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    血圧/memo

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    血圧/memo

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    メルト

    2023.5.192020.5.26(2022.2.9) かべうちで書いたやつです

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     百貨店の地下にある菓子売り場はすっかりバレンタイン一色だ。
     ところで赤井秀一は己が目立つ容姿だと自覚がある。任務の際には気配を消すことも努めるが実のところ得意でもない。女性客で賑わうデパ地下じゃ、そりゃ赤井のような男は目立つだろう。
     分かってる。だが立ち去れない。
     目の前にはバレンタイン限定のチョコレートボックスを入手するがため、並ぶ女性たち。姦しくお喋りしながら、そしてウロウロする赤井のほうをチラチラ見てくる。
     赤井は焦燥に駆られていた。
     どうしよう。
     なくなってしまう。
     赤井秀一はバレンタイン限定のチョコレートボックスが欲しかった。とてもとても欲しかった。めちゃくちゃ欲しかった。何なら半年前からチェックしていた。一時間前までどっちのカラーにしようか悩んでいた。二色の販売でお一人様一点までなので。
     どうしよう。
     しかし赤井には覚悟が足りなかった。女ばかりの列に並ぶ覚悟だ。
     人目を気にせず他人にどう思われようが全く意に介さない赤井も、人並みの羞恥心は持ち合わせていたらしい。赤井はこの歳にして自覚させられた。
     現時点で既に目立っている。けれど最後の壁が乗り越えられない。ヒソヒソと「彼女待ちかな」と女のお喋りが聞こえてきた。ウロウロしてる現段階ではどうとでも誤魔化せるのだ。誤魔化せる、という最後の砦が有ると無しでは違うものである。
     そんなのどうでもいい。
     どうしよう。
     やはり世良真純を連れてくるんだったか。それともブランド品で買収して宮野志保でも連れてくるんだったか。いや駄目だ。そのチョコどうするのと訊かれても答えられない。俺が幸せに浸りながら毎日一粒ずつ大切に食べるんだ、なんて言えるか。
     こうしてるうちになくなってしまう。
     どうしよう。
     いざとなったらどうにかなると侮っていた。無理だ。若い女の中に並ぶ勇気がない。何故俺は目立つ容姿なのだろう。こっち見んな。「あの人かっこいー」「やばいイケメン」なんて聞こえても全く嬉しくない。褒めんでいいからそのチョコ寄越せ。
     どうしよう。
     どうしよう。
    「赤井」
    「っっっ!」
     急に声を掛けられた赤井は飛び上がった。
     振り返ると、瞬く降谷零。
     驚いて声も出ない赤井と対面し、それから降谷はさり気ない仕種で辺りに視線を巡らせた。
    「……何かありましたか」
    「あ、いや、違うんだ降谷くん、」
     赤井があまりにも驚くから、だろう。一瞬で警戒態勢に入った降谷に赤井は慌てて弁解した。
    「少し驚いただけだ」
    「……そうですか。珍しいですね、あなたが」
    「そうかな」
     体裁を整え、いつものように赤井は答えた。皮肉な笑みを浮かべて肩を竦めて。それが赤井秀一だ。間違っても可愛らしいチョコレートに心躍らせる男ではない。自覚はあるのだ。
     降谷は疑うでもなく首を傾ける。
    「どうかしたんですか、こんなところで」
    「そういう降谷くんこそ」
     質問をはぐらかすのは赤井の常套手段だ。それでも降谷は気を悪くした風でもない。以前なら嫌悪と憎悪を畳みかけられただろうに。
    「僕はチョコを買いに」
    「……君が?」
    「部下に配るバレンタインチョコです」
    「君が配るのか」
    「ええ。業務に追われる一同へ、甘い差し入れですよ」
    「そうか……」
     その手があったか。
     赤井もチーム一同に配ればいいのだ。イベントに便乗するのはユーモアへ化ける。適当なチョコレートを買って、ついでに限定チョコを買えばいいではないか。いや。駄目だ。あの限定チョコは並ぶ列が違う。流石人気の限定品である。
     どうにも頭が回らない。いつも無駄に策略を巡らせる頭脳も役立たずだ。チクショウ。
     降谷と話していることでますます注目の的になっていた。「やばいやばい」「イケメンふたり」うるせえ。
     目の前の降谷を、頭から爪先まで眺めた。スーツの上に良質なコートを羽織った姿は如何にも隙のない勤め人だ。けれど少々童顔気味な顔立ちも相俟って、他者を萎縮させる様ではない。何より降谷の表情が、気配が。
     降谷くんはこんな姿をしていたんだな。
     赤井は思った。もしも降谷のような容姿ならば、体裁を気にせず並べたのだろうか。降谷は柔らかい。それなりに体格だって良いのに他を排除しない降谷の柔らかさは何処にだって溶け込める。
     いいなあ。
