結局、夜鷹純に抱えられてそのまま彼の家まで来てしまった。
俺では足を踏み入れることすら許されないような高層マンションに連れてこられた時はどうしようかと思った。何せ警察官に叱られる夜鷹純を見た後だったので、今度は管理人に怒られるんじゃないだろうなと不安になったのだ。もっともその懸念は、俺達と入れ違いで出て行った女性がボーダーコリーを連れていたことで払拭されたのだけれど。
何で犬の俺が他人の家のルールを気にしなくちゃいけないんだろう。本人に言ったらクソどうでも良さそうな顔をされそうだけど。
夜鷹純の部屋に着くと、腕の中からフローリングの上に降ろされた。カチカチと自分の爪がフローリングに当たる音がする。なんかちょっと滑るな。歩きづらい。
家主は自分の靴を脱いで整えると、そのままこちらに振り向きもせず廊下の奥へ歩いていく。煙草の吸殻はポイ捨てする癖に、脱いだ靴は揃えるんだなと、そんなことを考えながら家主の後を追った。
(おお……。)
「フゥ……」
リビングはなんと言うか、予想通りだった。
備えられている家具の高級感や窓から見える景色は恐ろしい程に高水準なのに、極端に生活感がない。そのくせ部屋の中には煙草の臭いが充満していて、ソファーの前のローテーブルには煙草の灰皿だけが置かれている。もしかしてセーフティハウスのうちの一つなんだろうか。俺には到底縁の無い話だけれど、相手は夜鷹純だし、高層マンションの一つや二つ買っていても不思議じゃない。
「こっち。」
リビングの入口で立ち止まっていると、ソファーに座る夜鷹純から自分の目の前に来いと床を指さされた。それ普通の犬なら絶対言うこと聞かないですからね、と本人に伝えられたらどんなに良かったことか。めちゃくちゃ煙草臭いから本音を言えば俺も近づきたくないし。
(何ですか。)
「ワウン」
夜鷹純の前に座ってひとつ鳴く。目は合うものの、表情は無く何を考えているのかはさっぱり分からない。
この人は俺を飼うつもりなのだろうか。そもそもこの人動物と共存できるのか?例えば犬に与えてはいけないものとか、俺もチョコレートとネギぐらいしか知らないけど、この人は知ってるんだろうか。それに犬にとって一番ネックになる散歩は。柴犬を連れて散歩をする夜鷹純、というのはちょっと、かなり想像しづらい絵面だ。氷の上を一緒に滑るわけにもいかないし。
しばらく様子を伺っていると、夜鷹純がコートのポケットから煙草の箱を取り出した。この人目の前で吸い始めるつもりじゃないだろうな、という警戒は、箱の中身を見た夜鷹純が眉をしかめたことで解かれた。中身が空っぽだったらしい。密かにホッと胸を撫で下ろしていると、頭の上で風きり音がした。ついで、固いものがカンッと壁にぶつかる音と、カラカラカラと床に転がる音がする。音のした方を見れば、床に灰皿が転がっていた。この人、今、灰皿を投げたのか?怒りの出力がノータイム過ぎる。怖い。
やっぱりもう少し距離をとっておこうかな……。
離れようと身動ぎをすれば、上から降ってきた細い指に俺の頭をわしりと掴まれた。
頭を握り潰されそうで怖い。いや、夜鷹純がそんなゴリラみたいなことするわけはないんだけど、ぉぉぉぉ脳が揺れる!
夜鷹純の手の動きに合わせて、俺の頭があっちこっちに振られる。この人は撫でているつもりなのか!?そうだとしたら絶望的に下手過ぎる!煙草の臭いも近くて気分悪くなりそう。やっぱり嫌がらせかな!?
(やめてくれませんか!)
「キャンッ!」
抗議の気持ちを込めて泣くと、夜鷹純の手がピタリと止まる。ただし頭は掴まれたまま。どうしよう、今度こそ握り潰されるかも。
彼を刺激しないようにゆっくりと身を引いて、彼の手から逃れる。よかった、案外すんなり放してくれた。
このあとは、どうしよう。夜鷹純の側から離れるのもなんか違う気がする。けどまた頭を掴まれても嫌だし。伏せとけば、手、届かないかな。
床に伏せると、ほんの少しだけ煙草の臭いが和らいだ。黒い靴下に覆われたくるぶしが見える。この人、靴下まで黒いんだな。夜の運転中には絶対遭遇したくないタイプだ。
「慎一郎くん、犬の飼い方知ってる?」
この人今なんて言った?
「拾ったから。」
拾ったから、え、この人本当に俺の事飼うつもりなのか?いや、自分じゃ飼えないから鴗鳥先生に聞いてるのかも。でもそれなら自分の家に上げずにそのまま鴗鳥先生のところに連れていきそうな気もするし。っていうか突然電話して鴗鳥先生に聞く内容が犬の飼い方って。金メダリストと銀メダリストが、犬の飼い方。
「彼に似てたから。……うん。……そうだよ。……リンク送って。」
彼に似てたからとは?鴗鳥先生の声は聞こえないが、会話がスムーズに進んでいるのからして鴗鳥先生も彼が誰を指すのか分かってそうだ。昔飼ってたペットに似てるとか?犬の飼い方を今聞いているあたり犬ではないだろうから、猫とか。猫と夜鷹純は想像できるな。お互い干渉し合わなさそうというか。でも犬と猫ってそんなに似てるもんかな。
「名前?……つかさ。」
この人今なんて言った?