【空蝉日記 短編】コンフォート・ゾーンカチカチカチ、カチカチカチ……。
日光が鬱陶しくて締め切ったカーテンが揺れる、薄暗い部屋。申し訳程度にデスクに置いたライトスタンドの灯りだけが、ただひたすらにPCのキーボードを打ち鳴らし続ける俺の手元をぼんやりと照らしていた。
すると突如、ドアの向こうから『夕飯よ〜』と母さんの声が聞こえてきた。俺はヘッドホン越しに『ドアの前に置いておいて』とだけ軽く答え、数分後、自室の前に置かれたラップのかかったハンバーグプレートを手に取った。
両親と共にリビングで一緒に食卓を囲む……というのは、あまり好きじゃない。それに、俺の家族もそこまで近しい距離感で接していない。
俺はプレートの料理には手を付けず、『取り敢えずこの編集が終わったら食べよう』と思いテーブルに置くと、再びPCの前に座り、画面と向き合った。
「これじゃイラストが隠れるんだよな……なんか良いエフェクトあったっけ。」
小声でブツブツと呟きながら、またキーボードを鳴らす。学校の課題は残っているし、このままじゃどんどん夕飯も冷めていくのに、こういう時ばかりは集中力が発揮した。
学校では誰からも認識されない、されたとしても道端の石ころ程度。蹴飛ばしても数分後には忘れ去られるし、罪悪感すら感じてもらえない小さな存在。
そんな俺でも、このPCの先の世界では俺の事を慕ってくれる、褒め讃えてくれる人達が居る。
だから俺は今日も、すっかり使い慣れた初心者向けのDTMと動画編集ソフトを行ったり来たりしつつ、電脳世界での活動を堪能している。
今は、好きな楽曲のギターアレンジ動画を作っている最中だった。
「……いや待て、ここ弾き直そう。なんか違う。」
何回も音源を聴いている内にどうしても気になる箇所があった俺は、一旦編集作業を中断すると、部屋の片隅に座らせたギターを手に取る。
別に軽音楽部に入ってる訳でもないし、ただ好きな作品の影響で始めた趣味の延長線上に過ぎないけど、腕には我ながら自信があった。
だって───これしか、出来ないから。
だが、いざピックを弾かせようとした刹那、突如スマホから通知音が響いた。何かと思ったが……どうやら、クラスのグループLINEだった。
興味も無いし、どうせ皆も俺の返答なんか求めていないだろうから、演奏を中断されたことに多少苛立ちつつも改めてギターを弾き直す。
「うん、やっぱこっちのが良い。やり直そう。……夕飯、冷めちゃうな。まぁいいか。」
空腹よりも、早くこの演奏を皆に聴いてもらいたいという気持ちが勝ち、俺はギターを抱えたままキーボードを操作した。
『ボールは友達』は有名なセリフだけど……さながら今の俺は『ギターが友達』ってところか?いや、そんなキマッてる存在でもないか。
でも、俺の言えないこと、言いたいこと、言ってやりたいこと。
度胸無くて口に出せなくても、代わりに音楽が代弁してくれる……そんな、気がした。
だからどんなに孤独でも、今のこの場所とこの時間、そしてこの音だけは俺の安全地帯だった───。