友達になりましょう 昼休みの誰もいない空き教室は薄暗く、カーテンの隙間から漏れる陽光が埃をきらきらと輝かせていた。
喧騒から遠く離れたそこは恰好の告白スポットだった。だからというわけではないが、水戸は今からきっと告白されるのだろうと確信を持っていた。
自分より高いところにある相手の顔を眺める。ひとつだけカーテンが開いた窓から射す光はその人を照らすスポットライトのようだった。
赤く染まった頬が柔らかそうなその人は、視線を彷徨わせたまま口を開けたり閉めたりしている。かれこれもう三分ほどこうやっているが、見ていて飽きないので急かしたりはしない。
「あのさ、水戸」
意を決したように声を発した。水戸はできるだけやわらかく聞こえるように返事をする。
「なあに? ミッチー」
その名前を口にしながら、まさかこの人に告白されるなんてな、と水戸は思う。数々の人間から告白されたことはあれど、二つ上の同性からは初めてだった。しかも初対面でしこたま殴った相手なんて。この人、大丈夫か? と心配すらしてしまう。
「オレ、水戸のこと好きだ。もし良かったら付き合ってほしい」
まっすぐでひねりのない告白だった。
だけどそれを口にするときだけ水戸の目を一心に見つめてきたのが好ましかった。色素の薄い瞳が光に透けて、揺らめいているのはきれいだ。
悪くないかも。
そう思った。水戸は来るもの拒まずという主義ではないので、告白されたとしても合わなそうだと判断すれば断る。しかし悪くないと思った相手にはとある条件を提示して付き合うことにしていた。
「あー、花道とかあいつら優先でもいいならいいけど」
今までこの条件を提示して断ってきた相手はひとりもいなかった。実際は友達優先でも大丈夫と言ってくれたから付き合うことになったのに、ときが経つにつれて相手が水戸に呆れて別れてしまうのだが。三井なら男同士だしその心配も少なそうだと思った。
三井は眉を寄せて、考え込んでいるようだった。少し泣きそうに見えるのは気のせいだろうか。まさかうれし涙だったりして。そう思って眺めていると、三井はぶんぶんと顔を振った。
「えーと、それならいいわ。この話は忘れてくれ。今までどおりよろしくな」
にこっと最上級の笑顔で言った。水戸は呆気にとられてなにも言えなかった。そうしているうちに三井は引き戸をわずかに開けて、そこからすり抜けて廊下に出て行ってしまった。
「は?」
ようやく水戸の口から飛び出たのはそれだけだった。
高宮たちと四人で花道が入院している病院へ向かっていた。その道中も水戸は昼休みの出来事を繰り返し考えていた。
三井があっさり引き下がったのは予想外だった。好きって言ったくせにてめえの気持ちはそんなもんだったのかよ、と腹が立つ。イライラが募ってそのへんの石ころを蹴っ飛ばした。
「なぁ洋平イラついてねえ? なんかあったのかよ」
野間が顔を覗き込んできたので、水戸は反対方向を向く。
「べつに」
「ふーん。そういや今日は昼休み来なかったじゃん。告白でもされたか?」
今まさに考えていたことを話題にされて、ふてくされた気持ちになった。
「るせえ」
子供っぽいとわかっているが、つまらない態度をとってしまう。いつもだったら笑い話にすることもできるのに、そんな気分になれないほど頭に来ているらしい。
途中で缶コーヒーを買い、たばこを吸って、吸い殻を空き缶に入れる。幾分落ち着いた気持ちになった。
「病院行くっつうのにたばこ吸うなよ」
常識人みたいなことを大楠が言う。でも確かに正論ではあるので水戸は現在地から病院までの十五分の距離は煙草を吸わずに歩いた。病院に着けば、とっくに匂いは消えていた。
「よく来たな、キミたち」
花道は元気そうにベッドに座っていた。太陽みたいな笑顔と白いベッドのギャップに始めこそ胸が締め付けられたが、今では見慣れた光景になってしまった。
「ほら、晴子ちゃんからの手紙」
