一人暮らしもうすぐ春になる温度差の激しいこの頃、周りは別れだの出会いだの浮かれている。駅に向かう若いイカの集団、卒業旅行とか言うやつだろうか。俺にはそんなもの無かったし、そもそもそんな金も無かった。
やっと親に依存せずに暮らせるような歳になって、クソな環境だったけど自分で稼ぐようになって親の苦労を知り、ちょっとしたプレゼントを贈るもそれを無下にされ、心のどこかで少しでも喜んでもらえると思った自分を殴りたかった。
そこからやっと定住できる環境を整えてバトルに赴く日々は楽しかった。
しかし、現実は残酷でちょっとギアの欠片が欲しいって思ってサーモンランに足を運べばいつの間にか借金地獄にいた。俺は何かを望んではいけないらしい。ニコチンに浸かり、同じところの往復。金に余裕が無く将来への不安が常に付きまとう。
浮かれている世間を冷めた目で睨み暗い自室に帰宅する。風呂場の換気扇の音だけが聞こえてくる狭くてボロい家。家賃が格安だったから選んだ物件。大人になったらチラシで見たような綺麗で明るくてテレビの前にソファーが置いてあるような家に住めるもんだと思っていた。それに関してはこれからも叶う気はしていないし、もう望みもしない。きっと掃除はダルいし自分は持て余す。
「...寒...。」
もう街は春の宣伝や装いをしてるってのに寒い。日当たりなんて考えて借りなかったしそれもそうか。
電気代も勿体ないしさっさと風呂入って毛布に包まろう。晩飯も今日は食べる気しないしもう寝てしまえばいい。今日はブラコだったからあのザコイカはいつもより死ぬしクソイカが撃ち漏らしたバクダンで死ぬしいつもより疲れた。納品しないならオオモノ処理位ちゃんとして欲しいものだ。
...なんだか寝苦しい。普段からすぐ寝れる訳じゃないけどいつもより寝れない...。毛布を被っているのに寒い、寒いのに汗をかいている。なんだか喉もピリピリする。風邪でも引いたのだろうか。
...最悪だ。1日出勤できないだけでも生活はカツカツなのに。起き上がると頭がズキズキと痛む。少しでも喉の調子が良くならないものかと水道の水を飲んでみるもあまり変化は無い。
「やっちまったな...。」
とりあえず布団に戻る。寝れば治るかもしれない、そうすれば明日バイトに行けるかもしれない。俺は思考を放棄して寝ることにした。
...一晩寝るどころが数十分寝ては起きるという断続的な睡眠しか取れなかった。いちいち取りに行くのがめんどくさいからと水の入ったコップを枕元に起き、鼻から出てくる水分を受け止めたティッシュがその辺に散らばり見事に病人が完成していた。
「きっつ...。」
声も見事に出なくなっていた。これじゃあバイトに行けない。
リーダーだと認めるのも癪だがあいつの連絡先しか知らないし今日のバイトを休む由を伝える。何やら罵詈雑言が帰ってきたが休むなという様なことは書いていなかったので休んでいいんだろう。
液晶を見るだけで疲れる。携帯を枕元に起き寝返りを打つ。無機質な壁をじーっと眺めた。俺がつけた訳じゃない壁の傷を雑に塗装したであろう色の違うところのある壁。そうしていると夜中眠れなかったのもあって眠気が来た。どうせ暇を潰すものなんてないんだ。ならば今日はずっと寝ていればいい、そうすれば明日には治るはずなんだ。
...おかしい。丸1日寝込んでいたのに風邪が治る気配が無い。今日も休んだらあのイカは怒るだろう。そもそも怒られる筋合いは無いんだけど。あいつだって黙って1週間来なくなったことあったし人の事言えないだろ。そう思うと連絡する自分の真面目さがアホらしくなってきて休むと一言だけ入れて携帯を枕元に置く。返信が来たのか携帯が震えたが無視だ。
もしかしてただの風邪では無いのだろうか、医者にかかった方がいいのだろうか。考えはするけど身分証などのそう言った類は持っていない。そもそも病院に行く金もない。なら死ぬ気で治すか死ぬかのどちらかだ。そろそろ家にあった食材のストックも切れそうだ。しかし水道が止まっていないのが救いと言ったところだな。昨日風呂に入っていないから汗を吸ったTシャツはくったりしてる。
