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    くるしま

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    くるしま

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    雑(→)←土の話に巻き込まれるタソ(山+押)の軽い話。ギャグだと思っていただければ幸いです。
    雑土とタソのターンが半々くらい。

    配達ミスで発売日に軍師円盤が届かず悲しい気持ちをぶつけて書いた前半に、後半を加筆しました。

    駆け引きの恋はNGです その日、雑渡昆奈門が忍術学園を訪れたのは、学園長に会うためだった。
     学園長室へ向かう途中で、一年は組教科担当教師である土井半助と出会った。何の用事ですかと尋ねられ、隠す必要もないから学園長に会いに来たと告げた。
     すると土井は、
    「学園長は先程、出掛けられましたよ」
     と言った。約束を取り付けていた訳ではないから、想定内だ。
    「入れ違いでしたか。お戻りはいつ頃です?」
    「うーん……デートだと言っていたので、だいぶ遅いかもしれません」
     土井の言葉を聞いても、雑渡は「なら仕方ない」と思うだけだった。
     今日の用件は、火急のものではない。半分くらいは、保健委員の顔を見に来るのが目的だ。
    「それから、保健委員も揃って外出中です」
     雑渡の考えを先読みしたかのように、土井が付け加える。
    「そうですか」
     来訪の目的が、ふたつ揃って潰れた。
     さすがに気の毒に思われたのか、土井が、
    「お茶でもどうですか」
     と珍しい誘いをかけてきた。
    「では、お邪魔します」
     雑渡も、珍しく乗った。
     職員室に招かれて、土井と向かい合わせに座る。土井は茶を出しながら、山田は補習で不在と言った。つまりは、部屋の中には雑渡と土井の二人きりという事だ。
    「学園長は、よくデートに行かれるのですか?」
    「ええ、まあ……。お元気な方なので」
     土井は苦笑いを浮かべる。この学園の教師を一番困らせるのは、他ならぬ学園長だ。雑渡もそれを何度も聞いているし、見てもいる。
     彼らに同情はするものの、学園長の壮健さに感心する気持ちの方が強かった。
    「さすがにお若いですな」
     感心したような雑渡の言葉に、
    「はは……」
     と乾いた笑いを浮かべて、土井は茶を一口飲む。それから、ふと思いついたように聞いてきた。
    「雑渡さんは、デートするような方はおられるのですか?」
     随分とストレートに聞いてくるから、少し驚いた。土井は色の話が好きなようには見えない。とはいえ教師なのだから、生徒の前ではそうした話はしないだろうが。
    「今は、あいにくおりませんな」
     雑渡は一番つまらない回答を口にした。
    「そうなんですか?」
     土井は意外そうな顔だ。
    「そう言う土井殿はどうなんです」
    「いやぁ、私もさっぱりで……」
    「ほう。意外ですな」
    「出会いもありませんから」
    「私も同じですよ」
     この辺りまでは、まだ世間話の範疇だった。
    「出会いそのものはあるのでしょう?」
    「もうそんな歳でもありません。よほど心惹かれる相手であれば、別ですが」
     忍術学園でこんな話をするのは、おかしな気分だ。ましてや相手は土井である。親しいとは言い難い相手だ。
    「なるほど。雑渡さんは、どういった人が好みなんですか?」
     随分と突っ込んでくるな、と思った。単なる雑談なのか、それとも、何か探っているのか。物事を何でもかんでも疑ってしまうのは、悪い癖だ。
    「私の好みが知りたいですか?」
     揶揄うような言葉に対して、土井は一瞬、返しに詰まった。
    「……ええ。知りたいです」
     妙に真面目な口調で、真面目な顔だった。
     雑渡はストローの刺さった、背の高い湯呑みを置く。のんびりした茶飲み話の空気が、変わったような気がしたからだ。
     雑渡は何を答えてもいい。本当の事を言っても言わなくてもいい。土井も大人だ。茶化して終わらせようとすれば、普通に乗るだろう。
     返す言葉は重要ではない。
