欠けた白鳥「欠けたはくちょ…」
その瞬間、この世から永瀬真鶴の存在が消滅した。
✻ ✻ ✻
「今の我々にはもう一人協力者がいます。今その人とルーシーさんの部屋で…って、伊織さん?聞いていますか?」
『聞いてる聞いてる!緑茶美味しいですよね!』
「何の話してるんですか。協力者です、緑茶は関係ありません。買っておきましょうか?」
『助かりますー!』
私たち武装探偵社は、天人五衰の策略によって犯罪組織の汚名を着せられ、軍警に追われる身となった。私も与謝野さん達とポートマフィアに匿ってもらっていたが、別行動を取り無事逃走車を使って街の中心部から逃れることが出来た。
そして今。縋る思いでかけた電話の主___坂口安吾さん。内務省異能特務科所属の政府の人間であるにも関わらず、過去に私と治の為に過去の犯罪歴を全て消し去ってくれた人。どうやら彼は“裏頁”に希望を見出した治に協力し、探偵社に手を差し伸べてくれる救世主でもあった。電話に出た時に「安心してください。僕は貴女の敵じゃない」って言われて本気で泣いた。
「…伊織さん。もしかして、軍警と交戦してます?」
『えっなんで??いや全然そんなことないですよ。あっ騒がしかった?すみません今近所の子供たちと鬼ごっこしてて』
「そんな訳ないでしょう。貴女は判り易すぎるんですよ。軍警と鬼ごっこの間違いですよね」
『あはは……』
バレた。安吾さんの言う通り、私は軍警と命懸けの鬼ごっこをしている。文字通り命懸け。小栗虫太郎なる現実改変系の異能力者によって、過去に消された筈の犯罪歴が露見した私は、捕まったら確実にムルソー行きだ。ポートマフィア時代のもそうだけど、暗殺者として働いていた頃の経歴なんてかなり不味い。フョードルの話し相手なんて御免だよ、治の足手纏いにはなりたくないし。
『とりあえず猟犬が来る前に撒きます』
「…協力者が其方に向かいました。現実改変系の異能力者です」
『おー、それは心強い』
「最後まで聞いてください。彼の異能力は、“本”とは違って自身に代償が降りかかるので酷使は出来ません。しかもどのように改変されるかは本人にも分からない」
『おー、それは大変だ』
逃走車のタイヤはパンクしてる。相手は武装してるし、足を失ったのは大きいな。今車に積んであった武器で応戦してるけど、逃げられるかな~…。
「着きました。柳生を回収後、即時撤退します」
「合流できたようですね。伊織さん、彼が我々の協力者…」
軍警の更に奥から、発砲音。
軍警の隊列が崩れた。流れた血を鞭のように操って、道を切り開く。負傷した痛みでバランスを崩すと、協力者くんが私の前に立って拳銃を構えた。
……知っている。覚えてはいないけれど、私はこの背中を、知っている。
「___永瀬真鶴くんです」
「針、足元」
俵担ぎされて、その発されたのは一言のみ。でも、何を云いたいのかは直ぐに判った。追いかけてくる軍警の足元に落ちている鞭を、針のように変化させて足止めする。その隙に彼は裏路地に入り……
「二人共!無事でよかった…」
「一寸、何よその怪我!虎猫ちゃんたちが泣いても知らないわよ」
『耳が痛いなぁルーシーちゃん』
無事ルーシーちゃんと安吾さんと合流。なんで二人は一緒に居るんだ??と思って質問したら、「やっぱりさっきの話聞いてなかったんですね」と呆れられたので口を噤んだ。安吾さん怒ったら怖いんだもん。
「おい動くな。手当てしてやるから」
『君は…あ、頬怪我してる。私のせいでごめんね、ありがとう』
「これくらい何ともねえよ。それよかお前!思いっきり銃弾食らってんじゃねぇか!何してんだバカお大事にしろバーカ」
『えっ急な罵倒…ごめん…』
「ごめんで済んだらポートマフィアなんざ要らねぇんだよ」
鞄の中から包帯やらガーゼやらを取りだした彼に「与謝野を連れ戻すまで一歩も動くな」と凄い剣幕で捲し立てられて押し黙った。安吾さんも勢いに驚いてた。というか私が黙ったことに驚いてた。私ってそんなにうるさい?すみませんいつも話聞かなくて。
「悪いがこれしか無いんだ、我慢しろよ」
『星柄…此れ子供用じゃん。私もう二十四だけど』
「自由奔放なところなんか子供と大して変わりないだろ。今度焼き魚と煮物作ってやるから文句言うな」
『卵焼きもつけ、て…』
疑問。
どうして私の性格を知っているんだろう。
どうして私の好物を知っているんだろう。
どうして、初めて会った気がしないんだろう。
以前から知っていたかのような、流れるような会話。どこかで見たような背中、この骨ばった手、星柄の絆創膏。何だったか名前は……鳴呼、真鶴だ。永瀬真鶴。青色の星を宿して、ふらりと目の前に降り立った一羽の鳥。
「初対面で信用しろとは云わねえが、俺はお前の…」
『嘘だ』
口をついて出た言葉だった。それなのに、彼はこんなにも驚いた顔をする。無表情だと思っていたけれど、割と判り易いんだな。口下手なだけで、不器用なだけで。きっとこの人は信用していい。
『初対面じゃない、どこかで会ってる。確証は持てないけど、君は嘘をついてる』
静かに、私の言葉を聞いている。目はそらさない。視線は真っ直ぐ交わって、その瞳の奥に何かを感じた。残った一枚の絆創膏を開けて、彼の頬に貼ってあげる。
『じゃなきゃ、こんなに温かい気持ちになるもんか』
治がムルソーに行ってからというもの、私の心はずっとざわついていた。治のことやこの間の事件のこともあったんだろうけど…それだけじゃない。私の中から、何かが欠けてしまったんだ。
それが今、君と邂逅して変わった。何も覚えてないし、君のことなんて何一つ判らないけれど、きっとこれは何かの因果だ。
『君のことを教えてよ、真鶴』
その声は、私を明るい方へと導く。
その存在は、私の中で何かが失われた悲しみを浄化する。
『君と会えて良かった。私は運がいいみたいだ』
私はもう一度、自分の直感に賭けてみようと思う。