さすがに明日には治るだろう。治ってなくても明日は出勤しなくては...。本当に水道が止まりかねない。寝すぎて腰と首が痛いが結局寝ることしか出来ず昼も夜も浅い睡眠を繰り返していた。
夢を見たり起きたりで昼か夜かも分からなくなっていた。長らくカーテンも開けていないし携帯も見ていない。薄暗い部屋じゃ時計も見えない。呼び鈴を押されて睡眠から意識が現実に戻ってくる。カーテンの隙間を見れば光が僅かに差し込んでいるから明るい時間なのか...。再び呼び鈴を押される。どうせ宗教勧誘とかそういった類だろ。俺の所を訪れる物好きなんて居ないんだから。無視しよう、体調だって優れないんだ。
3度ほど呼び鈴を押された後ドアをドンドンと叩く音がする。しつこい。辛い体に鞭打って起き上がれば頭がズキズキと痛む。だから起き上がりたくなかったんだ。玄関のドアの覗き穴を見ればそこには良く見知ったアシメのイカの後頭部が映っていた。居たわ、物好き。
こいつ前来た時もヤニ汁作った俺を説教しに来たっけか。あの時の必死そうな顔だ。何を必死になっているんだろうか。
鍵を開けてやるとなにやら「うおっ...。」とか言っていた。人が訪れたら鍵を開けるのは当たり前のことだろ。
バンバンとドアを叩いていた割に俺が鍵を開けても直ぐに開けたりはしなかった。非常にダルいがドアを開けると覗き穴から見た通り、クソイカが居た。
「...ったく、うるせぇよ...。」
「お、お前が何の連絡もなくバイト来ないこと無かったから様子見に来たんだぞ!全く、なんも反応無いから死んだかと思ったわ!手間かけさせやがって...。」
さっきの必死そうな形相を知っているから今更取ってつけたようなイラついてる顔に笑ってしまいそうだった。
...てかもう出勤する時間過ぎてたのか。分からなくなっていた。
「...今日のバイトは?」
「今日は編成も良くないし、人も集まらないしで無しになった。」
「そ...。」
死んだかと思った...か。一応俺を心配するやつは居るらしい。まだまだ熱を持った頭はらしくないことを考えた。
「お前大丈夫かよ...。もう3日だろ?病院は?薬は?一人暮らしだろ、何か食うもんはあるか?」
一気に聞くなよ。なんにも頭に入ってこねぇよ。
「...安否を確認しに来たんだろ。用済みなら帰れよ...。」
身分証が無いとか金がないとかそんな情けないこと言えなくて俺は答えるのを放棄した。
「そんな様子のお前見てはい、帰りますとはならねぇよ...。」
一体俺はどれだけやつれているんだろうか...。
ひたりと生暖かいものが首に触れる。こいつの手、なんか汗ばんでるし、そもそもなんの前触れもなく人の体に触りやがってこいつ含め、暴力でしか触られてこなかったから妙に小っ恥ずかしかった。
「あれからずっと熱があるのか...?大丈夫かよ...。」
大丈夫じゃねぇからバイト休んでんだよ。声を出すのも喉が辛いし余計に喋らせないで欲しい。
「俺、なんか買ってくるよ...。どうせバイト休みでなんも予定ねぇし。お前出勤してくれなきゃバイトもできねぇし。」
結局そこかよ。こいつが人に優しくする時は大抵バイトが絡んでいる。前はこんなやつじゃなかったのに。しかし、買い出しの申し出は非常に有難い。
「金は後で渡す...。」
「え、いいよ別に。お前今月休んでるしあんま余裕ないだろ。俺が出すよ。」
はぁ?こいつこんな優しいやつだったっけ。キモささえ感じるな。
「その代わり早く治さないと承知しないからな。」
ま、利用できるものは利用しとくか...。
ゼリー系飲料、スポーツドリンク、インスタントのうどん、薬...。あいつのチョイスだからどんなもの買ってくるだろうかと少しばかり心配していたが病人を気遣ったものばかりで安心した。
「お粥だと洗い物出るだろ。」
お前に洗い物の概念あったのか。そこまで気を回せるのになんで普段からそうしないんだ。部屋も片付ければ良いのに。昔の気のいいあいつを知っているからこそ残念でならない。
「部屋入るぞ。」
