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    くるしま

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    くるしま

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    片思いの噂から始まる高諸、終わりましたー!
    長かったー!
    そのうち読み返して修正したら、支部にも上げます。

    思ったよりも長くなってしまいましたが、何とか両思いまで辿り着けて良かったです。二人に幸あれ。
    反応くださった方、励みになりました。ありがとうございます。
    最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!

    高諸05「おまえの素直さは、長所だと思っているのだがね」
     雑渡が突然そう言い出したのは、とある晴れた日。雑渡が書類仕事を始めて、それなりの時間が経った頃だった。
     仕事に飽きたんだな、と側で手伝っていた尊奈門は正確に理解する。雑渡は仕事に飽きると、いつも尊奈門にあれこれ話しかけてくるのだ。
    「ありがとうございます。こちらが次の書類です」
     たいした意味はないだろうと受け流し、次の書面を差し出す。雑渡はそれを受け取って、もう一度、尊奈門を見た。
    「だが、陣左には発揮されないな」
     ぎくりと、一瞬、動きが止まる。
     雑渡に隠し事をしても無駄だ。わかってはいるが、
    「な……何の事ですか」
     悪あがきをしてしまう。
    「こう見えても、心配しているのだがね」
    「そ……れは、ありがとうございます……! いや、いつから知ってるんですか!?」
    「いつからだと思う?」
     その言い方だけで、随分と前から知られているのがわかる。
    「……噂になった時ですか?」
    「もっと前だな」
     噂より前。それでは、下手をすると尊奈門の自覚よりも早い事になる。が、尊奈門は疑わなかった。相手は雑渡だ。きっと無意識に漏れてものを、察知されたのだろう。
    「そんなに前から、ですか……」
    「ああ。心配していた。私も、陣内も」
     ぴたりと尊奈門の手が止まる。
    「あの……組頭? 山本小頭も、知っておられるのですか?」
    「陣内がおまえの隠し事を見抜けないと思うか?」
    「お、思いません……が……!」
     崩れ落ちそうになりながら、耐える。雑渡を始めとした上層部に、隠し事を隠せるとは思っていない。しかし、面と向かって言われると、ダメージが大きかった。
    「陣内なら、誰にも言わないから安心するといい」
    「あ、はい。そこはもちろん! 山本小頭が、そんな事する訳ありませんから!」
    「ただ、それ以外についてはわからんがな」
    「それ以外!? 誰ですか!?」
     赤くなったり青くなったりする尊奈門に、雑渡は笑う。
    「おまえの隠す技術は、まだまだという事だ」
     身内が相手とはいえ、それは忍者として己の不甲斐なさを思い知らされる言葉だった。
     情けない。
     そんな気持ちと同時に、感謝が浮かんで、尊奈門は雑渡を見た。
    「組頭、ありがとうございます」
    「何が」
    「どなたがご存知だったのかはわかりませんが、誰も、何も言われなかった。見守っていて下さったのですね」
     雑渡は少しだけ間を置いて、笑った。
    「おまえは本当に素直だね」
     そして、さっきと同じ事を口にした。
    「陣左には言わないのか?」
    「……言うつもりはありません」
     しかし、迷いは生じた。
     雑渡と山本にバレているのなら、他の小頭にも同様だろう。ならば、他にもバレるかもしれない。じわじわと広まって、高坂まで届いてしまったら最悪だ。そんな風に気持ちが伝わるのは嫌だ。
     伝えてしまえば、噂が事実になる。隠し事をしている、という後ろめたさもなくなる。