     いま雑渡に向けられている、妙に熱の籠った視線。これを無視するかどうかの問題だ。
    「それを知って、どうされます?」
    「どう……と聞かれると、困りますね」
    「興味本位ですか」
    「いえ……。本当に知りたいと、思っています」
     少々不器用な返しだが、それが逆に、土井の本心からの言葉であるように感じさせる。
    「知りたいのは、私の好みですか?」
     やや間を置いて、土井は小さく首を振る。
    「いえ、少し違いますね。……私は雑渡さんの好みの範疇に入るか、と。知りたいのは、そこですから」
     おや、そういう事だったか。
     想定外の好意を察知して、雑渡は内心で少し驚いた。土井と二人きりで話す事はほとんどないし、警戒されているのも知っている。だから、この方向は予想外だ。
     悪い気はしなかった。今の今まで、自分に想いを気取らせなかったのも、たいしたのもだと思う。
     が、ではよろしく、と言うほどの好意はない。今の所は。
    「さて……考えた事もなかったので、わかりませんな」
     雑渡の返した言葉は肯定ではないが、といって否定でもない。考えた事がないというのは過去の話であって、先のことはわからないという事でもある。拒絶という程の言葉ではない。
     雑渡としては、ここから話が始まるのだろうという感覚だった。
     なのに。
    「そうですか」
     随分と、あっさりした答えだ。同時に、土井の纏っていた熱っぽい空気も霧散した。
     その落差に、雑渡は戸惑った。と、その時。
    「あ」
     土井が声を出すと共に、外に目を向ける。つられて外を見れば、見知った生徒たちが遠くに見えた。
    「保健委員が戻ってきましたね」
     土井は立ち上がり、彼らに「おーい」と声を掛けた。
     保健委員たちは素直に土井の元へ来て、雑渡を見つける。そうなればもう、いつも通りに雑渡は彼らとの話を始めるしかない。
     保健室に来るよう促されて、それに従った。
     土井は、いつの間にかいなくなっていた。
     その日はそれで終わり。その日以降も、何事もなかった。少し近付いたような気がした土井との距離は、元に戻った。土井は雑渡を見ても特別に話しかけては来ないし、目線が合っても、「どうも」と事務的に頭を下げるのみ。
     いや、あの空気は何だったんだ。


     という話を雑渡が聞かせているのは、部下である山本陣内だった。
    「あれで諦めるか? 普通は、あそこから始めるものでは?」
    「はあ、そうですね」
     山本の返答はおざなりだったから、雑渡は不満そうな目を向ける。
    「返事が適当すぎる」
    「適当にもなりますよ。その話、もう五回目ですからね」
     片手を広げて「五回」と強調する山本は、呆れた様子を隠しもしない。
     最初に聞かされた時こそ土井から雑渡への好意に驚いたが、今では雑渡の反応の方が驚きだ。
     雑渡は色々な方向からモテる男だ。昔から。好意の一つや二つで動揺するような可愛げは、とうに無くしている。ましてや本人の言う通りの「どうでも良い」相手ならば、柔らかく無視するか、使えそうなら使うかの二択。
     こんな風にぐだぐたと益体もない愚痴など、それこそ彼がまだ何者でもない若造だった頃以来だ。あの頃は普通に手を焼かされたな、と回想する山本は、もう雑渡の話を聞いてはいない。
     話をちゃんと聞いて、考えて言葉を尽くして納得させた所で、雑渡の愚痴はまたぶり返す。何しろ、もう五回目なのだ。
    「陣内。聞いてる?」
    「はいはい。そんなに気になるのなら、組頭から土井殿に声を掛けられたら良いでしょう」
    「声を掛ける理由はない」
     これだ。
    「では、私が土井殿に確認してきましょうか?」
    「それはやめてくれ」
     即座に止められる。
     子どもの喧嘩に親が出て行くようなものだ。いや、色恋沙汰に首を突っ込まれるのだから、喧嘩よりも恥ずかしいだろう。
    「土井殿の単なる気まぐれか、あるいは気の迷いだったんでしょうよ」
    「私を相手に?」
     自分で言うかと思うが、確かにそうだ。少しでも理性があれば、雑渡を選んでそんな真似はしないだろう。
     山本は、土井から雑渡への特別な感情を察知した事はない。雑渡の話の真偽を疑いたいくらいだ。
