ポカぐだ♀ / ほのぼの / パン屋さん / 未来の話わたしのゆめは、すきなひととパンやさんをひらくことです。
おかあさんと行くきんじょのパンやさんはね、わらったかおがステキなおくさんが「りつかちゃん、いらっしゃい」ってやさしくいってくれて、おすすめのパンをおしえてくれるの。
レジのうしろのまどのむこうでパンをやいているのが、だんなさんなんだって。たまーにおみせにでてきて、おくさんとおはなしするときがあるのだけれど。
そのときのおくさんもだんなさんも、にこにこしててとってもステキなの!
わたしもにこにこしちゃって、おうちでパンをたべるときにもおもいだして、にこにこしちゃう。
だからわたしも、すきなひととパンやさん、したいなぁって。
いっしょににこにこしながら、ふたりでふかふかのおいしいパンをつくって、みんなにたべてもらうの!とってもステキでしょ?
そう。わたしの夢は、好きな人とパン屋さんを開くことでした。
ほんとささやかで、笑っちゃうくらい幼稚な夢。
学校へ行くようになって友だちと遊んで勉強して。部活で汗を流して。毎日楽しく過ごしているうちに昔の夢のことはすっかり忘れていたのだけれど。
世界が焼失してしまうと言われて、わたしが世界を救うしかなくなってしまって。
それはもうしかたがないことで。そうやって割り切って。
死にたくないもん。もとの世界で生きたいもん。って、やるっきゃないんだと必死に駆けるしかなかったんだけど。
でもやっぱり平凡で普通のわたしは何度も心が挫けそうになって。もうヤダもうがんばりたくないって心が叫び出しそうなときに、そうそんなときに思い出したの。
小さいときの夢。たぶん一番最初の、純粋で、とってもきらきらした夢。
まっくらな闇の中で見つけた、かすかな光だったのです。
笑っちゃうことにそのとき好きな人なんていなかったんだけどね。経営についてもサッパリわからないし、立地もどんなパンを作ろうかすらも、なーんにもアイデアなんてないんだけど。
そうだ。ぜったい好きな人とパン屋さん開く!一軒家の!小さなお店!
旦那さんがパンを焼いて、わたしが売るの。旦那さんの作るパンはとっても美味しいから、近所の人にも好評で。
「やっぱりここのパンがいちばんね」「この前のあれ、とっても美味しかったわ」って、みんな笑顔で語ってくれて。わたしもにっこり笑って「いつもありがとうございます!」って応えるの。
みんなの反応がうれしくてレジの後ろの窓へと振り返ると、カレがわたしを見ていて。よかったなってやわらかく笑ってくれるから、わたしももっとうれしくなって、カレににっこり笑いかけて。
毎日しあわせ感じて、生きるんだから!
そんなことを夢想して。かなしいことがあっても、ツライことが起きても。これが終わったら。絶対!ぜったい!って。つよく願うようになったのです。
だからわたしの「願い」は好きな人とパン屋さんを開くこと、なのです。
(***)
大人になるとは変質すること。そして自身の、周囲の変質を許容することだと考える。
町も世間も。人との関係も。不変なんてものはなくて、大小さまざまあれど、変化してゆくのだ。
これはサーヴァントのみんなや神様、妖精のみんなですらも、人との出会いや経験で変わってゆくのを間近で見ていたからこそこうやって考えるようになったというところがある気がする。
そして自分も。体型もそうだし、考え方もそうだし。いつまでも若い自分と同じなんてことはない。体力も容姿も、あるときを頂点に衰えてゆくし、逆に経験を積んで向上していくこともある。それを受け止めて、認めて。……妥協だと言う人もいるけれど。
そうやって死ぬまで生きてゆくのが、大人になるってことだと思う。
世界を救う戦いは汎人類史の勝利に終わった。なんとか取り戻すことが出来た日常であったけれど、すべてが元通りにはいかなかった。
勝利までの間に失ってしまった命は戻らないし、別離を決意したサーヴァントたちともそれきりとなってしまった。わたしも旅の中で負った傷でからだはガタガタ、元々糸みたいに細々としていた軟弱な魔術回路は今にもちぎれそうなほどにボロボロだ。
