二人で過ごす休日。
鍛錬という名目でやって来たのは、山奥のまた奥。
道なき道をかき分けて進む文次郎の後に続くこと半刻ほど、突然、留三郎の目の前に一面の桜色が広がった。
「ここは…」
林立する満開の桜に留三郎は目を奪われる。
その様子を見ながら文次郎は満足げに微笑むと、一本の大きな桜の木の下に筵を敷いた。
幹を背にして並んで座り、文次郎が用意してきた団子を食べる。
柔らかな春の陽気と心地よい風、時折はらりと落ちる花びらに、鳥の鳴き声。
何をするでもなく、二人でただ黙って美しい光景を全身で味わう。
留三郎がうっとりとため息をついた。
「……極楽浄土って、こんな感じなのかもな」
ピクリと文次郎が反応した。
別に留三郎の発言に深い意味はなく、今この瞬間がとても心地よいと感じての事だと分かっている。
分かっていても、極楽浄土がどの世界にあるのかをつい考えてしまい、急に胸の奥が騒ついてしまったのだ。
「…………留三郎」
小さく名を呼びながら、文次郎は手を伸ばして留三郎の腕をゆっくりと、でもしっかりと掴んだ。どこにも行かせまいとする様に。
「?、文次郎…」
俯く文次郎の表情を伺うように、留三郎が小首を傾げる。その途端に、掴まれた腕が引き寄せられて、二人の距離が一気に縮まる。
腕を掴んでいるのとは反対の手が、留三郎の頬に添えられた。
「……とめさぶろう…」
「…ぁ……」
燃える瞳に射抜かれた留三郎の心臓はドクドクと早鐘を打ち、一瞬にして全身が熱くなる。
口付けの気配に留三郎の鼓動は更に速くなり、身体の中心がゾクゾクと疼きだす。
──永遠に片想いだと思っていた。それでいいとも思っていた。まさか思いが通じ合うなんて、今でも夢じゃないかと思うほどだ。その文次郎が今俺に口吸いを……くち…
「だあぁぁッ」
唇が触れ合うほんの直前で、留三郎は突然大声で叫ぶと、文次郎を突き飛ばしながら飛び退った。
「!???」
文次郎は尻もちをついたまま、呆然と留三郎を見つめる。
なぜか臨戦体勢の留三郎の顔は茹で蛸よりも赤く、肩で息をしていた。
「く、薬を!」
「は?」
「伊作が欲しがってた薬草があったから、取ってくる!」
真っ赤な顔でそう叫ぶと、留三郎は来た方へと物すごい勢いで駆け出して行った。
「あ!おい!………」
文次郎の声に答えるように、桜の花びらが一枚はらりと落ちた。
「………で、そのまま別々に帰って来たのか?」
「………」
文次郎は返事の代わりにがくりと頭を垂れた。
仙蔵は眉間を抑えながら深いため息をつく。
「犬猿の仲の時も色々あったが、恋仲になってもすんなりとはいかないんだな、お前たちは」
「ぅ………」
夜になって仙蔵が帰って来た時、六年い組の部屋の中は真っ暗だった。それなのに人の気配がする。しかしその気配が一人だけだったので、仙蔵はガラリと何の躊躇いもなく部屋の扉を開けた。
案の定、すっかり気落ちして灯りすらつける気力も失っていた文次郎がいたので、半ば予想はついていたものの訳を訊いていたのだった。
「全く、初心にもほどがあるな。行先が思いやられるというか………にしても、留三郎だって房中術の授業は受けているんだ。例え知識だけだったとしても、その時はどうしてたんだ?」
仙蔵の素朴な疑問には、文次郎も思い当たる節があった。
「前に伊作にきいたら、普通に授業受けてたって……どうも、俺の前でだけそうなるらしい」
「…愛されてるな」
「へへ…」
「惚気ならもう聞かんぞ」
ピシャリと言われて、文次郎の伸びた鼻の下がきゅっと縮む。パンと大きな音を立てて両手を合わせると仙蔵を拝んだ。
「そこをなんとか!仙蔵様!」
仙蔵は腕組みをして大きく鼻から息を吐くと、尊大な口調で言った。
「仕方ないから、お前たちの馬鹿馬鹿しい痴話訓練に少しだけ付き合ってやる……留三郎当人が一番、なんとかしたいからと頑張る気でいるしな」
「!」
留三郎も二人の関係を進めたいと思っていると知り、湧き上がる喜びに飛び上がりそうな身体を必死に抑えて文次郎は更にひれ伏した。