スイカの日 インターフォンを押し、ドキドキしながら待つ。ガチャッとドアが開いた。有希子さんか工藤先生だろうと顔を上げたら、第三の人物だった。
「やあ、よく来たな。暑いだろう。入ってくれ」
キラキラ輝く笑みにぽーっとなってしまい、荷物を抱いたままふらふらと足を踏み入れた。
「顔が赤いぞ。大丈夫か」
「う」
ぺたっと額に置かれた手は、ひんやりして気持ちがいい。
「あかい……」
「君は働き過ぎだからな。今、コーヒーゼリーを作っていたんだ。一時間もすれば冷えるから、食べていくといい」
「はぁ」
背中を支えられ、雛鳥のように素直に従ってしまう。リビングの手前でハッと我に返った。
「今日は、沖矢さんに用があるんです」
「俺が代わりに聞く。とにかく座った方がいい」
赤井の指定席になりつつある椅子の隣に誘導され、すとんと腰を下ろした。荷物が軽く、腕の中で跳ねる。家の中は静かだ。赤井は素早く、冷やしたタオルを持ってきた。「それはこっちへ」と荷物をテーブルに置いてくれて、僕の手にタオルを握らせた。
「気持ちいい……」
手の平から、正気に返っていく感じがする。
「留守番ですか?」
「ああ。夏休みのキャンペーンだとかで、優作さんはサイン会に駆り出されていったよ。有希子さんも一緒にな」
「そうなんだ……」
広い家の中、二人きり。甲斐甲斐しく僕を労る赤井。本当に雛になった気分だ。
「それで、沖矢に用とは?」
「それ、渡したくて」
「スイカを?」
こくんと頷いた。一人では食べ切れないから滅多に買わないけど、あの大学院生に食べさせてやりたいと思ったんだ。
「あの人、いつも暑そうな恰好だし……皮一枚余分に被ってそうなので」
「スイカを食べて涼しくなってもらおうと?」
こくん。頷くと、ひと呼吸置いてから、頭をなでなでされた。
「君は優しいな。ありがとう、嬉しいよ」
「赤井じゃなくて、沖矢さんにだぞ」
同一人物なのは明白だけど、意地を張りたかった。
「わかっているよ」
「大体、不用心ですよ。組織の誰かだったらどうするんだ」
何の確認もしないで、ドアを開けるなんて。
「君の気配がした。何とも複雑な気配がな。奴らならもっとわかりやすい」
けなされてるのか何なのか、嬉しそうな表情は読み取りにくい……いや、そのまま大事に受け取ってしまいそうで、怖くなる。
「しかし、でかいな。半分にすれば冷蔵庫に入りそうだが……。お隣さんは少年探偵団を連れてキャンプ。家主は三日は戻らない」
どうしたものかな?と、いたずらっぽい視線が飛んでくる。きゅんと胸が疼いた。
「沖矢さんも留守のようですしね……。食べ頃なので、代わりに食べちゃっていいですよ。なんなら手伝ってあげます」
スイカは、瑞々しくておいしかった。汁がすーっと喉を通っていくたび、僕の中の冬が消えていった。赤井の口のまわりの汁を拭いてやったら、向こうはぺろりと、僕の顎を舐めてきた。
「ひゃっ」
「ハハッ。かわいい反応だ」
「かわいいって……ふふっ、どっちが。ハハハッ」
赤井の前には、丁寧に10個ずつの種の山。スイカを食べる時の癖なんだとか。僕が笑うのを見てまた笑って、並んで手を洗いながら笑い続けた。
キュッと水を止め、赤井が差し出してくれたタオルを受け取り、両側でそれぞれ手を拭いて……目が合った時、僕たちは世界に二人だけになっていた。
触れた唇は、真っ赤な果実の味がした。