秋桜…君はどこでこれを/ケイ早希 クリスマスローズの白、桜の淡いピンク色、菜の花の黄色、朝顔の青または紫…ひまわりのオレンジ色
「秋と言えば…」
ピンクやワインレッドに近い深いピンクの秋桜が記憶の景色の中で揺れている。電車に乗り郊外に出れば一面秋桜が広がる景色に出会える。秋と言っても夏の終わりが近づく初秋。秋桜は秋が深かまれば目にすることはできない。誕生日に薔薇の花束を贈るのも勿論考えた、考えたけれど28本の薔薇って考えるとなんだか気が引けた。
「薔薇の花束…うーん」
かれこれ花屋の前まで来てお店に入ることなく辺りをウロウロして30分は経っただろうか。完全にこれでは不審者だ。薔薇の花束が頭に過るのに私がそうしない理由は。
『君のための花だ。こうして君に寄り添う事で花の美しさも君と…俺の記憶に永遠に刻まれる。やはり君に花は良く似合う』
と、先日いただいたばかり。誕生日でも記念日でもないけれど会えるという事がケイさんには特別なことのようだ。ずっとお店にいるわけではないからこその彼なりの思いなのだろうけど。
「はふぅ……」
赤いと表すより『真紅』と表す方がしっくりくる。上品良く佇む姿は私より選んだ本人により相応しくリンクした。しっとりとしなやかな香りで包まれるあの感覚はケイさんがいたから感じたのだと思う。
「迷う…迷うなぁ」
「迷っていらっしゃるなら見ていきませんか?」
誰に語りかけた訳でもない独り言に言葉が返ってきたものだからサッと青ざめた。いつから私の独り言を聞いていたのだろうかと思い振り向けないでいると。
「私…花屋の者なのですがあまりに可愛らしい方がこちらを気にしていらしたので不躾ながらお声を掛けさせていただきました」
独り言のみならず行動まで見られていたなんて、青ざめたのが今度はポッポと火照りに変わっていた。初老の男性は長めの髪を後ろで軽く束ねていてネルシャツは七分捲られ綿のスラックスは品よくロールアップされていた。
「すみません、店の前をウロウロして変に思われましたよね」
「いえ…いるんですよ貴方のように花屋に立ち寄るのを躊躇われるお客様」
母の日、恩師へのお礼、奥さまへのプレゼント…はじめてお花を贈ろうとされる方は店に入るのを先ず迷われますのでと。
「はじめてって訳ではないんですけど、ある人へのお誕生日プレゼントに」
「彼、ですか?お連れの方…ではなさそうですね、すみません長年の勘でして。やはり彼へのプレゼントかな」
『彼』と言われて「はい」と返事をすることができないかった。でも男性へのプレゼントではある…
「あっ、彼…では。でも凄く大切な人なんです」
そう手探りで言葉を見つける私を見兼ねてお花屋さんの御主人は店で珈琲を飲みながらその「大切な方」へのお花を決めませんか?と提案してくれた。
✽✽✽
店の隣には白いウッドフェンスで囲われている庭があった。勝手口と思われるフェンスの一角を開いて入っていく御主人の後ろを着いていく。
「猫の額ほどですが、手入れはしているつもりです」
さぁと庭に入ると一人が通れる小路に草花が沿っており、初秋のまだ強い陽射しから守るように木々が緑のカーテンを広げていた。剪定され手入れが行き届いていてカーテンが揺れると風が程よく肌に触れた。
「ここでお花を…でも私なんかが庭に入って」
「贈る方と贈られる方のお話を聞きたいのです」
花屋に並ばないであろう庭を彩る花。普段目にする道端に咲いているような草花は御主人の手に掛かれば花のひとつひとつが主人公の様に美しく咲いている。
「あのテーブルの席で待っていてください珈琲の用意をしてきます…紅茶が宜しかったかな?」
「いえ、紅茶も好んでいただきますけど今は珈琲を頂きたいです!」
ではとその場を後にした。庭を囲むフェンスㇳ同様に緑に映える真っ白なテーブル席に着くと私はハッとした。そこには見たことがない色のあの花が咲いていたから…それも奥のフェンスを覆うほどの一面に。
「驚かれておるようですね…これはキバナコスモスと言って夏の暑い盛りから咲くのです。名ばかりでコスモスではないのですが」
「綺麗…でも秋桜じゃないんですね。似てるのに」
「そうですね、花言葉にしても『野性的な美しさ』と言いますから意外でしょう」
コーヒーカップを2人分置き御主人は淹れてのコーヒーをサーバーから注いでくれた。花のしっとりとした甘い香りにも負けない香ばしく活動的なカフェインの香りがそこらに満ちた。
「野性的な美しさですか…実は私、大切な人に季節のお花を贈りたかったんですでも秋桜しか浮かばなくて。お花屋さんに秋桜は置いていないと思ってて…」
「なるほど、そういったお考えがお有りでしたか」
このキラキラとした輝きはとても目を奪われる…でも御主人には申し訳ないけれど秋桜は草花だ。贈って良いものだろうか、それにプライベートな庭で大切に育てられている。草花と言ってもそれは私が簡単に扱って良いものではない「商品」ではないのだから。
