アールグレイと楊梅色。白地に青のストライプが入った大きめのシャツは、キッチンまで入り込んだ夏の爽やかな青い風を受けてはためいた。
洗いざらしの細身のジーンズが彼のすらりとした脚を包み、萱のルームサンダルを履いた足先は、鼻歌に合わせご機嫌にリズムを刻む。
窓辺に飾ったシーグラスのウィンドチャイムが、りりんと涼やかな音を立て、居間の床に寝そべっていたティリアの耳がそれと同時にぴるぴると震えた。
このウィンドチャイムは、随分前に工作の授業で見本として作ったもので、今の季節にぴったりかなと思い出して、倉庫から引っ張り出してきたものだった。
結んだ髪からこぼれている後れ毛が靡いて頬を掠めたのがくすぐったく、手の甲で軽く払う。
襟からのぞいた褐色のうなじが、うっすらと汗ばんでいた。それは、夏の暑さのせいだけではなく、甲斐甲斐しくも火にかけた鍋につきっきりだったからだ。
真っ赤な実と果汁が鍋の中でふつふつと沸いていて、時々出る灰汁を掬って取り除いてを繰り返す。
鼻腔をくすぐる甘酸っぱい香りに、鼻の頭の汗を指の背で拭うタイムは満足げに微笑む。
捲った袖から伸びた、細い腕。
いつもの手袋を外した、華奢ながら骨ばった男性らしい長い指は、果実を洗った時の色が移ってほんのりと赤く、爪先は果肉の色に染まって常の色と異なっていた。
着る服を間違えたかな、と頭の隅で考えてはいたが、今更着替えることも面倒だし、と木べらをゆっくり動かしながら鼻歌を続ける。
「もう出来たかなあ……っと」
白い琺瑯鍋の中で煮えているヤマモモは、昨日のフィールドワークのついでに手に入れたものだった。
今の季節の青々とした自然の風景をキャンバスに収めるべく、出かけた先の山に鈴生りで、山の管理をしている主から、いくらでも好きに持って行けと、半ば強引に押しつけられたものだ。
植わっているからと言って売ったりしているわけでもなく、しかし収穫時期は短く、明後日には雨の予報だというのもあって、落ちて傷んでしまう前に誰かが食べてしまったほうが、自然だってありがたかろうと言う主の言葉に甘えて頂戴した。
拝借したもののせっかくなら、と、そのままにするより加工したほうが日持ちがして長く楽しめるので、とびきりのコンポートにしようとはりきって、休みの日だと言うのに早くから台所に立った。
柑橘を絞り、砂糖をこれでもかと入れた季節のコンポート。これだけあれば、アイスに添えたり、朝食のヨーグルトに入れたり、ソテーのソースに使ったりいくらでも楽しめるだろう。
勿論加工前の実も取っておいてあるが、一人じゃ到底食べ切れぬ量だ。お裾分け相手ならいくらでも見当がつくが、果実そのままで渡しては足が早いので、もらった方も困ってしまうだろうという、タイムなりの気遣いだった。
「チーズと生ハム添えて……ワインと一緒にして出したら、先生喜ぶかな」
木匙に掬ってひと舐めし、頷いたタイムの頭に浮かんだのは、盃を傾ける友人の姿。
針葉樹の色をした切れ長の瞳。伏せば長い睫毛が影を落とし、ほんのり眦を酔いに染めて口角を僅かに上げるのが思い浮かばれ、出来上がりが待ち遠しくなる。
火を消し、濡れ布巾の上に鍋を移すと、あらかじめ用意しておいた煮沸済みの瓶の蓋を開けて、少しずつ中に移していく。
渡す相手を思いながら、実の数が均等になるよう、なるべく煮崩れていないものを、そぉっと静かに瓶へ入れていくが。
「ん〜、待って、もしかして瓶足りない……かな?」
煮詰めて嵩が減ることを分かって用意はしていたものの、ジャムほど煮詰めないコンポートではそこまで量が減らなかったため、用意していた瓶はあっという間に全て使い切ってしまい、今夜呼ぼうとしていた友人の土産分を残したとしても余ってしまう。
