【空蝉日記 短編】体温を覚えた心「大丈夫〜?涼也?重くない?」
「……大丈夫。」
空気が冷え込みだした街並み。雑踏を行く人々はみな、手を擦り合わせたり、マフラーに顔を埋めている。厚手のコートでは覆いきれない素肌を、容赦なく冬の風が吹き当たっていく。
よく似た色の紫髪、どこか浮世離れした繊細な顔立ち、並んで歩くその姿。誰がどう見ても血の繋がった家族だと分かるその二人は、しかし隣に立つ女性の若々しさゆえに親子というより年の離れた姉弟のようにも見える。
冬物の衣類を新調したかったり、年始に向けて買い揃えておかなければならない物もあった暮香は、息子の涼也を連れて冬の街へと繰り出していた。
一般的な思春期の男子高校生ならば、イルミネーションに彩られたイブの街に母親と二人で買い物などという、決して首を縦に振りたくないようなことでも、涼也は一言返事で『分かった』とだけ答える。
感情の起伏が異常に少ない涼也は、人に言われたことは何でもする。というより、言われたこと以外の一切の行動を起こさない。古いAIロボットのように、意思のない、無機質な少年。
誰がどう見ても常軌を逸した存在だったが、それでも暮香は彼が可愛くて可愛くてたまらなかった。
「涼也〜?欲しいものがあったら言ってね〜。」
「……うん。」
欲しいもの、やりたいこと、したいこと。そんな概念、彼には存在しないので無駄な問いかけだったが、それでも暮香は一つ一つ、何かある度に彼に確認をとる。それは彼女が、涼也のことをちゃんと"一人の人間"として見ている証拠だった。
「あら〜!なにこれ、すっごく綺麗〜!」
不意に立ち止まった暮香の視線の先には、青と白の電飾をメインに施した公園のイルミネーションがあった。夜の闇の中で眩い煌めきに照らされて、簡素な噴水の水もまるで月明かりに照らされた海のように深い紺青色を湛えていた。
表情の変わらない息子とは対照的に、誰よりもはしゃいでいる様子の暮香は、スマホを取り出して『せっかくだから撮りましょう!』と彼を誘った。
どうせならイルミネーションの全体を画角内に収めたいが、二人で自撮りをするとなると難易度が高かった。
しばらく苦戦していると、一人の女性が声をかけた。
「……あの、よければ撮りましょうか?」
オレンジがかった茶髪に、通った目鼻立ち。その姿を見て、暮香は声を高くした。
「あらぁ!優奈ちゃんじゃない!偶然ね〜!」
「こんばんは、暮香さん。涼也も。」
「……先輩。」
涼也の学校の二年生、糸瀬優奈だった。彼女もまた、イルミネーションに惹かれて来たようで、その片手には少し高そうな一眼レフカメラが握られている。
「あら、もしかして部活動中?」
「いえ、たまたま通りがかって……仕事半分、趣味半分で、何となく。
……よければお二人、撮りましょうか?スマホで撮るより綺麗に写りますよ。」
優奈がそう提案すると、暮香は興奮した様子で礼を言い、涼也を強引に引き連れて噴水の前へ移動した。
普段ならこんな親切、絶対にしないが、今日は何となく……何となく、いいかなと思ったのだ。相手が仲の良い後輩だったこともある。
カメラを構え、いつも通り神経質に画角を調整してから、シャッターを押す。
「はい、撮れましたよ。」
そう言って画面を見せると、暮香は感嘆の声を上げた。その様子を見た優奈は、
「……もしよろしければ、今度焼き増ししてお渡ししましょうか?」
と提案する。
「あらぁ!いいの!?」
「ええ、部活柄、慣れてますので。」
本当に、なぜ自ら進んでこんな面倒事を引き受けているのだろう。まぁ、別にいいか。
見慣れた後輩の冷たい眼窩の奥が、寒い筈なのに何故か、暖かな生彩を帯びている気がしたから。
一応、世話になってる分、たまにはいいかなと。
いつもよく言う事を聞く良い子に、私からのクリスマスプレゼントってことで。