇作さんに、尾形は取り繕った笑顔で返事をする。器用なものだなと、感心した。確かにこれだけ嫌悪感を隠されたなら、私も気づかないかもしれない。

     カレーを食べ終わった勇作さんはお手洗いへ席を立つ。取り残された私と尾形は、微妙に気まずい空気を漂わせた。手持ち無沙汰にささくれを剥けば、少し血が滲んでしまった。

    「……本当に、里親を探していると思ってるか」
    「何が?」
    「鶴見中尉が、お前をみすみす手放すとは思えんな」

     尾形が馬鹿にしたような笑い混じりにそう言うので、冗談かと疑った。しかし、よくよく顔を見れば真剣というか、茶化している風には見えない。

    「どういうこと?」
    「お前の戦場での活躍は、お前が想像している以上だ。死ぬはずだった兵が何名も生き残った。……勇作殿も」

     勇作さんの名前を話すとき少し嫌そうな辺りが、原作通りだなぁと思う。ただ、自分の活躍がそんなにも大きかったとは思っていなかった。たとえば杉元の首の傷を手当てしたが、あれなんてやらなくても原作では生きてたし。

    「だから、私は普通の子どもだって」
    「このままじゃ、鶴見中尉の手駒にされるぞ」
    「…………かもね」

     実際、鶴見さんの頭の良さは知っているし、私が利用されるとわかっても、彼を出し抜けることはないだろう。ただ、ハンデに私はこれからの鶴見さんの動きを知っている。何なら、杉元一行や土方組の動向も。
     知っているから、どうというわけでもないが。

    「別にいい、それでも。ただ、私は鶴見さんに身も心も捧げようとか、そういう考えは絶対に……しない」
    「……」
    「……たとえ死んだって構わない。ここに私の帰る場所はないし、存在する意味もない。要らない存在だから」

     現世に帰りたいという願望がないわけではない。でも帰り方だってわからないし、そもそも死んだのだから、あっちの方には身体がないだろう。この身体だって、私とは別の顔立ちをしていた。
     自分の存在理由なんて考えただけ無駄だが、強いて言うなら勇作さんを救うために生きている……のだろうか。たとえ違っても、最近はそう思うようにしている。でなければ自我が崩壊しそうになるから。

    「でも、勇作さんを救えるなら、私は何だってする。彼が生きていることが、私の生き甲斐だから」
    「……ずいぶん入れ込んでいるな。まさか、惚れたのか」
    「私なんかが勇作さんに恋慕するとはおそれ多い。あえて言うなら、神様のような存在です」
    「……」
    「あんなにも清廉潔白な方はなかなかいない。自分の穢れがよくわかりますよ」
    「お前も穢れているのか」
    「"も"? ……私の他に、誰が穢れているのです?」

     そう問えば尾形の表情が冷たくなった。勇作さんを褒めちぎった辺りから機嫌が悪かったが、今は氷点下まで下がってしまったようだ。

     そこで私は、今日の尾形の目的が何となくわかったため、遠慮せずにズカズカ突っ込むことにした。

    「まさか、父上の一件で自分が穢れた存在だと思われましたか?」
    「……」
    「いや…………母上を殺した時点で、そう感じていたのでは?」
    「それ以上口を開けば殺すぞ」

     明確な殺気が私に向けられた。銃に手をかけるまでは行かないが、体勢は戦闘する気だ。

     ピリッと空気が張り詰めて、心なしか息がしづらい。しかしここで折れてはいけないのだ。勇作さんのため、私はこの男に立ち向かわなければならない。

    「お前には聞きたいことがたくさんある。ただ、その前に大人への態度を正さんとな」
    「……勇作さんを殺す機会は今日しかなかった。だから毒殺を目論んでいた。そうでしょう」

     勇作さんが全て平らげたカレーの器を見てそう言えば、尾形は眉間にシワを寄せた。

    「でも勇作さんに変化は見えない。それどころかカレーを完食した。何故だと思う? 毒は即効性のはずなのに」
    「……」
    「仕込んでいたのはスプーン。箸の可能性も考えたけど、箸は最初から席にあったし、私が使う可能性もあったから。"慎重深い狙撃主"が、運に頼る真似はしないでしょうし、確実なのはスプーンしかなかった」

     使っていない私のスプーンで尾形を指せば、ピクリと眉が動いた。

    「何故毒を塗っていることに気づいたかって? ……これは憶測でしかないけれど、あなたが絶対に右手を使わずに左手で食べていたから」
    「……」
    「来たときに、尾形はハンカチのような物を懐にしまっていた。あれが毒でしょう? 仕込んでいる間に私達が来てしまった。だから毒を触った手を洗う暇がなかった」