     もちろん、土井の言動の真意など、分かるはずもない。ここで何を話そうが、不毛な話し合いにしかならないのだ。
     よって、山本は話を変えた。
    「ところで、そろそろ出掛けられる時間では?」
     実際にはもう少し時間はあるが、山本はさっさと不毛な話を打ち切りたかった。
    「ああ。ちょっと忍術学園に行ってくる」
    「土井殿ですか?」
    「学園長先生だ。……今回は殿の命で行くと、知っているはずだろう」
    「土井殿にお会いしたら、よろしくお伝えください」
    「会いに行くなら、保健委員の良い子たちの所だよ」
     けれど土井がいたら、顔くらいは見に行くのだろう。などと余計な事は言わない。
     釈然としない顔をしたまま出掛けて行った雑渡を見送ったその足で、山本は押都の元へ向かった。



     山本が訪ねた時、自室の押都は一人だった。好都合だ。
    「邪魔するぞ」
     少々乱暴に戸を開けると、押都は山本の顔を見るなり、笑った。
    「どうした。また組頭から、あれを聞かされたか?」
     あれ、で通じる程度には、もう馴染みの話題になってしまっている。
     雑渡も、誰彼構わず話をしている訳ではない。相手は選んでいる。この件について話という名の愚痴を聞かされているのは、山本の他、あとは押都だけなのは確認済みだ。
    「まったく、いつまであれを聞かされるんだ」
    「何度目だ?」
    「五。おまえは?」
    「その倍」
    「はぁ!?」
     素直に驚いた。回数以上に、それだけあんな話を聞かされて、嫌がるどころかむしろ面白そうにしている押都の態度に。
    「困った事になったな……」
     山本の言葉に、同意はなかった。
    「なに、我々が聞けば良いだけの話よ」
    「それが困った事だと言っているんだ」
     山本はため息をつくが、押都は平静そのものだ。
    「そのうち飽きるだろう」
    「飽きる様子が見えん。あれが土井殿の手管なら見事なものだが。で、実際はどうなんだ?」
    「どう、とは?」
    「とぼけるな。どうせ土井殿を調べているだろう」
    「さて」
     面に覆われても、その奥で押都が笑っているのは分かった。
    「おい」
    「知ってどうする」
    「どうする、という訳ではないが……」
     山本は困った顔で、先程の雑渡を思い出す。雑渡は、土井への好意はないと言い切る。が、口説いて来ない事に苛立つ程度には、関心がある。
     好意が本当にない、と仮定して。あれが単なる肩透かしをくらった苛立ちだとしたら。実際に土井がアプローチをかけてきたら、意外とそれだけで満足して、あっさり関心が消えるかもしれない。
    「……というのは、楽観的か?」
     自分の考えを話した山本に、押都の答えは簡単だった。
    「楽観がすぎるな」
     押都の笑いを含んだ声に、だよなぁ、と山本は肩を落とす。もう雑渡の中に土井への関心は生まれているし、好意が育ちかけている。
     それは、山本だけが思っている事ではないようだ。
    「組頭が自覚されれば早いのだがな」
    「自覚させない方が平和だろう」
     はぁ、とため息を吐いた山本は、ぼそりと言った。
    「……あれが続くと、うっかりお節介を焼きそうで困る」
     道理に合わない感情に振り回されるのは、忍者にとって良い事ではない。雑渡の立場なら、尚更だ。
     だが、ならばそれを潰してしまえと思えるほど、山本は割り切れていない。
    「成り行きに任せればいい」
    「それで困った事になったらどうする。相手は忍術学園だぞ」
    「その時は、それこそ我々が出張ればいい。そもそもの原因は土井殿だからな」
     やりようはある、と押都に言われると、山本もそんな気になってくる。
     そもそも、本当に雑渡のためにならない事なら、とっくに押都が動いている。山本よりも、よほど全体が見えている男だ。
     心配して狼狽えているのは自分だけかと思うと、少々腹が立ってきた。
    「ではそれまで、私の愚痴はおまえが聞け」
     山本が睨むように見ても、押都は動じない。
    「わかったわかった」
     と返すだけだ。
     この男、さては楽しんでいるな。
     苛立ちながらも、気持ちがわからないではない。組頭の、昔馴染みの弟分の恋話だ。