     すっぱり振ってもらって、そうすれば諦めが付くかもしれない。
     ただ、一点だけ。高坂には迷惑をかける事になる。どの道を選んでも、そこだけは消えない。恋心というのは、相手がいる。一人ではどうにもならない。尊奈門はそれを分かりかけていた。
    「おまえたちは、拗れすぎたな。もっと単純な問題にするといい」
     考え込む尊奈門に、雑渡が柔らかく声を掛けた。
    「単純な問題……ですか」
    「要はおまえと陣左の気持ちの問題だ。外野の事は気にするな」
    「気にしなくていいのですか?」
     尊奈門にとっては、高坂の反応の次に気になる事だった。知られていない今だって、周りに問題が起こっているのに。
    「ああ。気にするな」
     尊奈門は単純な男だ。敬愛する雑渡にそう言われれば、素直に、そうなのかと思ってしまう。普段ならば。
    「気にしない事はできません」
     きっぱり言った後、尊奈門は困ったように眉を下げて続ける。
    「でもこのまま隠し通せるか、自信がありません」
    「実際、今でも隠せてはいないからな」
    「うぅ……」
     その通り。まだ尊奈門は若輩で、器用な立ち回りなどできない。誰にも気付かれないのは、無理だ。今は雑渡や上層部だけだとしても、この先もそうとは限らない。
    「でも、高坂さんはまだ気が付いておられないですよね?」
    「そう思うか」
    「はい」
     気付いて、素知らぬふりをしている可能性も、なくはない。だが尊奈門は、そうは思えなかった。
     不思議だった。高坂だって、鈍くはない。それに、尊奈門との距離が近い人だ。気付かれたくはないが、気付かれない理由はわからない。
    「誰にでも、目が曇る場所はある」
     雑渡が小さく言った。尊奈門にはよく聞こえず、聞き返すために雑渡を見上げようとした。それを遮るように、雑渡が尊奈門の肩に手を置く。
    「踏ん切りがつかないなら、命じてやろうか?」
     細められた目に、反射的に思う。
     それは嫌だと。
    「いえ!! 自分の意思で言います!」
    「そうか」
    「あ」
     引っかかった。尊奈門が思うと同時に、雑渡が笑う。
    「いや、あの」
    「では尊奈門。おつかいを頼む。陣左の所へな」
    「…………いえ」
     こうまでお膳立てされて、従うだけでは情けない。尊奈門は首を振り、雑渡を見た。
    「おつかいではなく……私の意思で、行きます」
     他の誰でもない。自分の意思で行きたい。
     雑渡は満足そうに口の端を上げた。
    「では、おまえは今日これで上がれ」
    「いや早いですよ!? 組頭の仕事が終わるまではいますから!」
     それはそれだ。頑として譲らない尊奈門に、雑渡はぼやいた。
    「おまえの頑固さも、長所ではあるんだがな」
    「組頭の手伝いが、今日の私の仕事です」
     だから、と尊奈門は雑渡を見る。
    「それを投げ出して高坂さんの所へ行ったら、話を聞く前に追い返されます」
    「確かにそうだな」
     納得した雑渡は、仕方ないと言いながら仕事に戻る。尊奈門も一旦考え事は棚上げにした。
     そうしないと、何も手につかなくなってしまう。
     これも鍛錬の一つだと思いながら、尊奈門は頭の中から高坂を何とか追い出しながら仕事を続けた。



     どうにかこうにか仕事を終わらせて、尊奈門は疲れて果てていた。肉体は使っていないが、書類仕事はまた別の疲労がある。尊奈門よりも頭を働かせていた雑渡は、何ともなさそうな顔をしていたというのに。
    「陣左は今日休みだったな」
    「はい。長屋にいるはずです」
     仕事中は、あえて高坂の事を考えないように努力した。しかし、終わってしまえば、もう駄目だ。
    「そうか。では、頑張って来い」
     と送り出される。わかりました!と勢い込んで向かったはいいが、いざ高坂の部屋に近付くと、段々と足は重くなる。
     だって、何も決めていないのだ。
     つい今朝まで、高坂に想いを伝えようとは思っていなかった。昼間に思ってからは、仕事に集中するために高坂を頭から追い出した。