小躍りしそうな勢いで手紙を受け取った花道は若干だらしなくも見える溶けそうな笑顔で封筒を開けていた。
もし花道が晴子と付き合うことがあれば、彼はきっと水戸たちよりも晴子を優先するのだろうと思う。それが悪いことだとは全く思わなかった。花道が晴子を好きなのはよくわかっていたし、二人が恋人になったら嬉しい。そもそもなにを優先させるのかは個人の自由なのだ。だから他人が口を挟むことではない。そう考えるとそれを許容できるかどうかも個人の自由なので、三井の決めたことを水戸がとやかく言う権利はないとわかっている。わかってはいるけど、やはりおもしろくない。
水戸は知らずのうちにため息をついていた。
「ぬ? 洋平は元気がないのか?」
花道が手紙から顔をあげる。
「そうそう、こいつ機嫌悪いの。花道なんとかしろよ」
高宮がやれやれという感じに肩をすくめた。
「なんだ? 悩みか?」
善意百パーセントといった感じの無垢な目を向けられると水戸は困ってしまう。ここで黙り込んでも心配させるし、はぐらかしても隠し事をしているみたいだ。
でもかっこ悪いから言いたくない。そう思いつつ野間たちの顔を順に眺める。そこにも純粋に心配の色が滲んでいた。なんとなく罪悪感を覚えて、水戸は話すことにした。
「今日昼休みに告られたんだけどよ」
「やっぱり」
「悪くないかもって思って、いつもどおりオマエら優先でいいならって言ったら、じゃあいいやって言われた」
一瞬、空気がしんと静まる。
それから風船が弾けたみたいな笑い声が響き渡る。
「告られて振られてやがんの!」
大楠がこちらを指差して言った。そのとおりなので余計に腹が立って、金髪にげんこつを落とした。
「やー、でもその人おもしろそうじゃん。逃しちゃだめだろ」
高宮が訳知り顔で言う。おもしろいに決まっている。だって相手は三井寿なのだから。これを言ったらどんな顔をするだろう。
「洋平はその人と付き合いたかったから元気がないんだな」
花道の言葉に水戸は首を傾げる。付き合ってもいいとは思ったけど、付き合いたいと積極的に思ったわけではない。自分の予想と違う行動をされて戸惑って、プライドが傷付いただけなのだと思う。なんともガキくさくて馬鹿らしい話である。
そうじゃねえよ。そう言おうとしたら怒り心頭といった様相の看護師が現れて「あんたたちうるさいよ! どこだと思ってんの?」と怒鳴られたので水戸は口を噤んだ。
「昨日の看護師さん、おっかなかったな」
「オレらあのあとずっと小声で喋ってたもんな」
そんなことを話しながらいつものように屋上で昼飯を食べていた。今日は珍しく母がおにぎりを作ってくれたのだが、どんな握力で握ったのかめちゃくちゃに固かった。なかなか具まで辿り着かず格闘していると屋上のドアが開いて、そこから堀田らを引き連れた三井がやってきた。
「おまえらも昼飯か」
三井は屈託なく声をかけてくる。昨日のことなんて幻だったみたいだ。
「おー、ミッチーもこっち来たら」
野間が手招きをして、三井はなんてことない顔で輪に混ざってきた。しかも水戸の隣に腰をおろしている。
「水戸おにぎりだけか?」
三井が覗き込んでくる。その整った顔を至近距離で見るとなんで昨日頷いてくれなかったんだと逆恨みしそうになる。
ようやく水戸は、自分はもらえると思った宝物を目の前で取り上げられた気分なのだと知った。
「おにぎりだけだけど一個にたぶん飯椀三膳分くらい米詰まってるから」
「すげえ圧縮されてんだな!」
なにがおもしろいのかアハハ! と爽やかに笑う。ただそれだけで場が明るくなるような、力のある笑顔だ。
やっぱり欲しかったな、と思う。
恨み言を口にしてしまう前におにぎりに噛みつく。やっと具に辿り着いたと思ったらハンバーグだった。弁当箱にご飯を詰めてハンバーグを入れたほうが楽じゃないか? と不器用な母を思う。一方、三井の弁当はいかにも母手製という感じの彩り豊かなものだった。
「いただきます」
