再会 その一報を受け、ジェターク社CEO代理ラウダ・ニールは全ての業務を放り出し、大急ぎで指定された場所に駆けつけた。そこはジェターク邸のいわば秘密の場所。一部の信頼できる使用人と家族しか知らない場所だ。その部屋の応接室のソファに、ずっと探し求めていた兄が座っていた。
「兄さん……っ!」
ラウダはいろいろな感情がぐちゃぐちゃに混ぜ合わさって、それ以上の声が出ず、部屋の入口に立ち尽くした。
ようやく会えた兄が、大きな怪我もなく五体満足であることにラウダはまず安堵した。兄――グエルは座っていたソファから立ち上がり、真っ直ぐこちらを見て口を開いた。
「ラウダ。すまない。いろいろと心配をかけたな」
久しぶりに聞いた兄の声は、学園にいた頃と比べると信じられないくらいに張りがない。ラウダは慌てて兄の目の前に駆け寄る。
「兄さん、一体今までどこに……? いや、それよりも、ニュースで聞いているかもしれないけど」
いろいろ聞きたいことは山ほどあるが、まずはこの話をしなければならない。
「プラント・クエタで父さんが…亡くなって……でもあれは事故なんかじゃなくて実は」
報道の内容は隠ぺいされているため、ラウダは本当のこと――プラント・クエタでテロが起こって父が戦死したことを兄に告げようとした。その時、兄が右手でラウダを制した。『それ以上言わなくていい』という時の兄の仕草だ。
「兄さん?」
「知ってる。俺もそこにいたから」
「……どういうこと? そこにいた……って」
グエルは自分のその時の状況を簡単に説明した。働いていた輸送会社がプラント・クエタに向かっている途中でテロリストに拘束されたこと。戦闘のどさくさに紛れてテロリストの所持していたデスルターを奪って宇宙に出たこと。そしてテロリストを迎撃しに来たディランザ・ソルと戦闘になったこと。
そこまでの経緯を聞いて、聡いラウダは気づいてしまった。ディランザ・ソル。その機体は確か、父が最期に乗っていた機体、だ。
ラウダはそこまで考え、頭が真っ白になった。震える声で兄に問いかける。
「まさか」
グエルはラウダから顔を背け、目を伏せた。
「……俺が、父さんを、この手で……」
「兄さん、もういい」
それ以上言わせまいと、ラウダはグエルを声で制した。
制されてもグエルは敢えて言葉を続けた。これだけは自分の口で最後に残った家族である弟に伝えなければならないから。グエルは背けていた顔をラウダに向け、言葉を続けた。
「この手で、俺が殺した」
「兄さん……」
こんな兄の悲痛な声は生まれて初めて聞いた。兄は本当に心の底から父のことを尊敬し、どんなに非道な仕打ちをされても黙って耐えていた人だった。
ラウダが俯き立ち尽くしていると、グエルは少し声のトーンを落とし、弟に懺悔するように話し続ける。
「お前の……俺たちの父親を殺したのは俺だ。許せないことは分かるし、許されるとも思っていない」
「……」
こんな話を聞かされたラウダがショックで反応できないだろうとは予測していたグエルはラウダから少し離れる。
「俺はもうここに戻るつもりもない。ジェタークのことをお前1人に押し付ける形になってしまって本当に」
ラウダはようやく頭が回ってきた。そうか、兄の今日の訪問の目的は、父の死の真相を自分に告げ、責任をとって二度とジェタークには戻らないというところか。まっすぐな兄の性格からしてその気持ちは分かる。だが、そうはさせない。『今の』ジェターク社には『正当な後継者』が必要なのだ。ラウダは離れていった兄に一歩近づく。
「兄さん。ジェターク社に今、社員が何人いるか覚えてる?」
弟からの突然に質問に、グエルは困惑した。何故そんなことを聞いてくるのか意図が分からない。グエルは困惑を隠そうとせず、だが脳裏にあるジェターク社の情報を検索した。
「だいたい――」
自分がいた頃の数字を答えると、ラウダは頷く。
「そう。社員とその家族も含めるともっと多くの人間がジェターク社には関わっている」