     更に言えば、告白などした事もされた事もない。
     どんな作法があるか知らないし、気の利いた言葉も苦手だ。
     何の前準備もなく来て、良かったのだろうか。そんな不安に襲われた時、
    「尊奈門」
     声をかけられて、立ち止まる。
     まさに今、会いに行こうとしていた高坂が、部屋から出てきた所だった。
    「あっ、え、こ、高坂さん!?」
    「もう上がりか。今日は早いな」
     と言ってから、高坂は尊奈門の慌てた様子に気付いた。
    「どうした。急ぎの用か?」
    「いえ……! えっと、高坂さんは、お出掛けですか!?」
     もしそうなら、引き返さねば。
    「いや違う。私に用があったのか? なら、入れ」
     逃げ道が一気に潰された。
     尊奈門が突然高坂を訪ねるのは、珍しい事ではなかった。二人の噂話が出るまでは。
     よく知った部屋に入る。そしていつも通り、向かい合って座った。
    「で、何の用だ?」
     尊奈門の心が固まりきらないうちに、高坂が訪ねてきた。
    「あの。ちょっと、えーっと……」
     いざとなると、何をどう切り出したらいいのか分からない。心の準備ができていない。
    「何だ」
    「えぇと……れ、恋愛相談に来ました!」
     本題から外れない話題をと思った結果、尊奈門はそう口走っていた。
     高坂が眉を寄せる。
    「私にしてどうする」
    「こ、高坂さんは経験豊富なので、いろいろご存知かと」
    「そんな事はない」
     謙遜でないのは、表情で分かった。渋い顔で、高坂は言葉を続ける。
    「上手くいかない事など、いくらでもある」
    「え。高坂さんでも、振られる事があるのですか?」
    「おまえは私を何だと思っている」
    「モテるなぁって思ってます」
     高坂はそれを否定しなかった。ただ、明らかに表情は曇った。
    「……だからといって、万人に好かれる訳ではない」
    「そうなんですか……」
     尊奈門は、もてた事はない。強いて言うなら動物には好かれやすいのだが、人間にはさっぱりだ。それが恋愛沙汰となると、更に減る。
     もてる苦労などわからないし、想像もつかない。けれど高坂は今、万人に好かれるわけではないと言った。どこか苦しそうに。
     高坂と「高坂の好きな人」は、上手くいっていないのだ。高坂が今の自分のような気持ちを抱いているのは、嫌だと思う。幸せでいて欲しいと思う。でもやっぱり、心の奥には安堵がある。
     己の心の動きが嫌で、尊奈門は眉を寄せた。
    「私の話など興味がなかったか?」
     考え事に沈んでいた尊奈門は、慌てて顔を上げた。
    「ち、違います! そうではなく……」
     どうにか言葉を探そうとするが、うまい言い訳は出てこない。
    「……おまえが私の相手に興味がないのは知っているが」
     興味がない訳がない。ずっと、高坂の噂を無視している時も、ずっと気になっていた。今だって、気になっている。
    「そ、そういう訳では……!」
    「聞け」
     ずい、と高坂の顔が近くに迫った。尊奈門は頷き、そのまま俯いて目を逸らす。
    「私はおまえの相手に興味がある。知りたい」
     それは詰問ではなかった。ただ純粋に、知りたいという高坂の思いだ。
     どうしてそんなに知りたいのか。
     不思議さから顔を上げた尊奈門の目に、高坂の顔が飛び込んでくる。少し苦しそうで、何かを堪えているように見えた。
    「……どうしてですか」
     どうしてそんな顔をするのか聞きたかったのに、うまく言葉が出てこない。高坂は手を伸ばして、手の甲を尊奈門に触れるギリギリの所で止めた。
    「私の恋敵が誰かを知りたい」
    「……ぇ」
     言葉の意味を理解するのに、少しかかった。
     恋敵。
     それはつまり、尊奈門の好きな人が、高坂のライバルという事だ。そんな訳がない。混乱した頭で、尊奈門は思う。
     だって、自分の好きな人は、目の前にいる高坂なのだから。