     いまだに右手を使わないようにしている尾形は、私の推測を聞いて目を細めた。

    「証拠も無しに語るなよ。今なら妄想で済まされるぞ」
    「なら、このスプーンで私の残ったカレーを食べてもらえますか」

     スプーンを差し出せば、尾形はため息をついた。左手で髭を撫でて、困ったというふうに眉を下げる。

    「これも未来を見たってやつか?」
    「まさか……そんな話信じていたんですか?」
    「お前が言い出したんだろ」

     馬鹿にしたような顔で尾形を見ればイラついた表情をされた。子どもに馬鹿にされて少しだけ腹が立ったらしい。

    「見えませんよ未来なんか。これは推測です」
    「ほぉ……俺のこともお前の推測か」
    「さあ」

     適当にはぐらかして答えれば、つまらなそうな顔をされた。
     結局私の考えは全て推測で、確信できる証拠はひとつもない。ただ尾形が差し出したスプーンを受け取らなかったのが、何かは仕組んでいたと物語っていた。

    「まさか、"二回"も阻止されるとはな」
    「一回目はまぐれですよ。やはり、勇作さんの脇腹を撃ったのはあなたでしたか」

     カチャリ、スプーンを皿の上に置いた。とりあえず、簡単には殺させないぞというアピールは済んだので、肩の力をぬいた。

     やがて勇作さんが戻ってきたので、私の殺伐とした雰囲気は一気に解消された。何事もなく店を出れば、辺りはすっかり暗くなっている。





    「……」
    「どうしました?」
    「勇作さん、離れても私のこと、思い出してくれますか」

     三人で並んで歩く帰りに、ふと気になって聞いてみた。深い意味はなかった。静かな空気を壊したかったのかもしれない。

    「もちろんです。いつも、あなたの事を案じています」
    「そうですか。でもそれで私は、名前がないのに、どんな風に思い出すのかな……と、ふと疑問に思いました」
    「確かにな」

     尾形がひっそり呟いたのを聞き取ったのは、おそらく私だけだろう。
     勇作さんは少し悩んだ顔をしたあと、閃いたように表情を輝かせた。

    「なら、名前をつけましょう!」
    「えっ」
    「……花子、なんてどうでしょう!」
    「ええっ」

     思いの外ネーミングセンスのない勇作さんに困惑しながら何と返そうか迷う。別に名前はあってもなくてもいいが、花子だけは勘弁して欲しかった。

    「は、花子は……いや……その……」
    「勇作殿、そういえば明日の予定ですが」

     返答に困っていると、見かねた尾形が助け船を出してくれた。内心それに感謝しながら歩くと、尾形がこちらに視線を寄越す。貸しひとつだ、そう言っているようだった。










    「……はぁ、はぁ……」

     真っ白な雪道。まだ誰の足跡もついていない道を、ひたすら走る。息が苦しくて立ち止まろうとするが、遠くから聞こえる足音がそれを許さなかった。辺りは既に暗くなっている。

     何故、誰から、私が逃げているか。それは今から一時間後に遡る。

    「……寂しくなりますね」

     勇作さんが荷物をもって馬車の前に立っている。彼が出ていく日を、私は迎えたくはなかった。やっぱり、勇作さんのことはこの世界で唯一信頼できたし、大好きだったから離れがたい。

    「本当は、勇作さんと一緒にいたいです」
    「……鶴見中尉、やっぱり彼女を」
    「花沢少尉、気持ちはわかるがね……」

     連れていってもいいかと問う前に、鶴見さんは否定した。

    「さあ、お別れをいいなさい」

     鶴見さんは優しく私の頭を撫でた。この人は私を犬か猫かに見えているのではないだろうか。いい加減この人の前で子どものふりをするのは疲れてきた。

    「……」
    「そんな顔しないでください……そうだ、これをあなたに預けましょう」

     そう言って勇作さんは軍帽を脱いで私に被せてくれた。

    「私はあちらで新しい帽子をもらう予定ですので。要らなければ、捨てても構いません」
    「……あ、ありがとう」

     帽子無しの漫画で見なかった勇作さんに頬を染めてしまう。容姿端麗とは聞いていたが、これは現代で通じるレベルのイケメンだ。心臓がドクドク脈打つ。貰った帽子で口元を隠せば、勇作さんは優しく頭を撫でてくれた。