     山本は、楽しむよりも心配が先に立つだけだ。
    「諦めたか?」
     からかうような押都の言葉に、山本は険しい顔を向ける。
    「言った言葉の責任は、持ってもらうからな」
    「あまり心配するな。遠からず、何とかなるだろうよ」
    「そう願う」
     その結論が楽しみなような不安なような、複雑な気持ちのまま山本はため息をついた。



     土井半助という男は、単純なようで掴みどころがない。あの年齢で忍術学園の教師を何年もやっているというのだから、平穏で真っ当な人生を送っていたとは思えない。推測するのは容易だが、確かめるのは難しい。
     今まで、雑渡の興味は土井という個人というより、彼の持つ能力に向いていた。土井の過去には、そこまで深入りしようとは思っていなかった。
     あの日、お茶でもと誘われて、初めて一歩を踏み出したのだ。
     そうしたら急に距離が縮まって、興味を持ってみたら、その瞬間に梯子を外された。
     面白いはずがない。
     十も若い男の気まぐれに振り回されたというのは、さすがに年長者の矜持が傷付く。
     雑渡は忍術学園に来ても、土井に会いには行かなかった。ただ、忍術学園にいれば自然と会ってしまう。
     生徒たちのいる場では、土井はあくまで教師の顔をするし、雑渡も部外者の曲者として振る舞う。
     以前と何の変化もない。
     そのまま埋没させてしまえば良いのだろう。しかし、やはり釈然としないものが残り、その不満が雑渡の足を動かした。
     教員長屋は、保健室よりは行く難易度が高い場所だ。普通ならば。
     廊下から普通に行くか、忍び込むか。少し考えて、雑渡は普通に廊下を歩いて行った。
     学園長への用事は済んでいる。その際に、土井がいるのも聞いている。
     気配も足音もなく、雑渡は忍術学園の廊下を歩いていく。
     教員長屋まで来てすぐに、土井の背中を見つけた。
     土井は廊下の向こうで、誰かと会話をしている。相手は生徒だ。チラリと見えた姿からして、一年生。
     少し近付くと、それが一年ろ組の伏木蔵だとわかった。
     何を話しているかと思えば、土井が頼んだ胃薬ができたと伝えに来たらしい。胃を軽く押さえながら、土井が「ありがとう」と言うのが聞こえる。
     話が終わったのか、伏木蔵は土井に向かってきちんと頭を下げる。そして顔を上げて、土井の背後にいる雑渡に気付き、ちょっと首を傾げた。
    「ん、どうした?」
     土井が尋ねる。
     しー、と口の前に指を立てる雑渡は、どう見ても、紛れもなく曲者だ。だが、伏木蔵は何も言わなかった。
    「何でもありません〜。では失礼しますぅ」
     ぺこりと頭を下げ、廊下を歩いて行く。
     土井はそれを見送ると、伏木蔵の視線が向いていた方向へ振り返る。が、誰もいない。
     振り返った姿勢で首を傾げる土井の背後から、
    「土井殿」
     突然、低い声が現れる。
    「うわっ!」
     声を上げた土井は、雑渡を認めて、
    「ちょ、雑渡さん! いきなり何ですか!」
     抗議するように言った。
     慌てる様子に、少し溜飲が下がる。
    「土井殿に、お話がありまして」
    「は? 私にですか?」
    「はい。先日の件で」
     ぐ、と土井は言葉に詰まる。忘れてはいないようだ。思い出させる手間が省けて助かる。
     と思いきや、土井は目線を逸らした。
    「先日の件……とおっしゃいますと……」
     往生際が悪い。
     と言いたげな雑渡の視線に、土井は諦めたようだ。
    「……わかりました。中へどうぞ」
    「私はここでも構いませんが」
    「私が構います!」
     もう少し困らせてやりたい所だったが、騒いで別の人物に介入されるのは避けたい。素直に従い、中に入る。
     お茶を、と言う土井の動きを、
    「先程、学園長先生に頂きましたので、お気遣いなく」
     と止める。
     土井は意を決した様子で、雑渡と向かい合って座る。
    「……先日は申し訳ありませんでした」
     まず、頭を下げた。申し訳ないという意識はあるのか、と思いながら下げられた頭を見る。
    「謝罪よりも、理由が聞きたいのですが」
     土井は顔を上げた。
    「どの理由ですか?」
