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    フカフカ

    うさぎの絵と、たまに文章を書くフカフカ

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    フカフカ

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    K2/T先生と和久井くんの話/公園で並んで飴食べたり、おしゃべりしたりする/かつての生活の先に今の生活があるね、でもそのことが全ての許しになるとかではないねという話/前のファミレスの話と地続きかも/ふんわり、割とほのぼの

    ザクロの飴 冬が近いが、まだそれそのものではない。薄灰色の空の割れ目から光の帯が降りきて、薄寒く乾いた地表を突き刺してはほのかに温めている。昼を前にして風はあまりに冷涼でかさついて、この先どれほど太陽が高みを目指そうとも地上の生き物には特別の温暖の恩恵などさっぱりないように見えた。
     和久井はときおり吹きつけてくる風を顎をあげ、背を伸ばして全身に受け止め、足早に入園ゲートを潜った。昼前の自然公園内には、人の姿もまばらだった。
     着込んだフライトジャケットのポケットに手を入れ、中で紙片を握りしめた。つい先ほど買い求めた入園券が、つるりとまるまって手のひらに収まる。また一塊、風が勢いつけてびょおと吹く。乱れる前髪の隙間から、眼前の景色を眺めた。
     広場の芝生はみな一様に短く枯れて、黄みがかって項垂れている。常緑の灌木の茂みは青々として、風の塊をやり過ごすにつれて伸ばした枝に角度をつけていく。遠くに一際背の高い木がひとつあって、その天辺にたなびく薄雲を引っ掛けている。
     目で追うすべてに、人の仕業を見る。野放図に見えて、一定程度の制限のかかった自然。整列を課された木々と、同質さを求められた丘陵のなだらかさ。かつて若かりし日々のうちで当たり前に眺めていた、広々して、人間の努力を易々と踏み越えてくるような自然の景色とは全く異なった風情がそこにあった。
     和久井は石敷きの順路に踵を打ちつけ、自ら鳴らす足音を少しうるさく思いながら、広場二つの縁を歩いて巡った。池の橋をひとつ越え、四阿を三つ覗き込み、最後に彫刻の居並ぶ一角へ入り込んだ。安直に『彫刻広場』と看板が出ている。草深き楕円の広場に石造りの、または青銅製の彫像、モニュメントがひしめいて、木々に取り囲まれて丸く切られた空を見上げている。
    「…………」
     和久井は迷いなく草の広場の中央へ分け入った。左右に眺める彫刻のひとつは若い人間の姿をして、もう一つは溶け合った二体の獣の複合体のような姿をしている。彫刻の若者は台座の上へ膝を折り、仰向けた胸を天に反らせている。その胸は天上からの雷の槍に貫かれている。かわいそうに、こんなひどい外傷ではまず助かるまい。和久井は横目にこれを眺め、さらに足を進めた。
     草と彫刻に埋もれた一角に、そっけない木製のベンチを見つける。座面を手で払う。小枝と木葉と、小さな甲虫が吹き飛んで見えなくなる。腰掛け、足を組み、風に揺れる草の畝を見つめ、それから己の右へ目をやった。
    「僕としたことが」
     隣席の人影がゆっくりと顎を持ち上げ、和久井へ目をやった。前へ垂らされた豊かな黒髪がぞろりと揺れ、そのかんばせを覗かせる。湖面に凝った氷のような目が、確かな熱量をもって和久井を見つめた。和久井も見つめ返した。
    「──仮にも養い親に会うというのに、手土産の一つも支度してはきませんでした」
     言うと、隣の人影──ドクターTETSU──は口元を愉快げに歪めて「俺にはある」と右手のひらを上向けて差し出した。薄桃色のセロハンに包まれた飴玉をそこから取って、和久井は躊躇いなく包装を剥ぎ取って中身を舌の上へ乗せた。しばし口内に遊ばせる。
    「桃味かと思ったのに。違いますねこれ。何です?」
     ドクターTETSUは手を両足の間に立てた杖の握りに置き直し、いかにも聞き分けのない子供を相手にしています、という風に肩をすくめた。その顔はもう和久井から離れて、彫刻たちにむいていた。
    「桃以外味だな」
    「あなたって誰にでもそうなんですか?」
     奥歯に飴玉を噛みめながら問いかける。飴玉は、風味からして桃の果実の模倣でないことは確かだった。TETSUは肩に降りた髪を後ろに払って、喉の奥でくつくつと笑いを殺した。その横顔はいくらか肉薄く、しかし不思議に生命力の存在を他人に信じさせるだけの力強さがあった。肌はいくらか血の色が濃く透けていて、唇だってそう色が悪いわけでもない。覗く目元にはまだ見ぬ何かを追い求めつづける者に独特の、陶酔混じりの熱意の気配が滲んでいる。羽折れてなお空を目指してついに飛び立つ大いなる翼の生き物めいて獰猛でさえあった。
     ドクターTETSUはちらりと和久井に視線をなげ、「質問の多いガキだ。聞けば応えて貰えるモンだと信じきって生きてやがる」と言った。和久井は一瞬だけ笑って、それから刃向かった。