    「……勇作さん、耳を貸してください」 
    「はい?」

     サービスされたお礼に、私は今まで明かさなかった秘密を伝えた。

    「……私の名前は、織雅(オリガ)です。忘れないでください」

     驚いた顔の勇作さんと目があった。今まで絶対に言わなかった名前。死ぬ前の私の名前。それを教えた理由はただひとつ、きっともう会わないだろうから。

    「お元気で」

     勇作さんは微笑んで私にそう言った。馬車に乗る勇作さんは何度もこちらを見たが、私は何も言わずにただ見送った。

    「……」
    「さあ、中へもどろうか」

     その声で私はやっと馬車から目をそらした。鶴見さんはしゃがみこんで私の顔を覗く。

    「大丈夫、君はひとりじゃない」

     鶴見さんの目には、何か企んでいる色が見えた。それに気づいて鳥肌が立つ。メタな読みで申し訳ないが、彼がキャラ的に無償の優しさをくれるはずがない。

    「……私、部屋にもどりたい」
    「ああ、今日は休んでいなさい」

     勇作さんの帽子を抱きながら部屋に戻る。月島さんの感情が読めない目が私を捉えた。何を思ったのか知らないが、同情などではないだろう。

     今日の見張りは谷垣だった。彼は私を心配そうに見てくるので、私は俯いたままこう言った。

    「……今日はなんだか、気分が悪いの」
    「ゆっくり休めばよくなる。しっかりしろ、別れは必ずあるものだ」

     谷垣は気休めにそう言った。
     私は部屋に戻ると、荷物を整理した。鞄は勇作さんがくれた肩から提げるもの。それに着替えと、鶴見さんの財布からちょろまかしたお金、あともらったナイフと拳銃を仕舞い込んだ。

     要らない服を繋ぎ合わせて縄を作り、部屋の机の足にくくりつけた。準備は万全だ。

     夜、日が暮れた時、私は第七師団から逃げ出した。



     これを計画したのはある取り引きがあってからだ。いや、取り引きというより脅しだった。それはつい一週間前、尾形が私を野間さん達に合わせる前のこと。

    「ま、待って待って」
    「……」

     物置、誰も立ち入らない場所に連れ込まれてナイフが喉元に向けられている。血走った目をして私を殺そうとしているのは、宇佐美上等兵だ。

    「本当に、私は鶴見中尉に気に入られてなんか」
    「嘘つくなよ……鶴見中尉といつも一緒にいるのを見てんだよこっちは……」

     悪質すぎる鶴見信者の迫害を受ける。この男を説得するのに私は寿命10年縮めた気がする。いや、本当は棺桶に片足を突っ込んでいたけれど。

     命がけの末、契約した内容は以下の通り。
     第七師団から出ていき、鶴見中尉に近づかないこと。
     出ていく際、鶴見中尉が私を嫌うように出ていくこと。
     以上を破った場合、容赦なく宇佐美は私を殺すということ。

    「でも、うさみん。丸腰で逃げるのはちょっと」
    「うさみんって呼ばないでくれない、気持ち悪い。まあ、確かにそうだね~、君まだ子どもだから」
    「私に扱える武器、何か頂戴」
    「図々しいなぁ君」

     そうしてもらったナイフと拳銃。一発撃てば肩が外れるぞと言われたが、仕方ない。使わないことを願う。

     こうして私は師団から逃げることになった。決行日は勇作さんを見送ってすぐ、宇佐美も網走の方へ行くので、師団の皆が忙しそうで都合がいい。

     北海道の夜は寒い。なるべくここから遠くに、出来れば本州に近い場所へ行くため、ルートは宇佐美に割り出してもらった。何だかんだ親切なやつらしい。

    「……いた、いたぞ!」

     が、バレた。普通にバレた。子どもの足では簡単に追いつかれる。馬まで使ったらしい。
     ただこういう場合を予想して、しっかりそれ用の道具も頼んだら用意してくれた、宇佐美がね。

    「ま、待て、何故逃げるんだ!」

     追ってきたのは谷垣、野間の二人だった。谷垣が息を切らしながら困惑の表情を浮かべるので、少しの罪悪感が芽生える。何とか誤魔化し文句を考えるが上手く頭が働かない。

    「……く、国に帰らないと」
    「やはりロシアの!」

     野間さんが大きな声でそう言い出すので、しまったと焦る。すっかり忘れていた設定だ。

    「黄泉の国……は、苦しいか」
    「……は?」
    「ごめんなさい」

     "うさみん特製、煙玉"、と私が名付けたそれを二人の足元に転がす。手榴弾に見えたであろう二人は、予想外の出来事に身体を固めた。

     吹き出す煙に、背を向けて走る。走って走って、やがて隣の町に着いた時、朝日は既に昇りはじめていた。




     本州に逃げるのが、私の目標であった。北海道にいれば金塊戦争に巻き込まれかねないし、安全圏はやはり本州。東北あたりに逃げたかった。

     あれから3日経った。鶴見さんからパクった金なら、風呂へ行っても1ヶ月は持つだろう。それまでに何とか、本州へ逃げて食いつなぐ術を見つける。じゃなきゃ死ぬ。

     第七師団が私を探す様子は、今のところなかった。向こうにとっても私はどうでもいい存在だから放っておくつもりだろう。というかそうであってくれ。

    「あっ、ごめんなさい」
    「おっと、ごめん」

     朝の町を歩いていれば、誰かにぶつかる。倒れそうになったが、背中を咄嗟に支えてもらえたので転ばずに済んだ。

    「……げっ」
    「ん? もしかして……」

     こちらを見る男の顔は、大きな傷がついている。気が良さそうに笑う顔は、勇作さんに負けない容姿である。

    「あの時、俺の手当てをしてくれた……」
    「……あ、えっと」

     杉元佐一、彼は既に北海道の地に足を踏み入れていた。



    「……ふふ、タレついてるよ~」
    「ど……どうも……」

     それからは怒涛の展開だった。
     杉元に連れられ団子屋に入り、団子を頬張る姿を見つめられること15分。そういえば可愛いものが好き設定だった彼は、私を気に入ってくれたらしい。いや、おそらく手当てした恩とかも含めているだろう。

