黒猫のララバイ自分の睡眠が浅いという自覚はあった。どれだけハードな練習をこなしても、必ず一夜に一度は目が覚める。そのまますっとまた寝入ることもあれば、まんじりともせず部屋のなかが少しずつ明るくなってくるのを待つこともあった。思えばグレていたあのころは夜活動することが多く、昼夜逆転している生活を送っていたから、急にそれがまた逆転したわけだ、体がまだ追いつかないんだろう。
そうはいっても、熟睡できるようになるならそれに越したことはない。寝具を変えてみたり、睡眠導入に良いと聞いたCDをかけてみたりなど思い当たるものは何かしら試してみたものの、改善する兆しは見えず。まあ全く眠れていないわけでもなし、様子を見るか、と楽観的に捉えて気付けばもう数ヶ月が経っていた。
日によっては夜眠れない分、日中に眠気を催すときがある。しかし三井にはもう蔑ろにできる科目は一つたりとも残されていない。部活の時間を削るなどもっての外だ。そうなると、必然的に昼休みを使って少しでも睡眠を確保するという選択肢しか無くなる。教室の机に突っ伏していても良いのだが、何故か自分は目立つ、らしい。一度昼休みまるまるぺたりと机に張り付き眠っていたら、五時間目が始まる前にクラスメイトからいたく心配され話しかけられ、正直少し煩わしかった。
そこで三井は考えた。人目につきにくくかつ他の生徒が近寄りがたく思っているところを探すのが一番良い。その選考基準を見事満たしたのが、屋上で寝転がる後輩─流川楓の隣のポジションだった。
初日、いきなり現れた先輩に流川は不審なものを見るような表情を浮かべながら大きなひとみを瞬かせていた。彼にしては珍しい動揺が透けてみえて、「なんだ、オマエもそういう顔するんだな」と言ったら怪訝そうにしていた。それでも隣にごろりと寝転がった三井を邪険にすることもなく、また何か言うでもなく。その日から、二人には『先輩と後輩』『1on1の相手』という関係性にプラスして、『昼休みをともに寝て過ごす相手』という繋がりができたのだ。
昼休み、流川は弁当を持参し、恐ろしいスピードで平らげてからCDプレイヤーのイヤホンを耳に押し込んでごろりと横になる。最近三井もそれに倣って、弁当を持参し屋上で食べてから睡眠をとるようになった。とは言っても、いつも朝まで眠れないというわけではない。眠気が迫ってこない日もあって、そんな日はバスケ雑誌や課題の出ている教科の教科書も弁当とともに抱えてくる。それに気付いたのだろう流川が、尋ねてきた。
「……先輩、寝ないの?」
流川は三井よりも早く弁当を食べ終え、早くごろりと横になり、ものの数秒で入眠する。だから三井がその後どんな動きをしているのかは知らないはずだ。まあ自分と同じように寝ているのだろうと思っていたのだろう。他人に興味などなさそうな流川が三井の変化に気付き言葉にしたということか。
「……おお、オマエ、オレに興味あったのか」
「いや、そういうわけでも、ない……けど、もしかして音漏れてて寝れないとかあったら、申し訳ないなと思って」
そういうわけでもないって何だよ、素直だな!と笑いながらぴょんと側頭部で跳ねている流川の寝癖を撫でる。午後の日差しを吸い取ったかのように暖かい髪は、思ったよりも柔らかく三井の指を受け入れた。こちらの快不快に流川の意識が向いたということに正直驚いた。同じ時間同じ場所で過ごしているなかで、三井は流川に対して以前よりも気安さを感じていたので、もしかしたら、流川も同じように少し心を開いてくれているのかもしれない。
「いや、そんなに気になんねえよ。実はさ、眠い時とそうでもない時があって」