本来ならばわたしの存在はあまたのサーヴァントと契約したマスターとして封印指定の対象になってもおかしくないらしいが、そこは新所長が便宜を図ってわたしの存在を秘匿してくれた。
曰く、わたしの存在は血筋を重んじる魔術師たちに知れ渡ると大きく荒れるらしい。カドックも深く頷いていたっけ。さらに曰く、普通の女の子がこれまでがんばってきたんだから、あとは好きなように生きなさい。……キミが魔術師であることを望むなら、別だけど。とのことだ。
……あんなにからだじゅう傷だらけになって血を吐いて、何度もアンプルと回復ドックにお世話になったわたしのことを普通の女の子と呼んでくれるの、うれしかったなぁ。
新所長の配慮やカドックが姿をくらませる魔術をかけてくれたおかげで。わたしは一般人へと戻れることになった。
戻れるならば。これはもう、願いを叶えるしかないじゃない?と決意して。わたしは拉致するようにひとりを捕まえて、パン屋さんを開くことにしたのだった。
なにせ願いに縋ったあのときにはいなかった好きな人が、いまのわたしにはいたから。
一般人に戻れると新所長から聞かされた夜。わたしは好きな人にわたしの願いのことを伝え、だから一緒に来てほしいとお願いをした。
彼は戦いの神様だから、戦わない者には支援はしてくれないだろう。そもそも最後の戦いの最中にわたしが死ななかったことが信じられないくらいで。なので彼についてきてもらうために、ここで願いを少し変質させたのだ。
ぼんやりと描いていたパン屋さんの姿は、旦那さんとふたりで穏やかにしあわせに、であったけれど。彼に「町一番のパン屋さんにしてみせる!」と宣言したのだった。
戦いの規模があまりに小さいから怒るか呆れるかされてしまうことも覚悟していたけれど、彼はひとしきり笑ったあとに「いいぜ。パンで天下を獲ってみるか」とおおいに乗り気になってくれた。
……規模、大きくなっているけど。それはまぁ、とりあえず置いておいて。天下を獲るには町一番にもならないといけないし。
彼はいくつか会社を経営していただけあって、わたしが彼にお願いをした翌日にはそれは立派な事業計画書を見せてくれた。どこに店を出すのがいいとか自宅兼店舗ならば治安の良いここがいいだとかいくつか候補を挙げてくれるし、設備の調達に納期調整までしてくれて。わたしがネモベーカリーが教えてくれたパンと、新所長が作ってくれたクロワッサンをお店に並べたいな。なんて考えている間に、漠然としていたパン屋さん計画はトントン拍子に進んでいったのだった。
彼は開店は手伝ってくれたけれど、わたしと一緒にお店には立ってくれなくて。「製パン業界でトップを獲る」と言い出し新たに会社経営を始めてしまった。
旦那さんがパンを焼いてわたしが店員さんをするつもりが、朝自分でパンを焼き、開店後は自分で店番をすることになった。ひとりでお店を回しているからやることは多いし数もそんなに作れないし、大変なことばかりだけれど。近所のマダムや家族連れといった固定客はついてきたし、新しいパンを試行錯誤する心の余裕も生まれてきている。第二の人生は充実したものになった。
まさかこんなかたちの「好きな人とパン屋さんを開く」になるとはなぁ。「開く」……うん。たしかに、一緒に開いてはくれたけど。
現実は思い描いていたものとはずいぶん違うものになったけれど。願っていたことと違うからといって、失望したり悲観に暮れたりなんてそんなことはまったくしていない。好きな人が彼なのだもの。パンを焼いてくれるよりもパン工場で大量生産しているほうが彼らしいし。
今がしあわせだから、これでいいのだ。大人になったわたしは変質を許容して、今の生活に満足していた。
閉店時間を前にパンが売り切れてしまったため、今日は早めに店じまいすることにした。
お店のシャッターを閉めて、パンを並べていたトレーをとりまとめてゆく。お店の清掃を始めたわたしの背後から、トタトタと軽やかな足音が聞こえてきた。
ガチャリ、と、バックグラウンドへと続くドアが開いた。
「おかえりなさい」
「ただいま!