    「ねぇ、どうして一人でこんなところにいるんだ?」
    「……親がいなくて」
    「今までどこに?」
    「第七師団に、引き取ってもらっていました」

     杉元は私を心配そうに見ている。そんな彼を見ていると勇作さんを思い出して寂しい気持ちになった。元気だろうか、彼は。

    「……身寄りがない私は、このまま軍の世話になるのは忍びなく、独り逃げてきた次第で……」
    「そんな、子どもなのに遠慮したの? 別にお世話になればよかったのに」

     杉元は私に同情の目を向ける。半分本当で半分嘘な私のいいわけを、一切疑うことなく聞いてくれた。

    「これからどうするつもり?」
    「……お仕事、見つけて、それから」

     それから、ここで過ごすのだろうか。
     この時代の知識は授業で習った程度しかない。どんな仕事があるかとか、どうやって一生を過ごすとか……誰にも頼らずに、探せるのだろうか。

    「どうするんでしょうね、私」
    「……困ってるなら、俺の村に頼れる人がいる。彼女なら助けてくれるだろうから。俺送るよ」

     と、そう杉元は提案してきた。
     初めは確かにいい案だなと思った。しかし、よくよく考えたら、北海道に杉元がいなくなるのは原作ルートから外れてしまうのでは? 

    「い……いやいや、そこまで迷惑はかけられませんよ」
    「えぇ~別にいいのに」
    「それより、杉元さんも北海道に用があってきたんですよね」

     うっかり杉元が北海道出身じゃない前提で話してしまったが、まあ気にすることはないだろう。

    「ああ、少しね。でも気にしなくて大丈夫。送った後、また来ればいいから」
    「……あ、んと……」
    「ん?」

     ここで杉元を離脱させてしまえば、必然的にアシリパさんがまずいことになる。杉元がいようがいまいが、アシリパさんは金塊に関わらなければいけないのだから。

    「私に、手伝わせてください」
    「……何を?」
    「杉元さん、探し物をしにきたんですよね」
    「……そうだけど、何でわかったの?」

     不思議そうに聞いてくる杉元に、私はげんなりしながら再びこの設定を持ち出した。

    「直感です! びびっと、感じました」
    「お、おお……?」
    「……お金が欲しいんですよね」
    「す、すごい、本当にわかるのか?」

     小さく、内緒話をするようにそう話せば杉元は目を輝かせる。私はほっとしながら、提案を続けた。

    「私には帰る場所も何もないので、杉元さんさえよければ、一緒にいても……」
    「……そうだな。俺も、放ってはおけないから」

     杉元はポンポンと私の肩を叩いてくる。承諾してくれたようだ。
     こうして私は、この物語を原作通りに進めるべく、杉元佐一を導くことになったのだった。



    「めんこい(可愛い)ねぇ……娘さん?」
    「あ、いや……ん~と」
    「佐一はお兄ちゃんだよ、おばあさん」

     晩ごはんのために入った蕎麦屋のおばあちゃんにそう尋ねられ、杉元は言い淀んだ。すかさず私がフォローをいれたが、年齢的に厳しいものがあるだろうか。なんとかおばあちゃんは信じてくれたらしいが。

    「兄妹は無理じゃないかなぁ」
    「娘の方が無理ありますよ。杉元さん、お父さんな感じ全くありませんから」
    「えぇひどい」

     しゅんとする杉元さんを無視し、蕎麦を啜る。今日は宿がとれたので布団で眠れるが、原作に入れば野宿だ。行く当てもないし、結局杉元に着いていくしかないのだが、野宿で眠れるかなぁ……

    「そういえば、何で戦場にいたの?」
    「何で……理由はわかりません。気づいたらあそこに」
    「へぇ……」
    「怪しいですか」
    「いや、疑ってないさ。ただ不思議なこともあるもんだなと」

     何度も色んな人に聞かれた質問は、答えが毎度変わっている気がする。
     杉元は頬杖をついてこちらを見た。とっくに食べ終わった蕎麦の器を端に寄せ、私の顔をじっと見つめる。初めは知らないふりをしたが、流石に我慢できず尋ねた。

