【空蝉日記 短編】隠然と虫喰む「ねぇぇおーねーがーいー!」
「嫌よ、あんたが寝てたのが悪いんでしょ!私は何回も声かけたのにそれでも起きなかったんだから自業自得よ。」
昼休みの教室。持ち寄ったお弁当を広げて友人と談笑を交わす生徒や、学食へ向かいに行った生徒達の喧騒に紛れ、押し問答を繰り広げる男女が二人。
派手な金髪ときっちり切り揃えられたぱっつんのショートヘアーは、一目で問題児と優等生のコンビだと分かり、説明も必要ない。
「ちょーっとだけ!な!?次の休みには返すからぁ!あの先生怒るとこえーんだって!」
今日の3時限目は世界史だった。窓際から差し込む暖かな日差しに完全敗北した望月英真は、特に抗う努力もせずに夢世界の住人となってしまった。
お陰でノートは白紙。しかもよりによって今日の授業は次のテスト範囲も含められていたというので、彼は昼休みのチャイムが鳴るや否や白鳥紅花に救いを求めた。
交友関係が広い英真。他の生徒にノートを見せてもらえればいいのだが、類は友を呼ぶもので、彼の友人もまた似たような連中しか居らず頼りにならなかった。
「も〜、何回言ってもダメだからね。」
「今度奢るから!な!?ほら、駅前に新しく店出来たじゃん!?」
「……っ………。」
その言葉に、少し紅花の表情が揺らぐ。
奢るということは、一緒に行く、ということで……。
強く固く守ってきた優等生としての鉄仮面が、その下でふっと顔を出した年相応の乙女心によって崩れそうになる。だが、それを引き止めたのはもう一つの声だった。
「英真、僕の貸そうか?」
英真の友人、静千尋だった。後ろの席から覗き込むようにして声をかけた濃紅の髪に、英真は太陽のようにキラキラと輝き出した両の眼を向けた。
「マジで!?いいの!?」
「うん。テストも近いし、ついでに予習も兼ねていくつか教えてあげる。」
「うわぁ〜マジで神ぃ〜!お前最高かよ!っしゃあ次の土日に奢ってやる!」
くしゃくしゃの笑顔で、千尋の肩に手を回す。他の人間からは馴れ馴れしいと思われがちな態度だが、千尋は特に気にしていない様子だ。むしろ、どこか満足そうにも見える。
一方、まるで忘れ去られたように会話から一人抜け落ちてしまった紅花。あぁ、またやってしまったと、キリリとした顔の裏で小さな後悔を抱く。風紀委員として、学業に勤しむ一生徒として、真っ当な注意を行っただけの筈なのに、こうも、何かが違うような違和感に駆られてしまうのは。
誰も気が付かない紅花の、僅かに、ほんの僅かに差し込んだ影を、千尋は見逃さなかった。また満足そうに微笑む。
(せっかく頼ってくれたのに)
(どうして最初から僕に頼まないんだ)