偽りの夢☆正規ルートです
辺り一面視界を奪う程の土煙、そして何かが燃える匂い、色んな人の叫ぶ声、金属が擦れる気味の悪い音。
その中でも鮮明に、それこそ間近で見ているかのように見えるその光景は。
「……トリガー、助けて、くれ」
今日もまた、大汗をかいて跳ね起きる。窓の外はまだ暗く、起きると言うには大分早い時間であった。トリガーは深いため息をつく。もうずっと怖い夢を見る。タブロイドが、自分を呼ぶ。それが怖い訳では無い。タブロイドが、死んでいくのを何度も何度も見届けなければいけないのが怖い。夢なのに動けず、どうする訳にもいかず、ただただタブロイドが死にゆくのを見ているだけ。自分を呼ぶ声が段々と小さくなっていき、聞こえなくなる。タブロイドの体から血が、命が、流れ出し地に溜まってゆく。
「……ごめん、ごめんよタブロイド」
周りから見れば背負わなくていい罪を背負って、それでも生きていかねばならないなんて残酷だ、と思いながらそれでもタブロイドには罪はなく、そしてトリガーはまた悔いるのだ。
「タブロイド、ごめん」
もうずっとトリガーは寝不足だった。それはそうだろう。あんな夢を見て平気でいられるはずがない。恋人だった人間が、助けを求めながら死にゆく夢なんて。慣れることもない。慣れてはいけないのだ。だって自分の罪だから。トリガーはそう思い込むようになっていた。
そうすると体にガタがくる。眠るのが怖くなり寝不足、おかげで目の下にはくま。精神的にも身体的にも疲弊し、落ち着いても考えるのはタブロイドのこと。その度ごめん、と謝る回数はもう何度目か、数え切れないくらいだった。
「トリガー、どうかしたか」
意識が遠くぼやっとしていたトリガーにカウントが話しかける。その目は茶化したりするようなそれではなく、深刻な話をする時のそれだった。
「なんでもない」
そう言って見せた軽い笑みはけれどどこか偽物めいたものではあったがカウントはそれに気づかないようだった。即席ではあるがつけた仮面はどうやら詐欺師と呼ばれるカウントをも無事に欺いたようだ。
ほかの面々もどこか腫れ物を触るようにトリガーに接するが、やはりその時も仮面を被れば皆安心したようにほっと息をついた。
案外上手くいくもんだ、とトリガーは安心したがこれはタブロイドから学んだことだったな、と思い出せばまた罪の意識に苛まれる。世を生き抜く処世術として教わったものが、まさかこんなところで威力を発揮するとは。皮肉なものだとトリガーは泣きそうな顔で笑った。
トリガーはさらに己を疲弊させるこの頃の一連のことにとても辟易していた。カウントが、何かと顔を合わせるとどうした、大丈夫か、何があった、と聞いてくるようになった。それにイラつきながらも被った仮面で騙し続けていたがカウントは日に日に険しい顔をして問い詰めてくる。そうして、被った仮面が徐々にズレ落ちていく。カウントのしつこい追求に限界まで疲れ果て、大丈夫だというこたえを取り違え、ついに、
「……ごめん」
「……は」
ごめん、とトリガーの呟いたそれが自分宛ではないことにカウントは敏感に気づいた。トリガーが何に対してその言葉を吐いたのか、思うところは沢山あったが重要なものはひとつしか無かった。
今の今まで隠していた傷は熱を孕んで膿を溜め込んでいたのだ。やっと出始めた膿は全て出し切らなければ。そうしなければトリガーはもう一人で立てないだろう。トリガーが謝りたい相手は、カウントが知る限り一人しかいなかった。そしてそれを確信していた。
「明日、暇か」
「……多分」
「行きたいところがある。着いてこい」
「嫌だと言ったら?」
「いいから行くんだ」
明日の今頃、ここに来い、とだけ残してカウントは去っていく。守らないとは思わないのだろうか。トリガーは土壇場でキャンセルしようかと思ったがそうすると部屋にまで来て引きずり出すだろう。それもまたしんどい。仕方なしに明日のこの時間、ここにいてやろうとトリガーは思った。
「ちゃんと来たな、行くぞ」
「……嫌だ」
「いいから来い!」
