守りたいが故に以前、治がポートマフィアに捕まった時のことを覚えているだろうか。治は転んでもただでは起きない。と云うか捕まったのも治の策略の内である。敦に七十億もの懸賞金をかけた黒幕は、組合と呼ばれる北米異能力者集団のリーダーであるという情報を掴んで帰ってきた。
其奴らを含めた、武装探偵社、ポートマフィアの三社が対立する中、探偵社員を含めた一般人が次々と行方不明になったり、街に解き放たれたQが組合に捕えられたりした。行方不明事件については敦と潤の尽力により解決。しかしQの件については此方も迂闊に手を出せず、武装探偵社とポートマフィアの共闘という提案も森医師は呑まなかった。
そして遂に、停滞していたQの奪還任務をこなすべくやって来た私と治は、森の中に建つ煉瓦造りの小屋の前に並んだ。
「これがQの監禁場所か」
『ねえねえ治、此処…』
此処、囲まれてるよ。其れを云い切る前に、複数のライトが周囲から私たちを照らした。
「何か云ったかい?」
『否、一寸遅かったみたい』
背後で、大勢が此方に向かって銃を構えている。ゆっくりと振り返れば、現れたのは独歩と潤が対峙した二人組。大方予想はしていたけれど、思っていたより戦闘員がいるね。
「……そりゃ罠か」
治が不敵な笑みを浮かべ、呆れたような声音で呟くと同時に、二人組の後ろから人影が現れた。その人影は銃を構え、戦闘員の手元を狙って機関銃を撃ち落としていく。そして私たちの頭上からは何かが降ってきた。
「この塵片したら次は手前だからな」
「てめーら、俺の坊ちゃんに何してやがる」
頭上から降ってきた何か___ポートマフィア幹部の中原中也。森の中から現れた人影___此方もポートマフィア幹部の永瀬真鶴。ここからの巻き返しを図る森医師の思考が手に取るように判った。二人の登場を合図に、私も異能を発動させる。
対組合共同戦線、反撃の狼煙だ。
✳✳✳
『中也!真鶴!』
「…よォ、元気そうじゃねェか」
「最近よく会うな」
彼らの登場により、戦闘員たちの殲滅は然程時間もかからず終わった。
治がこの任務に対してのやる気が全く無かったのは、中也が来ることを判っていたから。治と中也は、嘗て敵意能力組織を一夜で滅ぼし、‘’双黒”と呼ばれた黒社会最悪の二人組。一夜限りの復活だ。二人は一緒にいると普段より自然な表情をしているから、迚も微笑ましい。
「あれを見て笑ってられんの、多分お前くらいだろうな」
『喧嘩する程仲がいいって云うでしょ』
「まじでそう思ってんのかよ…」
『…真鶴も来ると思ってたよ。何せ、大事な大事な坊ちゃんの為だもん』
真鶴はちらりと此方に目線を寄越して、直ぐに小屋の方を見た。私も其方に視線を向ければ、口論をし乍らも中へ入っていく治たちが居た。私たちもそれに続いて小屋へと足を踏み入れる。
『それにしても珍しいね、真鶴がQから目を離すなんて。駅でQを見た時には驚いたよ』
「……嗚呼」
Qを座敷牢へ閉じ込めたのは治だ。牢から出たら真っ先に治と、治の周りの人間を狙いに来る。それは此方側にとって危険だが、その分Qに迫る危険も増えると云うことだ。真鶴は何時になく真剣な面持ちをしている。目を離してしまったことに責任を感じているのだろう。
『そう怖い顔しなくても大丈夫。絶対、連れて帰るよ』
「勿論だ」
そうこうしている内に地下室へと辿り着いた。提燈が点くと、部屋に張り巡らされた木の根と、椅子に置かれた人形が照らし出される。Qは木の根に囚われていた。
「坊ちゃん!!」
Qを殺すかというやり取りが治と中也との間であったけれど、治はそうはしなかった。Qが生きている限り治の異能は必要だし、此処でQを殺せば真鶴も敵側につく。治は異能を無効化できるとは云え、真鶴が敵に回るのは厄介だ。折角共闘が叶ったのだから面倒事は極力避けたい。
木の根からQを救い出すと、真鶴は鞄から包帯やら消毒液やらを出してテキパキと手当てをし始めた。小さく唸るQを見て、拳を強く握る。
「何が怒りの葡萄だあの野郎…!次会ったらぶち殺してやる…!!」
