100日後にくっつくいちじろ20日目
「今日、いい一兄の日だ」
「ほんとじゃん」
本日11月12日、語呂合わせで『いい いちにい』の日である。
朝、一緒に家を出て登校する道すがら、はたと気付いたように三郎が呟いた。
「まあ、一兄は毎日いい一兄なんだけど」
「いいこと言うじゃん」
「ふん、当然だね」
ツッコミがいないので通常会話として進んでいるが、傍から聞いていれば完全なるブラコンの会話であったが二人は至極真面目だった。うむ、と頷きながら分かれ道で「じゃあな」「ああ」とごく短い会話で別れた。
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「お、二郎か。おかえり」
爽やかに帰宅を迎えてくれる兄の笑顔は今日も眩しい。
二郎は制服姿のまま自宅の事務所を訪れた。兄はまだ仕事中らしく、デスクに向かってパソコンを叩いている。しかし二郎の姿を見ると手を止めた。
「ただいま」
いつも通り、帰宅の挨拶。しかし何か隠しごとでもあるかのように両手を後ろに回して近づいてくる二郎に気付き、兄は訝しげに眉をつり上げた。
「お前……テスト隠してンだろ」
「ち、違うよ!」
「じゃあ何だその手は」
デスク前まで来ると二郎はニッと笑い、隠していた手を前に出した。すると、その手で持っていたものはバツがいっぱいの解答用紙ではなく、プリンだった。
「これ、新作。あげる」
「え、まじ?」
「うん、美味いらしい」
「いいのか?」
「差し入れ」
「おー、あんがとな。つか、一足先に三郎もさっき帰って来て、なんか新作のポテチくれたぜ」
ほら、と口の開いたポテチの袋を持ち上げて見せた一郎。
先越されたな、と二郎は苦笑いしながら「じゃあプリンは夜にする?冷蔵庫入れとくけど」と尋ねるが「いや、ちょうど煮詰まってて、甘いものほしかったんだよ」と肩を(多少心配になるくらいに)ボキボキ鳴らした。
それならばと、コンビニの店員がつけてくれたプラスチックスプーンを添えて渡すと兄は椅子に座り直してプリンの蓋を剥がした。
「ん、うまい」
「よかった」
「ほら」
「あー」
ひとくちスプーンですくって二郎の口元に差し出す兄。兄の一口はいつも量が多くて、プラスチックスプーンからはみ出している。手を出さず、そのまま口で受け取ると、二郎の口の中に滑らか系のプリンがつるんと入ってきた。牛乳っぽいやつだ。あまり噛みもせず飲み込むと二郎は笑いながら満を持してこの言葉を吐いた。
「うまいね、一兄」
きょとん、一郎が固まった。
二郎と目を合わせると、シパシパ、と二回瞬きを繰り返す。
「なんつった?」
「うまいって」
「いや、その後」
「いちにー、って言った」
「んー、だよな、言ったよな」
え、呼び方変える感じ? 状況が分からずハテナを浮かべる兄に、二郎は思わず声を出して笑った。
「やっぱこの呼び方、似合わないよね」
「いや、似合わないってか違和感はすげえな」
「やっぱ“兄貴”がいい?」
「いや……そういうワケでもねえけど」
急だから驚いた。そう言う一郎に、種明かしをする。
「三郎に言われなかった?今日なんの日って」
「…………ああーっ、“いい一兄”の日か」
なるほどな、と合点がいったように楽しそうに笑う一郎。
「でもやっぱ自分で呼んでみて違和感やべえなー」
「甘えた感じに聞こえるな」
「ナチュラルに呼んでる三郎やばくね?」
「さぶちゃんはナチュラルに可愛いからあのままでいいんだ」
「ああ……そう」
「でもいいぜ?お前も甘ったれた感じで、一兄呼びしてくれても」
「いやー……今日限定にするわ」
「今日はこのままいくのか」
「うん、年に1回だしね」
とりあえず俺は着替えて薬局行ってくるよ。トイレットペーパー安売りしてるし。
そう言うと二郎は兄に背を向け、ドアへ向かった。その背中に兄が「プリンありがとな」と声をかけると、くるりと振り返り、にっと笑ってドアを開けた。
「どういたしまして、一兄」
ぱたん、と閉まったドアを眺めながら、プリンをもう一口食べて、頬杖をつくと一郎はおかしそうに笑って独り言を呟いたのだった。
「どんな呼び方でも可愛いのに違いないけどな」
2024.11.13