睡眠が浅いこと。夜目が覚めたまま寝付けない日があること。そうなると昼休みを使って解消するのが一番手っ取り早いこと。掻い摘んで話し、夜上手く寝れていれば昼は眠くない日もあることを伝えると流川は長い睫毛をぱちぱちと瞬かせる。
「……夜寝れねーの、きついすね」
「あー……まあでも薬とかは嫌なんだよな。眠い時はこうして昼に寝てるし」
「部屋が寒いとか、枕?が変わると、とか、そういうのは?」
「一通り試したけど、特に変化なかったな」
「そうすか……まあ、寝れる時に寝とくの、大事」
「オマエに言われると説得力しかないな!」
ほんっといつでもどこでも寝てるもんな、流川は。そういうと少しムッとした表情を見せる。どれだけもてはやされようが、中身は十五歳の少年なのだということを実感させられる。
あ、と何かを思い出したように呟いた流川が、おもむろに自らの隣をぽんぽんと叩いた。
「ちょっと、先輩、ここ。寝ころんで」
何かを思いついたらしい後輩の誘いが可愛らしくて、何をしてくれるのか気になって。素直にごろりと横になる。
「もうちょい、こっち」
ぐい、と隙間を埋めるように近付いてきた流川の制服から、制汗剤に混じって、いつもは部活中にしか感じることのない、流川の匂いがした。途端、心臓がどくりと音を立てる。
(いや、え、いつも気になんねえのに、なんで?)
戸惑っているのを違う意味で捉えたのか、流川の声が頭上から聞こえる。
「こないだ姉ちゃんの子どもがうちに来てて。寝かしつけ?っての、やってたから」
そう言って、背中に回された手のひらが、とん、とん、を三井の背を叩く。普段はバスケッとボールを掴む大きな手から伝わるぬくもりから、眠れないと零した三井への気遣いを感じられて、また鼓動が早くなるのを止められなかった。
「オレは子どもじゃねえんだけど?」
「知ってる。でも声でけえしよく笑うし泣くし、似てる」
「なっ……!泣いてねえよ!……今は……」
「今は、ね」
流川の低い声が、こちらを気遣うかのように普段よりも小さくて。ゆっくりとしたリズムの手のひらが、むず痒くて。校庭で誰かがサッカーでもしているのだろう笑い声が、次第に遠くなっていく。今までなかなか姿を見せなかったはずの睡魔がとろりとやってきて。くわ、と欠伸を一つ。あ、寝れそう、かも。そう思ったときには、もう夢のなかだった。
「……い、せんぱい、起きて」
体が揺さぶられている。離れていくぬくもりが恋しくて擦り寄ると、息をのむ音が聞こえたような気がした。まだまだくっついていたいとごねる瞼をどうにかこじ開ける。ぼんやりとぼやけた視界に、こちらを伺うように覗き込む流川の顔が映った。
「んあ、わりい、すっげー寝てた……」
「知ってる。起こしてすみません、でも午後の授業始まるから」
アンタサボれねーんでしょ。と続けた流川の髪には珍しく寝癖がついていない。もしかしてずっと背を叩いてくれていたのだろうか?
「オマエちゃんと寝れたんか?」
「ん、先輩が寝たの確認してから寝たっす」
「ならいいけど……」
くっついて寝ていたからか、離れてしまったせいで肌寒さを感じる。くしゅん、とくしゃみをした三井を見つめる流川の目が優しくて、なんだかいたたまれない。
誤魔化すようにんーっと伸びをして立ち上がると、前髪を弄りながら何か言いたそうにこちらを見つめる後輩の表情筋よりもよっぽど雄弁なひとみがあった。甘やかしている自覚はありながら、「どうした?」と尋ねてやる。
「また、明日もやってあげるんで。絶対来て」
「お、おお……?じゃあ、頼むわ……?」
「ん」
有無を言わさないその口調につい頷いてしまったが、あしたもああやって寝かしつけられるってことか。二つも年下の後輩にそれをまたさせるのはどうなんだ?とは思ったが、あの心地良さは何とも抗いがたく。その日から、二人の昼寝の距離はぐっと縮まったのだった。