ノアイチ⑥(学パロ) どこにいても、どこに行っても、必ず何度でも君を見つけて伝えるよ。
——
「えー今日体育なんて聞いてないー!」
顔すらもへの字に曲げたように拗ねるノア。時間割を見間違えたわけではなく、先週急遽変わったものだから、拗ねるのも仕方ないが。
「上の空で先生の話聞いてなかったノアくんが悪いよー!」
図星を友人に突かれて口だけを曲げる。先週のいつ、その変更が言われたのかすら覚えていないということは、おそらく別の何かに集中していて聞き逃した、というのが簡単に推理できる。とは言っても、困ったものだ。体操着が無いから授業を受け損ねるのは、進路的にも今はまずい。
「俺ちょっと借りてくる」
タタタッ、と軽快に階段を降りていき、迷うことなく目的の教室に辿り着くと、ノアより年下の学生達が残り僅かな休憩時間を教室のドアの前で謳歌している。
「ごめんね、ちょっと通るよ」
先輩だ、とそわそわと前を開ける周りに少しだけ気持ち良くなりながら、ノアは息をスゥッと肺に空気を貯める。
「イチー!体操着貸してー!」
奥の窓際で、つまらなそうに外を見ていたイチが、ノアの顔を見て嫌そうな表情を浮かべた。
周りの女子生徒が少し黄色い声を上げている中で、イチは机にかけられた袋を持ってノアの前まで擦るように歩く。
「なんで俺のとこなんだよ」
「イチからしか借りたくないから!」
「はぁ?」
面倒くさいと、押し付けるように話を繋げることなく渡すイチ。それを受け取ると抱きしめて今日一番の笑顔をする。
「イチだーいすき!」
「黙れ」
イチはそれだけを告げて、また窓際の世界へと帰っていく。少し寂しげな顔をしつつも、手に入れた最愛の体操着をさらに抱きしめながら、自身の教室に戻っていく。
ほんのり香る甘い柔軟剤。姉の多いイチだから、きっとこうなるのだろうが、ノアにしてみればこれがイチの匂いでもある。あんなに悪態ついているのに、可愛いその香りを吸い込みながら、着替えるために早々と足を動かした。
——
チャイムが鳴り響き、授業が始まる。一匹狼を好んでいると言っても、授業を真面目に受けないわけではなく、成績も優秀。教師に回答を求められても、必ず正しい答えを言うものだから、周りの生徒も尊敬の眼差しをするほど。それをもちろん、好んでいるわけではないが。
「はぁ」
深いため息を吐きながら、ふと外を見る。窓際の席の特権だ。たまの退屈な時間も、外に意識を向けることが出来る。なにより、雑音のない空がイチは好きで。ノアにもよく、空を見つめる姿を勝手に写真に収められるほどに。
先程のノアの対応にため息をついたことも忘れ、校庭に目を向けると、ノアの学年の生徒らがサッカーをしている。体操着を貸したのだから、体育を受けているのは当然なのだが。
沢山の中から、ピンポイントにノアを見つける。目立つ、というよりは目に入ってしまう。
華麗にドリブルをしながら、シュートを決めるノア。きっと黄色い声に包まれているのだろう。決まったシュートに、周りと喜び合う姿、少しだけ微笑ましく笑ってしまう。何でも熟す彼にも、惹かれたのだから、仕方ない。
つい、目を離せなくなり視線を焼き付けていると、それを何故か察知したノアがこちらを見つめる。その瞬間、満面の笑みで手を振ってくるノアに、焦って視線を逸らした。
「っ、」
何故気がつくのか、本当に驚くだけには留まらない。
気を散らしていて遅れる授業内容に、少しだけ汗ばみながら板書する。軽く腕を捲りながら、ペン先を走らせると、ノートに一つ、汗を落とした。
恥じらいを感じるというより、心臓が速く走っていて。血の巡りが紅く良くて。好きを再認識させられるから、こんなにも焦るのだろう。認めてはいても、認めたくない。堕ちていることなんて、分かっていても。
——
重い足で階段を登る。
周りがたった一つ年上になるだけで、近づき難い雰囲気を感じるのは何故だろうか。もう少し年齢を重ねれば、年の一つや二つは誤差のようなものなのに。学生の頃の一つ上は、どうしても近寄りづらい。
あまり目を合わせないように、視線を落としながら辿り着く目的の教室。開いたドアからノアを探すが、見つからない。どこか別のところにいるのか、もしくはすれ違いをしてしまったのか。
連絡を付けてからこればよかったと少し後悔しながら引き換えそうとすると、目の少し離れた先から、ノアと二人の女子生徒が歩いてくる。それを見た瞬間、黒い靄のようなものに襲われた。
腹から湧くものに身体を動かされながら、イチはノアに近づいていく。
「先輩、服。返して」
いつにない声のトーンに驚くノアは、持っていた体操着の入った袋をイチへと突き出す。
「っえ、ちょ、」
それを奪い取るように受け取り、イチは何も言わずにノアから離れて行ってしまった。
かなりの怒りを感じながら、少しだけ困惑するが、想像しているものなのか確かめようもないために思考を放棄すると、隣にいた友人が黄色い声で質問をする。
「え、今の誰ー?」
「後輩くんだよねー!すごいかっこいい!」
いつになくはしゃぐ二人に、乾いた声で笑うノア。
「ね、かっこいいよね」
声こそ覇気はなくとも、世渡り上手なノアはニコニコと愛想笑いを浮かべる。
「あの子知り合い?私も仲良くなりたい!」
「私も!名前なんていう子?」
その質問に、少しだけ眉を曲げて愛想笑いではなくて優しい笑みで回答する。