     赤井は心の内で白旗を上げた。
     脳裏には諦めの文字が浮かんだ。
     数々の苦難を乗り越えなければ手に入れられない至高のチョコレート。ああ。赤井には過ぎた幸福であった。完敗だ。今日はコンビニスイーツの自棄食いでもしようか……。
    「お目当てはアレですか?」
    「、は?」
    「赤井のお目当て」
     問いの意味が飲み込めなかった。
     降谷が指差すのは至福へ向かう行列。
     赤井は咄嗟に返せない。
    「限定? 早く並ばないと買えなくなるだろ」
    「は、え?」
    「ほら、並ぶぞ」
    「ふ、るやく」
     そんな赤井の腕を取り、降谷は赤井を引っ張って、あれよあれよと列の最後尾に着いてしまった。
     赤井の後ろには降谷が一緒に並んでいる。その後ろに着いた女だろうか。降谷は何やら声をかけられて差し障りない受け答えをしていた。邪険にせず、悪目立ちせず、調和第一に。流石降谷。満点の人当たりだ。
     赤井は、ぼーっとしていた。
     これは夢だろうか。
     どうして列に並んでいるのだろう。
     前にいる知らない女がわざわざ振り返り「彼女さんに買うんですかあ?」と赤井に声をかけてきた。うるせえ。押し黙る赤井の代わりに降谷が「秘密です」とやんわり、笑み混じりに答えてくれた。
     赤井はぼーっとしていた。
     自分の番が来て、夢にまで見た限定ボックスを、黒、と指したのは赤井の無意識下の見栄だった。ピンクと黒の二色限定。せめて黒のほうがマシだろう。赤井のような強面で無愛想な大男が買うのには。
     購入後、赤井は再び降谷に腕を引かれた。
     喧騒の邪魔にならない場所で、赤井は降谷の手元を見る。
    「……君はピンクにしたのか」
     赤井の第一声だ。
     他に何か言うことがあるだろう。流石に赤井でも理解している。
     だけど降谷は、やっぱり気を悪くする様子はなかった。
    「ええ。赤井の黒と、二色限定なんですね」
    「あ、ああ、」
    「すごい人気ですねえ。あ、丁度今売り切れたみたいですよ」
     残念そうに声を上げる女と、頭を下げる店員と、売り切れのポスターが貼られるのを、赤井はぼんやり見ていた。
    「僕らは運が良かったな」
    「あ、ああ、その、」
    「すぐ終わるからこれ、持っててください」
    「は?」
     渡されたのは先程購入した限定チョコの紙袋だ。降谷の分はピンクの紙袋。紙袋まで限定のそれは可愛らしいデザインが施されている。
     やっぱりピンクが良かったかな……。
    「部下に配るチョコ買ってきます」
    「ふる、」
     赤井が呼び止める間もなく、降谷はスルスルと離れ、あっという間に大きな紙袋を三つも抱えて戻る。限定でもない、けれどそれなりの代物らしい。一体何人に配るのか。
    「すごいな……」
    「予備も含めて多めに買ってきましたから」
    「降谷くん。俺も持とう」
    「そう? 助かります」
     申し出た赤井に、降谷は素直に紙袋を渡してきた。一つでもかなり重い。
    「地下か?」
    「ええ、地下駐車場です。赤井は車じゃないんですか」
    「今日は歩きだ」
     赤井たちFBIは現在、ホテル滞在を続けている。警視庁とホテル、そして今いる百貨店の位置を考えると、どう考えても車を使わず歩いたほうが確実に早かった。それに歩きたかったというのもある。
    「地下鉄使わなかったんですか」
    「運動不足解消に丁度良い」
    「事務作業ばかりだと身体鈍りますよね」
    「降谷くんは」
    「ん?」
    「いや」
    「ああ、僕も事務作業ばかりですよ」
    「……そうか」
     立ち入ることを逡巡した赤井に代わって降谷が口にした。赤井は曖昧に頷く。
     赤井の手には大きな紙袋が一つと、限定チョコの小さな紙袋が二つ。降谷は両手で二つの紙袋を抱えている。
    「どっか寄るとこあります?」
    「え」
    「送ります」
    「いや」
    「これから雨ですよ」
    「、そうなのか」
     どうも赤井は天気予報を見る習慣がない。自分は濡れても構わないが折角のチョコレートだけは死守しなければならない。詰めが甘かった。
    「ホテル直行でいいですか?」
    「……すまん」
    「荷物を持たせたお礼です」
     礼というなら赤井こそ。そうだ礼だ。謝るべきか。どうやって切り出そう。
     所謂SUV車は仕事用だろうか。外は本当に雨が降っていた。
    「寒くない?」
    「ああ」
    「夜には雪になるそうですよ」
     降谷は車内の暖房を調節しながら赤井を気遣った。
     こんなとき赤井はタイミングを計れない。敢えて言わないことの多い赤井は、タイミングを計れない挙句に放棄する、という悪癖がある。それこそ最たる例は降谷とのアレコレであろう。何たる進歩のなさだ。
     対して人当たりのお手本のような降谷は、何故か赤井相手でもソレを発揮した。何でもない会話をぽつぽつ交わし、車はすぐに目的地へ辿り着く。
     先に謝るべきだろうか。
     礼はいつ告げたらいい。
     口止め?
