世界の中心はここだ 今日の俺は少しだけ浮かれていた。
「久々じゃーん!」
「元気だったー?」
なんて会話をするのは成人式ならではだよな。
中学校卒業以来だから五年振り? なんて言いながら晴れ着姿のツーショットを撮る。撮った写真交換しよーって言いながら連絡先も交換しちゃって。成人式の二次会で懐かしい思い出話で盛り上がったり、頑張ってる友達の話聞いて俺も頑張ろうって思ったり。
そんな感じで一日中浮かれていた。少しどころじゃない。まあまあ浮かれていた。
「夏太郎くんって今さぁ、恋人いるの?」
「うえぅ?」
思わずレモンサワーを吹き出す。
隣に座った××は少し酔っぱらっているのか顔が赤い。あはは、なんて笑いながら渡してくれたおしぼりを受け取るときに人差し指が触れた。その暖かさが離れがたくて、俺はおしぼりを受け取ってからも数秒は手が引けなかった。
「い、いない、けど……」
恋人がいないのは本当。
もうずっっっっっっっと尾形さんに片思いしてて、もうずっっっっっっっと好きですって言ってんのに、もうずっっっっっっっと断られてるからな。さすがにそろそろいい加減諦めた方がいいのかもしれない。
そんなことを考えていたところにこの質問だ。ねえ、××はどういうつもりでその質問をしてきたの? ニットの袖伸ばして笑ってるのはいつもなのかな。可愛すぎない? 反則では? やっぱり俺は浮かれているな?
「へー、そうなんだぁ」
「ええー、……××はぁ?」
「んー、別れたばっか。フラれた」
こ、これは⁉︎
もしかしてもうずっと振り返ってくれない尾形さんを諦めて、××にしなよってことなのかな⁉︎
確かに中学のときに××のことが好きだった。何となく両思いなのかな、どうかな、××からそれっぽい動きがあったら告ろうかな、なんて思っていたら中学の卒業式になっちゃってそれっきりだった。
××とは久しぶりに会ったけど、話しやすいところは変わってないし、見た目もいい感じに好みのまんまだし。やっぱ好きかも、なんて思ってしまう。尾形さんには見込みない気がするし。
「こんないいやつなのに別れるとかもったいなー」
「はは、でしょ?」
笑う××は俺のレモンサワーに手を伸ばす。それ俺の、と止める暇もなく××はそのまま飲んだ。
「あ、間違えちゃった」
なんて上目遣いで言われちゃったらさぁ! 俺はさぁ!
「あー、じゃあ代わりに××のやつ一口……」
「いいよぉ」
んふふ、と笑って渡されたカルーアミルクは今まで飲んだものの中で一番甘い気がする。これってもしかしてもしかしなくても間接キスだよな! あー、××がすっげぇ可愛く見えてきた。どうしよう、俺、やっぱこのまま尾形さん諦めて××と付き合った方がいいんじゃないかな。そっちの方がいい気がする。だって××、俺に気があるだろ?
と考えていたところで俺のスマホがけたたましく鳴る。慌てて画面を確認すれば尾形さんからの電話だ。え! どうして! 尾形さんから連絡がくるなんて珍しい!
出る? 出ない? と少し考えていると、××が「出たら?」と促してくれた。ごめん、と頭を下げて電話に出る。
「も、しもし」
『遅い』
「いや、今成人式の二次会で」
『うち来い』
「んん?」
大部屋の中は成人式に浮かれた酔っ払いが多くて騒がしい。××を乗り越えて廊下に出た。障子を閉めると嘘みたいに周りが静かになる。尾形さんが今言ったのは聞き間違いかな?
「尾形さん? 今なんて」
『うち来い』
「あの、だから俺」
『せーじんしき、祝ってやる』
「ええ?」
言ってる意味が分からない。俺も酔っぱらってるのかな。尾形さんが言ってること全く理解できないんだよな。うちに来い? え? 今まであれだけ俺が行きたいって言っても行かせてくれなかったのに? なんで? 成人式だから? 俺、夏には二十歳になってるんだけどな。
てか成人式祝うって何? 成人を祝うんじゃなくて? うええ? 耳元で聞こえる尾形さんの声のせいで一気に酒が回った気がする。
「来るなら住所送る」
「あー、えー?」
「今決めろ。来ないならもう知らん』
「えー、えー、ちょっと待ってくださいよぉ」
『ごーお、よーん、さーん』
「わー! わー! わー! 行く! 行きますから!」
カウントダウンされたので、思わず行くと言ってしまった。
だって尾形さんちの住所知りたいじゃん。ああーでも××どうしよう、このまま帰ってもいいのかな。せめて連絡先だけでも交換しておこうかな。もうちょっと話してから尾形さんち行ってもいいよね? だってここから尾形さんちまでどれぐらいかかるかって尾形さんは知らないし。俺、どこで二次会やるとか教えてないもんな? 教えてないはず。
席に戻ると××はちょうどスマホをいじっていた。俺が前を通るとパッと顔を上げる。
「もういいの?」
「うーん、ちょっと、出なきゃいけなくなって」
「えー? ……やっぱ恋人いるんじゃないの?」
「いないいない! あー、のさ、連絡先、聞いてもいい?」
首を傾げた××が真っ直ぐに俺を見る。大きな黒目に吸い込まれそうになるのと同時に、尾形さんの目も思い出す。あの人も黒目大きいよな。じっと見られると動けなくなるというか吸い込まれちゃうというか離れられなくなるというか。