「そんなことは言われなくても。でもそれが一体」
今の話の流れと何が関りがあるのか、とグエルがラウダに問いかける前に、ラウダは話を続けた。
「件のテロ事件でジェターク社の前CEOとMSがテロリストに利用されて、ジェタークの信用はガタ落ちなんだ」
「……」
「これ以上はないくらい危険な状態なんだよ。ジェタークが倒れるとどうなるか分からない兄さんじゃないよね?」
「それは…」
ラウダに言われるまでもない。CEOとは会社を守り、ひいては社員とその家族を守るために存在するもの。グエルはそう父から散々言われて育ってきたのだ。そのことを思い出していたグエルに、ラウダは離れていた距離を一気に詰める。
「ジェタークの名を名乗ることを許されなかった僕じゃダメなんだ」
「ラウダ…そんなことはない。お前だって父さんが認めた『家族』じゃないか」
「でも父さんが後継者として認めていたのは兄さんだよ」
ラウダは手を伸ばして兄の右手に触れる。その感触の違いにラウダは驚いた。これはパイロットの手ではない、労働者の手だ。別れていた時間はそれほど長くもないのに、こんな短時間でこんなにも変わってしまうものなのか。だが、どんなに変わっても兄さんが「グエル・ジェターク」であることは変わらない。変えさせない。僕が絶対にそれは認めない。
「兄さん……僕は今から酷いことを言うね」
「酷いこと?」
グエルはラウダの言葉を反芻した。弟は自分よりも頭の回転が速いため、弟の思考パターンについていくことができないことがある。今回もそれか、とグエルは困惑を隠さなかった。ラウダは兄を見上げ、はっきりとした口調で告げた。
「兄さんは父さんを殺してしまった罪を償いたいって思ってるよね。罪を犯した自分はジェタークには相応しくない、いてはいけないって思ってる……違う?」
「……違わない」
自分が散々悩んで出した結論をあっさりとラウダに指摘され、グエルは肯定する。しかしそれの何が酷いことなのか。まだラウダの言いたいことが分からず、グエルは眉を顰める。
「だったら、兄さんが父さんの後を継いでほしい」
「ラウダ……だからそれは俺にはその資格が」
いま話しただろうとグエルが言うと、ラウダは首を横に振った。
「今、社員たちは多かれ少なかれ不安を感じている。自分たちは大丈夫なのかと。『ジェターク』という傾いた船に乗り続けていいのかと。彼らを守り、導くことは僕にはできない。兄さんじゃなければできない」
「……」
グエルは言葉を失う。反論しなければならないのに、言葉が出てこない。今まで自分が受けてきた『ジェタークの後継者としての教育』がラウダの言葉を肯定しているからだ。企業の運営とは本当に水物で、些細なことが切っ掛けで取り返しがつかないことになる。揺らいだ屋台骨を支えるには、才能だけでは駄目な時も多い、と聞く。
「多分いっぱい辛いことがあると思う。苦しいこともあると思う。多くの人の悪意に晒されて、身内からも裏切られることもあると思う。でも、僕は兄さんにその道を――僕らのジェタークを守る道を生きてほしい」
「ラウダ……」
「もちろん、いつでもどんな時でも僕が支える。もう絶対に1人になんてしない」
ラウダは触れていたグエルの手を掴みなおす。絶対に離さないという気持ちを込めて。
「僕だけじゃない、みんな、絶対に僕と同じ気持ちだと思うよ」
学園の寮で共に過ごした面々が、グエルの脳裏に浮かんだ。ここへきて初めてグエルの表情が穏やかなものになった。薄い笑みを口元に浮かべる。
「傾いたジェタークを守る道か、……それは茨道ではあるな」
「でしょう。酷いことって言ったよ、僕は」
ラウダにしてみれば、どんな手段を使ってでも兄を逃がすつもりはない。利用できるものは兄の罪悪感でもなんでも利用する。それが企業家というものだ。こういうことは自分がやればいい。兄にはジェタークを導く者になってもらいたいのだ。
ラウダは兄の答えがその口から出て来るのを、待つことにした。