「ごめんね、俺先に教室戻るわ」
可愛らしい笑顔での断りに、友人二人も違和感は覚えず解散する。
「教えるわけないじゃん」
聞こえない小さな声量で放つと、教室に戻って席に着く。好きな人どころか、やっと交際に発展した恋路に、邪魔者が湧いてしまったら困る。そんなものは、漫画などの物語の世界で十分だ。
難しい、世間にとっても難しいこの恋愛に、何人たりとも立ち入らないで、と、看板を立てながら生きるしかないから。
——
食堂で購入した菓子パンと惣菜パン。普段は弁当を持参しているが今日は生憎の寝坊。満たされる分だけを購入し、教室に戻ろうと廊下を歩いていると、見覚えのある顔とすれ違う。
すれ違い様に、耳元に声を放たれる。
「屋上で待ってるね」
甘いその声に、背筋を震わせながらぴくりと目を軽く二回閉じる。
それ以上は告げられず、ノアはイチから離れて階段を上がっていった。
「んだよ、もう」
出来れば今は話したくないのに。腹を立てたこの感情が収まる翌日まで離れてしまおうとしていた。のに。
居心地が悪くなるのは避けたいと、言われた通りに続いて屋上へと向かうイチ。
この学校の屋上は解放されているわけではないが、古ぼけた鍵なんて簡単に解錠できてしまい、隠れた二人の空間になっている。もちろん、帰るときには鍵は元の状態に戻す為、ほとんどの生徒がよりつくこともない。
二人のその居場所に、堂々と向かうイチ。コソコソしていると、かえって目立つからだ。
向かいたくはないものの、仕方なく鍵を開けて、重たい屋上のドアを開ける。
めいいっぱい入ってくる明るい太陽光に、目を細める。今日は天気が良い。
何度か見回すと、いつもの場所にノアが寝転がっていた。
「ノア」
そう名前を呼べば普段なら尻尾を振るように飛んでくるのに、今日は目を閉じて動かない。聞こえていないはずもないし、耳にイヤホンをしている様子もない。わざと、無視をしているのだろうか。
「おい、ノア!」
確信に変わる。明らかに無視を決めている。それに、少し拗ねたような顔もしているように見える。
この状態のノアは面倒くさいのだ。
嫌な顔をしながら、ため息を吐くと、イチは言葉を変更する。
「何て呼べば返事すんだよ」
「さっきなんて呼んでたっけなぁー?」
二回目のため息を吐くと、頭を掻きながらむず痒い表情を浮かべるイチ。
「……先輩、返事しろよ」
「ふふ、はーい!」
幸せな声色で起き上がり、イチの方を漸く振り向くと、そこにいたイチの姿に混乱をする。
それも、そのはずだ。
照れることなんてあまりないイチが、真っ赤に頬を染めながら口を手で隠していて。恥じらいのその目に、ノアは目眩を起こしそうになりながら立ち上がる。
「待って、い、イチ?か、……わい」
「あ?」
「可愛すぎるでしょ……」
「うるせぇ」
先程は簡単に言えた先輩という呼び方に、意識を向けるだけでこんなにも胸が張り裂けそうになるなんて、イチ自身も想像していなくて。
妙に緊張したせいか、顔の熱が治らない。何度も何度も呼吸をしていると、あっという間にノアが目の前にまで近づいてきていて。
「イチ」
「なに」
「キスしていい?」
吹っ飛んだその台詞に、口から手を退けて否定しようとした瞬間。
その手を掴まれて空中で行き場を無くしながら、唇に熱を感じる。甘いその一度だけの深い口付けに、目を閉じることも忘れて。
「っ、勝手にするなら聞くなよ」
「我慢できなくて」
掴まれた手は優しく解かれ、幸せそうに笑うノアに、これ以上拒否も出来なくなる。
「ねぇ、何でさっき逃げたの?」
「逃げ……?」
「体操着、返してって言いに来た時」
この状況で、答えたくない回答に、イチは嫌な顔をしながら少しだけ後ろに距離を置く。
早く食べてしまいたい昼ごはん。それを言わずに、ぽつりと、呟く。
「お前、俺以外にも好かれるだろ。なんか、腹立つんだよ」
「え?」
「……っ。勝手にしろばか」
絶対に理解しているのにとぼけるノアに、そっぽを向くと、後ろから腕を引かれる。
「俺にはイチしかいないよ」
「あっそ」
「イチもあんまり、モテないでね」
「は?なん——」
訳の分からない言葉に振り向くと、真剣な顔をしたノアに面食らってしまう。
不安なのは互いに。たくさんの人がいるこの世界で、目移りする可能性がゼロとは言い切れない。もちろん、目移りするような性格では互いにはなくても、飽きが来てしまえばそれまで。
「今日も、目が合ったじゃん。俺ら」
「あー」
「このままずっと繋がってたいよ」
「あー……」
返答に困るイチ。実際校庭を見ていたのは、イチの方だからこそ。
「そうだ、第二ボタン、予約させて!」
「は?」
「第二ボタン!俺に絶対ちょうだい!他の人に取られちゃ嫌だから!予約させて!名前でも書いちゃおうかなぁ!」
言葉の応酬に怯みながら、また苦い顔をするイチ。その瞬間、プツンと音を立てて何かが千切れる音がする。
「うるせぇな、ったく」
そう言って、引きちぎられたブレザーの第二ボタンはノアへと放り投げられる。
「わ、わ!」
失わないようにしっかりとキャッチすると、紐もまだ付いた状態の第二ボタンが手のひらにあって。
「こんなもん、ノアしか欲しがらねぇよ」
——ほんと、どこまでも敵わないな
理由も分からない君に、答えも明かさないよ。ずっと、永遠に予約するからね。
握りしめたそのボタンに、その言葉を刻んで。
end