【空蝉日記 短編】秘鑰を持つ者「テメェ、払う金が無ぇとか舐めてんだろ!恩義ってもんは知らねぇのか!?」
──背後から、電話相手に怒鳴り散らす男の怒声が聞こえる。聞き慣れたものなので特に気にとめなかったが、俺と向かい合うようにしてソファに座った依頼人は顔を顰めた。
「あー悪い、今、未回収の案件が立て込んでてなぁ。」
「構いませんよ。」
いつもなら客人用の部屋に案内されるのだが、どう見てもここは仕事用の一室だし、何より電話対応を行っているのがたった一人という点から働き手の少なさを悟った。少数精鋭でやっているタイプなのだろう。
決して弱小組織という枠組みでないのは目の前の男が醸し出すオーラで理解した。
「噂には聞いてたが、アンタの情報網は流石だな。お陰でうちの周囲を嗅ぎ回っていた輩を特定出来た。」
数ヶ月ほど前、俺に依頼が来た。相手は、表向きは民間団体に見せかけ、裏では囲い屋や闇金を行っているいわゆる貧困ビジネスの類を主力とした反社。
俺がこの事務所に来るのは、最初の依頼と合わせて二回目だ。
「そこで、だ。もう一つアンタに仕事を頼みたい。」
多分、いや確実に、最初からこっちが本題。一件目の依頼で俺の実力の真意を確かめたのだろうことは明白だった。付け狙われてたのは本当らしかったが。
「──人探しをな、してほしいんだ。」
「人探しですか?また抽象的な。」
「まぁ聞け。金木會……お前なら知ってるな?」
「ええ、売春斡旋と薬物をメインに、あと使い捨ての下請けには運び屋なんかもさせてますね。倉敷組と契約を結んでいることから一定の仲を保っているようですが、最近は下っ端が私的に揉め事を起こしたせいで揺らいでいる様です。」
ペラペラと動く俺の口に、目の前の依頼人は一瞬真顔でこちらを見た後、『ふっ……』と感心したような呆れたような笑みを零した。おおよそ17歳の高校生が発するワードでないのは自覚している。
「それなら、俺が探してほしい人の目星もついてんじゃあねぇのか?」
「あはは、なんですかそれ。まぁ強いて言うなら、娘さんの捜索……とか?」
──俺がそう言った瞬間、目の前の男の顔が強ばった。
「先月、貴方の奥様が失踪なされましたね。噂によると、数年前から金木會の組長とそういうご関係にあったとか。まさか自分の伴侶が、自分の知らない所で知らない男と子を成していたなんて、貴方のプライドもズタズタですね。」
「…………報酬は多く出そう。」
「でないと困ります。」
キリキリと緊迫した白い壁の事務所に包まれて、ただ一人、俺だけが別世界の存在かと錯覚してしまうほど空気を読まない笑顔で答えた──。
「ただいま〜。」
因みに言うと、俺は一人暮らしである。だから玄関へ上がる度に『ただいま』なんて言わない。今は中に人が居るからだ。
靴を脱いで荷物を置いてから二階へ行くが、姿は見えなかった。すると、押し入れから聞こえてきたガサゴソという物音。
「も〜、ロフトで寛いでて良かったのに。」
「……だっ……て……窓から、姿が見えたら……こわくて……。」
まるでこれから殺処分されてしまう小動物のように、酷く怯えた様子で体をブルブルと震わせる少女が一人。いや、あながち間違ってはいないな。
確かに彼女は見付かった瞬間、命を奪われる運命にある。
「あの人、なん、て……。」
「君の事探してくれって、それだけ言われたよ。」
俺の言葉を聞くと、彼女の震えは悪化した。全く、別に売らないのに。
「大丈夫大丈夫、君は沢山情報をくれたし、献上なんてしないよ。」
一先ず彼女を安心させるため、その髪を指でするりと撫でる。
「──17歳の子供の嘘一つ見破れないんだから、やっぱり弱小組織だったよ。」