リクエスト話 土井半助という男は、あれでなかなかモテる。
まず、見目が良い。柔和な雰囲気で場に馴染むのが上手いし、自分のことにはズボラな割に世話好きだ。知識が豊富で、頭の回転が早く、戦闘力も高いので頼りになる。
まあ、もてるのは構わないのだ。良くも悪くも、人からの好意に振り回される男ではない。
「ただなぁ」
「何ですか父上」
土井が不在の職員室。山田父子は向かい合って、のんびりと茶を飲んでいた。家に帰る帰らないの話は一旦終わり、部屋の隅には利吉が持ってきた洗濯物が置かれている。茶請けの団子は、利吉からの土産だ。
「半助のことだ」
「土井先生がどうかしましたか?」
「正確には、おまえのことだ」
「私ですか?」
「半助に関わりすぎだ」
利吉は、とぼけているのか本当にわかっていないのか、
「関わりすぎ、というのは?」
不思議そうに尋ねる。
土井半助に想いを寄せる者は多い。その筆頭と言ってもいいのが、今、目の前にいる息子の利吉だ。
何しろ、年季が違う。利吉が土井と初めて出会った少年の頃から、曲がりなりにも一人前になった今まで。利吉の視線は、ずっと土井へと向けられていた。
そこは自由にすれば良いのだが、問題は、気持ちが昂じて行動にまで移っているという事だ。
「先日も、半助が忍務の最中に声を掛けたと聞いたぞ」
「あれは半子さんがナンパされていたので、割って入っただけです」
利吉は、涼しい顔で言い返す。
「そんなものは放っておけ。忍務中だったら、どうする気だ」
「先に土井先生にだけ気付くように合図を送って、忍務中でない事は確認済みです」
その辺りは、さすがに抜け目がなかった。にしても、やはり庇う必要はない。
利吉の実力は、まだ土井に追いついていない。土井が何ともならない相手を、利吉がどうにかできるはずもないのだ。
「それから、生徒にもだ」
「生徒には何もしておりませんが……」
「生徒や卒業生が半助に近付くたびに、牽制しているのは誰だ」
土井半助の人間関係は、忍術学園を中心に築かれている。よって、利吉の警戒範囲は学園が中心となる。
土井は生徒に好かれやすい。
恋にのぼせやすい年頃の生徒から、淡い想いを向けられる。教職員なら、程度の差はあれ誰でも寄せられた経験はある。土井は特にそれが多かった。卒業した元生徒が、わざわざ想いを伝えに再訪して来た事もある程だ。
そのたびに、利吉が立ち塞がって邪魔をする。利吉は利吉で生徒に人気があるから、土井の隣で「私に勝てるのか?」という顔をした利吉を見れば、大抵の相手は戦意喪失だ。
「下心のない生徒には、何もしておりません」
「牽制があからさますぎるんだ」
「わかりやすい方が良いでしょう。放っておけばおくほど、後々面倒になります」
と、利吉はまるで悪いとは思っていない様子だった。そして実際、利吉の牽制は役に立っていた。土井も迷惑がってはいない。むしろ、助かるとさえ思っていそうだ。
「それでも、半助は一人で対応できる。手出しは程々にしておけ。特に生徒には」
「はい」
わかっておりますと言うかのように頷く息子の言葉を、山田はその通りに受け取れない。
聞き分けが良く引き際も見極めているはずの利吉が、土井の事となるとまるで周りが見えなくなる。いや、見えても無視をする。
何年か前、傷を負った土井が目の前に落ちて来た時から、利吉はずっと彼を見て来た。感心するほど一途に。
だが、では利吉が土井に相手されているかと言えば、そうではない。土井にとって、利吉は「特別な子」ではあるが、そこからは抜け出せていない。望みがあるかと言われれば、難しい所だ。
利吉も折に触れて好意を示してはいるが、土井が靡く様子はない。
父親としては複雑なものがあるが、もう利吉も子供ではないから、口を出さずに見ている。
今のところ、勝算があるとは言えない。
長期戦で行けば、あるいは、とは思う。親の欲目を抜きにしても、利吉はまだ伸びる。土井は未だに出会った頃の利吉のイメージを引きずっているようだが、もう数年もすれば若さも消えるだろう。
山田にすれば、利吉も土井も、幸せになって欲しいとは思う。望みは薄いがまあ頑張れと、息子を見守っていた。
しかし。
最近、気にかかる事が出来た。
