拭えもしない「やぁ、悟」
傑が幽霊になって悟の前に帰ってきた。幽霊といって良いのか、帰ってきたというのが正しい表現なのか、悟は傑にとって帰るべき場所なのか、よくわからなかったが、とにかく幽霊の傑が目の前に現れたのは確かだった。
悟は素直に蒼の瞳で以て傑を見つめてみた。透き通る身体の向こうに景色が見えること以外、なんら傑と言って差し支えないようだった。ただ、生きていたときより数センチ上にいる気がするな、と思って、なるほど浮いているのかとひとり得心した。
これも呪いなのかな、と悟は尋ねてみる。
「どうしてそんな姿になったの」
傑は困ったように笑った。いつもやってみせる笑い方で、内心安堵した。
「愚者は身軽であるべきだからね、まんまと実体を失くしてしまったのさ」
「傑は愚者なんかじゃない」
「どうかな?」
傑は挑戦的に目を細める。悟は、傑が教祖としての格好をしていることに少しだけ苛立ってきた。どうせなら、昔の姿で出てきてくれたら良かったのに、なんて、傑本人にもどうしようもないのかもしれないことを考えた。
「どうして私が悟の目の前に出てきたのか、気になる?」
傑はふよりと悟の周りを一周しながら、茶目っけたっぷりに言う。そんな仕草できたっけ、実体が無いって楽なのかな、とか思いながら悟は「気になる」と答える。
「未練があるから」
「未練?」
「悟に伝え損ねたなぁ、ってこと」
傑は悟の肩に手を乗せるように隣でふわふわ浮いている。墨汁をぶちまけたような黒が悟を見つめていた。そこだけは何故か透明を介していない気がしたが、たぶん気のせいだった。
傑は、あのね、と柔らかく前置く。
「今思えば、私は君のことが結構、すきだったんだよ」
「ハァ?」
悟の素っ頓狂な声、くっくと傑は笑いながら、目の前にふらりと姿を見せる。
「あのね悟、一世一代の告白にその反応は無いんじゃないか?」
「……告白」
悟は傑を見上げながら、とく、とく、鼓動が跳ねるのを感じていた。あくまで少年の純然たる問いが口をついた。
「俺のこと、すきなの?」
「おや、満更でもなさそうだね」
「そっかぁ……」
悟はそして少しだけ俯く。すん、と鼻を啜る。そのまま腕を広げて、
「傑」
と、名前を呼んだ。
「なんだい」
「抱き締めたい」
「無理な相談だな。私には実体が無いから」
「抱き締めたい」
「悟」
「なんで……」
嗜めるような声に一等泣きそうになった。否、少し泣いていた。顔を逸らしているはずなのにそれを察したらしい傑が、
「泣かないで、悟」
と繰り返して、懸命に頭を撫でるようにしてくれた。悟はそれをわかりながら、なんでだよ、ともう一度呟いた。どうしても、触れたかったのに、どうしても、叶わなかった。それだけ事実として残った。
「悟は涙まで美しいんだね」
傑の微笑むような声に、悟は一層、泣いた。