ノアイチ⑤ 孤独に人生を終えることは恐怖だと、きっと誰もがそう口を揃えるだろう。大切なものを、見つけてしまうならば。
——
朝の早い時間に移動する休日。世界中の誰もが考える、人の多い時間を避けたいという思い。イチもその一人であり、同じ考えが集結すると、ここは満員電車と化す。
鼻につく香水の匂いと、疲れたスーツの綻び。微かに聞こえる音漏れ。小さな泣き声。たくさんの生きる音に、イチは眉を寄せながら目を閉じる。嫌な顔をしつつも、否定するものではないその場所に、少しでも逃れようと目を閉じる他なく。耳に入るアナウンスだけを頼りに目的地へと進む鉄箱。
「好きな人でも出来たら変わるのにね」
その声が、嫌に耳に入る。
それは自分に向けられたものではなく、車内での女性同士の会話。向けられた声の主は、目を俯けて、頬を掻いている。物静かな容姿、というのが一番優しい紹介だろう。
「か、変わらないよ……」
「そんなことないよー!」
聞き耳を立てたくなくとも聞こえる会話に胸を痛める。
好きな人が出来れば、何が変わるというのだろうか。好きな人がいても、きっと何も変わらない。むしろ、そんなものが増えてしまえば生きづらくなるに決まっている。イチの中で、それは荷物でしかなく。邪魔、とまでは言わなくても、一人で生きていたい心情のイチからすれば、それは邪魔にも匹敵するのかもしれない。
好きで一匹狼でいる者はいない。どちらかといえば、そうならざるを得なかったものへの言葉だと感じる。
周りが楽しそうに遊んでいても、関心も無く。煩い、なんて下品な言葉で一喝したくなる。どうして周りの者は、群れて過ごすのだろうか。なんて疑問も、浮かぶほどに。
『まもなく——』
やっと待ち望んだアナウンスに、耳を傾けて胸を撫で下ろす。
本来だとこんな場所に来る予定もなかったイチ。周りの湿気に首を横に振りながら、一番に降りてその場から離れる。
外に出た瞬間、心地よい風が頬を掠めて。肌寒いその風に、上着をしっかりと着直す。
澄んだ空、優しい風。一人で噛み締めるのは、きっと勿体無いんだろう、と、イチは苦笑いをする。
青々をした空に混ざる白い影。雪化粧のように点々とした雲に、目を奪われる。
「綺麗」
口から出た素直な言葉は、イチの疲れた時間を回復するのに容易いものだった。
この空のどこかに、先程聞いた、好きな人になり得る人がいるならば。イチを変えるような、孤独から救うような人がいるのならば——。
——
カシャリ、と、シャッター音が鳴り響く。
「?」
「イチすっごい今の顔、モデルみたい!空と一体化してた!これは最高の一枚かも!」
一眼レフを首からかけて、嬉しそうに撮れた写真を見つめるノア。
「目の色も空に混ざってて、何より今日の服装ほんっとにかっこいい!俺のためにおめかししてくれたんだよね!はぁ、たまんないよ!」
怒涛に言葉を畳み掛けるノアに、目を細めて見つめるイチ。
「勝手に撮るな、俺を撮るためにカメラ持ってきたわけじゃないだろ」
「え?いや?」
「は?」
当然ですけど?という顔をして、ノアは何度も何度もカメラに収めた写真を見直す。
珍しくカメラを持っていると思ったら、これだよ。と、イチは引きながらも、少し笑いをこぼす。
「はっ、またいい顔しちゃ、っっ」
二回のシャッター音を聞き、イチはその手を握って歩き出す。
「ま、って!撮ったの確認させて!」
「早く行くぞ」
「い、イチぃ……」
自ら手を取ることをしないイチだが、阻止するためには仕方ないこと。ノアも、手を繋いでくれたことに感涙し、その手を撮ろうとおかしな角度をしているが、歩みを早めるイチに負けてしまう。
孤独が、怖い。
あの時の君に伝えたい。
大切な人は、孤独を奪う代わりに、孤独になることを恐怖させる。けれど、それも悪くないものだよ、なんて。
もう感じることのないあの気持ちに、レンズキャップをして。
end