【エルリ】雨の日ならこんな——あ。
向かいの椅子に座る男が形良い唇を開いた。その視線を追うと大きなガラス窓に差し掛かる水滴が一つ、二つ、たちまち数えきれない数になってリヴァイの視界をいっぱいに埋め尽くした。
——ああ。
更に声にならないため息が、似合わぬ大柄な体から空気が抜けたように漏れてくる。まるで散歩に出かけるのを寸前で諦めるよう止められた、実家の犬の様にしおれている。
「雨ですね」
わかりきった事実だが、事実としてリヴァイはあえて口に出してみた。なにしろ、他に話題も無い。
偶然買い物の途中で出会い、少しお茶でも、ぜひにお茶でも。と誘われたのはいいが、予報より早く本降りとなったようだ。
駅近くの小洒落たコーヒーハウスは、週末の昼過ぎという時間も相まってそこそこ混んでいた。待ち合わせしてどこかへ出かけていくのだろう、客たちのかろやかな会話がそこかしこで聞こえ、それぞれ楽しそうに次の目的地へと出発していく。
リヴァイとこの同僚の体育教師の組み合わせのように、一杯のコーヒーと紅茶で以てすでに一時間が経過している組み合わせというのは、珍しい部類だろう。
「雨、ですね」
しおしおのエルヴィンがリヴァイと同じ言葉を口にした。ただし、こちらには明らかに感情がのっていて、素直な人だ、と感心せずにいられなかった。やはり玄関前に座りこんで耳と尻尾を垂らした実家の犬の後ろ姿を思い出さずにいられない。彼の休日姿の金の髪はやや無造作で、湿度を感じて自由さを増している。そんなところも馴染みを感じさせる要因のような気がした。
——そんなことを考えていたので、会話が無くてもリヴァイの方は全く気にしてはいなかったのだが、エルヴィンはそうでもなかったらしく、雨脚が細かな模様を作るようにぶつかっては線を引くガラス窓を眺めながら爆発させるように一息にしゃべりだした。
「残念です、この後ご一緒したいところがあったのですが雨が本降りになってしまって。せっかくアッカーマン先生にお会いできたのに。ぱああっと空の開けた、とても気持ちのいい丘の上の芝生と木陰の気持ちのよい公園があって、走るのにも自転車にも良いところで。…せめて車で来ていれば」
「出ましょうか」
リヴァイはカップをソーサーにきちんと戻すと取っ手の位置を揃えた。
きちんと別々に会計を済ませ、それぞれ持参している傘を手に取った。
近所の街歩きだ。小さな街での特に目的を決めていない買い物だからこそ時間の余裕があるリヴァイはその雑貨店に長居していてエルヴィンに見つかったのだし、互いに歩きだというからなんとなく近くの店にも入った。これは悪くないことなのだ。
傘を開くと、エルヴィンの大きな青い傘がリヴァイの緑の傘にぶつかった。
思わず彼がよけると、その一歩分の隙間が空く。男二人が傘二つ連ねて隣あって歩くのには、割と道幅がいるのだった。
遠慮がちに隣になったり、時に前後になったりしながらそのまま歩いた。
しばらく道なりに歩いてみたがエルヴィンは帰るとは言わず、リヴァイについて来る。
雨はそれなりに雨脚を増したが、気温はそこまで下がってはいない、風も舞っていて花を散らし、ある意味とても春らしい午後だった。
「しかし、こんな中を散歩するやつはいねえな」
リヴァイは砕けた口調つぶやくと、いきなり傘を閉じて空を見上げた。
ざあっとひとしきりの雨粒を顔に受けて気持ち良く、手のひらを上に向けたりもする。
「アッカーマン先生!」
驚いたエルヴィンが遠慮を飛び越えて脱兎のごとく詰め寄り、長い腕を伸ばして大きな傘を全てリヴァイの頭上に捧げるように差し掛けた。
雨粒を落とす灰色の空の代わりにそれをさえぎる傘と乱れた金の髪と焦ったエルヴィンの瞳が飛び込んできて、リヴァイが見上げた顎の角度の先に、完璧にぴたりと収まった。そう決まっているかのようだった。
「…雨は悪くない」
「はい」
「そして、話すなら、このくらいの距離がいい」
「はい」
「もう一軒寄るか?」
「はい!」
「あんた、背中、びしょ濡れだぞ」
差し掛けられた傘を持つ手をエルヴィンの胸に戻させ、軸を真っすぐにするとリヴァイはハンカチを取り出した。気休め程度だが拭ってやると、慌てて自分でやりますと受け取った。
「カウンターしかねえ小さな店だが、時間が気にならねえところがある。酒は飲めるんだろ?」
「勿論。あの、」
「なんだ」
「リヴァイ、と呼んでも?」
「そいつはまだだ。スミス先生」
ハンカチを握りしめてまた耳が垂れた犬みたいに肩が下がったのを見てとると、リヴァイは思いのほか早く『良し』を出さざるを得なかった。この男を喜ばせてやりたくなったのだ。雨の中ついて来る男が健気で、ちょっとした褒美を与えてやりたい気分でもあった。
「…明日からだ。明日からよろしく」
「はい!!」
雨の日は、いや雨の日だからこんな始まり方もいい。