第59回 血 部屋の空気を循環させるモーターの音が、普段は気にもしないのに今日は煩い。
唸りながら躰を丸めるが異常となった躰は少しも良くはならない。
早く良くなりますようにと、マシュから渡された猫型湯たんぽを、ないはずなのにある胎へ当てればじんわりとした温もりに少しだけ呼吸が楽になる。
カルディアに召喚されて数ヶ月、例えば語尾に、だっちゃ☆と鬼娘よろしく可愛く振る舞うハメになった岡田や、斎藤と沖田の性別が入れ替わるなどトンチキ霊基異常を一通り拝見し、笑い転げていた高杉だったがまさか自分にも降りかかるとは思わなかった。
それに気づいた瞬間高杉は悲鳴を上げた。生前、上海で見た、清朝風仕立ての紫檀寝台が洒落ていたという理由で、「和室も出来るよ、」という藤丸に断りベッドにして貰った。
本当は病床を思い出すからなのだが、高杉は口にしないし藤丸も聞かない。
「え……」
寝間着は肌に馴染む襦袢で通していた高杉は、少々乱れた裾をそのままにして起き上がる。
くるりと視界が舞い思わずベッドに手をつけば、生白い腿に目がいく
どろりと太股を伝うそれがなんであるのか、高杉は分かりたくなかったが、丁度腰当たりに点々とこびり付いているどす黒い赤が血だと教える。
高杉に正確な知識はないが、生前、愛する女性たちが月に一度部屋に引きこもる時期があった。
「けして部屋を覗かないでください」と弱々しく部屋へと蹌踉めきながら歩く姿に、躰を支えたくなったが彼女たちの秩序を守ろうと女中に任せ、高杉は素知らぬ顔で頷いていた。
まさかと寝間着の帯を解くと大惨事になっていた。
今までなかったそれがある。意識したそれは、嘲るように高杉に痛みを与えてくる。
確かと高杉は股に手ぬぐいを挟むと、蹌踉めきながら藤丸の元に向かう。
「霊基異常」さらりと医療サーヴァントに告げられた高杉は、愕然とした。
手ぬぐいを当てたことは正解だが現代にはそぐわないと、ナイチンゲールから専用の医療品を手渡される。
確かに手ぬぐいよりは安定感がある。妊娠出産を経験しないサーヴァントになぜあるのかと聞くほど高杉は野暮ではない。恐らくは経験者がいるのだろう。
「血は出ているけれど、残滓みたいなものだから魔力不足になることはない。良かったね」精密チェックを終えたダ・ヴィンチが、高杉に話しかけるが、何処がだと口にしたくとも痛みでそれすら発することが出来ない。
「ここで休むように」と医療サーヴァントに囲まれた高杉だが、体調不良の度に沖田が助けを求めている姿を目にしていたので、「自分の部屋で休む」と断固拒否し、それでも歩けるような状況ではないため、車椅子を借りる。
事情は知らなくとも高杉の異常にサーヴァント達が代わる代わる部屋まで運んでくれる。
血がこびり付いていたシーツは清潔な物に代わっており、高杉は安堵する。
最早誰が運んだのか霞む視界では確認できないが、お礼を言うと大きな手が高杉の額を撫でる。
ほっと、ほんの一瞬痛みを忘れた高杉は気絶するかのように眠りについた。
落ちていく中、今は自分の髪ですらいやな赤が、その髪だけがは好ましかった。
目が覚めれば元通り、とはいかず高杉は激痛で起こされる。
勘弁してくれと、躰を起こし気休めだかと貰った薬を探すとサイドテーブルに水と共に置いてあった。
最後に運んでくれたサーヴァントが置いてくれたのだろうか、高杉は腕を伸ばすが、胎が蠢きのたうち回る。
今なら点滴がどれほどありがたいものか分かる、自由のない躰で懸命に薬に手を伸ばすが掠めるだけで、握れない。
「……勘弁してくれ、」
自分でも驚くほどの弱音を吐いた高杉ははっとなる。女子は皆経験しているのだから、男子である自分が負けるわけにはいかないと、鼓舞しわずか数センチと戦うが、痛いものは痛い。
「コブッ」
厭な咳をする。咄嗟に押さえた手からは血は流れていないが、生じょっぱい味が口いっぱいに広がる。
いっそ吐き出す物は胎であればと高杉は、丸まり嗚咽を漏らす。
「原因はサーヴァント自身にある場合もあるから気をつけてね、」まぁどうしようもない場合が殆どだけれど、とダ・ヴィンチが初めての霊基異常を目の当たりにした高杉に説明をしていた。
後悔や面白そうだからと理由は様々だが時たま祭りのように起こるのだという。
自分はどうして胎が出来たのか、高杉はなんとなくだか理由は分かっていた。
「まだ、生きているな、」
万が一を考え、出入りが自由となっている高杉の部屋に森が入ってくる。
