Hot Chocolate 眠れない夜がある。
「キャンティ……ベッドで寝た方が、いい」
ソファに腰掛けたコルンは、相棒に声をかける。
「やだよ、まだ眠くない」
キャンティはコルンの肩に頭を預け、ぼんやりとテレビ画面を見ていた。
「……面白い?」
「クソつまんない」
この深夜帯、まともに機能しているチャンネルはこのくらいだったが、深夜に放映される映画は当たり外れが激しい。今回はキャンティにとって外れだったようだ。
それでも、彼女はベッドルームへ戻ろうとしない。
ラフなスウェット姿の二人は、かれこれ一時間はこうしている。
先に動いたのはコルンだった。キャンティが驚かないよう、ゆっくりと立ち上がる。
もたれかかっていた華奢な体を起こして、彼女は目元の蝶のタトゥーを羽ばたかせた。
「寝るの?」
コルンは緩く頭を振って、キッチンへと向かった。
程なくして戻ってきた彼の大きな両手は、湯気の立つマグカップをそれぞれ運んできた。
ソファで膝を抱えていたキャンティは、すん、と小さく鼻を鳴らして、相変わらず展開の単調な映画から目を離す。
「なんだい、酒じゃないのかい」
文句をこぼす彼女の表情は、しかし、さほど不満そうではない。
再び隣に腰を下ろしたコルンから、素直にマグを受け取って、すぐさま口をつける。
「……甘すぎ」
唇を濡らした濃厚なチョコレートをぺろりと舐めながら、キャンティは呟く。けれどその目つきは穏やかだった。
コルンもマグを傾ける。
暖かくて、とろりと甘い。
「これ飲んだら、眠れそう?」
キャンティが問うと、コルンはしばらく黙っていた。
眠れない夜がある。
例えば、静かすぎる冬の夜。
どうしても、コルンは寝付けなくなることがある。
翌日に仕事がある時は、少しでも休息をとらねばと、目を閉じて朝までただじっとしている。
だが今夜のように、明日は何もないという夜、コルンはベッドを抜け出す。
そしてリビングでテレビをつけて、ただじっとしている。場所を変えただけで、あまり変わらない。
ただ、時間が過ぎるのを待っている。
キャンティは朝まで気づかず眠っていることもあるが、ふと目が覚めて、隣が空っぽになっているのを見つけることがある。
そんな時は決まって、彼女もリビングにやってきて、コルンの隣に座る。
そして、眠気眼で言う。まだ眠くない、と。
「ごめん」
コルンが呟くと、キャンティはむっとして、肘で脇腹を小突いた。
「馬鹿……次、また謝ったらぶん殴るよ」
威勢のいい調子に反して、瞼が半ば下りている。
それでも、彼女はコルンの隣を動こうとしなかった。
寄り添って、共にホットチョコレートを飲んでいる。
コルンは瞼を閉じてみる。
音量をしぼった映画の台詞やBGMと、キャンティの息遣いが聞こえる。
ジンジャーヘアが肩をくすぐって、体がぴたりとくっついている。
己以外の体温が心地いい。
けれど、やはり眠れそうにない。
伝わってくる息遣いが規則的になっていることに気づいて、目を開けて隣を見遣る。
コルンの大きな体にすっかり身を預けて、キャンティは眠っていた。
空になったマグカップが両手から落ちそうになっていたので、そっと取り上げてテーブルへ。
「……ごめん」
もう一度謝れば殴ると言われていたにも関わらず、コルンは呟く。
キャンティは気づかずに寝息を立てている。
華奢な体を抱えて、寝室へと戻った。
彼女をベッドに横たえて、自分も隣に潜り込む。
コルンは、眠れない夜、ベッドでじっとしていることが好きではない。
覚醒したままの頭に、さまざまな記憶が好き勝手に浮かんでは消えていく。
今はもうどこにもない故郷や、顔も思い出せない家族の影。
戦場の風景や、倒れていく仲間たち。
今はもういない、友達のこと。
どれも、思い出せば思い出すほどに、空虚ばかりが胸を穿つ。
ただでさえ希薄な、己の何かが、いっそうすり減っていく気がする。
けれど、と腕の中を覗き込む。
抱き締めたキャンティは、眠りに沈んでいても、自らコルンの胸に頬を寄せてくる。
たとえ眠れなくとも。
悪い夢のような記憶に、一晩中うなされても。
彼女がいれば、辛うじて、すり減って消え去ることはないと思えるのだ。
三度目に、ごめんといいかけたコルンは、一度口を閉じた。
それから。
「……おやすみ、キャンティ」
ジンジャーヘアに顔を寄せると、ほのかにチョコレートの匂いがした。