「秋らしいお花なのに花言葉は『野性的な美しさ』なんですね…大切な人はどちらかと言うと薔薇の様な華麗な感じの…でもこのキラキラとして輝いて咲く感じは無邪気でたまに」
ケイさんは普段は凄く洗練された佇まいで華麗な振る舞いをする。でもごく、ごくたまに見せる無邪気な笑顔が私はとても素敵で惹かれるのだ。
「たまに?」
「無邪気に笑う瞬間があるんです彼」
話の流れで『彼』とつい出てしまったでも深い意味などない。大切な人と言う意味には違いないから。
「よくその方の事を見ていらっしゃるのですな」
「えっ!ぃぇ…そんなことは」
指摘され気付いてしまった。ケイさんは私の事をよく気にかけてくれる。それには劣るかもしれないけれど私もそれ相応に彼の事をみていたのだと。
「…その笑顔を見るとなんだかホッとするんです。優しくしてくれるのはずっと使命みたいなものだろうと思っていたので。あんな無邪気な顔をするんだって心からの笑顔だろうって信じました」
冷めてしまわないうちにと、後はちょっと喋りすぎたのに歯止めをかけるためコーヒーカップを口にする。
「他にもありますよ?きっとそちらの方が貴女らしいかもしれません…今は黙っておきましょう」
御主人は腰を上げてキバナコスモスの庭へ歩いては屈んで剪定し始めた。少し長めにカットしてグラデーションがかかるように花の色を選んで束にしていく。
「あの…これは」
「貴女が望むなら厭いません…きっと彼も同じだと思いますよ。こんなに彼の事を考えているのだから、さぁ」
力強く優しいその声は私を後押ししてくれた。凄く凄く年の離れた御主人のはずなのに無邪気に笑うその笑顔は少年のようだった。
✽✽✽
「ケイさん、こんにちわ」
「なんと!?これを君は一人で抱えて店に…実に健気な」
このままではいつもの様に私がエスコートされ兼ねない。ここは先手を取らないと。ケイさんの手が私に触れる直前に花束を彼に差し出した。仕事の前に礼儀を弁えないと思われるだろうが店に閉店まで居るとは限らないから。
「店にお邪魔して早々、不躾なんですけど…ケイさん28歳のお誕生日おめでとうございます!邪魔でしたらお店の隅にでも活けておいてください」
あとはプレゼントの包装が入った手提げを渡す。本当につまらないものだから帰って開けてくださいと伝えた。
「秋桜…君はどこでこれを」
「とある方に分けて頂いて」
花束を片手で受け取り抱えたケイさんは私を反対の腕で引き寄せ言った。
「そこらの花屋に秋桜はない、どこで」
「はい、なのでとある…」
「深煎りの旨い珈琲を淹れる花屋なのだ、まさか君がとは」
珈琲の香りを確かめるように私の耳元に彼は鼻を寄せて確かめる。シアトル系だな…深煎りの良い香りだと端々で彼の独り言が聞こえてきた。
「時間と手間をかける男だ、さぞかし君の時間を拘束したであろう?」
「いえ、そんなことは…はじめて会うのにとても良くしていただいて」
なんと!と、ケイさんは訝しげになり口を尖らせている。会ってそうそう、昔と変わらず警戒心のないとも聞こえてきた。そんないじけたケイさんは少年みたいだ。
「ふふふっ…やっぱり『野性的な美しさ』には程遠いです…薔薇にすれば良かったのかな」
ずっと抱えていた不安、いつも気高く周りを圧倒する存在感。草花も霞む華麗な美しさを備える薔薇だ。
「花言葉で君を惑わせたか、不純な行為だ…しかし『野性的な美しさ』これはあの庭のキバナコスモスであろう?」
「はい、そう言って…でも他にも花言葉はあるって御主人は」
手間暇のかかることをとボヤきケイさんは続けた。
「いいか…早希、君はこれを俺にくれた」
「……」
なにか私の知らないことをケイさんは知っている。もう一つの花言葉ってなんなんだろう。急に不安と恐怖が全身を襲う……私は大変なことをしてしまったのかもしれない。
「ごめんなさい、私…しらなく…」
「『幼い恋心』それが君の本心だったとはな…何物にも代え難い君の気持ちは俺の身には有り余るほどだ」
そういうとケイさんは花束を抱えたまま私を捉え抱き寄せた。
「幼い恋心…ふふふっ、ごめんなさい私」
小さな子供の戯れに近いのだと思うとおかしくて自然と笑みが溢れた。そうだ御主人の言っていた贈られる側のことばかり考えていたけれど私が薔薇の花束を抱えて渡したところできっとそれは草花と変わりはしない。私が私である限りは。
「ありがとう…俺は君とこの日を迎えられた事に昂ぶっている。恥ずかしいが偽ることはできない…それなのに花まで」
ケイさんは私を抱いたまま肩に顔を伏せてしまっている。顔を上げてくれない…考えるより勝手に手が動いてしまっていた。
「何度も言いますねお誕生日おめでとうございます…ケイさん、生まれて来てくださってありがとうございます」
少しだけ年上の彼の頭を撫でると、やっと顔を上げてくれた。その顔は良く知る無邪気で屈託のない少年のような彼で…でもそれは私以外に見せたくない、これがきっと『幼い恋心』と言うことなのかもしれない。
〔おわり〕