     そうだ。降谷は、赤井の一連のアレを何とも思わなかったのか。何故そんなに普通なのだろう。因縁云々は解けたものの、それから降谷とは一定の距離を保った、単なる同業者でしかない。一対一で会話をするのも久々だった。
    「……降谷くん、」
    「そっちは赤井が両方持ってってください」
    「は?」
    「二色限定でお一人様一つ限りって結構鬼畜ですよねえ」
     ナビシートに収まる際、限定チョコの紙袋は赤井が二つ手元にしていた。紙袋も限定なのだ。愛らしい箱だって。破損しては一大事だろう。
     降谷はソレを指している。
     これを? 両方?
    「赤井にあげます」
    「……は?」
    「バレンタインの差し入れです」
    「お、れに?」
    「ええ。どうぞ」
    「、いや、これは降谷くんが買ったものだろう、」
    「要りませんか?」
    「だが俺が貰う訳には、」
    「赤井が要らないならコレも部下に差し入れます」
    「はっ?」
    「だって赤井は要らないんだろ?」
    「いるっ」
     思わず赤井は叫んだ。頭で考える前に口から出た。常の赤井からは考えられない大失態である。
     なにをやってるんだおれは。ぼーっとしすぎだ。
     きょとんと降谷が瞬いた。それから降谷は、柔らかく溶けるように微笑んだ。
    「ふはっ。うん。どうぞ」
    「……、」
    「赤井?」
     初めてだった。降谷が、こうして何の衒いもなく、赤井に向けて笑ったのは。初めてのそれに赤井の頭は今度こそ機能を停止したらしい。
     眉を下げて笑う降谷が首を傾げる。柔らかい仕種だ。
    「大丈夫ですか?」
    「あ、ああ、」
    「暑かった?」
    「いや、べつに」
    「ぼんやりしてる」
    「は?」
    「ていうか赤井って結構ぼーっとしてるよな」
    「は、」
     何だそれ初めて言われた。
     今日は悉くぼーっとしている自覚のある赤井だが、一切を表面に出さない自信はある。分かり難い。何を考えているのか読めない。クールでミステリアス。概ね赤井秀一という男に対する総評だ。
    「…………忘れてくれ」
     赤井は言った。
     言うに事を欠いてコレか。最低最悪である。他に何か言うことがあるだろう、絶対に。
     なのに降谷は気を悪くする様子もなく頷いた。
    「まあ赤井がそう言うなら、いいですけど」
    「……いや」
    「赤井に会わなかったことにしたらいいですか?」
    「……ええと」
    「ああ、脅しじゃないですよ。ホントに。今更赤井と揉める気もありませんし」
    「……その」
     車のクラクションが響く。降谷の車の後ろに着いた車両からだ。
     また改めて、と降谷に促された赤井は慌てて車を降りる。降りる際「ハッピーバレンタイン」と降谷が言った。振り返れば降谷が笑って手を上げる。
     あっという間に車は走り去ってしまった。
     赤井の手には紙袋が二つ。
     ああ。持って降りてしまった。
     ぼーっとしすぎだ。
     ふらふらと赤井が連泊する部屋に戻る。テーブルに紙袋を二つ、並べて置いた。夢みたいだ。何だか暑い。近距離だからとコートを脱がずに車に乗ったからだろうか。降谷はコートを着たままの赤井に気遣ったのか暖房を調節してくれていた。けれど暑い。
     顔を洗おうかと洗面所に立つ。
     赤井は、呆然とした。
     なんてかおをしてるんだ。おれは。
     鏡の中には赤井が見たことのない赤井秀一の顔があった。いつも青白い肌は真っ赤に火照り、常に鋭いまなこは潤んで揺れている。眉間の皺も眉が垂れ下がっていれば迫力なぞ皆無だ。
     赤井は呆然と立ち尽くす。
    「……な……んだ、これ……」
     赤井はその場に崩れ落ちた。
     なんっって顔してるんだ俺は……!
     いつからこんな顔を、こんな情けない面を、降谷零に晒していたのだろうか。嘘だろ。容姿はそこそこと自負すれど強面で頑強な大男だ。赤井がしていい顔じゃない。
     降谷はどう思っただろう。
     忘れて欲しい。今日の記憶全てを闇に葬って欲しい。
    「……ううう」
     結局何も言えなかった。
     礼も、挨拶も、何も。
     必要最低限すら遂行しない挙句「忘れろ」と一方的に要求した赤井に、降谷はよく怒らなかったものだ。それどころか溶けるような笑みを赤井に向けた。
     赤井は頭を抱えた。降谷は柔かった。溶けそうだった。熱い。泣きそう。呼吸が痛い。心臓が爆ぜる。
     なんだこれ。
     どうしよう。
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