夢で逢えたら。巳波はホテルの自室に着くなり机の上に荷物を放り出すと、手短にシャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。ホテルの壁に掛けられている時計を確認すると時刻は22時。まだ起きているかもとスマートフォンを手に取りラビチャのトーク画面を開くと、案の定、巳波が仕事を終えた時間を境に、『お疲れさま。今日は早く寝るんだよ。』という悠からのメッセージが届いていた。文面には様子を伺うようなスタンプも添えられており、いつもよりも控えめに、それでも返して欲しいというような悠の心情を表している。
『ありがとうございます。亥清さんもゆっくりお休みくださいね。』
今日は六月七日。先日就任した外資ブランドの専属モデルとしての仕事で海外に訪れていた巳波は、明日の帰国後のことを考えると自然と頬が緩んでしまっていた。今年の巳波の誕生日は予定が詰まっており慌ただしいスケジュールなるため、当日を見送り後日祝うこととなった。しかし、悠はそれが気に入らなかったようで空港まで迎えに行くと言っていたが、帰国は夜になるため夜の空港に一人悠を待たせるのも気が気でない。
「じゃあ巳波が帰ってくるまで寝ないで待ってるっ!それならいいでしょ…?」
残念そうにそう言っていた悠の姿を思い出すと早く顔を見せてやらなくてはという気持ちになり、いつものメッセージに加えてスタンプも追加しておくことにした。明日の夜には滞在中一日も欠かさず連絡を取り合っていた悠とようやく顔を合わせることが出来る。お土産は何にしようかと空港の店を調べているうちに巳波の意識はベッドへと沈んでいき、悠からの返信を見る間もなく巳波は穏やかな寝息をたて始めた。
♢
巳波がふと目を覚ますとそこはホテルのベッドの上で、間接照明をつけたままの天井が目に入った。どうやら悠へのお土産を考えているうちに眠ってしまったようだ。電気を消してもう一度眠りにつこうとベッドから身を起こそうとした時、ふと巳波はベッドに違和感を覚えた。慣れ親しんだ温度と収まりの良い身体。まさかと思い隣に目を向けるとそこには悠が眠っていた。
(どういうことですか…?)
巳波に身を寄せて眠る悠は見慣れた寝着を着て、二人で眠る時に決まって胸に潜り込んでくる仕草までまるで本物の悠のようであった。とはいえこんなことはありえないし、声を上げることも無くどこか客観的にこの光景を眺めていた巳波は、これが夢であると気付くまでにそう時間はかからなかった。
「亥清さん。」
「んっ…あぁ巳波…」
「待ちきれなくて迎えに来てくれたの?」
「一番にお祝いしたかったから…巳波、誕生日おめでとう。」
そう言って甘い笑みを零しながら頬に小さく口づけを落とす夢の中の悠は、普段の悠よりもずっと素直で甘えただ。一応夢であっても会話は出来るようで、腕を伸ばして抱き締めてくる悠を抱き返すと小さく笑いながら顔を埋めてきた。現実の悠とはどこか違っている様子ではあるものの、その温もりは不思議と巳波の身体に覚えのあるもので、自分が抱き寄せている存在は間違いなく悠であると疑う余地も無かった。
「ありがとうございます。夢でも会うことが出来るなんて嬉しいです。」
「俺、巳波のこと大好きだよ。」
「ええ。私も愛してる。」
「いつも一緒にいてくれてありがとう。」
「こちらこそ。これからもずっと一緒です。」
「へへっ…やった。」
少しも照れた様子を見せずに巳波に愛を伝える悠はどうしようもなく愛らしい。夢であるはずなのに悠の温度も鼓動もはっきりと感じることが出来る。これが夢では無いと言われたとしてもおかしくない再現度に、巳波は自身の悠に対する記憶の鮮明さに自嘲さえしてしまいそうだった。何とも言えない気持ちになった巳波は何も言わずに悠の髪を撫で続けていると、悠はその手を取って頬を擦り合わせてくる。
