オークショニア②「商品の下見? そんなことさせていいんですかい」
応接室のテーブルを挟んで向き合った男に、魚塚は面食らって念を押した。
男は――闇オークションの実質的な元締めは、逞しい体躯でソファにふんぞり返ったまま、髭を生やした口を開けてからからと笑う。
「せやから言うたやろ? “お得意さん”や。ぎょうさん金落としてくれるお客には、それなりにサービスするもんや」
方言のせいもあって、気のいい商売人のようだが――とんでもない。
魚塚の前任者、つまり本来このオークションの司会を務めるはずだった者を、どこぞの湾に沈めたと聞いている。
「ははあ。勉強になりまさぁ、テキーラの旦那」
客席に潜り込んでいたイヌの始末の後で、少しセットの崩れた髪を撫で上げながら、魚塚はへらへらと笑ってみせる。
内心、この男と相対する時はいつも気が気ではない。
しかし格上の相手(特に厄介な相手)の懐に少しでも入り込もうとするのは、弱肉強食の裏社会において処世術のひとつだ。それがたとえ多少見え透いていたとしても、逆らわないという意思表示が重要だ。
魚塚も体格には自信がある方だったが、相手は並外れた大柄で、割れた顎といい、どことなくラテン系の雰囲気がある。テキーラという呼び名(コードネーム)もしっくりとくる。そんなイメージに反して口から飛び出すのは関西弁なのだから、どうも出自を測りかねる。
その蒸留酒の名こそは、組織の幹部クラスの証。
所属していようと、下っ端の魚塚にはまったく全貌の見えない組織の上層部。いったい他にどんな面々が同じように酒の名を連ね、どんな悪事を取り仕切っているのか。
きっと一生あずかり知らぬ世界だろう、と魚塚は思っていた。だからせめて、その牙にかからぬよう、いくらでもへつらってみせる。
「ま、そういうわけやから、ご案内したってや。魚塚クンやったら問題あらへんと思うけど、くれぐれも丁重にな。失礼のないよう頼むで」
「そりゃあもう、誠心誠意。育ちが悪ィんで、マナーの保証はできやせんが」
「またまたぁ」
テキーラは甲が毛深い手をひらひらと振る。
「魚塚クンはなにかと器用にこなすし、愛想もええし、きっと“お得意さん”も気に入るわ。オークションの他のお客からも、若いのに堂に入った司会っぷりやって評判ええで」
「へぇ、そりゃありがてぇこって」
ここだけの話、とテキーラは、口元に手を添えてみせる。別にはばかる相手もいないし、声だって潜める気がないのに。
「ちょっとカワイイって言うてる奥様連中もおる。自分、ソッチのシノギもイケるんちゃう?」
「えぇ〜? からかわねぇでくだせぇよう、こんなツラのずんぐりむっくりを」
「か~っ! 無自覚って罪やな~!」
大袈裟に天を仰ぐテキーラに、魚塚も調子を合わせて、へへへっと笑ってみせた。
どうやら、この男にはそれなりに気に入られているらしい。
現在の仕事場であるオークション会場に、ちょくちょく顔を見せに来るのだ。何か問題でもあっただろうかとヒヤヒヤしながらも仕事をこなしていると、魚塚クン魚塚クンと、いま主に使っている偽名で親し気に話しかけてきては、「その調子で頼むで」と肩が抜けるかと思うような手荒いボディタッチをして、あっさり帰っていく。
気に入られるのは目論見通りなのに、どうも尻のすわりが悪い。
もちろん、仕事は抜かりなくやっている自信がある。それを評価されたというなら素直に嬉しいことだし、取り立ててもらえるかも、という下心も、もちろんある。
とはいえ、下手を踏んだ時はどうなるか、前任者の例で学んでいる。気に入られたような素振りのぶん、空恐ろしかった。
なので、今回の話――“お得意さん”を、オークション前に商品を保管している倉庫へ通して、特別に下見をさせる、という役目も、まったく気を抜くことはできない。
テキーラが帰っていった後、一人きりになった応接室で煙草を吸いつつ、魚塚は今回与えられた、接待じみた役目について考えていた。
理屈はわかる。
人は特別扱いに弱い。他の人にはしないけれど、あなただけに――そう囁かれれば、誰しも大なり小なり気分がよくなるものだ。女に言われればソノ気になるし、商売の場なら財布の紐も緩くなる。
なので、テキーラの言う“お得意さん”というのも、きっとそういった特別扱いに乗せられやすい――いわゆるカモで、むしり取るために下見などということをさせるのだろう。
ならば、とびきりおだててやるまで。
惜しみなくへりくだって、けれど少しばかり気安く接する。あなたは尊敬と親愛に足る人物だから特別なんです、と態度で示してみせる。気持ちよくしてやる。そうして懐に入り込む。
魚塚の得意とするところだ。
ガキの頃は不良や半グレ相手に、場数を踏んではヤクザ相手に、今は得体のしれない組織の幹部相手に。いつもそうやってきた。多少の腕っぷしや要領の良さだけで生き残れるほど裏社会は甘くない。ボンクラのつもりはないし、そのへんのチンピラより上手く立ち回っている自負はある。それでも、進むほどにどんな獣が潜んでいるか見通しのきかない闇の世界で、自分が掃いて捨てるほどの人材であることはわかっていた。時に己を過信して痛い目を見ながら、魚塚は学んできた。
だから、取り入るべき相手には惜しみなく媚びへつらう。浅ましいと言われようと、何もかも本心ではないのだから、痛むプライドもない。
処世術としてではなく、本心からそのように接したくなる相手が現れた時こそは、プライドを捨てる時なのだろうが――生憎、そうした相手を知らない。
そういうわけで、魚塚は今回もいつも通りやるまでだと、準備のために腰を上げ、煙草を灰皿で揉み消した。