キスの日 どれくらいそうしていただろう。体感では数時間、ずっと座っていたように思える。酒が入ったままのグラスを置いて、一呼吸したあと隣を見る。隣に座る彼はソファにもたれかかったまま、ピクリとも動かない。
恐る恐る手を伸ばし肩に触れれば返ってくるのはおおよそ生きた人間ではありえないぐずりという不快な感触。解っていた筈のその事実にぼろぼろと涙がこぼれ落ちて止まらない。
何を期待していたんだろう。
もしかしたら彼は疲れて眠っているだけで、申し越ししたら起き上がるかもしれない、なんて。そんな事、ある訳ないのに。
彼との記憶が蘇る。現実主義で非情な一面を持っていたけど本当はとてもやさしくて、自分の大切なものを守る為に一生懸命な人だった。
根本では僕と同じものを共有する彼と全てが終わっても共に居たいと、明日をわかち合いたいと思っていたのに、彼は一人でいってしまった。
「……あぁ、そうか。僕、君の事が好きなんだ」
嗚呼、馬鹿だな、僕は。そんなの、今更自覚したって遅い。彼はもうこの世にいない。彼の笑顔も、声も、煙草を吸う姿も、戦う姿も、もう二度と見れないんだ。
ズキズキと痛む胸に視界が歪む。両手でそっと彼の頭を引き寄せた。脆くなっているであろう体が崩れないように、慎重に。
薄く開いたままだった瞼を閉じて、物言わぬ唇に触れるだけのキスを一つ。
君との最初で最後のキスは酷く冷たく、血の味がした。
「と、いう訳で僕は君が好きなんだ、ウルフウッド。僕と結婚しよう」
「何がという訳で、や。バカトンガリ。全然説明になってへん。てかまずは恋人としてお付き合いとちゃうんかい」
桜が舞う季節。偶然にも町中で再開した彼をそのまま近所の家に連れてきた。出会った時の反応から記憶があるのはわかっていたけど、無言で腕を引っ張られて家に連れてこられてというのに、彼ときたら呑気にコーヒーに口をつけている。
連れてきた本人が言うのもなんだけど、そんな簡単に初対面(今世では)の男の家に上がるもんじゃないって言おうとして出てきたのは告白の言葉だった。
いやまぁ、もし再開できたらそういう関係になりたいなんて思ってたけど、再開して第一声がそれはどうかと思う。っていうか彼も驚くなり気持ち悪がったりすればいいのん、なんでそんな冷静なの?
もうこうなったら彼が頷くまで好きと言い続けてやると思って、それより前に彼の口から出てきた言葉にフリーズした。
「全部知っとるよ。見とった」
「えっ」
見ていた?
見ていたとは、どういう事だろう。
「なんや神様が頑張ったご褒美にって、あの世に行かずにいろいろ見させてくれてん」
対面に座っていた彼が隣まで歩いてきて僕の隣に座り込む。はからずしもあの時と同じく僕達が座っているのはソファで、彼が座ったのは僕の右隣だった。
あまり思い出したくない記憶に眉を顰めているとゆっくり伸びてきた手がそっと頭に載せられ、そのまま優しk撫でられた。
「最後まで付き合えんで悪かったな、ヴァッシュ。お疲れさん」
温かい掌と子供相手にしか聞いた事のない優しい声音に目頭が熱くなる。数百年間胸に秘め続けた想いが溢れて止まらない。生まれ変わっても泣き虫かいな、なんて笑う彼の唇を僕の唇で塞いでやった。
君との最初のキスは温かくて、これから訪れるであろう幸福の味がした。