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    saku

    太中メインで小説を書いています。

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    POIPOI 29

    saku

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    pixivの再掲

    #太中
    dazanaka

    それが運命だと云うのなら 目の前に差し出された紙を、中也は震える手で受け取った。

     もし、βなら態々森は執務室に中也を呼び出す事はなかったはずだった。
     それはαでも同じだった。

     呼び出されたという事は、中也は。

     受け取った紙を見る事なく、中也はぐしゃりと握り潰す。
     森はそれを落ち着いた瞳で一瞥し、執務机に静かに紙袋を置いた。
     何の変哲もない、ありふれた紙袋を中也は睨みつける。
     その中身に、何か、中也の全てを否定する物証でも封じ込めてあるかのように。

     中也の視線に気付いても、森の表情にも態度にも特別な変化はない。
     闇医者をしていた経験上、目を覆いたくなるような光景や耳を塞ぎたくなる話など、腐る程あったのだろう。

    「君用に処方してある」

     森の、逃れようのない言葉に中也は拳を握る。
     飲み込む唾も渇き、痛む喉から出た声は掠れていた。

    「………抑制剤、ですか」

     その言葉は自身がそうであると、認めた響きを持っていた。
     嫌悪感に吐き気が込み上げる。
     
    「それが君の体だ、本能には逆らえない」

     中也の胸中の葛藤も素知らぬように、森は涼しい顔で事実だけを淡々と述べる。

    「首領、俺は……」
    「君の懸念は発情期ではなく別の事だ……『番』かな」

     眉間に皺を寄せ、中也はしばし閉口する。
     冷静になる為に握り締めた拳に力を入れ、視線を上げると、全てを見透かすような森の瞳とかち合う。

    「確かに、番を作れば誰彼構わず無差別に誘発する事は無くなるよ」

     それが何を意味するのか。
     どちらにしても、屈辱を味わう事になる。
     それが、大きいか、小さいか、だけ。

     バンっ!! と自身の葛藤を叩き潰すように中也は執務机に握りしめた拳を振り下ろす。
     森はそれにも一切の感情を見せる事はない。

     異能を発動しなかった拳とはいえ、高級な執務机はその打撃に歪にへこむ。
     顔を伏せたまま、中也は吐き出すように呟いた。

    「でしたら、早急に手を打つ事をお願いします」

     へこんだ机を気にかけるようにチラリと見た森は、顔の前で左右の五指を組む。

    「要望はあるかね?」
    「……要望? 何のですか?」
    「番だよ」

     要望、などとは考えもしなかった。
     森に進言すれば、おあつらえ向きな女性でも用意されると決めつけていた。

     だが、要望と云うのなら、中也にはたった一つだけある。
     
     性別よりも年齢よりも生まれよりも重要な。

    「太宰治だけは外して下さい」

     その言葉に、初めて森は顔貌を崩し、きょとんと云わんばかりに呆けた顔をした。
     だが、それもすぐに苦笑に変わる。

     その時、森が笑った意味を、中也はあまり深くは考えなかった。







     片手程しかない紙袋を手に、中也は執務室を退出した。
     森は机を気に掛けていたようだが、いくら中也でも異能を発動せずに変形させるのは無理がある。
     
     人の気配のない薄暗い廊下は常と変わらないはずなのに、まるで現実感が無い。
     前を見る視線は一点で止まったまま、脳内は別の事で埋め尽くされていた。
     
     Ωは体質上、非常に困難な生活を送る事になると知識としてはあった。
     ほんの数時間前までは他人事でしかなかった。
     Ωはあまりにも希少らしく、優勢種のαよりもさらに数が少ない。
     自身がそうであると、誰が予想するだろうか。
     湧き上がる屈辱感を噛み殺し、中也は自室に向かう。

     Ωが社会的に劣勢種であると差別を受ける理由。
     辿り着いた自室のドアを開け、中に入る。
     そこまでが限界だった。
     ドアを背に、中也はその場に座り込む。
     此処までは何とか感情を抑え込む事が出来た。
     だが、この部屋には誰の目も無い。
     膝を折り、身体を丸めると重く感じる頭を乗せる。
     閉じた瞳が見る闇の中で、中也は知識としてしかないΩの体質を反芻していた。

     Ω特有の体質『発情期』。
     それがある為にΩは社会から差別と侮蔑を受け、絶対数の少なさ故に何一つ改善されないまま今日に至っている。
     此処から先に自身の身体に何が待ち受けているのか、想像して中也は震えそうになる体を抑える為に、自分の腕で自身を抱く。
     
