100日後にくっつくいちじろ76日目
「……あのう、非常に言いにくいんだけど、言ってもいい?」
二郎は洗面所で歯磨きをしている兄の背中へ話しかけた。すると一郎は鏡越しに二郎を見つめて返事をする。
「……何だ」
「いや、何だ、じゃないよね。分かってるよね?自分で」
「何……ゴホッ、の……ゲホゲホッ……!話だ」
「いや無理あるから。誤魔化せてないし」
真っ赤な顔、ぐったりとしんどそうな表情、重い足取り、鼻声に、何より咳。
どうも立派な風邪っぴきです。と看板を背負っているようなものだ。
「ハイ兄貴今日は仕事休みー、ハイ病院ー」
「ぐう……」
幸か不幸か、二郎と三郎は、本日までが冬休みである。
二郎はリビングで皿洗いをしていた三郎の元へ行き、兄の体調不良を密告。すると三郎はテキパキと兄の部屋へ上着と財布を取りに行き、二郎はかかりつけの病院へ電話をかけて予約の空きを確認する。当の一郎は重い足取りのままリビングへ戻ると、ソファーに腰かけ今日の業務スケジュールを確認しはじめた。
「兄貴、いつもの病院の予約取れたよ。三十分後に来れるか?って」
「ああ……サンキュ」
「今日の仕事は?」
「家具組み立て、パソコンの初期設定に、買い出し、ペットの散歩……」
細々した依頼が複数詰まっている。しかしどれも二郎、三郎で代えのききそうな内容であった。例えば車で何かを運搬したり、兄が資格を取っている専門的な技術の必要な作業だったら難しいところだったが。
「よし、じゃあ今日は俺が行ってくるよ」
「は……?いや、でも」
「PCの初期設定だけは三郎にやらせるけど……おい、三郎。今日は俺が兄貴の代わりに仕事行ってくるから、兄貴の病院付き添いと、看病と、ついでにPC設定の依頼だけ頼む」
一郎を他所に、二郎と三郎は話し合いをはじめた。パソコン初期設定の依頼人はすぐ近所だし三郎も知っている老夫婦の家なので問題ないと三郎はすぐに了承し、とんとん拍子に話が進んでいく。
「いや、しかしお前ら最後の休日だろ……」
「もう。一兄は病院に行くまで黙って休んでください」
「そうだよ、横になってなよ」
そう言ってブランケットを一郎にかけて弟達は諸々の準備で家の中をバタバタと動き回る。申し訳ない、と思いつつも弟達がこの上なく頼りになって一郎はジンと胸を熱くした。
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「ん……だる……」
一郎が目を覚ましたのは午後六時。
朝、病院に行きインフルエンザだのの検査を受けた結果、普通の風邪と診断された。そして帰宅後は、三郎の完璧な看病により薬を飲み、ぐっすりと自室で眠っていた。時計を見て自分がすっかり爆睡していたのだと一郎はぬるくなった額の冷却シートを剥がしながら思った。
喉が渇いた、そう思い、体を起こしたそのタイミングで、部屋のドアが静かに開いた。真っ暗にしていた部屋に廊下の明かりが一筋入ってくる。
「あれ、起きてたの?」
コートを小脇に抱えた二郎だった。一郎が体を起こしてスポーツドリンクを飲もうとしていたところを見て部屋に入ってくる。キャップを外しペットボトルを二郎が手渡せば一郎はそれをゴクゴクと半分飲んだ。
「熱はどう?」
「あー、今起きたばっかりで測ってない」
「あ、まじか。じゃあ測ってみよ」
外の匂いが二郎から香る。一日、家から出てないだけなのに、それがどこか懐かしく感じる。一郎は素直に手渡された体温計を脇に挟むと二郎へ尋ねた。
「依頼、問題なかったか?」
「あ、うん。全部完了したよ。特に問題ないと思う。三郎の方も大丈夫だったみたいだし」
「そっか……ほんと悪かったな、せっかくの休みに」
「もー、いいってば。どうせゴロゴロしてるだけだったんだから」
「サンキュ」
ピピ、と音がして表示を見ると、まだ38度台。
「ああー、結構高いね」
「逆に微熱のときの方がしんどかったわ」
「じゃあ熱、上がり切ってるのかもね」
丸められた冷却シートを見ると二郎は立ち上がった。
「新しいシート持ってくる。それとお粥とか食えそう?薬飲まなきゃ」
「おう、食える」
「よかった。んで、食べたら着替えようか。気持ち悪いでしょ」
「ああ……そうするわ」
汗でべっしょりと肌に張り付いた服。しかしとりあえずしんどくなってきたのでゆっくりとまた体を横たえた。
「はあ、年始から駄目だなー…」
「今、風邪流行ってるもん。兄貴が駄目とかじゃないって」
じゃあ、もう少し待っててね。
そう言って二郎は兄の部屋を後にした。再び静まり返る一郎の自室。幸先悪いな、なんて再び目を閉じて布団を被った。
2025.12.7