イワシの日 赤井が豆腐を作ってくれた。僕のために!
活きのいいイワシをごちそうしようと待っていた僕は、感動のあまり玄関で目を潤ませてしまった。崩れないように片手鍋に入れて、運んできたんだ。工藤邸からメゾンモクバまで、てくてく。いらっしゃい、と中に入れた僕に、「気に入ってもらえるといいんだが……プレゼントだ」と、鍋の中身を見せた彼。
どうしよう。
抱きしめたい。
だって今時、こんな風に豆腐を買える店なんてない。黒田さんが子供の頃ならあっただろうけど。スーパーなりコンビニなりで買ったのなら、パックされている。つまりこれは、目の前のニット帽のFBIが手作りしたということだ。
「降谷くん?」
「あ……すみません」
赤井ではなく鍋を、抱きかかえるようにして受け取った。
「ありがとうございます……食べるのもったいない」
「気に入ってもらえたかな」
「はい」
鍋を間にして、見つめ合う。この親密な感じ、ヒロと三人で過ごした頃がよみがえる。
やることなすこと、すべて完璧で、頼もしくて。うまく隠していたけど、僕にはわかった。彼はおそらく潜入捜査官だ。任務が終わればどこかへ帰っていく。
気付いた素振りを見せれば、僕たち三人とも、命が危うくなる。だから、素っ気なく接する以外に方法がなくて。でも、何かせずにはいられず、思いついたのがコーヒーだった。
よく缶コーヒーを飲んでいたから、彼の好みの味を探って。部屋にいる時に、ドキドキしながら、気配を殺してカップを近くに置いた。さっと姿を消し、飲んでくれたらいいなと願っていた。照れ臭くて、何だか切なくて、窓から外出してしばらく帰らないなんていう、子供じみたことをした。
あとでヒロから、「うまそうに飲んでたぞ」と教えてもらい、ホッと胸をなで下ろす。
あの頃の僕には、それが精一杯だった。
ヒロのことで、僕のライへの感情は凍りつき、距離をおいた。お互いに毛嫌いしていると噂されたけど……嫌いだと思ったことなんてない。
彼が初めてジンとの任務に向かったと聞いた時、ああこれで終わるんだと思った。久しぶりに彼好みの味でコーヒーを淹れ、一人で飲んだ。これから先、機会があればカフェのバイトを装うのもいいかもしれない。そんなことを、ふと考えた。
そして今、赤井秀一が、僕の部屋にいる。短い黒髪、変わらない綺麗な翠玉。最近見せてくれるようになった、世界の中で安心して生きている顔。彼の長い戦いは終わり、今は未来を見据えている。
「すごいな。君の料理の腕は知ってはいたが」
食卓に並べたのは、野菜の煮物、イワシの刺身、豚バラの煮込み、きのこ入り和風パスタなど。
「和食にして良かった。豆腐は冷や奴でいいかな。ネギと鰹節と……あ、トマトも添えよう」
浮き浮きして用意する僕を、赤井は穏やかな瞳で見守っている。時間が、想いが、二人の間をゆっくりと流れる。
生き残って、良かった。
また会えて、関係を再構築できて、良かった。
ヒロのことを話せる相手がいてくれて、良かった。
赤井は事後処理が終わればアメリカに帰るだろうけど、この絆は切れない。そう、信じられる。
豆腐は、今までに食べた中で一番おいしかった。イワシの味ともよく合った。
「君は板前のバイトもできるな」
「ハハッ、ラムの同僚か。あなたも僕ぐらいにはできるだろ」
「そろってスコッチに仕込まれたからな」
「そうそう! 『今度の任務の成功は食料の確保にかかってる。お前らが覚えてくれないと、俺はひたすら料理に専念てことになりかねない』って言って……」
「なかなかのスパルタだったな」
「ライに『こら!』なんて言えるのはヒロだけだったなあ」
思い出を、二人で抱いて。楽しかったことをたくさん、胸に抱きしめて。
あなたをどんなに大事に想っているか、ちゃんと伝えていきたい。