     解決などしない問題に、それでも状況を少しでも改善する方法は『番』だけだった。
     中也は自身の腕を握る手の力を緩め、項に触れる。
     傷も何も無い、自分では見えない部分。
     αにそこを噛まれたΩは番になる。

     そこに噛み跡をつける人物を、微かに想像する。
     浮かんだ人物にはっ、と気付くと同時に中也は自身の額を思いっきり殴った。
     涙が滲みそうな痛みに、頭が冷静さを取り戻す。

    「……奴だけは駄目だ、絶対に」

     誰に云うでもない掠れた声は、すぐに部屋の中に霧散した。








    *   *   *

     朝、中也は体に異変を感じた。
     今まで感じた事がない程に体が熱い……否、体じゃない。
     もっと深い、奥の部分。
     心臓が耳元で鼓動を打つように煩くて、息が苦しい。
     胸の締め付けを逃がしたくて吐き出した息が熱い。

    「……ッ!」

     おかしい、と自覚した瞬間森から渡された紙袋に手を突っ込んでいた。
     中にあったのは手のひらサイズの瓶に入った錠剤だった。
     貼られたラベルには錠剤の名称ではなく、『一日一錠』とだけ記載されていた。
     何に作用する薬なのか明記しなかったのは森なりの気遣いなのかもしれない。

     迷いなく錠剤を口に含み、洗面所の蛇口から直接水を飲み胃に流し込む。
     荒い呼吸のまま崩れるようにその場に蹲り、眩みそうな熱が収まるのをただ待つ。
     悔しさに何処に向けていいのかわからない感情が込み上げる。

     いつか、死ぬ時が来るまでこれを繰り返す。

     そう考えるとΩと発覚した瞬間、自殺を図る者が少なくないというのも理解出来る。
     激しく脈打ち、脳すら揺さぶる鼓動を落ち着けようと深呼吸をする。

     その時、コンコンと控えめなノックが静かな部屋に響いた。
     一瞬、驚きに心臓が跳ねる。
     最悪のタイミングで現れた来訪者を無視して、中也は煩い鼓動を落ち着けようと目の前の壁を睨み付ける。
     相手が誰かは知らないが、今、人前に顔を出すわけにはいかなかった。

    「……中也? 居ないのかい?」

     その声に、落ち着きかけていた鼓動が再び激しく脈打ち始める。
     服用した薬が効いてくる程の時間は経過していないのか、収まり掛けていた熱も体の奥で再び疼き出す。

    「ッ……だ、ざい……!」

     最初の発情期、それが発症してすぐのタイミングで訪ねて来る太宰の間の悪さというか間の良さに、中也は奥歯を食いしばり、沸き上がる殺意を抑えようとする。

     もう一度、ノックする音がしたが、徹底的に無視をすればその内諦めるかと思っていた。
     火照る頭で今日は任務が無い事を確認して、中也は目を伏せて床に倒れる。
     冷たくて固い床の上だったが、それ以上意識を保っている方が辛い。
     いっそ、気でも失えば楽になる、と目を閉じた瞬間。
     
    「甘い匂いがするから来てみたのだけど……」

     静かすぎる空間が仇となり、太宰の溢すような独り言がはっきりと聞こえた。

     匂い?と一瞬考えたが、Ωは発情期になるとαにしかわからない特殊な匂いが出る、と云う事を忘れていた。
     忘れていたせいでそれが漏れていたらしく、寄りにもよって太宰に気付かれた事に中也は遠退きかけていた意識が覚醒した。

     Ωと発覚してから、中也の全てが地の底に叩き落とされた錯覚に陥った。
     冷静になれない頭のままで見た視線の先には常に携帯しているナイフがあった。

     Ωは死ぬまでこれを繰り返す。

     なら、死ねば此処で終わりだ。

     何かに取り憑かれたように中也は立ち上がると、吸い寄せられるようにナイフを手にする。

     握りしめたナイフの刃を、頸動脈を切断出来る位置に当てた時、
     
     バンッ!! と破裂するかのような音を立てて、部屋の空気が変わった。
     驚きに固まったままでいる中也の元に、ドアを開け放った太宰が無表情で近付く。

    「く、来るンじゃねぇ!!」

     まるで自身を人質にでもしてるかのように、首にナイフを当てたまま中也は叫ぶ。

    「太宰……、手前、どういう心算なンだよ……!」
    「どういう心算?」

     無意識にカタカタと震え出す体に、中也の脳内は真っ白になっていた。
     力なら確実に中也が勝つ。
     だが、手を伸ばせば届く距離まで来た太宰には逆らえないと、絶対に抵抗は許されないと、頭ではなく本能が訴えている。