    「私、顔に何かついてますか?」
    「いや、青い目なんて珍しいなと思って」

     そういえば、私の目は外国人のように青かった。死ぬ前は日本人顔だったのに。

    「あっ、もしかしたら……」
    「ん?」

     自分の顔をじっくり見たのは、戦争から帰ってきてから。鏡を見れば、そこに映っていたのは知っている自分ではなくて、全くの別人だった。
     外国人の顔、とでも言うべきだろうか。アジア系ではなく、ロシアとかそういう系統の顔だちをしていた。でも髪は黒いので、日本人っぽくもある。ハーフという言葉がしっかり来る感じだ。

    「……親が、日本人とロシア人だったのかも」
    「かも?」
    「覚えていないんですけどね」

     私とこの物語に接点があるとすれば、それは名前だろう。偶然にも私の名前は織雅(オリガ)、鶴見さんの子供の名前だ。だから彼らの前では名前を出さなかった。鶴見さんが悲しい気分になるかもしれなかったから。

     オリガが成長したなら、今の私のような姿になるんじゃないかなぁと、ふとそう思ったのだ。

    「そういえば、名前……は、思い出せないんだっけ」
    「よければ、杉元さん名付けてください。名前がないと不便ですから」
    「じゃあ……花子?」 
    「それ以外で」
    「えぇ……」
    「……」
    「……じゃあ、薫子(かおるこ)ちゃんとかどう?」
    「それでいきます」

     こうして、私は薫子として再びこの金塊戦争に関わることにした。



     確か囚人について知るのは、川で砂金を探しているときだった。だから私は、川での砂金取りを勧め、杉元と一緒に冷たい水の中に足を沈めた。

    「……砂金、見つかんねぇな……」
    「杉元さん、風邪引くので早く上がりましょう?」

     酔っぱらいのおじさんが出てくるまで粘らなければならないのだが、この季節に川はキツい。体力も力も精神も17歳と大差なくてよかった。これで見た目と比例したなら、すぐに身体を壊していただろう。

     先に川から上がり、焚き火のそばに行く。勇作さんの帽子とカバンを手繰り寄せて、少しでも暖をとる。杉元はまだ川で、こちらに背を向けて砂金を探していた。

    「宿はとってありますから、今日はこのまま町……」
    「……薫子ちゃん、どうかした?」

     唐突に口を塞がれて身体が宙に浮いた。目隠しと手足をすばやくつけられて、周りが見えなくなる。私を担いでいる相手は、どこかへ走っているようだ。

     思い切り抵抗してしまえば、相手も怯むだろうと身体に力をいれようとした。しかし、その瞬間後頭部に大きな衝撃が走る。

     誰のものともわからない息切れを聞きながら、私は意識を失った。



    「薫子ちゃん!?」

     杉元は異変を感じて振り向く。しかし、そこに少女の姿はない。先程まで確かにいたはずなのに。
     急いで川から上がり、荷物をまとめる。少女が常に持ち歩いていた軍帽が、無造作に放り出されていた。それと少女のカバンを拾い肩にかける。犯人が動物か人間か、判断のつかない状況に杉元は銃を構えた。

     雪に、自分のものではない足跡。少女のものでもなかった。つまり、第三者の足跡であり、少女は拐われたと考えるべきか。

     焚き火を消し、足跡を追う。少女の身をどこかへ売り払いでもする気なのかもしれない。少女の顔立ちは将来有望であると誰が見てもわかる。いつから目をつけられていたのだろうか。

     戦場の神、と少女は呼ばれていた。杉元自身も、彼女の手当てを受けたことがあるが、確かにその異名にも納得できる。
     地獄のような戦場において、少女の存在は神々しく、また少女自身慈悲深かった。その冷静な対応と賢さは、幼子とはあきらかにかけ離れていた。手当ては軍医に教わっていたが、それをすぐに覚える要領のよさがあったらしい。

     一体何故戦場にいるのかは謎であった。手当てをしている間に、尋ねたことがある気がする。すると、確か……
    「神様に情けをかけられたのかも」と、そう話していた。神と呼ばれる彼女が神を口にするなんて、何だか違和感があると杉元は感じた。それに、そう話す表情はむしろ神を恨むような黒い感情を漂わせていた。きっと、辛いことがあったのだろう。理由は詳しく聞けないが、神を恨むような出来事があったことだけは察せた。

     そんな哀れな少女が行き場もなく、路頭に迷っていたら、お節介だとわかっても助けたくなる。中身と見た目の釣り合いがとれていない少女が、いつ崩れてしまうかハラハラしていたのだ。初めは差し伸べた手も振り払われかけた。しかし少女は少し悩んだが、手を取ることを選んでくれた。それが嬉しくもあった。

    (……小屋)

