かつて春色の瞳だった球体は 名前を、呼んでほしかった。
「……ニキ」
死人に口無し、ニキがもう口を開かないことは燐音がいちばんよくわかっていた、だってニキは燐音の目の前で息を引き取ったのだから。
冷たいベッドに横たえられたニキの身体はまっすぐ、不気味なくらいまっすぐだった。燐音が今捲り上げた白い布は、首から下のことは相変わらず静かに覆っていた。ニキの肌は青白く、唇にまるで色は無かった。
「ニキ」
ニキは当たり前だが返事をしなかった。燐音はそれをわかっているのに何度も呼んでしまう。そのたび部屋に無慈悲に声が響くだけで、燐音のことをより一層惨めにさせた。
燐音はニキの頬に触れて撫でた。ともすればその拍子にぼろぼろ崩れ落ちてしまいそうな錯覚に陥った。冷たい皮膚、冷たい皮膚。燐音の手はそのままこめかみにのぼり、瞼に到達した、薄いそこを、く、と押し上げた。
あぁ、かつては美しかった、春色をした瞳!
しかし今は濁り果てた、光の無い瞳!
燐音は手を離した、ニキの瞼は上手く元に戻らなかったが、燐音はそれを無視して、白い布を顔にかけてやった。燐音は指の腹にこびりついた気がするニキの気配を眺めて、嗅いで、そして服で拭った。なにもかも馬鹿馬鹿しいと思った。
馬鹿馬鹿しいから、壊してやろうと思ったのだ。こんな世界、こんな世界、こんな世界。
ニキがいない世界なんて。