    「ねぇ、中也」

     名を呼ばれ、中也の肩が跳ねる。
     ナイフを握る手を、太宰の冷たい手が上から握る。
     唇が触れそうになる距離まで迫った太宰の瞳に、微かに一筋だけ光が宿る。
     あまりにも不吉に感じるその光に、中也の背筋に汗が流れる。

    「諦めてよ」

     にこり、と笑って太宰は云った。
     
     その言葉の意味が飲み込めず、思考が纏まらない中也の唇に、同じだけの柔らかいものが触れる。
     逃げられないように後頭部に回された太宰の手は、然程力が入っていない為、振り解くのは簡単なはずだった。
     だが、優しく撫でられる感触に抵抗しようとする思考が奪われていく。
     触れる太宰の唇は握られる手とは対照的な程に温かく、それよりも熱いものが中也の口内に侵入して来る。
     反射的に引っ込めるように動いた舌を、太宰の舌が逃さないというように絡めとる。
     何故か甘さすら感じる太宰の舌が口腔内を犯し、舌に絡められる度に感じた事のない快楽が中也を襲う。
     息つく事も許されず、呼吸をしようと口を開けば更に深く唇を重ねられる。
     
     カタン、と床にナイフが落ちる音が響くが、快楽に痺れてぼやける頭にはその音は届かない。
     一方的に与えられる快楽と、呼吸が出来ない苦しさに、中也はナイフを手放した手で縋るように太宰のシャツを握りしめる。

     僅かにシャツを引っ張られる気配に気付いた太宰は、閉じた目に涙を滲ませる中也を見て、細めた瞳に嗜虐的な光を宿す。
     中也の後頭部を撫でていた手が項へ移動し、優しくそこを撫であげた時、中也の閉じていた目が弾かれたように開いた。
     同時に、ガリッと肉を噛む鈍い音が中也の口内に響く。

    「ッ!」

     突然走った鋭い痛みに太宰は中也の口から自身の舌を離す。
     中也の甘さを堪能していた口内に、鉄錆の味が広がっていく。
     熱に浮かされた瞳の中に殺意を宿した中也の視線と、至近距離でかち合う。

    「……手前が何だろうと、好きにさせるわけねぇだろ」
    「へぇ……中也は死にたいのでしょ? なら、何を意地になる事があるの?」
    「手前に何がわかンだよ……αの手前が、Ωとして生きろと云われた俺に、何が出来るってンだよ……!」

     怒りの衝動のままに中也は胸倉を掴み上げるが、太宰はそれを冷静な瞳のままで見返す。
     
    「何が出来る、か……」

     太宰は中也の殺意を、好意と勘違いでもしたかのようにふわりと笑い云った。

    「『番』」

     その言葉に胸倉を掴む手が一瞬緩むが、更に強い力で握る。

    「巫山戯ンなよ……誰が手前となるかよ!」

     これ以上好き勝手にされる事も喋らせる事も不愉快で、中也は涼しそうな顔面を殴ろうと拳を握る。

    「中也の考えなんて関係ないよ」

     太宰は壊れ物のように中也の頬を撫でる。

    「中也は私に抱かれる為に生まれたのだから」
    「ッ……!」

     絶対的なαの言葉に、呑み込まれそうになるΩの本能を打ち消すように中也は太宰の顔面を殴りつけた。
     衝撃に切ったのか、太宰の口から一筋血が流れる。

    「痛いじゃないか」
    「云いたい放題宣ってんじゃねぇぞ……誰が手前のものになンかなるかよ!!」

     床に落ちたはずのナイフが再び中也の手の中にあった。
     一瞬、中也に舌を噛まれた時にやられた事に気付き、太宰は舌打ちをする。

    「何、やっぱりそれで死ぬかい?」
    「……死ぬのはやめだ」

     中也はナイフを太宰の眼前に突き出す。

    「……太宰、『運命の番』って知ってるか?」

     突然の問いに太宰は面倒そうに返す。

    「それが何? 私が気付いてないとでも思ってるの?」
    「否、気付いてるなら話は早い。……手前が死ねば、このクソッタレな運命ってやつから逃れられンだよ」
    「へぇ……中也にしては賢いじゃないか」
    「だから、手前を……ッ」