「...やだよ...片付けてない...。」
「ンなこと言ってる場合かよ。俺ん家よりは綺麗だって。」
シンクに洗い物も置いているし、ティッシュも起き上がったタイミングで捨ててるとはいえ枕元に散らばっている。
昔、幼い頃友達の家にお邪魔したことがある。それ以降、自分の家が世間一般と異なっていることを知って徹底的に家には友達が来ないようにしていた。今だって人を呼ぶ時は生活感を徹底的に隠している。だから嫌だ。
「邪魔するぜ。」
..ああ、全く、こいつはズケズケと...。
なんの許可もなく勝手に冷蔵庫を開けられる。
「お前...なんもねぇじゃん。どうやって生きてたんだよ...。」
人って水分さえ取っていれば何日か食べなくても生きていけるんだぜ。
「どうせ今日はまだ何も食べてないんだろ。これ作ってやるからこれ飲んで寝とけ!」
ちゃぶ台に置いていた、いつから使ってたか分からないコップにスポーツドリンクを注がれる。買ってきたばかりでよく冷えていて、熱を持った体には心地良い。
ペリペリとインスタントうどんのフィルムを剥がす音がする。俺はスポーツドリンクのおかわりが欲しくて台所に向かいお湯を沸かしているあいつを後目に冷蔵庫を開けてスポーツドリンクを注ぐ。なんで俺ん家なのに俺があいつを伺いながら冷蔵庫開けなきゃなんないんだよ。
だいぶ久々だった水分補給を終えて布団に戻る。
にしても、何もしなくても飯出てくるのいいな。
「ほらよ。もう少しで5分だ。」
インスタントうどんをちゃぶ台に置かれ、布団の上からのそのそと動く。
「七味はダメだからな。」
喉が辛いから流石にかけねぇよ、と言いたいところだが疲れるので黙る。割り箸を貰ってきてくれていたようでそれを割るが見事に失敗した。
半分だけ開封されたフィルムを剥がせば油揚げが見えた。普段のうどんより豪華だな。
油揚げを半分に畳み下のうどんを啜る。
「……っ!げほっ!」
蒸気さえ呼吸器を刺激する。
「おいおい……大丈夫か?」
「……かはっ、……っゲホッ……!」
咳が出そうなタイミングと呼吸のタイミングが合わなくて余計に苦しい。
苦しさによる涙が出てきた。クソイカのやつが咳き込むことしか出来ない俺の背中を擦る。だからといって何か変わるわけじゃないんだけど……。
「げほっ……死ぬ……。」
「ホントに大丈夫なのか?!水飲むか?!」
クソイカがオロオロしてる。水飲む余裕なんかねぇよ。
「はぁ……はぁ……。」
やっと落ち着いてきて今度は啜らずに食べる事にした。……七味無かったらこんなに薄かったっけ……。
俺が落ち着いたのが分かるとクソイカは俺に渡すでもなく中途半端に手に持っていたコップを置いた。
「食い終わったらこれを飲め。」
薬が2錠、コップの横に添えられる。薬って今まであまり飲んだことがない。病院もあまりかかったことが無いし、親が置いていく金は決して多くなかったから。
麺を全部食べ終わり、油揚げを齧る。味覚がバカになっていてもこれは美味しい。汁まで全部飲む。汁にだってお金を払っているし、栄養とカロリーがあるからだ。何一つ無駄にしない、家庭環境で身についた悲しい性だ。
薬も飲んでしまうと近くに持ってきていたビニール袋に容器と割り箸を入れて布団に戻る。
クソイカは壁に寄りかかり足を投げ出して携帯で何か見ていたが俺が布団に戻るのを見ると持ってきたショルダーバッグを肩に掛けた。帰るのだろう。
「じゃ、お大事に。」
「……ありがと。」
聞こえたか分からないがクソイカはヒラヒラと手を振って帰って行った。本当に、シャケシバキが関わっていなければこいつは良い奴なんだけどな……。
クソイカが帰ってからも俺は浅い睡眠を繰り返していた。いつもはあまり眠れていないのに断続的ではあるけどずっと寝ていた。ちゃんと食べたし薬も飲んだ。さすがに明日には治るだろう。でも声はおかしいままだし明日出勤したら馬鹿にされんのかな……。やだな。
ぐだぐだと明日のことを考えているとまた眠気が来る。もういいや、明日のことは明日考えよう……。
明日は出勤できることを祈って、俺は再び眠りについた……。