少し前から、少々毛色の違う男が土井の側に現れるようになった。生徒ではなく、教職員でもなく、敵でも味方でもない。珍しく土井よりも大柄で、その実力も土井を超える男。
雑渡昆奈門というのが、その男の名前だった。
彼がどうやら土井へ好意を抱いているらしいと、山田は最近知った。
タソガレドキにスカウトされた土井が、話を断ったというのは聞いていた。そこからどう話が流れて、恋情の絡む話になったのか。
「一体どこまで本気なんですかねぇ」
と言っていた土井の表情が、どこか柔らかい。そこも含めて、山田は少々嫌な予感がしていた。
「そうそう、父上。先日帰った時に、母上から伝言を預かり……父上? 聞いておられますか?」
「ん? ああ。母さんが何だ?」
利吉の言葉に、考え事を棚上げにする。
今の所、雑渡の件を利吉に伝えるつもりはない。利吉はもちろん、雑渡昆奈門という名を知っている。顔を合わせた事もある。特に好意はないだろうが、嫌っている様子もない。名の知れた忍者に対して若い忍者が抱く感情。好奇心と敬意と警戒心、それに少々の対抗心。それくらいだろう。
しかし、土井へ言い寄っているとなれば、話は変わる。雑渡は一転、利吉の敵になる。
いくら何でも雑渡昆奈門が相手では、利吉には荷が重い。
面倒な事にならねばいいがと思いながら、山田は息子が伝える妻の言葉に耳を傾けた。
「土井先生ー!」
「土井先生! 今よろしいですか」
二つの声が同時に上がり、廊下を歩く土井を呼び止める。土井は立ち止まり、声の主を確認した。
土井の後ろから食満留三郎が、前から久々知兵助が声をかけてきていた。二人は同時に声を掛けて初めて互いの存在を認知したようで、土井を挟んで顔を見合わせている。
一瞬、ぴりっとした空気が流れたが、
「食満先輩、お先にどうぞ」
兵助が、下級生の礼儀で先輩に先を譲った。これが同級生同士だと更に長引くから、まずは良かったと土井は安心する。
譲られた留三郎が、遠慮なく土井へ誘いをかける。
「お時間があれば、我々の鍛錬に付き合って頂けませんか。文次郎と小平太もいます」
急ぎの用件ではないと判断した土井は、次に兵助を見た。
「兵助は、何の用だったんだ?」
「火薬委員の予算の事で、ご相談したい事がありまして……」
重要さからいえばこちらだが、予算会議はまだ先だ。
つまり、どちらも火急の用という訳ではない。
二人とも、じいっと土井を見ている。やけに真剣な顔で、どちらを選ぶのか、と迫るように。
生徒たちは、たまにこうやって土井を取り合う。一年生ならともかく、上級生もだから、教師というのはこんなに好かれるものかと最初の頃は驚いた。
残念ながら、今日はどちらにも付き合えそうにない。土井は申し訳なさそうに、二人を交互に見た。
「すまん。今はちょっと手が離せなくてな。鍛錬はまた呼んでくれ、留三郎。兵助、予算の件は明日でもいいか?」
明らかにがっかりした顔で、留三郎と兵助は肩を落とす。が、二人ともごねるような性格ではない。
「はい……ではまた、次の機会に」
「明日、また来ます」
二人が去ると、土井はため息をついて、塀の方向に目を向ける。
音もなく廊下から外へ降り、そちらに向かって歩くと、木の陰から大きな人影が現れた。
生徒たちに囲まれる土井の視界の端に、顔を出した男。もう忍術学園に馴染んだ不審者。
「私に何かご用ですか、雑渡さん?」
「いえ。通りすがりですよ」
わざとらしい笑みを浮かべて、雑渡は土井に近付いた。土井は動かない。逃げるような相手でもないからだ。
「土井先生は相変わらずモテていますね」
「いや、生徒に懐かれるのは、モテるうちに入らないでしょう」
「生徒ではなくなった卒業生にも、モテているらしいですね」
「どこから聞いてくるんです」
非難するように言いつつ、土井はそれを否定しない。雑渡が調べた上で行っているなら否定しても無駄だし、カマをかけているなら追求は逆効果だ。
雑渡は少しだけかがんで、土井の耳元で囁くように言った。
「ライバルの動向を調べたくなるは、当然の心理でしょう?」
土井は小さく息を吐き、誰の気配もないのを確認してから、いつもより近い場所にある雑渡の目を覗く。
