一人ぼっちの怪異あるところに一人の侍がおったそうな。侍は、自分の持っている刀で、人々を困らせてきた数多もの物の怪を斬り倒してきた。その侍は『巫覡』の血を引いており、自身の血を刀に染み込ませていたそうな。
助けられた人々は、その侍に感謝の意味を込めて持て成したそう。侍は色々な村や町を転々として旅を続けていた、所謂『流浪(るろう)』と呼ばれるものだった。
侍は、その町に住む多くの人々に見送られ、町をあとにした。
侍はその後も、人の作物を奪い去るもの、か弱い子供を襲うもの、村を襲うもの、その多くを刀ひとつで斬り、侍の往く町と村、そして人々は誰一人欠けることなくその侍に救われてきた。
ある日のこと、とある町の外れに一人の女性が倒れているのを見つけた。
「お嬢さん、どうかされましたか?」
侍が声をかけると、女性は表を上げた。見たことの無い、透き通った湖のような青い目をしたその女性に、灰色の曇った空のような目をした侍は一目惚れした。
女性も同じように、その男の勇ましい顔に魅入られたそうな。
そんな無防備な二人へ、草の影に忍んでいた一匹の物の怪が襲いかかる。
しかし、侍は隙など見せておらず、一瞬で物の怪を叩き斬ってしまった。その姿に、女性はますます惹かれていった。
「もし、そこの……」
「む、儂のことか?」
「はい、とても逞しい貴方です」
「よしてくれ、儂はただのしがない流離人。お嬢さんは早く村に帰りなさい」
「いいえ、なりません。貴方も共に行きましょう」
侍はその町に留まる理由はありません。しかし、女性はそんなこといざ知らず、侍が何を言おうとも女性は引かず、折れた侍は女性の帰りまでの用心棒として、ついていくこととなった。
「さて、これまでですな」
「いいえ、なりません。住む場所がないならここに住みましょう」
「それはいけません。儂は流離人のもの。同じ場所に留まる訳には……」
女性はどうしても引きません。立派なその館を前に、変な言い合いをしていると思われてもいかない侍は、どうしてそこまでと理由を聞く。
「貴方と共に暮らしたいのです」
女性のまぁまぁ真っ直ぐな理由。裏もなさそうな理由。侍は小休憩としてならと思い、それを飲み込んだそう。
そうして、数ヶ月の長い共同生活が始まり、やがて、ふたりの間に幼い子供が二人出来たそうな。一人は女性に似た青い瞳をした女の子。一人は双子の女の子より少し小さいものの、男と似た灰色の瞳をした女の子。
それからというものの、子供が産まれてからは大変ではあったが、それでも二人は幸せだったそうな。
ある日、灰色の瞳の女の子の頭からは、その女の子の髪の毛とは違う髪のようなものが二本生え始め、同時に虫の羽のようなものが生え始めた。異質だとは思いつつも、二人はそれでも愛し続けた。
しかし、二人の間に生まれた女の子は周囲から異質な存在と見られてしまったそうな。それを、噂となっていた『魔女』と呼ばれる存在と思われ、村人は家に火をつけた。
侍は女の子を逃がすように女性に言いつけ、二人と共に逃げ出した。しかし、背の小さな灰色の瞳をした女の子はそこに残り続けたそうな。
焼けた館は、不思議なことに外装は美しく残り続け、しかし内部は朽ちており、ある部屋の中には赤く染められた鎧と、数本の刀が置かれていた。そこに、侍の姿はどこにもなかった。
女性と女の子の行方は誰も知らず、そして今も、その館の中でそれをずっと、ずっと長い間守り続けているものがいるそうな───
「……」
どれだけの長い年月を、たった一人で過ごしたのだろう。五年経ってから数えていない。止まった時計の音の代わりに、自分の心臓の鼓動が時を刻む。
孤独で過ごす寂しさも、埃まみれで少し焦げ臭いこの屋敷のにおいも、今となってはもう慣れてしまった。
背中から生えている多色性の翅にある瞳も、自分の意思とは関係なく動き続けている。
自分はまだ、生きている。千里という名の通りなのかもしれない。自分の名前がその運命へ縛り付けているのかもしれない。
自分を育ててくれた親の名前も顔も、もう覚えていない。
静かな部屋でため息をついて、立ち上がる。
「……!」
何者かの足音が聞こえた。翅を羽ばたかせて天井裏へ潜り込み、足音が聞こえる場所へ向かい、隙間から目を覗き込ませる。
……見知らぬ男が、堂々とここへ忍び込んできたようだ。息を潜め、なるべく静かに屋根裏を伝って先回りをする。
────部屋の奥にある、赤黒い鎧と兜が眠っている部屋。きっと男が向かうのはそこだろう。
静かにその部屋へ降りて、どこかの小さな隙間へ潜り込んだ。
……襖が開く音がして光が差し込む。やはり、男はそれが目的のようだった。男がその鎧へ手を触れようとした時、千里は隙間から飛び出し、鱗粉を撒き散らして正体が分からないようにしながら、男へ襲いかかる。
男は叫び声を上げ許しを乞い、足をばたつかせる。千里が離れると、男は部屋を転げ出ていき、やがてその足音も聞こえなくなった。
「はぁ……変な人ばっか来る」
当然、耳に入ったこともないが、きっとこの屋敷の外では"コレ"が噂になっているのだろう。
しかし、何人たりとも手に渡らせる訳にはいかない。千里は一人でこの鎧と兜を、この屋敷を守り続ける。
誰にも任された訳でもない。誰からも頼まれた訳でもない。これは自分の使命感に駆られたうえでの意思だ。
これまでも、そしてこれからも、千里は小さなその体で守り続ける。