ねぇ、パピは?今日は工場寄って直帰するから、はやく帰るって言ってたよね?」
小学校から帰ってきた我が子がまん丸な水色の瞳を瞬かせ、早口で尋ねてきた。急いで帰ってきたのに彼の車がなかったからご機嫌斜めなのだろう。声に少し険がある。昨夜、早く帰ると告げた彼に一緒にゲームしようねとせがんでいたから、きっと落胆しているのだ。
「さっき連絡が来て、会社に戻るってから帰るって」
「えぇーっ!またぁ?パピ、わたしたちと会社、どっちが大事なの?」
「ふふ。そんなこと言わないで。あれで結構必死なのよ、あのひと」
不貞腐れる娘をなだめるようにオレンジ色の髪を撫でる。あのひとに似てさらさらの猫っ毛で、とても手触りが良い。
彼は技能や経験なくして戦士になれる銃が好みなだけあって、パンの工場での大量生産は性に合っているのだろう。工場の数も増え品質の良い小麦を生産する農家さんとも専属契約を結び確実にシェアを拡大している。
「戦場ではぶっ殺せばいいが、ビジネスは戦略を練ってと言葉で戦わなければならないのがまだるっこしいな」とたまに肩を回しているけれど。最近は肩が凝るらしい。
彼がそうやって製パン事業を拡大し売り上げを伸ばしているのは、わたしが好きなようにパン屋さんを出来るようにするためだということを知っている。わたしのパン屋さんを彼の会社の子会社化して、支援してくれているのだ。
おかげで無名の小売店では手に入らないような高品質で高級品な小麦を使うことが出来るし、設備も最新鋭のものを使うことが出来ている。
お礼を言うと、「無上の支援をすると言っただろう?」と言って彼は笑うのだった。
「町一番のパン屋さんになる」……そう宣言して始めたパン屋さんだけれど、さていちばんってなんだろう?
売り上げを上げると言っても量を作れないし、そもそも町のひと全員のいちばん好きなパンがわたしのパンになることはないだろう。好みの問題があるのだ。
それでもひとりでも多くのひとに食べてもらいたい。美味しいと思ってもらいたい。また食べたくなって買いに来てほしい。そういう想いと願いを込めて、毎日パンを焼いている。
これが戦いに値するだろうか?わたしは戦士と言えるのだろうか?……彼は不意にわたしたちの前からいなくなってしまうのではないか?
そう不安になるときはある。けれど、戦いの神である彼は何も言わない。毎日会社に出かけて、そして帰ってきてくれる。
サーヴァントも、神も妖精も、人との出会いで変質をするのをこの目で見てきた。
彼もわたしの変質を許容し、彼自身の考えを変質してくれているといいな。そう願わずにはいられない。
「今日は会社に資料を届けるだけにして、すぐ帰って来るって。さ、お父さんが戻ってきたらすぐにごはんに出来るように、一緒に手伝ってくれる?」
「はぁい……」
口をすぼませる我が子の頭をもう一度さらりと撫でる。
ふと、砂利を蹴るタイヤの音がした。
「あ!パピ帰ってきた!」
小さなからだのどこにそんなパワーがあるのか。不思議になるくらいの勢いで娘は駆けていった。ドタドタと慌ただしい足音が廊下に響く。
苦笑をこぼしてわたしもそのあとに続いた。
玄関にふたり立ち、彼を待つ。ドアの向こうで足音が止み、ガチャンと解錠の重い音が響く。
薄くドアが開き、その隙間から夕日が差し込む。ゆっくりとドアが開いた先には、沈みゆく太陽を背に金の髪をきらきらと輝かせた彼が立っていた。
「パピおかえりなさい!もうー遅いよ!」
足下に抱きつく娘を軽々と片手で抱き上げ、キスをする。彼はわたしに向き合い眦を下げた。
「ただいま」
あぁ、やっぱり好きだな。低い声はやわらかく、わたしの胸にすっと入って染み渡ってゆく。
いつもありがとうの感謝を込めて。わたしは頬を緩め、顔いっぱいに笑みを浮かべ、彼に告げた。
「おかえりなさい。テスカトリポカ」