     そう返されると、色々聞きたい事が出てくる。
     どうして。いつから。
     しかし雑渡が一番に聞きたい事は、もう決まっていた。
    「私に伸ばしかけた手を、引っ込めたのは何故ですか?」
     あの時、土井は雑渡に手を伸ばそうとした。理由もきっかけも、雑渡にはわからないが、そこは問題ではない。
     雑渡の拒絶は、強いものではなかった。こうした話を始めるのなら、最初は勿体ぶった方が良い。その程度のものだ。
     土井も、それはわかったはずだ。
     困った顔をした土井は、悩む様子を見せた。だが雑渡の顔を見て、引く様子はないと察して、諦めたように口を開く。
    「……あのままだと、駆け引きが始まってしまうでしょう」
     意外な答えだ。
    「土井殿も、そのつもりだったのでは?」
    「…………」
    「それとも、駆け引きには慣れておられない?」
     そんな訳はないだろう、と思いながら尋ねる。土井はゆるく首を振った。
    「いえ。慣れていますよ。いくらでも経験はあります。忍者としてね」
    「ご自分の事としては?」
     土井は苦く笑い、また首を振った。
    「……呆れて頂いて構いませんよ」
     さすがにそれは意外だった。彼の容貌で、その手の話と無縁でいられるとは思えない。
    「避けてしまうのですよ」
     雑渡の驚きを察したのだろう。土井が話し始める。
    「私にとっては、色事とはまず仕事でしてね。誰を相手にしても、つい観察してしまう。私に興味があるかないか、どう振る舞えば、こちらに興味が向くか」
     それは、別におかしな事ではない。
     思ったが口にはせず、土井の話を黙って聞く。
    「考えているうちに、浮いた気持ちが消えてしまうのです。成功すれば、嬉しいですよ。でもそれは、任務を達成したのと同じ気持ちです。最初の……相手に惹かれた気持ちなど、その頃には、もう飛んで行ってしまう。相手は心惹かれる相手ではなく、攻略する対象になっている」
     淡々とした声だった。それでも、僅かに寄せられた眉が、彼が過去を苦く思っていると伝えてくる。
     土井は雑渡の反応を気にしていない。あるいは、見ないようにしている。雑渡の言葉を待たずに、話し続ける。
    「あなたのような手強い忍者が相手だと、もっといけない。駆け引きをしているうちに、私はきっと最初の心を忘れて、忍者に戻ってしまいます」
    「経験がおありのようだ」
     土井は薄く微笑んだだけで、答えなかった。
     彼だけではない。雑渡を始めとして、忍者というのは、まずその習性を身体に叩き込む。身についた習慣が消えないし、生活に出てきてしまう事もある。それ自体は、おかしな事ではない。
     ただ、極端ではある。
     切り替えができていない。土井自身の思考が、忍者としての思考に負けている。彼の根っこは、「土井半助」ではなく「忍者」なのだ。
     過去、彼が忍者でいなくても良かった時間は、極端に少なかったのではないか。
     その過去が気にならない訳ではないが、やはり雑渡の関心は現在に向いていた。
    「理由は納得しました」
    「はい。申し訳ありませんでした」
    「それで?」
    「はい?」
     土井は、謝罪で話を終わらせるつもりだ。
     もう彼の中で、あれは失敗談の一つとして片が着いているのだろう。
     あいにく、雑渡はそうではない。このまま終わらせられては、雑渡の気が済まない。
     土井の理屈で言えば、雑渡はまだ「心惹かれる相手」であるはずだ。ならば、簡単に諦められては困る。
    「駆け引きが嫌ならば、真っ直ぐ行けば良いでしょう」
    「え、え……? 真っ直ぐ、とは……?」
    「そのままの意味です。手本は身近にいるのだから」
    「手本?」
    「あなたの生徒たちです」
     土井は「ああ」と納得した顔をした。浮かんだ淡い笑みは、生徒たちへのものだろう。
    「彼らは素直でしょう。駆け引きが嫌なら、素直に振る舞えばいい」
    「いや、しかし……」
    「習うより慣れです。では、どうぞ」
    「へっ!? え、えぇと……」
     じっと土井の目を見て、雑渡は待ちの姿勢を取る。冗談では誤魔化されない空気を察して、土井も姿勢を正した。
     間があった。