    「私は誰に勝てばいい?」
    「か、勝つ?」
    「おまえの心を私に振り向かせるために、私は誰を超えればいい?」
     高坂の言葉が、頭に入って来ない。
     尊奈門にとって、好きな人はイコール高坂だ。それ以外にはない。未来はともかく、過去にはいない。高坂が初恋なのだ。
     だから、何を言われているのか、理解が追いつかなかった。
    「教えてくれ」
     高坂に、こんな風に見られるのは、初めてだ。
     優しいような切ないような表情は初めて見る顔で、ああ素敵だなと、混乱する頭の片隅で思う。
    「尊奈門」
     何も言えない尊奈門に焦れたのか、高坂の顔が更に近付く。
    「は、はい!?」
    「聞いているか?」
     問う高坂の表情は、怒りよりも不安さを滲ませている。声も尖っていない。
     尊奈門の処理能力は既に限界で、上手い返しなどできるはずもない。何か言わねばと、それだけの気持ちで口を開く。
    「え、と、あの、高坂さんが高坂さんに勝つにはどうする、という話でいいですか!?」
    「は?」
     高坂の眉が寄る。今度は高坂が混乱したようで、尊奈門はしまったと思った。思ったが、遅い。
    「私が私に勝つ?」
     高坂の耳には、尊奈門の失言がきちんと届いている。
    「何だそれ……は……」
     不審そうな高坂の声に驚きが混じり、そして言葉が途中で消えた。高坂は尊奈門の言葉の意味を、正確に汲み取ったようだ。
     考え込むように顔を伏せた高坂に、尊奈門は何をどう言えばいいのか、わからない。あたふたする尊奈門を止めたのは、
    「……おい」
     地の底を這うような低い声だった。
     びくりと肩を震わせた尊奈門が、
    「は、はい!?」
     裏返った声を上げる。高坂は顔を上げて、尊奈門の頭を掴んだ。また至近距離で、目を覗かれる。
    「俺がいつ、おまえを振った」
     慣れた尊奈門さえ、怯むほどの鋭い眼光。
    「えぇと、私の頭の中で……」
    「……は?」
     怖い。純粋にそう思った。それくらいドスが効いた声だった。
    「尊奈門」
    「はぃ……」
    「説明しろ」
     尊奈門はそのまま、顛末を話した。高坂への気持ちを自覚して、頭の中で告白したら脳内の高坂に振られて、口に出した「振られた」という独り言を誰かに聞かれて、噂になった。
     話していて、あまりにも酷い話だと自分で思う。話を聞く高坂からは、少しずつ力が抜けていく。顔は怖いままだった。
    「……という訳で、噂になってしまったようで……。あとは、高坂さんも知っての通りです」
     話し終わると、尊奈門は恐る恐る高坂を見る。
     高坂は肩を落とし、大きくため息をついた。
    「おまえは馬鹿か」
     心の底からの声。
    「馬鹿は酷いですよ」
    「違うのか」
    「ち……がいませんけど……」
     高坂が、尊奈門の肩に額を乗せる。突然の行動に、尊奈門は固まった。
    「おまえのせいで、無駄に悩んだ」
     すぐ側から声が聞こえる。先ほどの高坂の言葉が、頭の中に蘇った。誰に勝てばいい、という少し掠れた声が。
    「尊奈門」
     すぐ側から、高坂の声が聞こえる。耳に直接声を吹き込まれているのではと思う程、近くから。
    「おまえの好きなやつというのは、誰だ」
     高坂がゆっくりと顔を上げて、尊奈門を見る。
     言葉は、すんなりと出た。
    「高坂さん、です」
     しっかりと目を見返して、尊奈門が答える。
     高坂の口元が緩んで、
    「そうか」
     と柔らかい声が返ってくる。
     尊奈門は高坂の目を見上げて、言った。
    「それだけですか?」
    「何だ」
    「高坂さんも、好きな人を教えて下さいよ」
    「おまえなぁ」
     呆れた顔をされた。でも尊奈門に言わせておいて、自分は言わないなんて、それはないだろう。と思うから、尊奈門は引かなかった。
