捧げもの 今日は奢ろう、とカルバドス自ら言い出して、二人のスナイパー仲間を行きつけの店に誘った。
「ほんと、ばかに機嫌がいいじゃないか。いいことでもあったのかい?」
500mlの瓶ビールを半ば飲み干したキャンティが、テーブルの向かい側に尋ねると、答えが返ってきたのは彼女の隣からだった。
「カルバドス……この前、仕事したばかり」
同じ銘柄の瓶を前に訥々とコルンが呟くのを聞いて、キャンティは、ああ!と納得するような声を上げる。
「そうだったねぇ、どっかのお偉いさんのドタマぶち抜いたやつ」
揃えた人差し指と中指の先で、相棒の米神を断りなくトントンと叩く。キャンティのそんな仕草に、カルバドスは愉快そうに笑って頷いた。
「嗚呼、今日はその仕事が上手くいった、お祝いさ」
「お祝い……なら、カルバドスが奢ってもらうのが、普通……」
「余計なこと言うんじゃないよ! せっかくタダ酒飲めるんだから!」
肘で小突かれるまま、コルンは無抵抗だ。
二人の様子に、カルバドスはますます愉快になって、瓶に口をつけて煽った。
「いいんだよコルン。すごく気分がいいんだ、お裾分けさせてくれ」
カルバドスも愉快で、酒を奢られたキャンティも上機嫌。コルンはいつもと同じ無表情だが、彼もまた少なからず楽しんでいることを、後の二人は知っていた。
気の置けない仲間たちと共に、なんて愉快な祝宴。
「だけどさぁ、あのヤマ、関係ない奴もヤッちまったから、てっきり失敗したかと思ってたよ」
新しい瓶の王冠をテーブルの角で開けながら、キャンティが思い出したように言うので、カルバドスは素直に頷いた。
「そうなんだ。一発目を外してしまって、それがうっかり他に当たってね。なんとか二発目で仕留められたからよかったけど……」
「ま、よかったじゃないか、お咎め無しで。アタシだって、撃っていいならカカシのひとりふたり、いくらでもぶち抜くし」
「でも……カルバドス、らしくない」
「だよねぇ? いつも準備しすぎなくらい準備して、狙いもきっちり正確で、面白みのないくらい“真面目”な仕事っぷりなのに」
二人のやり取りを聞きながら、カルバドスはサングラスの奥で目を細める。
「俺も、いつも通りやったつもりだったんだけどね……“彼女”には悪いことをしたよ」
「そうそう、どっかの女優だっけ? キレイな顔が悲惨なことになったって聞いたよ、キャハハッ!」
不謹慎な甲高い笑い声を、咎める者はこの場にいない。
「そんじゃ、その気の毒な女に乾杯しようじゃないか」
「ああ、いいね! それはいい!」
キャンティの提案に、カルバドスはこの上なく明るい笑顔で声を弾ませる。
3本のビール瓶が、かちかちとぶつかった。
あ、とウォッカが声をもらしたので、ジンは氷と琥珀色が揺れるグラスをカウンターに置き、ほとんど反射的に何だ、と問う。
「このニュース。こないだの、カルバドスの仕事ですよ」
カウンターで隣に腰掛けたウォッカは、兄貴分の方へ肩を寄せ、スマートフォンの画面を見せた。ジンは横目を遣るだけで、映っているネットニュースの見出しを読むことができる。
映画の制作発表パーティーで、スポンサーだった大企業の重役と、若手の女優が狙撃されたという事件。
「世間じゃ、この重役と女優がイイ仲だったとか、重役の奥方が恨んで殺し屋雇ったとか、好き勝手盛り上がってるみたいですぜ」
ウォッカが面白そうにニヤついている。
対して、ジンはさして興味なさそうに鼻を鳴らした。
「くだらねぇゴシップだが、ちょうどいい隠れ蓑にはなる。本来なら無関係の羊を殺したのは失態だが、今回は問題ねぇだろうよ」
なるほどなぁ、と大袈裟に感心しながら身を引くウォッカを尻目に、ジンは再びグラスを傾ける。