     遠くから声も、物音も聞こえてくる。ただ、今この場は、静かだった。
     大きく息を吐いたのは、土井だった。雑渡の目を見て、口を開いて、はっきりと言った。
    「あなたの事を、お慕いしています」
     しばしの沈黙。
     それから土井は急に赤くなり、腕を伸ばして雑渡に手のひらを向けた。
    「ちょっと待って下さい! 今のは無しで! なかった事にして下さい!」
     真っ赤な顔で、悲鳴のような声を上げる。
    「どうして」
    「恥ずかしいからですよ! 生徒だって、もう少し気の利いた事を言うってのに!」
     喚くような土井の言葉に、雑渡はとうとう笑い出した。
    「雑渡さん!」
    「いや、申し訳ない……そこまで素直に来られるとは思わず……」
     謝罪の言葉からも、笑いは消えていない。土井の顔は相変わらず真っ赤だが、それが羞恥からなのか怒りからなのかは分からない。
     土井はともかく、雑渡の気持ちは、間違いなく高揚していた。
    「だから、慣れてないんですってば!」
    「駆け引きならば、もっと上手くできるのでは?」
    「できますよ。でも私は、それが嫌なんです」
     言い捨てると、不貞腐れて、そっぽを向く。子どものような姿だった。
     ふと、土井のさっきの言葉が蘇る。
     生徒だって、もっと気の利いた事を言う。
     つまりは、生徒にも言い寄られた事があるのだろう。雑渡の知っている範囲に、思い当たる生徒はいない。卒業生だろうか。
     考えると、浮いた気持ちが落ちていく。ゆっくりと。
    「……雑渡さんは、駆け引きがお好きなんでしょう」
     沈黙してしまった雑渡を、どう捉えたのか。土井の声は、もう落ち着きを取り戻していた。
    「嫌いではありません」
    「では、私とは合いませんね」
     随分と性急に結論を出してくれる。
    「おや。では、これで終わりですか?」
    「そりゃそうですよ。あんなに笑っておいて、何を言っているんですか」
    「ああ……」
     笑ったのは、土井からの告白ではなく、その後の反応だ。真っ直ぐな言葉それ自体は、ちゃんと雑渡に届いた。土井は、それをわかっていない。
     駆け引きは嫌だと言うが、直球勝負も苦手なようだ。
    「土井殿。笑ったのは申し訳ないが、あれを返答と取られては困ります」
    「では、返答をお願いします」
     土井は真っ直ぐ雑渡を見た。じいっと、雑渡の目を見る。まだ顔を赤いが、そこから甘い色は消えていた。
    「先ほども言った通り、駆け引きをするつもりはありませんので、一言でお願いします」
     覚悟を決めたような声。土井は今ここで、雑渡に振られるつもりでいる。
     駆け引きどころの話ではない。土井はもう、雑渡を口説く気がない。雑渡の話を、気持ちを聞くつもりがない。
     勝手なものだ。
     土井の予想通りに話を進めるのは、癪だと思った。
    「では、一言で」
    「はい」
     土井が膝の上で手を握り締める。緊張を感じさせる仕草に、雑渡の口の端が上がった。
    「もう少しがんばりましょう」
    「へ?」
     きょとんとした大きな目に、雑渡が小さく笑う。
    「以上です」
    「いや、以上って……それが返事なんですか?」
    「はい」
     雑渡が目を細める。土井は「んん?」と唸りながら、首を捻る。
    「いや、ちょっと待って下さい」
     土井は不審そうな顔で、また雑渡を見た。
    「何ですか」
    「雑渡さんの言い方だと、次も頑張れと言われた様に聞こえるんですが」
    「さて」
    「雑渡さん?」
    「それも含めて、土井殿次第です。お好きにどうぞ」
    「随分と……ずるい言い方をしますね」
     雑渡は土井の告白を受け入れた訳ではない。といって、拒否した訳でもない。すべてを土井の判断に投げたも同然だ。
    「練習だと思えば良いでしょう」
    「練習、ですか?」
     土井が首を傾げる。
    「ええ。私を相手に、駆け引きでない……土井殿が心を消さずに済む方法を、探れば良い」
    「それは、雑渡さんにご迷惑なのでは?」
    「まさか」
     雑渡の笑いに、土井は眉を寄せる。
    「雑渡さん、さては面白がっていますね?」
     非難するような言葉に、
    「まさか」