     じ、と高坂を見ると、仕方ない奴だと言わんばかりの顔をされた。その顔のままで手を伸ばし、尊奈門の頭を乱暴に撫でる。
    「おまえに惚れるなど、私もヤキが回ったな」
     最初くらい、素直に言ってくれればいいのに。拗ねたような表情は、しかし、高坂の顔を見れば飛んでいった。それくらいに、高坂は優しい顔をしていた。
     好きだという気持ちが溢れて、好かれているのだという実感が湧いて、じわりと涙が浮かぶ。慌てて顔を伏せると、高坂の手が尊奈門の髪を撫でた。
     本当に泣きそうになった。
    「泣くな」
    「泣いてないでず……!」
     否定しても、涙声は隠し切れなかった。ず、と鼻を啜る。高坂の顔が見たかったが、見たら絶対に泣くから見られない。
    「泣くほど嬉しいか」
    「うっ、嬉しいに、決まってるじゃないですか……!」
     乱暴に目を擦る。
     嬉しい。気を抜くと、思いが全部溢れそうな程。嬉しい。
    「高坂さんは、こういうの慣れてるでしょうけど……!」
     言い終える前に、高坂が尊奈門の頬を引っ張る。痛いと声を上げると、すぐに離された。せっかく触れてくれたのに、と声を上げたことを少しだけ後悔した。
    「私は……自分から相手を口説いたのは初めてだ」
    「ぇ」
     すごい事を言う人だな。驚き半分呆れ半分で、涙が引っ込む。しかしすぐにまた、喜びが湧き上がって来た。
    「私が、高坂さんに口説かれた最初の相手なんですか?」
    「いや。忍務ではいくらでもしている」
    「それは知ってますけど!!」
    「そうでないのは、おまえが初めてだな」
     ふ、と微笑む表情が、心臓に悪い。ずっとずっと、見てみたかった顔。気を抜くとまた泣きそうで、尊奈門はぐっと堪えた。
     耐えるのに一生懸命な尊奈門は、高坂の動く気配を感じられなかった。すい、と高坂の顔が近付いてきて、唇に触れて、また離れた。
    「ぅえ……?」
    「もう少し色気のある反応はできないのか」
     何をされたか遅れて理解して、一気に尊奈門の顔が赤くなる。顔どころか、耳も首も真っ赤に染まるのが、尊奈門自身にも分かった。
    「い、色気……と、言われても……」
    「色の指南は受けていないのか?」
    「ちゃんと受けましたよ。高坂さんは知っているじゃないですか」
    「知っている。散々だったらしいな」
    「だから、高坂さんが教えて下さいよ」
    「私が教えたら、私の好みになるだけだぞ」
    「いいですよ」
     考えもせず尊奈門は答えた。高坂の好みになれるのならば、願ったりだ。
    「そうしてください」
     言いながらきっと呆れられると思ったし、実際、ため息が聞こえた。だが、いつものような悪態は返ってこなかった。
    「覚悟しておけよ」
     低い声に、背筋がぞくりとする。軽率な事を言ってしまったという不安と、それよりも大きな期待が腹の底から湧き上がる。
     その空気を振り払うように、高坂がいつも通りの調子で言った。
    「組頭にも報告せねばな」
    「そうですね……ご心配をおかけしましたし」
     言いながら、二人の頭に雑渡の顔が浮かぶ。高坂にも尊奈門にも、敬愛する大事な人には間違いない。ただ、だからこそ、わかる。
    「組頭に、からかわれるんでしょうねぇ」
    「そういう事だ」
    「高坂さんも、組頭に何か言われたのですか?」
    「いや……。おまえは言われたのか」
    「はい。背中を押して頂いたというか、突き飛ばされたというか」
     そうか、と高坂は苦笑いする。
     雑渡や山本は、尊奈門だけでなく高坂の気持ちも知っていたのか。
     唐突に尊奈門は納得した。
     拗れすぎた、という雑渡の言葉も。
    「……組頭たちはわかっておられるが、他の連中は違う」
     言いながら、高坂が真顔になる。尊奈門も背筋を伸ばした。
    「別にわざわざ吹聴する気はないが、いずれ噂にはなるぞ」
    「はい」
    「今まで私の噂相手が、どう言われていたか、知っているな?」
    「はい」
     今度の相手は、いつまで持つと思う?