     少し走れば、足跡は小屋に続いていた。杉元は姿勢を低くし、小屋に近づく。そこには、足跡に混じって血も何滴か垂れていた。犯人のものか少女のものか、判断はつかない。

     杉元は窓に近づいて様子を伺った。やはり中には誰かがいる。厄介なことに、男の声が3人ほどした。

    「馬鹿野郎、商品に傷をつける奴があるか」
    「すんません、不注意で木にぶつけちまって」
    「……にしても極上だな。高く売れるぜこいつは」

     こいつらだ。杉元は目を細め、殺気を漂わす。銃に弾をこめ、銃剣を刺した。入り口から行った方が良さそうだと思い、窓から離れる。

    「まるで作りもんだな」

     そう中で話す男の言葉に同意しながら、杉元は扉を蹴り壊した。




    「杉元……さん」
    「大丈夫? ……頭の傷、結構血が出てるな」

     目が覚めると同時に、息を飲んだ。辺りは血の海であった。三人の男の死体が転がっている。考えずとも、杉元の仕業であるとわかった。

    「……止血するから、動かないで」
     
     杉元は私のカバンから包帯を取り出して頭に巻き付けた。私は死体を見つめながら、この人達は私に関わったせいで死んでしまったのだと、罪悪感がこみ上げた。本来はいない私の存在が、彼らの人生を奪ったのだと。

     彼の……杉元というキャラクターは、殺人に対して罪悪感はあれど躊躇はしない。でも、この人達が命乞いをしたならば彼とて命は取らない。しかし、彼らの手にある鉈や斧を見る限り、抵抗してしまったのだろう。

    「怖い?」

     返り血を浴びた杉元が、私の心情をおそらくは違う方に解釈してそう聞いてきた。
     怖いのは杉元ではなく、この状況に対して大きな衝撃を受けなかった自分だ。悲しいし、叫びたいほど後悔しているはずなのに、何故か心は夜の海くらい静まっていた。

    「……別に杉元さんは怖くありません。私も戦場にいたから、少しは杉元さんに理解があるつもりですよ」
    「なら、どうしてそんなに……」
    「……」 
    「まるで、薫子ちゃんが殺したような顔してる」

     それはあながち間違いではない。私の行動ひとつで勇作さんは救えたし、反対に今この人達の命は奪えた。
     そうかだから……自分の存在責任が重すぎて、どうかしてしまいそうなんだ。

    「……泣かないで」

     杉元が私の目元を拭う。どうやら涙が溢れているようだ。初めてだ、ここに来てから涙を流すのは。悲しいだとか嫌だとか、全部表には出さない努力をしていたのに。
     座り込む私を抱き上げて、杉元は小屋を出た。もう日が傾いている。森から抜けなければ、夜道だと迷子になってしまうだろう。

    「……」
    「……」

     杉元は私を抱っこしたまま何も言わなかったし、私も嗚咽をあげないように静かにしていた。杉元の肩に顔を押しつけて、声を押し殺す。
     勇作さんでも、きっと杉元と同じようにしてくれただろう。彼がいた頃が妙に懐かしく思えた。



    「……杉元さん、あの……」
    「ん?」

     宿の布団に入って明かりを消した後、杉元さんに話しかけた。

    「私、杉元さんといたら迷惑かもしれないです」
    「……」
    「戦えないし、役にもたたない。今日もその……」
    「……」
    「だから、明日からは」
    「おいで」

     杉元は私の言葉を遮って、自分の布団を少し上げた。まるでここに来いと言わんばかりに、杉元の隣をポンポンと叩く。

    「薫子ちゃん、覚えてる? 俺の幼なじみを、薫子ちゃん看取ってくれたよね」
    「……」

     寅次を初めて見たのは、亡くなる寸前のことだった。下半身がない姿は原作通りではあったが、いざ目にするとやはり堪えた。看取った、といってもただ手を握っていただけ。それしか出来なかった。

    「……何も出来ませんでしたよ」
    「俺にとっては、すごく大きなことだった。すごく、感謝してるよ。だから、そんなに自分を追いつめる薫子ちゃんは、見たくない」

     杉元は子守唄を聞かせるくらい優しい声色で、そう言った。
     数秒悩んだ末に、アシリパさんごめんなさいと心の中で謝り、杉元の布団に入った。誰かと一緒に寝るなんて久しぶりだ。記憶にあるのは、幼い頃に母と寝たものだけでそれすら埃をかぶった思い出である。

    「……明日から、独りで旅をしようと思ってました」
    「うん」
    「でもやっぱり……ひとりで生きるのは難しい」
    「……うん」
    「きっといつか、この恩を杉元さんに返します。それまでに杉元さん、死なないでくださいね」

     杉元は私の頭を優しく、髪を梳かすように撫でてこう言った。

    「俺は、不死身の杉元だから」



    「可愛いお嬢さんを連れてるねぇ、杉元さん」

     あれから一週間。今日も今日とて川で砂金を探していれば、遂にあのおじいさんが現れた。最初の刺青の囚人、羆(ひぐま)に殺される人。

    「娘さんかい?」
    「そんなところです。ね、お父さん」
    「あ……うん」

     適当な設定に杉元は苦笑いで合わせた。
     さて、あの一件以来過保護になってしまった杉元から、私は逃げたい状況にいた。このまま私ありの原作展開になっては困る。誰がって、私が。