     と心にもない言葉を返す。土井は睨むように雑渡を見ていたが、やがて、ため息を吐いた。
    「雑渡さんは、趣味が悪い」
    「がっかりしましたか?」
     土井は首を振った。不本意そうな表情で。
    「いいえ。ただ、厄介なお人に惚れてしまったな、とは思っています」
    「素直で結構」
     雑渡は笑った。
     ここのところ感じていた胸の重さは、もうすっかりなくなっていた。
    「では、また来ます」
    「え」
    「次も楽しみにしておりますよ」
    「楽しみって……」
     呆れながら何か言いたそうにしていた土井は、雑渡の顔を見て、何故だか口を閉じる。それから、何かを諦めたような顔をした。仕方ないな、と言うような表情をして、もう一度口を開く。
    「私も……また会えるのを、楽しみにしています」
     素直な言葉に、雑渡は立ち去り難くなった。
     もう少し話していたい。
     ただ、それが叶わないのは分かっていた。こちらへ近付いてくる気配があったからだ。
    「では」
     短く言って、雑渡は名残惜しさを振り切った。



     タソガレドキに戻ってきた雑渡は、いつも通りだった。行きに纏っていた苛立ちは、すっかり消えている。
    「おや、解決しましたか」
     すれ違った押都が尋ねれば、「さてな」と濁すものの、布に覆い隠された口元が緩んでいるのは容易に察せられる。
     同じような雑渡を目撃した山本は、すぐに押都の元へ向かった。
    「あれは、解決したのか?」
     解決したらしたで気苦労が増える。恐る恐るの問いを発する山本とは対照的に、押都は愉快そうだった。
    「さて。土井殿に確かめてみねばな」
    「土井殿? 組頭ではなく?」
    「組頭の方は、一目瞭然だからな」
    「ああ……確かに」
     何があったかは、分からない。
     しかし、ああも浮かれた姿を見せられれば、察してしまう。
     土井に会いに行って、何があったにせよ、雑渡の機嫌は直った。それは、土井の言動によって気分が左右されているという事だ。
     あれで惚れてないなどと、よく言えたものだ。
    「応援するか?」
     面白そうに尋ねてくる押都に、山本は眉を寄せる。
    「するはずがない。まあ邪魔するつもりもないが……おい、何を笑ってる」
     押都は大笑いするのを堪えるかのように、俯いて肩を震わせている。無言のまま山本をしばらく待たせて、ようやく押都は顔を上げた。
    「予言しておいてやろう」
     楽しげな声に、山本は怪訝な顔をした。
    「何をだ」
    「この件、おまえが一番お節介を焼く」
    「はぁ? そんな訳がないだろう!」
     反射的に言い返した。つい手を貸してしまう事はあるかもしれないが、「一番」ではないはずだ。雑渡に甘い人間は、自分以外にもたくさんいるのだから。
    「ある」
    「どうして断言できる」
    「それは——」
     押都が言いかけた時、
    「楽しそうだな」
     不意に声が飛んできた。雑渡だとすぐに気付いて、二人が振り返る。
    「おまえたちがはしゃいでいるとは珍しい」
     楽しげに目を細める雑渡に、
    「いえ、はしゃいではおりません。悩んでいます」
     山本がきっぱりと言う。雑渡が視線を山本から押都に移すと、
    「だそうです」
     他人事のように答える。
    「長烈は悩んでいないのか」
    「私は特に」
     押都は平静だ。いや、むしろ雑渡に近い。楽しんでいる。
     この野郎という気持ちが浮かび、山本はストレートな言葉を雑渡に投げた。
    「組頭。今日、土井殿と何かあったのでしょう」
     にやりとした雑渡に、山本は早速聞いた事を後悔した。
    「私の話に、うんざりしていたのではないのか?」
    「しております」
     山本はあえて難しい顔をして言い、押都は、
    「私は興味深く聞いておりますよ」
     と気楽な調子で返す。
     雑渡がこの手の話を気兼ねなくできる相手は、そういない。だから、雑渡は素直に話し出した。
     土井が「私事の駆け引きが苦手」という事実だけを伝え、そこを逆に突いて、素直にあれこれ言わせるのが面白そうだと話した。土井が駆け引きを嫌がる理由までは言わなかった。