「ねぇ巳波巳波っ。」
「なあに?」
「巳波は今幸せ?」
「はい、とっても。」
「幸せの理由に俺はいる?」
「もちろん。貴方のおかげで毎日幸せです。亥清さんがいるから私はこんな風に笑えるんですよ。」
「へへっ…嬉しいなぁ…」
この言葉を夢の中の悠に伝えたら本当の悠にも伝えることが出来るのだろうか。今、悠も巳波の夢を見てくれていたとして、照れ屋な悠が夢の中でならとこうして伝えてくれていたのなら、たとえ本物の悠でなかったとしても大切にしない理由は無い。はにかむように笑っている悠の瞳をじっと見つめたままキスをすると、今度は本物の悠のように顔を赤くしてそろりと舌を伸ばし始めた。
(夢なのにこんなことまでさせてもらえるなんて役得ですね。)
巳波はそれに応えるように舌を絡めると、現実とそう変わらない二人だけの檻に溺れていった。
♢
悠はどこか落ち着かない気持ちでリビングのソファーに佇んでいた。今日、巳波が日本に帰国する。ラビチャに送られてきた巳波が乗っている便の到着時間はとうに過ぎ、『もう着きます。』とメッセージが送られてくると、ソファーだけでは飽き足らず巳波の足音に聞き耳をたてながら玄関の前で扉が開くのを今か今かと待っていた。
「巳波っ!おかえり!」
「亥清さん、ただいま。」
「誕生日おめでとう。今年も一緒にいようね。」
「もちろん。」
巳波は扉を開けるなり飛びついてきた悠を受け止めると、二人はそのまましばらくの間動かなかった。巳波にとっては二度目の悠からの祝いに言葉は、夢の中の悠のように甘ったるくはないものの、『一緒にいよう。』と言う言葉に間違いは無い。夢の中でも悠は愛らしかったが、やはり現実で悠の全てを感じる方がずっといい。巳波は悠の頬に髪を擦り付けると、悠はくすぐったそうに首を竦めて笑っていた。
巳波はそうだと言って悠に土産袋を渡すと、「あっ!俺ももちろん用意してるから!」と言って悠は家の中へと迎え入れた。荷物を整理している最中、巳波は昨晩の夢の話を悠に語りかけた。
「そういえば、昨晩亥清さんの夢を見たんですよ。」
「え……?」
「亥清さんったら一番にお祝いしたかったからと…本当に可愛らしかったです。」
「そう…」
いつもの悠であれば自身が出てきた夢の話など興味津々で問い詰めてくるはずだが、今日はそうではなかったらしい。どこか歯切れの悪い反応で巳波は首を傾げた。
「亥清さん?」
「……昨日、夢枕、したんだ。」
「え?」
「巳波が寂しくなったら夢枕で会う方法があるって言ってたから…」
「夢枕…」
「巳波占い好きだし、またそういう面白いおまじないかなって思ってたんだけど…まさか本当に出て来るなんて。」
“夢枕”それは自分が望んだ人と夢の中でも会うことが出来るおまじない。望んだ人に伝えたいことを書いた紙をお気に入りのサシェに包んで枕の下に敷くと、その人の夢の中でその言葉を伝えることが出来るという。それは出張前に冗談交じりで巳波が伝えたまじないであるが、その時の悠は面白半分で聞いていただけのような気がする。
「ずるいです…」
「え?」
「あんな風に可愛らしい亥清さんが貴方の中に眠っていたなんて…」
「そんなっ……ん?可愛らしい?」
「ええ。夢の中の亥清さん、本当に愛らしかったです。『巳波巳波っ』って私に甘えて…あれは亥清さんが書いたものではなかったんですか?」
「俺…『誕生日をお祝いしたい。』っていうのと『日頃の感謝を伝えたい。』って書いただけだよ…?」
「あら?」
悠は巳波の言葉の節々を繋ぎ合わせ、一瞬で全てを理解した。巳波の何かを思い出すようなうっとりとした視線を見て、みるみるうちに自分の頬が熱を帯びていくのを感じる。悠はすぐさま巳波の頬に手を添えて目を合わせると、真っ赤になった顔を向けてこう叫んだ。
「全部忘れてっーーーーーーー!!!!!!」