     羆との対決はあの相棒組の大切なイベントだし、そもそも私が羆に狙われたら確実に死ぬ。つまり、このイベントに私は存在するべきではないのだ。

    「杉元さん、私宿に戻っていい?」
    「何かあるの?」
    「宿のおばあさん、手を怪我したらしくて。お手伝いすれば宿代おまけしてくれるみたいだから、手伝ってきます」
    「そっか、じゃあ送るよ」
    「平気、お帽子被るから」

     そう言って私は勇作さんの帽子を被る。こうすれば顔が見えないし、なんなら性別もわからない。誘拐に合うことはないだろう。それに、拳銃も持っているし。

    「気を付けるんだよ」
    「大丈夫っ!」

     杉元はやはり納得していなさそうだったが、放っておいた。おばあさんが手を怪我したのは本当なので急いで宿へ向かう。とりあえず、今夜杉元は帰ってこないだろう。

    「しっかりしてんねぇ」

     そう呟くおじいさんの声は、やっぱり囚人には思えなかった。





    「逃げたしたか……」

     谷垣と野間の報告に、鶴見はそう呟いた。その声色は残念そうでありながらも、どこか楽しそうでもあった。

    「煙玉を所持していました。もしかしたら、誰かの手引きがあったのかもしれません」

     谷垣がそう言えば、鶴見はふむ……と顎を撫でた。鶴見の私物から抜かれた現金、兵のひとりが拳銃の紛失……金は少女ひとりで出来ようとも、拳銃の件に関しては難しいだろう。ならば、谷川の推測は外れてはいない。

    「……書き置きがあったらしいな」
    「はい。……ただ」

     月島が少女の部屋に置かれていた書き置きを持ってやってきた。

    「……これは」
    「英語で書かれています」

     そこにある字は日本のものではなかった。これでは何と書いてあるか兵達はわからないだろう。かろうじて読めた鶴見は、スッと目を細める。

    「……"ここにいては殺される。あなた達に恩を返せずごめんなさい。探さないで"……」
    「……誰かに命を狙われていたと?」

     月島がそう問う。鶴見は書き置きを大事そうに懐へ仕舞うと谷垣と野間を退室させた。

    「何故英語で書いたんでしょうね」
    「……脅されている相手に見せたくなかったか、いっそ読まれなければいいと思っていたか……何にせよ、アメリカの言葉を使えたとは驚きだ」

     鶴見は月島にそう答えて椅子に座る。ふと目につく、少女がいつも座っていた椅子は少しだけ埃をかぶってしまった。

    「……」
    「探しますか」
    「……そう遠くにはいないはずだ。捕まえずとも、監視は出来るだろう」

     頼んだぞ月島、そう鶴見が言えば月島は静かに頷いた。

    「……可愛い子には、旅をさせよ……か」

     鶴見の呟きは月島の耳には入らなかった。




    「おいしいねぇ……お嬢ちゃん、いい嫁になれるよ」
    「本当? よかった、おばあさんの口に合って」

     もう日が傾きはじめている。杉元はアシリパさんと会えただろうか。いや、会えてないと多分羆に殺られてるとは思うけれど。
     私達の他に客はいない。杉元も帰ってこない今夜は、私しか客がいないことになる。お風呂は、おばあさんと一緒に入ることにしているので、ご飯を食べ終わると一緒に銭湯に出かけた。手を繋いでくれるのは少し恥ずかしい。

    「お父さんどこいったのかねぇ」
    「気にしないでください。きっと私のためにお金を稼いでいるんです」
    「……こんな幼い子に寂しい思いをさせてねぇ……」

     繋いだ手を強く握られたので、何となくおばあさんを見れば真剣な目でこちらを見つめていた。

    「……あんた、男は当てにしちゃいけないよ。もし駄目なら、あたしの旅館を継ぎな。あんたくらい賢いならきっとすぐに仕事も覚えるよ」
    「おばあさん……」

     熱く語るおばあさんに少し引きながら頷いた。一体過去の男に何があったのだろう。おそらく、いい思い出ではないだろう。

     にしても、それはいい案かもしれない。ここにいれば職は困らないし、鶴見さんが来てもまあ説得できるでしょう。逃げてきた理由は一応書き置きしてきたし。宇佐美にバレたら即死なので、仕方なく英語で書いてきたけれど。でもこの時代英語教育ってあるのか……?