鍋に残ったヤマモモをじっと睨んで眉間にシワを寄せていたが、ふと、居眠りしていたティリアが起き上がり、ふすふす鼻を鳴らしながら部屋の窓に前足をかけた。
「ん?どうしたの、ティリア」
わふ、と声を上げ尻尾を振るティリアのそばに寄り、開け放っていた窓から外を覗き込むと、眼下に広がる学院の緑の庭で、ひときわ目立つ鮮やかな橙。
6月の陽をうけきらきらと輝く髪は夏風にたなびいて、ひと目でわかるその姿に、タイムは名案を思いついて指を鳴らした。
「ティリア、ありがと。おーい!!」
片手でティリアの頭を撫で、もう片手で外に向かって手を振ると、声に気づいた彼女は顔を上げ、ひどく驚いた様子で目を見開いた後、前髪を直しながら控えめに手を振り返す。
「あのさぁ、良いものあるんだけどぉ、ちょっとだけ時間あるかなあ?」
階上から投げかけられた呼びかけに応え、上下に勢い良く頷いた少女は、タイムのいる棟へ小走りで向かっていく。
琥珀の瞳の輝きが一層増した理由を、タイムが理解していたのか、はたまた否か──
「よし。ちょっと早いけど、ティータイムだ。準備しよう」
昨日市場で買ったプレーンのスコーンが、ちょうど二袋。
ぷっくり膨れた焼き立てが美味しそうだったので、ついつい余分に買ったのだが、思いがけず役に立ちそうで、タイムはいそいそとテーブルに青い皿を二つ並べ始める。
晴れの日の空に似た色の、さわやかな青だ。
「シュカ先生には内緒だよ、って先に言っておかなきゃね」
出来立てのコンポートを味わうのは、特権だ。
せっかくならとっておきの茶葉で頂きたいもの。並んだ茶筒を端から開け、すう……と香りを嗅ぐのをいくつか試してから、合いそうなものを選んでティーポットに二掬い。
やかんを火にかけてから、テーブルに木のコップを二つ用意して氷で満たしたものの、どうせなら良いグラスに淹れたいと思い直し、戸棚の奥の方から金ぶちのグラスを取り出して、ガラスのピッチャーに氷を移した。
「なんだか特別な日になりそうだね」
タイムの問いかけに、ティリアは足元でぐるぐると回っている。
テーブルの皿に、スプーンで掬ったミルクソルベを載せ、真っ赤なヤマモモをごろごろと添える。
まだ温かいコンポートが隣のソルベをじわじわ溶かして、境目は白と赤の斑模様。
中央にスコーンをのせたところで、こつこつとささやかにノックの音がした。
「はあい、今開けますよぉ」
間延びした柔らかな声に、扉の向こうの少女の瞳は、楊梅の花のはちみつみたい、喜びにとろりと融けて揺れる。
扉を開けようとしたタイムが、沸けはじめたやかんの鳴る音に気づき「ごめん、ちょっと待って」と声をかけてから、振り返ってキッチンに戻り手を洗うが、鎖骨に溜まっていた汗に気づいて、洗面所に戻りついでに顔周りを洗って戻る。部屋の中は、思っていたより温度が高くなっていたらしい。
窓から吹き込んだ風が、ぬるくなっていた室内の空気をかき混ぜて爽やかに通り抜ける。
夏の初めの清々しい風の薫が心地良く、タイムはもう一つの窓を開けてから、扉に向かった。
薄布のカーテンが揺れ、またウィンドチャイムがりんと鳴る。鐘に反射した陽の光が、木床の上で揺らめいて模様を描く。
「ごめんね、急に呼んじゃって」
扉を開けばな、二人の間を駆け抜けた強い風。
ふわりと風に膨れたシャツからは、季節に実った果実の甘酸っぱい移り香。
「通りがかってくれて良かった。一緒に甘いものはいかがかな、って」
夏の昼間は長い。
緩やかに眉を下げて笑うタイムの後ろ、ガラスピッチャーの中で溶けた氷が、カランと軽やかに音を立てた。