って違う違う。尾形さんは置いといて、俺は××と……でもここで二次会抜けるんだもんな。そんでほいほい尾形さんち行くんだよな。いや今日、尾形さんち行っておしまいだろ。これはけじめというか何というかそういうやつで、だから××と連絡先を交換するのはこれからのためなんだ。
そうだそうだ、もう尾形さんのことは諦めた方がいいんだ。もうずっと好きだけど、見込みがないなら諦めることも必要だ。
「ちなみにそのキーホルダーってさ」
××がスマホカバーにぶら下げているキーホルダーを指差す。ぶらぶら揺らすと、うんうんと頷かれた。
「これ? ああ、知り合いに貰って」
「へー……可愛いよね」
「な! 可愛いよな。俺のお気に入り」
尾形さんがどっかに出かけたかなんかして、俺のために買ってきてくれたもの。何のキャラクターかは分からないけど、猫の小さなぬいぐるみがストラップになっている。せっかくだからずっと持ち歩くものにつけたくて、わざわざスマホケースをストラップが付けられるものに変えた。
友人たちには今まであんまり好意的な反応が貰えなかったから、可愛いって言ってもらえたのはすげぇ嬉しい。こういう感性が合うかどうかも大切だと思うんだよな、俺は。
二次元バーコードで連絡先の交換をして店を出る。
尾形さんちに向かう道中でも、ずっと××とやりとりをした。懐かしい話から、お互いの近況なんかを話していたらあっという間だ。××をフった元恋人の話なんかも聞いてたんだけど、尾形さんちに着いたからまた今度詳しく話を聞こう。何なら今度飲みに誘ってもいいんじゃないか? この流れだったらいけそうな気がする。
だからそのためにも俺の気持ちの整理というかなんというかそういうことをする必要があると思うんだよ。だから尾形さんに会うのは今日が最後で、だから、その。
「こんばんはー」
「よく来たな、この浮気者め」
「は?」
出迎えてくれた尾形さんの言っている意味が分からない。うわきもの? うきわもの? 俺の聞き間違いか? それともやっぱり酔っ払ってる?
玄関で目を丸くする俺なんて御構い無しに、腰をつかんだ尾形さんに抱き寄せられた。
「わ、ぁ」
「××と随分親しく話していた」
「え? え?」
顎をぐいっと上げられて、尾形さんとしっかり目を合わせる。
ああ、××の黒目も大きいけど、やっぱり尾形さんには敵わないよ。
一瞬でも××との未来を考えた自分を殴りたい。何回振られても俺は尾形さんが好きだ。諦めるなんてできない。だって諦めようにも俺は尾形さんが好きで、きっと尾形さんも尾形さんのことが大好きな俺が好きなんだと思う。じゃないとずっと好き好き言ってくる俺を側に置かないよ。ううー、やっぱり、俺は、尾形さんが好き!
「かーん?」
「尾形さぁん」
顎髭を親指で撫でられる。俺は恐る恐る尾形さんの腰に腕を回した。
怒られるかな。怒られないかな。
尾形さんはふぅん? と鼻を鳴らしただけで怒ってこなかったし、振りほどいてもこなかった。
「浮気者の夏太郎くんは、誰が好きか言ってみろ?」
「おぉお尾形さんですぅ」
「そうだよなぁ? 随分楽しそうに飲んでたみたいだが」
俺の足の間に尾形さんの膝が割り込んできた。腰に回された手に力が込められて、より体が密着する。尾形さんのことをこんな間近で見たことなかったかも。嬉しすぎて死んじゃいそう。どうしよう、そうなったら俺の死因は尾形さんってことになるし、そうしたら尾形さんが前科者になっちゃうよ!
「た、楽しかった、です……」
「久しぶりに会ったんだもんなぁ」
「はいぃ……」
「成人、おめでとう?」
「ありがとうございます……?」
何だろう、何だろう。俺、だから八月には二十歳になってんだよ。今なのかな。成人祝いって何なんだろう。だんだん分からなくなってきた。成人式で市長がなんか言ってたけど全く覚えていない。
頬をむにむにと揉まれて変な声が出る。それよりこの密着した体は本当にいいんですか? 俺としては嬉しいんだけどさぁ!
「尾形さん……」
「んー?」
「す、好きです……」
「知ってる」
「あの、その」
「浮気者め」
「ち、ちが」
「来るのも随分遅かった」
「それ、はぁ……」
なんで尾形さんは××のこと知ってんの? とか、俺らの会話の内容も知ってんの? とか、もうそんなことはどうでもいい。あれだけ尾形さん一筋ですって言ってたのに、少しでも気持ちが移ってしまったことがバレているのが嫌だ。
浮気も何も、俺と尾形さんは付き合っていない。なのに浮気者って、尾形さん。
「う、浮気者じゃないので、俺とつきあ」
「わない」
「うー!」
ぴょんと跳ねると、俺の腰から尾形さんの腕が離れた。ははぁ、と笑う尾形さんは俺の腕の中から逃げる。そのまま廊下を歩いていくので、俺は慌ててブーツを脱いだ。くっそぉ! もっと脱ぎやすい靴で来ればよかった。尾形さんちに来れるって知ってたらブーツ履かなかったのに!
「尾形さぁん!」
一回だけ振り返った尾形さんに名前を呼ばれた。気がする。口が動いただけで、声は出ていなかったけど、多分きっと絶対あれは「夏太郎」って言ってた。
俺には分かる。
だって俺は! 尾形さんが! 好きだから!
しばらくして、そういえば××から連絡返ってこないな、と思い出したけどその時の俺にはもうどうでもよかった。相変わらず尾形さんは俺の告白を断るけど、何故か合鍵をくれたんだもん。もうどうでもよくなるだろ!