三井が手を合わせる。学校で食べる昼飯で、わざわざそんなことをするんだと感心した。三井がなにかを食べているところを初めて見たが、箸使いがきれいだった。
告白されて振られてからというもの、いいところばかりが目に付いてしまう。
「ねえ、ミッチー。昨日のって罰ゲームかなんかだったの?」
付き合えたら良かったのに。そんな思いが膨らんで、つい口にしてしまった。
三井はちょっと目を見開いて、それから上を見て、下を見て、口のなかのものを飲み込む。
「罰ゲームなんてするかよ、ガキじゃねえんだから」
「じゃ、なんで断ったの?」
「断ったって、おまえが遠回しに振りにきてたから乗っかってやったんだろうが」
「はあ?」
思わず大きな声をあげてしまう。ここにいる全員の視線が集まるのを感じた。
「だって、花道とかあいつら優先するけどいい? って断るための口実だろ」
「え、違う。本気でそれでいいなら付き合おうって言ってた」
「ええ?」
三井は困惑した様子だった。そこへ大楠が割り込んでくる。
「ちょ、ちょっと待って。洋平、昨日言ってた相手ってミッチーなの?」
「うん」
「ミッチーって洋平のこと好きなの?」
高宮の質問に三井は照れくさそうに頷いた。かわいい、という感想がうっかりこぼれそうになり水戸は口を押さえた。堀田が「嘘だろ、みっちゃん!」と言っているのが聞こえた。
「でも振られたから」
「だから振ってないって! ダチ優先でいいならって言ったじゃん」
「いや、そんなの女の子にだったら言わねえだろ?」
三井が眉をしかめて言った。なんで付き合う意思があると信じてもらえないのかと水戸は頭を抱える。
「洋平はさ、マジで女の子にも言うよ。同じこと」
「え、マジで?」
野間の言葉に三井は若干引いているようだった。
「そう、しかも大抵の子はそれでもいいの! って言うらしい」
「え~、実際にそうだとしても条件として出してくんのがなんかやだ」
そう言われて、水戸はおにぎりを喉に詰まらせた。苦しくて唸っていると三井が背中をさすってくれた。厳しいのに優しい。
「ミッチーってそんなに自分が一番じゃなきゃやなの?」
野間から三井への質問を聞いて、まあそうなんだろうなと水戸は思う。三井は誰かの一番になることに慣れていそうに見える。
「なにを優先するかは人それぞれだしいいんじゃねえの? オレだってまあバスケが一番だしさ。でも好きって気持ちを人質にして条件のませようとしてくんのが気にくわねえってだけ」
やっとおにぎりが喉を通過した。口内には嚥下に役立たなかった唾液が溜まっている。
「じゃ、ミッチーはオレともう付き合いたくないってこと?」
そうじゃねえよって言ってくれ。そう願いながら聞いてみた。
「まあ昨日とはちょっと違う気持ちかもな」
胸がずきんと痛んでびっくりした。ショックを受けると本当にこんなふうになるんだと今さら知る。
「幻滅して嫌いになった?」
自分で言っていて悲しくなる。今は嫌いなんて言われたら心臓に激痛が走るかもしれない。
「いや? 好きだぜ、今も」
おおー! とまわりから声があがる。水戸は体温が上昇していくのがわかった。突然、肩をがしっと組まれる。三井の顔がいつになく近いところにあって、みぞおちのあたりがくすぐったい。
「だからさ、オレを友達にしろよ。そしたら一番だろ?」
きゅっと細められた目の奥の虹彩を至近距離で見ているとなにも考えられなくなる。友達じゃやだなと奥底で思っているはずなのに水戸はつい頷いてしまう。
「うん、友達になろうか」
そんな小学一年生みたいなセリフが口から飛び出た。よっしゃ! と叫んだ三井の目尻のしわとか、よくあがる口角とかを見ていたら、そう言ったことをすぐに後悔してしまった。
だってどうしようもなくそこに触れてみたいと思うのだ。こんな感情は友達ではありえない。
どうしたら友達から恋人になれるのか。途方に暮れた水戸は思考を放棄して三井の肩に手を伸ばす。肩を抱き返すふりをして、骨の感触を指に記憶させた。