世界の半分が恐怖の対象になってしまった。
言葉にすると呆気ないくらい簡単に説明できてしまうが、現実はそうはいかない。
俺っちは女性から逃れるように狭い部屋の中へ閉じこもるようになった。
仲の良かった友達は俺っちがいない生活に順応しているようだ。精神疾患に苦しむ人間が切り取られ納められた、悲惨な部屋を訪れる人は、学校の先生や父親などの義務感を背負った人間しか居ない。────ただ一人、幼馴染を除いては。
小学生からの付き合いがある独歩だけは、配布されたプリントがあろうがなかろうが、必ず学校帰りに俺っちの家へ寄ってくれる。
外界から遮断するように閉められた窓とカーテンを開けて、俺っちに太陽の光を、この体がまだ生きてるんだって事を思い出させてくれる。
外の出来事を聞けば、「帰り道にな、野良猫が居るんだが、三十秒以上見合ってからひと鳴きされたんだ。意味深だよな。俺に何を伝えたかったんだろう?」「やたらと黄色い花が咲いているな、と思ったんだが、調べてみたらオオキンケイギクって言って外来種らしいぞ。駆除対象になっている」とか、そんなんばっかでさ。俺っちを気遣っているのか、天然なのか。独特な目線で切り取られた話は心穏やかに聞くことができた。
そんなことを半年ばかり続けていたら、歩以外はこの狭い箱みたいな部屋の存在を忘れてしまったらしい。
学校の先生も父親も最初は熱心に部屋を訪れていたけれど、俺っちの症状が思ったより重傷で容易に改善しないと分かった途端、足が遠のくようになった。
俺っちには独歩だけ。
全ての役割を独歩に求めてしまった俺っちは、彼に見限られないよう、取れない枷を付けたくて仕方がなかった。
「独歩ぉ、俺っちから離れないで」
人肌が恋しくて、制服姿の独歩に腕を絡み付けた。抵抗はない。髪を撫でられても、頬擦りされても、俺っちにされるがままだ。
「当たり前だ。現に、今もくっついてるだろ。俺はどこにもいかないよ」
努めて穏やかに振る舞う独歩を見て、俺っちの中に焦燥感が生まれた。独歩は俺っちの安心を得るために心にもないことを言っているのかもしれない。耳障りが良いだけの言葉を腐るほど聞いていた俺っちは疑心暗鬼に陥っていた。
俺っちが囚われている小さな箱の中は、自由研究でやった蟻の育成キットと一緒だ。観察者が飽きたら、餌を与えられず死にゆくだけ。
日に焼けた首筋に顔を埋める。外は暑かったのか、うっすらと汗の匂いがした。舌先で肌をひと撫ですれば、味蕾が塩辛さを感じ取る。
外を、生きている、味。
独歩と共に外から持ち込まれる温度や湿度や匂いたちは、日々彼の世界が外に広がっているのだと訴えかけてくるんだ。
どうすれば世界から独歩を切り取ってしまえるのだろう。
どうすれば俺っちに繋ぎ止めて置くことができるのだろう。
「……ッ!」
独歩が開け放った窓から風が吹き込んできた。直射日光を遮っていたレースのカーテンがはためき、俺っちの名を呼んだ唇が細かに光を反射する。ラメが含まれたリップグロスがそこに接触したのだと、容易に想像できてしまった。
最悪だ。
女の子は、俺っちから全てを奪っていく。
奪われないよう死守しなければ。
俺っち無しでは生きられないよう、作り替えるのがいいだろうか。
「ひふ、み……?」
俺っちは、独歩の体を硬い床の上へと押し倒した。