まずいと寝たふりをするが、痛みでうまく寝息が立てられない。
備え付けの椅子をベッドに近づけた森は、袋から何かを取り出す。
「やる、」
紅い弓兵から貰ってきたと高杉の目の前に置かれたのは、無花果だった。
こんな時に無花果かと無駄にある侘び寂びは何処に消えたと、無性にイライラする。
名前が花のない果実とまるで高杉のようだと嗤っているようだが
森にも無花果にもそのつもりはない。ただ高杉は苛ついているだけだ。
話す気力もなくて良かったと高杉は、黙り込み森が部屋から出るのを待つ。
「おい、」
無理に起きなくても良いが薬は飲め、起こしてやろうかと森が高杉の背中をさする。
その温もりに痛みが引いていく。
最後に高杉を送り届けたのは森だった。否、最初から森が運んでいた。
出番だよとダ・ヴィンチが誰よりも先に高杉の状況を教えたのは、森だった。
君が特効薬だ。君の国では「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ」と言うのだろうと、ふわりとした表情でけれど小悪魔的に笑う
高杉が交代したと錯覚したのは、途切れがちに聞こえる高杉を心配する声と渡して欲しいと見舞いの品を渡すために、車椅子を止めたためだ。
「起こしてくれ、」
さすり続ける森に弱々しく願うと、上肢が起こされる。
「飲めるか、」
こくりと高杉は頷いたが、横に転がる無花果に目がいく。
「食べさせて、」
高杉の甘えた態度にも森は何も言わずに皮をむき、口元まで持っていく。
血を思い浮かべるようなものを持ってくるなんてと罪のない森と無花果に謝罪すべく、口に運ばれた実を口にすればほろりと甘酸っぱい味が口に広がる。
もう一口と運んでいく内に、唇に森の指先が当たる。
ズンと忘れていた痛みが高杉を襲う。
高杉は森が好きだった。切掛は今は置いておいて、高杉はずっとその思いを胸に秘めていた。きっと今回のこの状況は高杉に思いが煮詰まりすぎた結果だろう。
こじれた思いが残滓として溢れ出している。
終わるのだろうか、今ですら激痛に襲われているのに、森が触れているだけで幸福感に満ちあふれている。
「優しくしないで……!」
突き放そうにも手に力が入らない。情緒不安定に鳴ると聞いていた森は、高杉の躰を包み込む。
「分かったから、」
「分かっていない!」
痛いんだよと呻く高杉に、森は胎をさする。
「俺が好きだと言ったら、治るのか。これ、」
それならいくらでも言ってやると森が真剣な顔で高杉を見つめる。
「嘘だろ……」
そんなはずがないと高杉が涙を浮かべる。帰ってくれと口を大きく開ければ、それより先に森が丸薬を口に含むと、高杉の顎を掬い、口腔に捻り込んでいく。
「っ、ん――――っ、んぅ、ん、んぶ、」
咄嗟のことに目を開けたままの高杉がじっと森を見つめている
ころりと高杉の舌へ移された薬がするりと喉を通っていく。
「ぁ、ふ、ぅ、ぅ……っ森、君……」
分厚い舌が高杉の舌に吸い付くと、腰が甘く融けていく。
息継ぎの間に見せる黄金色の瞳が、尖った心を柔らかくしていく。
高杉を責め立てる胎の痛みが、鬼が退治したように去って行く
どうしてと、ぐるぐると思考が廻るが高杉は、目を閉じ、その甘さを享受していた。
「っあ……チ、高杉、」
もっとと高杉がちまい舌で森の舌を転がせば、森が高杉を射貫いていく。
するのがいいが、されるのは癪に障るらしい。
彼らしいと今日は、次もあるのかは不明だがされたままにしようと高杉は仕掛けるのを止めた。
上顎をなぞり付けられ、そわりとした背筋を撫でられると高杉の瞳がほころぶ。
「ンああ……、ちゅ、むぅ……っ」
柔らかな唇を名残惜しむように森の唇が高杉から離れていく。
自分よりもかさついた唇が気持ちいいなど一度も感じたことのなかった高杉は、そっと爪先で唇に触れる。
「今は言わなねぇ、それを全部吐き出したら、俺の所へ来い、」
「……吐き出したら忘れてしまうかもよ、」
見透かしたような台詞に高杉が眉を顰める。
「もっとすごいのやるよ、」
だからと高杉の手を握った森が背中を向ける。
「……ズルいよ森君、ねぇ、」
吐き出すからもう少し側にいてと、高杉が森の背中を抱きしめれば、森は座り直し、高杉を寝かしつける。
あれほど痛かった痛みはもうない、さっさと吐き出して浚われてしまおうか
もう浚われたのか、高杉はうとうとと眠りについた
執愛を吐き出した高杉が森の元へ駆け込んだのは翌日のことだった。