いつかその雲が晴れるまで紅の瞳が開いた。
その瞳は、ただ何も無い天井を映していた。
緑の瞳が気づいた。 その瞳は、何も無い天井を映している瞳を映した。
緑の瞳―否、アルハイゼンは、紅の瞳…カーヴェに向かって言った。
「目を覚ましたのか」
と。
カーヴェは、己が誰なのか忘れていた。 思い出せない…いや、思い出したくないと言った方が正しいだろう。
カーヴェは言う
「…君は…誰だっけ?」
あまりにも純粋な疑問に、アルハイゼンは吃驚した。
「君は…何も覚えていないのか?」
カーヴェは答えない
―そして、2人の間に長い沈黙が流れた―
すると、アルハイゼンが口を開いた。
「…俺はアルハイゼンだ。」
「僕はっ…」
カーヴェも続けて自己紹介をしようとするが、己の名前を思い出せない。
彼は…忘れてしまったのだ。仲間と過ごした楽しかった日常も、何もかも忘れてしまったのだ。
そんなカーヴェを見て、アルハイゼンはこう思った。
―俺が彼をサポートしてやらないと―
カーヴェは、目の前にいる自分の大切な人であろう人間の名前すら覚えていない。
そんな己に、自己嫌悪さえ芽生え始めてきていた。
一方、アルハイゼンは、どうすればカーヴェの記憶が戻るのかと延々と考えていた。
こんな病室で考えていても埒が明かないと思い、カーヴェに別れを告げて帰ろうとしたら、カーヴェに呼び止められた。
「待って!い、やだ…帰らないで…1人に…しないで…」
何故だろう
何故、引き止めるのだろう
俺が、君を置いて見知らぬ地へ旅立つわけが無いのに。
カーヴェは、怖かった。 人の温もりから離れることが。 例え忘れてしまった大切な人でも、温もりから離れれば、もう戻ってこないかもしれない。
そう思うと、途端に怖くなった。
アルハイゼンは、そんなカーヴェの泣きそうな顔を見て言った。
「嗚呼…君は…そんな顔もできたんだな」
カーヴェは驚いた。
何故なら、目の前にいる人間が、哀しそうな笑みを浮かべていたからだ。
カーヴェは、何故そんな哀しそうな顔をしているのか分からなかった。
だからこそ、ただただ困惑した。
ただ、そんなカーヴェにも、一つだけ確信を持てることがあった。
目の前の男が哀しそうなのは、自分のせいなんだ、と。
自分が彼との大切な思い出も忘れてしまったから… そう思うと、自然と胸が締め付けられた。
―きっと、僕が忘れてしまったのは、仲間との日常の思い出だけじゃなく、彼との大切な思い出も消え去ってしまったのだ。―
カーヴェはそう思った。
カーヴェは罪悪感に苛まれた。
しかし、アルハイゼンには、カーヴェの考えている事などお見通しだ。
だからアルハイゼンは、カーヴェの荷が軽くなる一言を掛けた。
「例え君が全て忘れてしまっても、俺たちがいつまでも覚えている。君のその雲が晴れるまで。」
その一言で、カーヴェは救われた。