     そんな話をしていた皆を思い出す。あの時も酷いと思っていたが、今は更に思う。
     自分もそう言われるのか。
     想像してみたが、思ったよりは辛くなかった。そんな言葉は、跳ね返せる。
     だってその言葉の根拠は、高坂がすぐに相手と別れたから。高坂が恋仲の相手よりも誰よりも、雑渡を優先にしていたから出るものだ。
    「私だったら、噂も大きくはならないのでは?」
    「何故だ」
    「高坂さんが組頭をお好きなのを、私はよく知っています。私より組頭を優先されても、当たり前だから何とも思いません」
     それに、と続ける。
    「私だって、組頭が一番大事ですから」
     ぐ、と高坂が言葉に詰まる。そうでしょう?と言いだけな尊奈門を見ながら、高坂はしばしの沈黙した。そして、はぁ、とため息を吐いた。
    「えっ、どうしたんだすか?」
    「何でもない。少し……反省しただけだ」
    「? 何にです?」
    「過去の自分に……いや、それはどうでもいい」
     高坂は気を取り直したように尊奈門を見る。やけに真剣な顔だ。
    「尊奈門」
    「はい」
    「誰を、何を大事にしようと構わんが、こういう相手は私だけにしろ」
    「あ、当たり前ですよ! 他に相手なんていません!」
     慌てて否定すれば、高坂はようやくいつも通りの顔になった。尊奈門の好きな表情だ。
     ふわりとした幸福感の後に、ぶわっと不安が湧いてきた。
    「こ、高坂さんはどうなんですか」
    「ん?」
    「私の他に、こういう相手を作る気はないんですよね?」
    「その気があったら、おまえに手を出すか。忍務があれば、わからんが」
    「忍務はいいです。仕方ないので」
     本当は嫌な気持ちはあるが、それは言えない事だ。尊奈門は、自分のために高坂が何かを曲げたり変えたりする事を望んではいない。それは本心だったが、
    「仕方がない、という顔ではないぞ」
     表情まで平静とはいかなかった。微妙な顔をする尊奈門に、高坂がからかうような言葉を投げる。
    「……じゃあ、嫌だと駄々を捏ねたらいいんですか」
     頬を膨らませながら返せば、
    「それは困る」
     と、また高坂が笑う。わかりやすく機嫌が良くて嬉しいが、揶揄われるばかりなのは悔しい。
    「私が色の忍務に出されたら、高坂さんはどう思うんですか」
    「おまえに色が回ってくる我が軍が心配だ」
    「どうせ私は色気なんてありませんよ」
     ぷい、と横を向く。
    「ないとは言っていない」
     高坂の声が、すぐ近くで聞こえた。
     ああ、来るな。
     今度はちゃんとわかったから、目を閉じた。
    「覚えが良いな」
     からかうように、楽しそうな声で高坂が言う。目を開けてその顔を見たかったが、先に唇が触れた。
     この関係がどうなるか、いつまで続くのか、尊奈門にはわかるはずもない。ただ、ひとつ。今日が最初だ。それは確かだ。
     今日の、この高坂の顔だけは忘れない。そうすれば、きっと大丈夫だ。
    「私はやればできるんです。だから、できるようになるまで、ちゃんと教えて下さいね」
    「調子に乗るな」
     と言う高坂の頰が、いつもより少し赤い事に気付いて、尊奈門は笑った。
     そして、浮き立つ気持ちそのままに、立ち上がる。
    「では、私は組頭に報告に行ってきます!」
    「は?」
    「組頭も気にしていらしたので」
    「おい」
    「すぐ戻りますので!」
     止める間もない。
     走り出る尊奈門を呆然と見送った高坂は、すぐに我に返って怒鳴った。
    「おい!! 待て!!!」
     声が届いているのか、いないのか。尊奈門は止まらない。
     一人で行かせたら、何をどう報告されるかわかったものではない。
     走る尊奈門の後を追いながら、いくつかの視線を感じる。また妙な噂になるかもしれない、と頭をよぎったが、今はそれどころではない。
     脚の速い尊奈門にどうにか追いつく頃には、尊奈門は既に組頭の仕事部屋を開けていた。
    「高坂さんに伝えて、まとまりました!」
    「順序立てて話せ、この馬鹿!」
     思わず言ってしまってから、部屋の中に雑渡以外の気配を感じる。目をやると、そこには雑渡と、向かい合って座る山本がいた。
     二人は尊奈門と高坂を交互に見て、同時に笑い出した。
    「では、順序立てて報告してもらおう。二人とも入れ」
     雑渡の声は楽しげで、高坂は尊奈門の頭を殴りつけたい衝動を何とか堪えた。





     尊奈門の新しい噂は、静かに進行した。一度上から叱責を受けたというのに、懲りない奴らだな、と高坂は呆れながらそれを聞く。
     付き合っている相手がいるらしい、というのが今回の噂だ。
     聞きつつも、高坂は口を出したりはしない。勝手に言っていろと思う。今回は尊奈門自身が、特に気にしていない。それに、高坂も事実を知っている。
     ひっそりと隠れて付き合うのは、意外と悪くない。ああだこうだと見当違いな噂の解釈を話している連中を見ても、腹が立ったりはしなかった。
     尊奈門の相手は、限られた者しか知らない。バレた所で構わないが、自分から吹聴する気はない。
     話の輪の外でそんな事を考えていると、
    「なぁ、高坂も相手を知らないのか?」
     またもや怖いもの知らずの同輩が声をかけてきたから、高坂は静かに笑って答えた。
    「さぁな」
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