私はこの屋敷で働く使用人のひとりだ。主であるシャル様は冷静沈着で、どんな事態にも動じない……はずなのだが、今日は何やら様子が違った。
「ぽー……」
扉の向こうからぼんやりとした声が聞こえたかと思うと、そこには帰宅したばかりのシャル様の姿があった。しかし、何かを考え込んでいるのか、視線が宙を漂っている。
「シャル様! おかえりなさいっ!」
駆け寄ってきたのは、屋敷で働く少女・トイだ。両手に大きな鍋を抱えて、無邪気に笑っている。
「お夕食の準備が整っていますよ! たくさん食べて、ゆっくり休んでくださいね……!」
そう言って満面の笑みを浮かべた次の瞬間だった。
「だきっ!!」
トイが勢いよくシャル様に飛びついたのだ。突然の出来事にシャル様がわずかにたじろぐ。が、それ以上に問題なのは——
「ぽーーん!!」
……彼女の持っていた鍋が、シャル様の頭の上に見事に着地したことだ。
「ひぁぁぁぁ!! ご、ごめんなさい!!」
トイが慌てふためく中、シャル様は鍋を頭にかぶったまま、何かぶつぶつと呟いている。おそらく、ご自身の威厳が崩壊したことに対する静かな嘆きなのだろう。私はあえて目を逸らし、見なかったことにすることにした。
***
その後、食事も無事に(?)終わり、後片付けの時間となった。私はダイニングの片隅で静かに片付けを進めていたのだが——
「食事のあとは後片付けだっ☆」
トイの弾んだ声が聞こえた瞬間、嫌な予感がした。
——ガシャァァァン!!
嫌な予感は見事に的中した。トイが派手に転び、皿を豪快にぶちまけたのだ。
「と、とんだぁぁぁぁぁ!!」
飛んだ? 何が? いや、皿が? それともトイ自身が?
「トイ?! 何やら騒がしい音が聞こえたのだが!?」
シャル様が駆けつけると、そこには泡まみれになったトイが座り込んでいた。どうやら皿を洗っている最中、手を滑らせてしまったらしい。
「も、問題ありません! ちょっと手が滑っただけです!」
「ボロボロじゃないか! あとは私に任せて早く着替えなさい!!」
シャル様が珍しく声を荒げる。……本当に珍しい。いつもは冷静で、何事にも動じない方なのに。
しかし、これはもはや日常なのかもしれない。シャル様とトイのやり取りを見ていると、そう思わざるを得なかった。
私は静かに屋敷の片隅で、心の中だけでそっとツッコむのだった。