    「僕は自分がそんな子供だった気がしないんですけれど」
    「今も子どものくせになあ」
    「この間、小学生に道を尋ねられて、教えたら『ありがとう、おじさん』と来ましたよ」
    「そいつは結構」
     TETSUは杖で地面をうち、はじめは喉で笑うだけだったのを、愉悦の強さに負けてついに口を開け、声をたてて笑った。その向こうで、茂る木々が枝をざわめかせている。
    「小学生から見れば、学生風でもない年上の人間はみんなおじさんでしょうけれどね」
     言いながら、二つめの飴を裸にして養い親の口元に運ぶ。唇の隙間に向けて指で弾く。ドクターTETSUはこれを舌で受けて、ゆっくりと口腔へ仕舞い込んだ。和久井へ向けて首を傾げ、下から睨め付けるように和久井の顔を覗き込んでいた。ぱき、ぱきり、と飴玉の砕ける音がくぐもって耳に届く。和久井も、口に残っていた飴の半分を噛んで飲み込んだ。
    「僕、本当に子供だった頃、飴は舐めきって食べてましたよね」
    「さあなあ」
     ドクターTETSUはまた、草原と彫刻の奇妙な空間へと顔を向けて、和久井のことは横目にしか見ないようになった。
    「食べてたんですよ」
    「そうか」
    「それが、悪い大人に染められてしまって」
     和久井の目が自然に、細まる。過去を覗き見る人間にありふれた顔つきのようにも思え、同時に、何か眩しく得難いものを前にした人間の目つきのようにも思えた。和久井はかつての養い親の姿をじっと見ていた。
     浅い緑、深い緑それぞれを背景に置いたTETSUの姿は、自然と人工の入り混じった空間にどことなく似つかわしい様だった。それは彼が数多の医師たちをはるかに凌ぐ腕の持ち主であることとも無縁ではないようだったし、彼の生来の有様がそうさせているようでもあった。
     他人の欲の深いところを泳ぎ、欲深の炎で暖をとり、執念と諦念とで編んだ精神で全身を支えて生き続ける人間の姿。若木の和久井を丸ごと自らの領地に植え付けたくせ、思い巡らせた挙句に勝手を働いてよその土地へ植え付け直そうと企むような、善を知りながら悪徳の水に住まう、心の複雑な人間の姿。
    「飴玉くらい好きに食うことだな」
     和久井の目の中で、TETSUは身じろぎせずに唇だけで笑って、そう言った。
    「呆れた人だ」
     ベンチの縁を握って上体を乗り出し、今度は和久井からドクターTETSUの顔を覗き込んだ。湖面の氷の双眸が油断ない光を湛えて和久井を射抜く。この目が人々を蹴倒し、この目が人々を血と病のぬかるみから救い出す。この目が──。
     空を走る雲が、太陽を隠す。頭上にふっつりと影が差す。冷えた影の下でさえ、TETSUの目つきは揺るぎない。和久井は浅く息を吸って、言った。
    「かつて和久井譲介は完全には幸福でなかったかもしれませんが」
     TETSUの瞳が、ちらりと瞬く。
    「でも、今の和久井譲介が幸福を歩むとき、それはかつてあったやや不幸せな生活を礎としているんです。僕が言っているのはそういうことです。あなたはきっと、こういうロジックを酷く嫌うでしょうから、あえてそういう風に言います」
     は、とTETSUが微かに嘲って息を吐いた。
    「僕もそれほど馬鹿じゃない。今がどうであれ、かつてのあなたの振る舞いが清算されることはないし、それは僕の行いについてもそうです。そんなことははっきりしている。だからこそあなたはこの筋立てを嫌うでしょう」
     言葉の中身に反して、和久井の心は軽く、柔らかだった。すでに互いにとって自明のことを語り直すのはもはや戯れにも似て、ただそれが少しばかり柔いトゲを纏っているのが、特異だった。
     ドクターTETSUは眉を上げて「俺は言ったぞ、飴玉なんぞ好きに食えと」と言った。
    「今更ですよ。僕はもう、飴を噛まずにはおけないんですから」
     ドクターTETSUは激しい目でじっくりと和久井を見つめて、ついに何も言わなかった。賢き養い親は、年長者らしい度量で和久井の挑発めいた態度を受け止め、皮肉っぽく笑うだけに留めた。自らの行いの功罪を正確に測れなくては後ろ暗い世界で医師稼業などを背負えるわけもないのは、和久井にもよくわかっていた。こんな話はもうとっくに、互いのうちでそれぞれに確認され、結論を迎えたものなのだった。
    「お前ぇなあ」
     空気を編み直すような調子で言いながら、TETSUがベンチから立ち上がった。杖の先で足元の枯れ葉を散らし、草の根本を二度打った。和久井も立ち上がった。
    「甘えたなことは、神代のにやって見せてればいいだろうに」
     TETSUが強い歩調で、草むら目掛けて歩きだす。和久井はその背中に素早く追いついて「残念ながら」と断った。
    「僕って、尊敬すべき相手の前では猫を被りたい方で。──ところで、この公園、出てすぐの角に雰囲気のいいコーヒーショップがあるんですよ。それと、あの、さっきの飴って結局何味だったんですか」
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