     そうこうしている内に銭湯に着いた。最近出来た頭の傷は良くなってきたが、まだお湯が滲みる。気をつけて入らなければ。




    「……ああ、お帰りなさい」

     翌日、杉元はアイヌの少女……アシリパさんを連れて、宿に戻ってきた。予想していたことだが、冷静に対処すべきか驚くべきか悩んだ挙げ句、微妙な反応をしてしまった。

    「か、薫子ちゃん、昨日はごめん。ちょっと色々あって……怒ってる?」
    「いや、別に……」 

     怒ってるというか、困っているというか……
     これから二人は山に入ってアシリパさんのアイヌ知識披露とか囚人情報集めが始まるが、私はそこに一切に関わる気はない。それの言い訳をひたすら考えていた。いっそ、昨日のおばあさんに世話になるから放っておいてもいいと言うべきか?

     いや、杉元に恩を返すとか言ってしまった以上、それはしたくない。

    「色々説明しなきゃいけないんだけど……」
    「……うーん、いや説明は別に」
    「えっ?」

     しっかり話を聞くべきか迷ったが、しなくても粗方わかるしいいだろう。というか、さっさとアシリパさんと情報集めして尾形を川に落としてもらわないと。話が進まないから。

    「……そちらの人は?」
    「私はアシリパだ。お前は……薫子だったか」
    「アシリパさん、杉元さんをよろしくお願いします」

     JKよりは年下っぽいが、アシリパさんは大人びて見える。まあ、お父さんにあんな教育されたら、こんな風にもなるか。
     杉元はやっぱり説明したいらしく、どこから言うべきかあたふたしていた。

    「ご飯は食べましたか、良ければ用意しますが」
    「いや、大丈夫。アシリパさんは?」
    「私も平気だ」
    「……薫子ちゃん、これから大事な話をしなきゃいけない」
    (いや……うーん、聞くだけ聞くか。原作との相違があれば修正加えるべきだし)

     そうして私達は部屋に行き、2人が出会った経緯を聞いた。原作と大した違いはなかった。
     
    「薫子ちゃんはどうしたい? ……俺は、アシリパさんや薫子ちゃんを守りながら……出来ないことはないけれど、また危険な目に遭うかもしれない」
    「守りながら……? 杉元さん、アシリパさんは相棒ですよね」
    「?」
    「助け合いながらですよ。守る守られるの関係では、相棒とは言いません」

     って、某特命係のドラマを見ながら思いました。
     あっ、待てよ、この件は第七師団に杉元が捕まってからやるべきだった。

    「……そうだぞ杉元、薫子の言う通りだ」
    「まあ、杉元さんの負担を考えるに、私はいない方が良さそうですが」
    「……ごめん薫子ちゃん」
    「杉元さんには恩があるので、いつか返したいと思っていたのに……ごめんなさい、何も出来……?」

     窓の外、ふと目にはいった軍服。間違いない、あれは第七師団の連中だ。人数は2人、名前がないモブ兵がこの宿屋に向かってきた。

    「薫子ちゃんどうかした?」
    「ちょっ、ちょっと待って」

     そっと襖を開けて玄関の様子を伺う。まだ杉元は何もしていないから、もしかしたら……

    「ここに、珍しい目の色した女児がいると聞いたが」
    「ええいますよ」
    「少し、あがっても?」

     まずい、私のことだ。アシリパさんの存在はまだ認知されていないはずだ。つまり、消去的に探しているのは私のこと。

    「やばい……杉元さん、アシリパさん、ちょっと隠れるので誤魔化してもらえますか?」
    「誰か来たのか?」

     アシリパさんが首をかしげるので説明したいところだが、あいにく時間は無さそうだった。

    「……あとで説明するので」

     私は布団を入れている棚にもぐり込む。足音が近づいてくるのを聞きながら、無意識に呼吸が浅くなった。

    「失礼、第七師団だ」
    「……何のようだ?」
    「ここに、珍しい目の色をした少女がいると聞いたが……まさか、この子のことか」
    「確かに珍しい目だが、アイヌの子供じゃないか。まったく、当てが外れたな」

     兵の二人はため息をつく。なるほど、アシリパさんのことだと勘違いしたか。とにかく、窮地は脱したらしい。

    「あんたら、誰か探しているのか」
    「お前には関係ない。邪魔して悪かったな」

     そう言うと、襖が閉まる音がした。

    「……探されてる。おかしいな、探す必要はないはずなのに」
    「もしかして、何も言わず逃げてきたの? 駄目だよ薫子ちゃん、皆心配してるんじゃ」
    「……戻りたくない」

     戻ったらまた安心安全な生活が送れるだろう。宇佐美が戻ってくるまで。でも宇佐美が戻ってきたら容赦なくトンカチで頭を叩き割られる。そんな死にかたはしたくない。

    「やっぱり、杉元さんとアシリパさんに着いていっていい?」
    「……もしも誰かに心配をかけているなら、戻るべきだと私は思うぞ」

     静かだったアシリパさんが私に宥めるように言う。確かに、今のは子供のわがままに思われたか。いや実際そうなのだけれど。

    「そうですよね……わかりました、戻ろうと思います」

     そう言うと杉元はホッとしたような顔をした。
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