シングル・アゲイン ナビを兼ねるスマートフォンを無人の助手席に放ったところでふと口をついて歌が出た。
和久井譲介がアメリカに旅立って4年ほど経ったある夜だった。
嫌に広く感じる静まり返ったハマーの中、真田徹郎の呟くような歌は取り残されたような響きで、他に聞く者もいない。
感傷的なその歌詞に舌打ちを一つしてシートに深く沈みこむ。夜の小さな高速パーキングエリアは静まり返り、少し遠いところで白い蛍光灯がまたたきしていた。
思い入れのある歌でもなかった。ドクターTETSUは運転中にラジオのひとつも流さないような男だったが、この歌はひと世代ほど昔にやたらと流行って当時まだ20代だった彼も立ち寄る先々で嫌というほど耳にした。流行りも変わり一時期は聞かなくなったものの、最近のシティポップブームに押されて再び脚光を浴びているというのだから世の中は分からない。ついでに、そのブームを作っているのが当時を知らない若者たちだというからもっと分らない。30年も前の、それも未練がましい曲がそんなに良く聞こえるのか。
分からないものだ、と真田徹郎はため息をつく。
(……分からねぇなぁ)
心底分からなかった。
(なァ、譲介)
己自身が。
(結局あのころお前は俺をどう思ってたんだ?)
結局いま自分は譲介をどう思っているのか?
白々しく明るいスマートフォンは通話履歴のページのままで、一番上には「神代一人」の名前とつい数分前の時刻が表示されている。通話の内容はごく最近の譲介の様子についてだった。
かつてドクターTETSUと3年だけ一緒に住んでいたこどもは渡米したいま、もはや同期ともいうべき黒須一也や宮坂詩織はもちろん、師のひとりである神代一人にも定期的に連絡をしているようで、この神代が律儀にメールや電話でドクターTETSUにもそれを報告するのだ。あの子の前から黙って去っていったことの罪滅ぼしにはならないがそれくらいの責任は取れ、と言わんばかりの当代Kは実際こまめなもので、譲介のアメリカ行きが決定した時も妙な時間にメールをしてきた。返信を打つことはしなかったが。
ただ、あのころの生活を過去にできると、妙な安心があった。
そもそも自分が子供を拾って面倒を見るなど向いていなかった。その上、相性も良くなかった。
寄る辺を持てなかったこどもに、寄る辺を手放したおとな。
もたれかかりたくないこどもに、もたれかかることを忘れたおとな。
途方もない渇きを持て余したこどもに、途方もない渇きを飲み干したおとな。
救われない組み合わせだった。
(今思えば、だが)
主にこどもの方が。
その上あのこどもは、和久井譲介は、TETSUに言いようもない感情を向けていた。彼は何も言いはしなかったし、点滴を打った時にほんの少しわずかに長く彼の腕に触れる程度だったが、時折黙って向けられる熱っぽいまなざしは言葉よりもっとずっと雄弁だった。
あの聡いこどものこと、その狙い定めるような視線の意味を海千山千の闇医者相手に誤魔化せるとは思っていなかっただろう。隠しもしなかったのは若さゆえか。あの作り笑いの上手なこどもはそんなもので誤魔化すようなことすらしなかった。
(……分からねぇ)
結局、譲介は神代に預けた。
見ていられない放っておけないと思って連れてきたのに結局こどもは救われないままで、そのことに対する焦燥をTETSU自身が持て余していた。あの3年間の生活が正しかったのか、今はそれすらもうよく分からなかった。
それから離れて暮らすようになってほとぼりも冷めた頃、神代のもとに留まる譲介と何度か顔を合わせた。寄る辺を得てもたれかかることを己に許し渇きを癒さんとするいつかのこどもの最後の憂いを絶つためだった。結果として神代の言うようにしているのは多少不本意だったがTETSU自身が望んで行う彼なりの「責任」の取り方だった。
そうやってふとした折に出会った譲介がドクターTETSUに向ける眼差しは、あの頃向けていた熱っぽく……あるいはいっそ恨みがましいようなそれとは違っていて、ホッとしたような、それでいて肩透かしを食らったような心地だった。
その譲介に恋人ができたらしいと聞いたのは彼が渡米して2年ほどたった頃だった。あちらで友人ができて朝倉の助けもあってなんとか上手くやっていると小耳に挟んでいた、その延長線上の噂。参加している児童保護施設でのボランティア活動(これもアメリカで医師免許を取るために必須だと言うから大変だ)で一緒だった相手だとか、なんとか。まあ10年一緒だった想い人に何のアプローチもできていなかった一也からさらに神代を経由した話なので信憑性には疑問も残るが。
少し前にその恋人と別れて初めて深酒をした譲介が退勤後の一也に電話をかけてきたが今はすっかりいつも通りでまあ別段問題なさそうで、真面目で優秀だと朝倉が褒めていたと。
そんな話を。
ついさっき、神代は電話で話したのだ。ほんの世間話のように。
(恋人が作れるようになったか)
真田徹朗は明滅する蛍光灯をぼんやりと眺める。
(それで普通にきちんとフラれて、一也なんかに愚痴れるようになったのかよ)
あの頃は先代Kのクローンを目の敵にしていたのに。
(一也にまで電話をして、それで……)
真田徹郎の電話は鳴らない。譲介が渡米したすぐ後に神代から彼の連絡先を渡された。その際、譲介にもまた元保護者の連絡先を渡したと、そんなことを聞かされた。勝手なことを、と苛立ちながらも真田徹郎は結局「お節介め」と忌々しげに言うに留まった。
それから4年、真田徹郎のスマートフォンに譲介の名前が躍り出たことは1度もない。
ため息をついてダッシュボードから茶封筒を取り出す。いまだにダッシュボードの中に置かれて、ふと思い出しては取り出して何度も読み返したそれ。読み飽きたはずのそれを視線で何度もなぞる。
ただ1文の約束を。
何度も、何度も。
(……4年も前の約束なんて忘れてるだろうさ、アイツは)
別に忘れていて良い。ドクターTETSUは元が騙し騙しで生きていたのだ。かつての養い子兼弟子が本当に自分の死に水を取ろうが取るまいが関係はない。ただドクターTETSUが彼自身の意思として、和久井譲介に恥じないようにできる限り生きると誓った、その誓いのよすがとしての約束だ。
だがいま無性に、その約束が確かなことをほかならぬ和久井譲介自身に証明してほしかった。