「…真鶴も、昔から変わらないね」
治がぽつりと呟く。真鶴は額に青筋を浮かべて、珍しく感情を露わにしていた。真鶴の抱きかかえているQの頭を撫でれば、全く警戒もせずに手に擦り寄ってきた。
どの組織から見ても、Qの存在は忌わしいものであり、それと同時に手中に収めておきたい切り札だ。けれどこの子は…未だ子供だ。善悪の区別すらつかない、十三歳の子供なんだ。
『子供に手荒な真似をするなんて、一寸許せないなぁ』
「一寸って顔じゃねェな…」
呆れたような表情で此方の様子を伺う中也を一瞥して、真鶴に続いて階段を上る。怒りがふつふつと湧いているのを感じた。何処までも凪ぐ静かな怒りだ。
彼らを殺しはしない。けれど、許しもしない。
『組合は、非戦闘員であるうちの事務員さんを狙った。更には一般人の犠牲も厭わない。
……情けをかける理由、ある?』
✳✳✳
『取り敢えずQの奪還は成功だね』
「そうだな」
私たちが小屋を出ると、二人組の長髪の方が異形となり暴れ狂っていた。治の無効化が効かない。此方にはQもいる。そんな中解き放たれたのは、中也の異能___汚辱だ。全てを蹴散らし、一帯を更地にして眠りについた。問題の葡萄くんはと云うと、相方がやられて戦意を失っていたから仕方なく諦めた。折れている足を踏む程度に留めたことを褒めてほしい。
『如何かした?』
「悪い。俺を庇ったんだろ」
視線を感じたと思えば、素早く私の服の袖を捲った。腕を取り、傷口を優しくハンカチで押さえる。先刻まで瓦礫が降ったり触手に投げ飛ばされたりしていたし、怪我の一つや二つ出来ていてもおかしくは無い。それに、これはただのかすり傷。直ぐに治る。
『怪我なんてよくあることだし、私は人一倍頑丈だから問題ないよ』
「…有難な。お前が居なかったら、俺だけじゃなく坊ちゃんまで怪我をする処だった」
『何方も無事で何よりだよ』
少し眉を下げて、水筒に入った水で傷口を洗ってくれる。興味本位で覗いた鞄の中身は、Qの水筒やら保険証やらで溢れていた。私が怪我をしていない左手で抱えている当の本人は、年相応のあどけない表情で眠りこけている。
『真鶴がQを大切にしてるのは十分判ってる心算だけどさ、実際表現するとしたらどれくらい大切なの?』
「………銀河くらい、かな…」
『思ったより大きい』
控えめに云ってこれくらいなんだけど…みたいな目で見られても困る。聞くんじゃなかった。
「お前のことも…坊ちゃんや与謝野までとはいかないが大切に思ってる。怪我、ちゃんと手当てしろよ」
Qと与謝野さんに対して真鶴は本当に心を許しているし、今の関係性以上の感情を抱いているんだと思う。そんな人達と比べられてもなぁ…。けれど、真鶴の大切な人の枠に私も含まれているらしい。それは一寸嬉しいかも。真鶴は私からQを預かって、鞄を漁り小さな箱を手渡してきた。
『此れは…?』
「あ?嗚呼、悪いが今其れしか持ってないんだ」
手に置かれたのは、Qの為に持ち歩いているのであろう子供用の絆創膏。キャラクター柄ではなく星柄なだけまだマシだけど、流石に返した。
『此れ子供用じゃん。私もう二十四なんだけど』
「否、お前小さい傷は放っておくだろ。跡に残ったらどうする。貼ってやるから傷口見せろ」
『…私真鶴のそういうところ厭』
「何でだよ」
絆創膏を貼る手つきは慣れたもので、世話係が板についてるなぁとしみじみと感じた。元々面倒見が良いのもあるだろうけど。私に懐いていたエリス嬢はお転婆ではあったけれど怪我はしないし、そもそも異能生命体だから肉弾戦も強い。Qの世話係は本当に大変なんだろうなぁ。
けれど一応年下である真鶴に子供扱いのようなことをされるのは何だか複雑だ。そんな私の感情を表情から読み取ったのか、ふっと小さく笑った。
「今度作り置きのおかず持っていくから我慢しろ」
『ぐっ………筑前煮』
「あと卵焼きと焼き魚だろ?判ってる」
……何だか上手く丸め込まれてしまった気もするが、真鶴の御飯にありつけるのだから良しとしよう。
かくして対組合共同戦線は、Qの奪還成功を合図に加速していった。