「しかし、残念ですねぇ」
「何がだ」
仕事の合間の休息、お喋りな弟分を適当に相手してやるのは、ジンにとっても悪くない暇つぶしである。
「巻き添えになった、この女優ですよ。映画の主演もやれることになって、これからって時に」
「知ってたのか」
「端役でドラマに出てるのを見たことがありやしてね。演技も上手かったんですよ」
件の女優について検索しているのだろう、ウォッカはスマートフォンに太い指を器用に滑らせている。
ジンは、先程の記事でちらと見た女優の顔写真に、ふと引っ掛かりを覚えた。
「おい、何て女優だ?」
「興味ありますか? この娘ですよ」
再びウォッカが体ごと寄せてきた画面を覗き込む。
華のある、美しい笑顔。
「この女……」
「兄貴もご存知でしたか?」
「ベルモットが役を取られたらしい」
「えっ、姐さんが!?」
大女優の裏の名前が出て、ウォッカはぎょっとする。
「そ……そんなこと、あるんですかい?」
「才能のある女優が、あの女だけってわけでもねぇだろうよ」
「ってことは、カルバドスがうっかりしたおかげで、姐さんはせいせいしてる頃でしょうねぇ」
呑気に呟く弟分の背後に迫る人影に、ジンは気づいていたが特に指摘しなかった。
「ふうん……私をよっぽどの性悪だと思ってるみたいね、ウォッカ?」
低められた女の声に、ウォッカがみるみる顔を青くしていく。身動きの取れない哀れな弟分に代わり、ジンがその女を振り返る。
「てめぇが性悪なのは今に始まったことじゃねぇだろ」
その言い草に、いつのまにか店に入ってきていたベルモットは、気の利いた皮肉も返さずに唇を引き結んでいる。
「……」
「どうした、ベルモット。随分とご機嫌斜めだな」
そう尋ねるジンは、対照的に愉しげな笑みに口元を歪めている。
こうもあからさまに不機嫌な“魔女”は、珍しい。
「当たり前じゃない。期待してた後輩が亡くなったうえに、その訃報で盛り上がってるところに出くわしたんだから」
「い、いや、その、盛り上がってたわけじゃ……」
ベルモットに睨まれて、ウォッカは肩を縮ませてモゴモゴ言っている。
「と、いうか……期待してたって、商売敵だったんじゃあ……?」
「ハァ……男ってどうして、物事を勝ち負けでしか考えられないのかしら」
弟分は火に油を注いだらしい。ベルモットはいっそう苛立った様子で溜め息を吐き、豊かなブロンドヘアをかきあげる。
「新しい才能が伸びて嬉しくない女優なんて、二流もいいところよ。こっちだって良い演技のできる子が一緒の方が、気持ちよく演じられるんだから。彼女は特に可愛がってたのよ」
「ハッ、まるで真っ当な女優のようなこと言いやがる」
茶化す兄貴分に向けられる鋭い眼差しに、ウォッカは二人をオロオロと見比べるばかり。
対して、ジンはひどく愉快になって肩を揺らした。
「ククク……俺たちに八つ当たりするんじゃねぇよ。飼い犬をきちんと躾けねぇからこうなるんだ」
意味深に聞こえる呟きに、ウォッカはサングラスの奥で目を丸くする。
「飼い犬、ですかい?」
察しの悪い弟分に、ジンはどこか悪戯っぽく首を傾げてみせる。
さらり、と銀髪が流れた。
「お前、カルバドスが本当にドジを踏んだと思ってんのか?」
「えっ――」
ウォッカはその言葉の意味を飲み込むより先に、確かな殺意を感じて震え上がる。
恐る恐る振り返ると、ベルモットの相貌は氷のように冷ややかだった。
「……カルバドスはどこ?」
有無を言わさぬ詰問。その声はどことなく、気が立っている時の兄貴分と似た気迫があって。
ウォッカはつい、三人の狙撃手が今日飲んでいる店を答えてしまった。
魔女と弟分のやり取りを肴に、ジンは愉快で愉快で仕方がないまま、酒を煽った。