     それだけの情報でも、山本は土井を心底気の毒に思った。駆け引きが苦手なのに、よりにもよって雑渡に惚れた上、面白がられている事について。
    「組頭。今すぐ土井殿を振ってきて下さい」
    「ずいぶん酷い事を言う」
    「このまま組頭に遊ばれるのでは、気の毒すぎます。もっと良い相手がいると、伝えて来て下さい」
    「酷い事を言われているのは私だったか」
    「事実です」
     真顔で言い切られて、雑渡は「えぇ?」と不満そうだ。
    「それとも、組頭は土井殿に応える気があるのですか?」
    「さあ。土井殿次第かな」
     素っ気ない言葉だが、浮かれた空気を纏ったままでは、そのまま受け取れるはずもない。
     あまり浮かれるなと言いかけたが、その言い方では否定されて終わりだ。だから山本は、
    「随分と余裕そうですが、土井殿を狙う人が、組頭以外にいたらどうするおつもりです」
    「私は狙ってはいないけど」
     危機感を煽る方向でいったが、雑渡の答えはやはり他人事。
    「土井殿の周りに浮いた話はありませんな」
     黙っていた押都が、横から口を挟んだ。
    「とはいえ、今の所はの話ですが。土井殿が色恋に積極的な態度を見せれば、反応する者もいるでしょう」
    「なるほど。土井殿ならば、相手もすぐ見つかるだろうな」
     ではそう心配せずとも良いか。自覚のない奴は放っておこう。
     と思った山本に向かって、押都がそっと雑渡の方を指す。
     雑渡の浮かれた空気が、きれいさっぱりと消えていた。よくそれで、と何度目かわからない事を思う。
     しかし、自覚がないゆえに、分かりやすい反応なのかもしれない。自覚しているなら、逆に隠すはずだ。もっと上手に。
     自覚を促せばいいのか、目を逸らす手伝いをすればいいのか。
    「組頭……土井殿に嫌われないよう、お気をつけて」
     悩んだ結果、口から出たのは単なる忠告だった。雑渡は深く考える様子もなく、頷く。
    「もちろんだ。土井殿に嫌われたら、忍術学園に顔を出しにくくなるからな」
    「そうではなく……! いやもうそれで良いので、言動には注意して下さい!」
     予想外に強い言葉が返ってきたので、雑渡は少し驚いたようだ。
    「どうした陣内」
    「いえ。ただ、組頭を慰めるのは本当に手間がかかりそうなので、避けたいだけです」
     今でさえこれだ。本当に土井に逃げられたら、どれだけ鬱陶しくなるか。
    「どうして私を慰める話に?」
    「ご自分の胸に聞いて下さい」
     山本が言っても、やはり雑渡はよくわかっていない顔をしていた。



     結局は、こうなる。
     言い合う二人を見ながら、押都はこっそり笑っていた。
     この手の話で一番世話を焼くのは、いつだって山本になる。わかりきった事だ。
     雑渡がまず頼るのは、山本だからだ。
     押都の役目は、他にある。
    「まずは、土井殿か」
     口の中で呟く。土井を狙う者がいるかの確認。それから、土井が雑渡に呆れていないかの確認。
     状況を調べて情報を持ち帰り、雑渡に報告する。そこまでが、押都の仕事だ。普段ならば。
     押都はそれなりに土井との交流がある。
     話もできる。
     土井の目線から見れば、ただ雑渡に振り回されているだけだろう。少しくらいは、フォローしておこうか。
     頭の中で浮かぶ案は、雑渡に味方するものばかり。それも仕方ない。タソガレドキは雑渡の味方だ。
     例えそれが、成就したら面倒極まりない恋だったとしても。
    「長烈。陣内と会話が噛み合わない」
    「私には無理だ! おまえからも何か言ってやれ!」
     雑渡と山本が、同時に押都を振り返る。
     これも、押都の役割の一つだ。この二人が言い合っている所を、万が一にでも見られたら。若手たちが心配するのだ。たとえ理由がどれだけくだらない事であっても。
    「今回は、くだらない理由ではないがな」
     押都はどちらにも答えずに、独り言を呟いた。
     さて、さっさと収めるか。
     まずはどちらに話しかけるかなと考えながら、押都は足を踏み出した。噛み合わない二人を、さっさと引き剥がすために。
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