【空蝉日記 短編】そうと知らず甘受する「なんか小腹空いてきたね〜。時間も時間だし、そろそろお昼かな。」
「お前にも空腹とかいう概念あんのな。」
「俺のこと何だと思ってんのさ。」
ピアスにネックレスに手首のリング。そしてまくった袖から覗かせる逞しい腕には昨日の喧嘩の跡。そんな危険な香りのする男に並んで歩くもう一人は、派手なメッシュの髪に狼のような金眼のつり目。全身真っ黒の長袖を身にまとっている。
彼ら二人が歩く度に、周りの通行人は若干気まずそうに道を開けていた。
事の発端は一週間前。
いつも通り学校で友人──悠川 龍希と顔を合わせた天王寺 怜音は、突然龍希から『今度、どっか遊び行こっか』といつも通りではないことを言われた。
普段コイツが遊びに誘ってくる事なんてねぇし、そもそもどこかに遊びに行くという行為自体似つかわしくない奴なのに、急になんなんだ……と困惑しつつも、断る理由も無かったのでなんとなく了承してしまった。
また何か企んでんじゃねぇだろうな、と警戒しつつも素直に付き合う辺り、コイツを信頼してるのかしてないのか分からない。
そして予想とは裏腹に、当日は本当に普通〜に遊ぶだけだった。結局その日は、近くの店で朝食を食べ、デパートに入って服屋等をぶらぶらと見て周り、今は昼時。ただ、学校の友人と休日に遊びに来ているだけ。いや、別にそれは普通のことなのだが、生活環境・人間性・倫理観が全て普通のソレではない龍希にしてはあまりにらしくなかった。
通りかかった喫茶店に、流れるようにして二人で入る。
「なんか、お前どしたの?」
「何が?」
「いや、なんでそんなキョトンとしてんだよ。今日のお前、大分変って自覚ねぇの?」
普通の人間の行動は、龍希がすれば大概"変"である。だって彼は、普段裏社会で暗躍し、人並み外れた頭脳で人々を篭絡して楽しむ捻くれ者だ。性格も二癖どころではない。
「いやぁ、最近大きな取引が多くてさぁ。この間も逆恨みされて死にかけちゃって、ちょーっと息抜きしたい気分だったんだよねぇ。」
あからさまに嘘だということを隠しもしない態度のままコーヒーと軽食を並べ、席に着く。すると龍希が、自身の方にあったドーナツと二本の砂糖を怜音の皿に乗せる。
「……は?」
「俺ブラック派だからさぁ。」
「いや、じゃなくって。」
じゃあなんで砂糖を持ってきたんだ。いや状況的に俺の分なのは分かるが。んでこのドーナツは?怜音は首を傾げる。
……自身が甘党だというのは誰にも言ってない筈だが。
「奢り奢り〜。」
はてなを浮かべた顔で見つめてくる怜音に、龍希はへらへらと笑いながら答えた。
……この見た目とキャラで甘い物好きなんて似合わないことぐらい分かってる。それに世間一般的な甘い物は大概女子向けの可愛らしい見た目のスイーツが多いので、天地がひっくり返っても自分では食べにいけないし。注文するの恥ずいし。
一人で眉間に皺を寄せ、日頃目が合っただけで恐れられるつり目を更にキツくして、腕を組んで悶々と考え込んでいると、龍希と目が合った。
勿論コイツも俺が甘党ってことは知らない。
……謎に笑ってる顔を見ると、怪しいけど。
こいつに隠し事をするなんて暖簾に腕押しだ。
自分でも自覚してないような感情さえ見透かして突きつけてくるような奴なのに。
それでも、本当にただ奢ってくれて、たまたま注文したのがこういうものだっただけだと無理やり自分を納得させ、黙ってドーナツに齧り付いた。
久しぶりの甘味は、意外な人物とのらしくない一日も、まぁこんなのもたまにはいいかと思わせた。
(うん、やっぱり天王寺家には手出せないんだね。予想通りだ。)
──少し緩んだ顔の友人を前にコーヒーを啜る。最近目を付けられてる気がしたから、後ろ盾としてコイツを呼びつけて今日一日行動していたけど……今朝はあった人の気配と殺気はもう消えていた。
さすがは名家。裏社会の一味すら恐れて離れていくとは。
天王寺家と交流があると分かれば、アイツらも絡んでこないだろう。
まさか虫除けに使われていた等とは知らぬコイツには、ご褒美の意味も込めて甘い蜜をあげてやった。