ただ一人の女の子の時間施設内の気温調節はきちんと行き届いているのだが、それでも目覚めのこの瞬間は少し肌寒く感じる。
まだ薄暗い室内で覚醒してしまった目蓋を擦り、目の前に浮かぶそれを確認するとリツカは少しだけホッとした。
本来彼女のモノのはずの毛布を奪い取り、くるりと身に巻いた真っ白な背中とそこから生えた翅。寒さに弱いオベロンの背中だ。
文句や悪態を吐きつつも、オベロンはリツカが一緒に寝て欲しいとお願いすれば目覚めの瞬間まで一緒に居てくれる。
本当は凄く優しい人なのは知っていたが…こうして寒そうに毛布を巻いて眠る姿は少しだけ可愛らしさも覚える。
値の張りそうな真っ白なシャツがリツカの眼前いっぱいに広がり、その背中は大きく、綺麗な容姿をしているが…彼が男である。という証明にも見えた。
意識の覚醒しないまま伸ばした指で、その背中に触れてしまいたくなったのだが…触れたらきっと彼は起きてしまうだろう。
目覚めれば、きっと彼はこのベッドから出て行ってしまう。
まだ肌寒い朝に…それは寂しいな、と思ってしまった。それに…まだ、朝の時間が始まって欲しくなかった。
藤丸リツカとして、人類最後のマスターとして、活動し始める時間が。
今はただの一人の女の子として…。
好きな男の子の眠る背中を、眺める時間が終わって欲しくなかった。
「馬鹿馬鹿しい…」
「えっ…?!」
闇の中、ぽつりと吐き出された声がやけに鮮明にリツカの耳に響く。
「こんな時間にしか価値を見出せないとか、きみの中の幸福指数バグってるんじゃないか?
人として終わってる?それなのにまだ人類最後のマスター様を名乗ってるとか…
マトモに生活できるニンゲン様じゃないのによく言う〜」
「っ…いつから起きてたの?!」
真っ白な背中は未だ此方に向けられたまま、慌てたリツカが詰め寄るもその声は壁に向けて投げかけられている。
「サーヴァントに睡眠は不要だ。って、魔術師の初歩知識も欠けてるボンクラなマスターが眠る前からずっとさ」
「で、も……実際に…寝てる人も居たから…オベロンも寝てるのかと…」
「…何それ?俺以外の誰かにもこういうの頼んでたワケ?流石〜人たらしのマスター様は違うね?」
くるり、と。漸く体を反転させたオベロンの顔はわかりやすく不機嫌だった。
「違うよ…!その、たまたま…寝てるサーヴァントを見かけた事あった、から…
一緒に寝て欲しいって…頼んだのは君だけ…」
薄い目で不服そうにリツカの顔を見つめているが…妖精眼のある彼ならばそれが嘘ではない、と直ぐにわかるだろう。
「っていうか!勝手に視ないでよ!」
「仕方ないだろ、そういう風に作られてるんだから」
オベロンは視たくなくても、聞きたくなくても、否が応でも相手の本心が伝わってしまう。
何か…凄い恥ずかしい…
眠ってると思っていたのもあって、リツカは気まずそうに顔を染めると今度は自分の方がぷいと背中を彼の方に向けてしまった。
「そっち向いたって意味ないけど?」
「わかってるけど恥ずかしいの!!」
どうしてわかってるはずなのに肝心な部分は濁すのか。
あれか…揶揄われているのか。
もう!と、リツカは頬を膨らませ羞恥心を鎮めんと意識を壁に向けたのだが、彼女の小さな背中にふわりと何かが触れた。
「…オベロン……?」
いつの間にか、彼の身体がリツカの直ぐそばに迫り、彼の身体を覆っていた毛布がリツカの身体にもかけられていた。
口では散々リツカを揶揄い、辛辣な事を吐くのに…と、何だか可笑しくなってしまいつい口元がニヤけると「気持ち悪い顔」とオベロンが引き気味に溢した。
身体を再びオベロンの方に反転させ、暗闇の中で水色の瞳を見上げる。
冷たくて、優しい色。
不機嫌そうな顔をしているのに、酷く愛おしいと思ってしまう。
「やっぱりきみ、ニンゲンとして壊れてるよ」
「そうかな…でもまだこうして生きてるし」
「こうして、じゃなくて
かろうじて、の間違いじゃない?」
「それはそうかも…」
ははは…と穏やかな笑いが溢れる。
「終末の虫と居る時間が幸福だなんて…気持ち悪いなあ、本当
知ってる?一般的には世間一般の女の子は煌びやかな人間の男と居たいって思うんだぜ?」
「ありがとう。
でも私、もう普通じゃないからさ。それに時代はマイノリティな…多種多様の世界観がさ…」
「うっっっざ」
心底嫌そうにため息を吐き出すと、オベロンはその言葉とは真逆に…その腕でリツカの身体を抱き締めてきた。
温かな体温に、脈を打つ鼓動の音…。
生を感じるオベロンのそれらに、リツカの目蓋は安心したように再び落ち始める。
「あったかい……
オベロン……好きだよ…」
「そう…俺は寒くて最悪だよ」
「二人でいればあったかいよ」
「減らず口…」
どっちがだ。
ふにゃり、とリツカの顔が幸せそうに笑いオベロンの方を見ると、目の前の男も…リツカのそれと同じく、柔らかな表情をしていた。
「もう暫く放棄してやれよ。最悪な役割なんて」
「…ん……でも…7時には…起こし、て……」
「…俺を目覚まし代わりに使う気?怪物を…?」
その皮肉はリツカの耳に入る事なく…
気付けば彼女は安心しきった表情で眠りの中に落ちていた。
こんな狭い場所しか、虫の腕の中でしか心を休められないだなんて。
本当…どうかしている。
まだまだ文句の言い足りなそうな顔をしていたが、オベロンは閉じたままのリツカの目蓋に軽く口付けをするとその可哀想な身体を優しく抱き締めた。
「目覚まし代は後で頂くか…」
そう、少しだけ後の楽しみを頭に浮かべながら。