カウントは心に決めていたようでトリガーの言葉に耳を貸さなかった。無理矢理にでも連れていく、とは何かがあったのだろうか。しかしトリガーにとってはそれはどうでもいい、些細なことであった。適当に話を収めて適当に終わらせ、住処に帰る。それだけだ。そしてまたあの夢を見る時間になる。誰かどうにかしてくれ。そう言いたくともタブロイドに申し訳が立たずそれらを吐き出せずにいる。トリガーは途方に暮れていた。
鬱々としながらカウントに引きずられてどこか、へ行く。下ばかり見つめていたからトリガーは気づかない。その行く先がよく知った場所だということを。
「ついたぞ」
カウントの一言でトリガーはやっと顔を上げ、そして知る。
すぐに目に入ったのはあまりにシンプルすぎる白い石碑、それは、タブロイドの墓標だった。
何度かは足を運んだが夢を見始めた頃からは足を向けたことは無かった。怖かったからだ。直接助けを求められるような、責められるような、恨めしがられるような、そんな気がしてならなかったからだ。
「カウント」
「何か言いたいことがあるんだろ」
「……別に」
「これ見てそう言えるか?」
カウントが顎で示すのは、墓標。その下にはタブロイドが眠っている。穏やかであればいいが、トリガーはそうではないと決めつけるように思っている。タブロイドは、きっと自分を恨んでいる。常にあるのはその思いだけで墓標さえろくに見られず視線を落とした。
「……ごめん」
その瞬間堰を切ったようにトリガーは謝罪の言葉を口にし続けた。カウントはそれを痛ましく、けれど間違っていると思った。
謝罪したところでタブロイドは戻らない。ましてトリガーの心の内が伝わる訳でもない。また、タブロイドがどのような気持ちで逝ったのかも分かるはずもない。それなのにトリガーは謝罪してばかりだ。一体何がトリガーをそこまで追い詰めているのか、カウントには検討がつかなかった。それならば直接聞き出すしかない。たとえそれがトリガーの傷を深く、抉ることになったとしても。
「なんでそう謝る」
「……タブロイドが言うんだ」
「何を」
「助けてって……でもどうにも出来なくて」
夢の中で、と始まったトリガーの話はカウントにとって全く理解できるものではなくてただその痩けた顔をまじまじと見つめることしか出来なかった。そして続きを促す。最後まで語らせなければ状況は変えようもない。
「ずっと助けてって俺に言うんだ……どうにかしたくても体が動かなくて」
「それで?」
「だんだんとその声が小さくなっていって」
「そして?」
「……タブロイドは死ぬ」
それは確かに事実であったが何がそこまでトリガーを追い詰めるのか。まだパズルの最後のピースが嵌っていない。カウントは今度は続きを促さなかった。そうせずともトリガーは口を開くだろうと確信していた。
「タブロイドを殺したのは俺だ。タブロイドはきっと俺を恨んでる」
その言葉にトリガーが何に後ろめたさを感じ、何を恐れていたのか、カウントは察することが出来た。正直いってお門違いもいいところだ。自分が殺したとトリガーは言うがその瞬間を知っているカウントはそれがあからさまに間違いだということを断言出来る。例えそれが間接的だったとしてもそれはまた別の話だ。タブロイドがそう思うような道理はどこにもない。もしタブロイドがそう思っていたのだとしたらカウントはタブロイドを心底軽蔑するだろうがそれは無いだろうと一蹴できる。
カウントは言葉を選ぼうとして、やめた。思ったことを思った通りに。それだけでも十分通じるはずだ。少しだけ考え込んで、カウントは口を開いた。
「奴はそんなこと言わないし、思わない。ガキを助けて死ぬような奴がそんなことを言うと思うか?」
存外カウントの声は静かだった。いつもの無理矢理言い聞かせるようなそれではなく、すんなりと受け入れられるような、大人しく諭すようなそれ。トリガーがどう思ったかは知らないが、その目はその言葉に揺れていた。
「でもタブロイドだって」
きっと生きていたかった
そうぽつりと呟き、トリガーは目を閉じた。まるであの瞬間を思い描くように。実際に立ち会った訳では無いのにわざわざ思い描いてまで悔いるトリガーは何よりも痛々しかった。