「私は先日、あなたに口説かれたつもりでいるのですが」
一度言葉を切り、すっと雑渡に体を寄せる。
「伝わっていませんでしたか?」
雑渡は口の端を上げて、「まさか」と囁き返す。そして更に距離を縮めようとしたが、
「なら、いいです」
土井は、あっさりと身を離す。学園内ではこの距離が限界か、と雑渡も諦めた。ここで事を進めようとしても仕方ない。忍術学園内では、必ず邪魔が入る。
「ところで、山田殿のご子息が来ているとか」
「利吉くんですか? 私もまだ会っていませんが、来ているのは聞いています」
「ご挨拶をしてもいいですか? 山田殿にも」
「……何の挨拶かにもよりますね」
「土井殿とのお付き合い以外に、挨拶したい理由はありませんが」
渋い顔をする土井とは対照的に、雑渡は楽しそうだ。絶対に反対されるとわかっているのに、何でまたそんな事をしたがるのか。
土井は、まだ雑渡との仲を山田親子に話す気はない。
賛成はされないだろうし、祝われるとも思っていない。歓迎もされないだろう。そこは覚悟しているから良いのだが、反対されると困る。特に、利吉には。
山田が反対するとしたら、同僚として、忍術学園の教師としての理屈で来るだろう。だが利吉が反対するとしたら、原因は彼の感情だ。理屈ではない。感情的な反対にどう対処すればいいのか、土井には分からなかった。
「……利吉くんを説得できる自信がないんですよねぇ」
「そこは頑張って頂きたい」
「そもそも、言うのが早すぎませんか? 意外と、すぐに嫌気がさすかもしれませんよ?」
「土井殿が?」
「もしくは、雑渡さんが」
二人はしばらく顔を見合わせて、ふっと笑った。
「今日でなくてもいいでしょう。少し待って頂けますか?」
「構いませんよ。しかし、早めの方が良いかと。隠し事は長引くほど面倒になる」
「それは、まあ、そうですね……早めに伝えますよ」
「それが良い」
話しながら、雑渡は距離を離していく。生徒たちの声が近付いて来たからだ。
「では、また」
雑渡が軽く一礼して、
「ええ、また」
土井は微笑みで返した。
雑渡の姿が消えるのとほぼ同時に、元気にお喋りしながら教え子たちが姿を現した。
「あれ、土井先生」
「こんな所で、何してるんスか?」
乱太郎ときり丸、それにしんべヱが、揃って土井を見る。
「ちょっとな。ところで、利吉くんが来てるって?」
「あ、はい。さっき山田先生の所でお会いしました」
乱太郎が答えて、
「土井先生は、まだ会ってないんですか?」
しんべヱが意外そうな声を上げる。
「ああ。これからだ」
しんべヱにそう返しながら、土井はさてどうするかな、と考える。
雑渡の様子からして、長く秘密にしておくつもりはなさそうだ。ならば、雑渡の口から聞くよりも、土井自身が話した方がマシだろう。
「利吉くんは、今回も山田先生の奥様からのおつかいで来たのか?」
「そうみたいっス。山田先生と、いつものアレやってました」
きり丸の言葉に、乱太郎としんべヱが「ねー」と笑う。その様子からして、いつものように洗濯物を挟んで「たまには帰ってください」「わかったわかった」というやり取りをしているのだろう。
利吉はあまり機嫌が良くないかもしれない。とはいえ、どれだけ機嫌が良くても、雑渡との事を話せば最悪になるに決まっているのだが。
「わかった。ありがとう」
夕食の支度に行くという三人組と別れて、土井は職員室へ戻る。
最初は山田だけに話した方が良い。利吉への対応については、相談しよう。
そんな事を考えながら、職員室の前に立つ。すう、と息を吸って、戸を開ける。予想に反して、そこには山田が一人で座っていた。
「あれ? 利吉くんはもう帰ったんですか?」
きょろきょろと周りを見るが、もう利吉の気配はない。
「ああ。仕事の時間があると言ってな。おまえさんに会えなかったのを、残念がっていたぞ」
「私も残念です」
と言いつつ、少し気が抜ける。けれど利吉が帰ったなら、今がちょうど良いタイミングかもしれない、と思った。土井は山田の向かいに座り、真顔で切り出した。
「あの、山田先生。報告したい事があるのですが」
「何だ?」
そのしばらく後。
「ぬわんだとぉ!!??!?」
という山田の声が、職員室中に響いた。