トリガーの心は今色んな思いでぐちゃぐちゃなのだろう。それを自ら解き解さねば理解し納得することもないだろう。ぐちゃぐちゃで埋まった心はきっと暗い。
「いいや、そんなことはねぇな。逆に満足しただろうよ。したいことをして死んだならな」
「だからって……!」
トリガーは口調を荒らげてカウントを見る。
相変わらずその目は暗く、揺らいでいる。その目の奥には死んだタブロイドがいるのだろう。残酷だがタブロイドから目を逸らさせないといけない。いい加減解放しなくては。トリガーも、……タブロイドも。
「じゃあ聞くが、お前がタブロイドの立場だったら助けを求めるのか?そこは危険な場所なのに?」
「……」
カウントが畳み掛ける。トリガーは口を開かない。ようやく少しはわかってきたようだった。目尻には涙の珠が浮かんでいたが。それが零れれば、トリガーはやっと認めることが出来るのだろう。カウントはあと少しだとばかりに言葉を紡いだ。
「わかったか?あいつがお前を危険な目にあわせてまで助かりたいと思うはずがない。むしろ逃げろと言うだろう。だから助けて、なんて言うはずがない」
カウントは墓標に視線を落とす。トリガーは何も言わない。現状を噛み砕いて納得しようとしているのだろうか。それとも認められないと思っているのだろうか。カウントには分からないが真実を知っている。トリガーがどうであれ、思うそれは違うということを。
「……あいつを信じてやれよ。お前にそう思われてるなんてあいつが可哀想じゃねぇか」
可哀想。その言葉に反応したのかトリガーの瞳からつい、と涙が零れ落ちた。自分がそう思い込むことで、タブロイドが「可哀想」な存在になるなんてトリガーは考えてもいなかった。タブロイドは決して「可哀想」ではない。そんな言葉はタブロイドを侮辱してるのと同じことだと、やっと気づいたゆえの涙だった。カウントがやっとわかったか、と投げかければトリガーは目をこすりながらうん、と答えた。しかし涙はとめどなく流れ続ける。タブロイドのためであり、自分のためでもあった。タブロイドを想い、そして自分を許すための。
「……そうだね。タブロイドはそんな事言わない」
「そうだ、それでいい。……だが忘れるなよ」
「わかってる」
あの後情けなくも大泣きしてしまったがカウントは何も言わなかった。何も言うことは無かったからだ。トリガーはもう理解している。それ以上の言葉は必要なかった。
また、毎朝跳ね起きるベッドに横になってトリガーは思う。
(タブロイド、ごめんね)
そうしてうつらうつらし始めてついに寝落ちてしまった。いつもの夢のことなど遠に忘れて。
そこは白い靄がかかったところであった。トリガーは不安を覚えたが、けれど不思議と怖いとは思わなかった。広がる靄の、その向こう。何度も出会い何度も死なせた────トリガーが勝手に思い込んでいた光景────タブロイドがそこに居た。
「……タブロイド?」
「信じてくてありがとうな」
「え、まって!」
穏やかな笑顔を見せながら一言告げて、タブロイドは消えていった。そのタブロイドはトリガーが作り出したタブロイドの影なのか、それとも。
消えていったタブロイドの余韻を掴むかのように手を伸ばした瞬間、目が覚める。天井に伸ばした手を見つめトリガーはぽつりと呟いた。
「タブロイド、どうか」
安らかであるように。
それきり、夢にタブロイドが出てくることはなかった。あの悪夢はトリガーが生み出した幻。最後に会ったタブロイドが実際どのタブロイドなのかは分からないが、ありがとうと、信じてくれてありがとう、と言った。あれは本物のタブロイドなのかもしれない。自分がそんなことを言わせるようなことはきっとなかったはずだから。
タブロイドの夢はもう見ない。トリガーは今ではそれを少し寂しいと思うようになっていた。いや、でも、それでいいのだ。タブロイドはきっと安心していられるだろう。それは確信だ。だって自分はもうあの夢を見ない。助けを求めて苦しむタブロイド。そんなタブロイドは最初からいなかったのだから。
「どうか、見守っていてね」
ついふとトリガーの口から出た言葉がタブロイドに届くかは分からない。けれど何となく、空の上から見ていて、笑ってくれているような気が、した。