     急に襲って来た目眩に視界が歪み、中也は受け身も取れないまま床に頭から倒れた。

    「ッ中也!!」

     ゴツッと鈍い音に太宰の顔に珍しく焦りが浮かぶ。
     『運命の番』と対峙して、たった一錠の抑制剤で抑えられるほどΩの本能は軽くはない。
     αである太宰に呑まれないように神経を擦り減らし、なんとか理性を保とうとしていたが、限界だった。

     朦朧とする頭で太宰に抱き上げられた時、中也の脳内を支配していた感情はただ一つだった。

     








    *   *   *

     中也が目を覚ますと、そこは自室のベッドの上だった。
     まるで全てが夢だったような目覚めに起き上がると頭が鈍く痛んだ。

    「ッ……」

     頭を押さえ、そこに出来たこぶを撫でながら溜息を吐く。
     顔を上げるとサイドテーブルにはナイフが置いてあった。
     どうやら太宰は取り上げずにいたらしい。
     その隣には手のひらサイズの瓶に入った抑制剤。

    「ッ!!」

     咄嗟に掴み上げ、衝動的に床に叩きつけようとして、出来なかった。
     手の中の瓶を握りしめ、中也は悔しさに涙が滲む。
     死を選べず、Ωとして生きる事も受け入れられない。
     中途半端な自分に嫌気がさす。
     瓶をサイドテーブルに戻し、滲んだ涙を乱暴に拭う。
     代わりに手にしたのはナイフだった。

     太宰を殺す。

     今はそれだけが中也を支える全てだった。

     気を失う前、何を考えていたかなど知らない振りをした。

    「おっはよぉ、中也ぁ!」

     当たり前のように顔を出した太宰に驚いて反射的にナイフを構える。

    「だ、太宰?!」
    「うわっ、いきなり物騒だねぇ、私を殺す宣言は聞いたけどいきなりかい?」
    「何で此処に……ッ!」

     太宰に近付かれた事により、Ωの本能が中也の中で暴れ出す。
     無理やり抑えようとする理性に、カタカタとナイフを握る手が震える。
     熱をもっていく身体に呼吸も荒くなっていく。
     不自然な変化に太宰が気付かないはずもなく、2人の間にあるナイフなど構う事なく中也に詰め寄る。

    「ッ……く、来るんじゃねぇよ……!」
    「君はそればかりだねぇ」

     今の中也には刺せないと思っているのか、刃先など気にせず近付く太宰に、中也の方が驚愕し、ナイフを引いた分だけ後ろに体が逸れた。

     ドサッ、とベッドに押し倒される形になり、太宰に乗り上げられる。
     刃先ギリギリの距離を互いに保ったまま、太宰は暗く冷淡な瞳に嗜虐的な光を宿し、中也は欲情する熱を抑え込むように睨み返す。
     
     そのまま刺せば、ナイフはみぞおちに食い込み、太宰は死ぬ。
     頭ではわかっているのに、太宰に見詰められると身体が云う事を聞かない。

    「殺さないのかい?」

     囁くような声は、中也の脳内で甘く響き、思考を奪いそうになる。
     縋るようにナイフを握り締める事しか出来ない中也の下腹部にゴリッと硬いものが触れた。

    「ッあ……!」

     何が触れたのかを瞬時に理解した中也が腰を引こうとするが、ベッドの上ではそれすら出来ない。

    「なら、大人しく私に抱かれるかい?」

     太宰の手が、指先が白くなる程にナイフを握り締めた中也の手を撫でる。
     冷たいと思っていた太宰の手は熱く、中也の身体の奥の熱が反応するように疼き出す。

    「い、厭だ……ッ誰が……!」

     身体は何処もかしこも欲に疼き、おかしくなりそうだった。
     疼く下腹部を誤魔化す為に僅かに動かせば、太宰のものに触れた。
     漏れそうになる声に、唇を噛み締めようとすると太宰の指が差し込まれ、それを阻害した。

    「ッ……!」
    「噛まないでね、痛いから」

     閉じる事が出来なかった口の隙間から、何かを入れられる。
     吐き出そうとすると、間髪入れずに太宰の唇がそれを塞ぐ。

    「ッ!!」

     僅かにナイフの刃先が肉に食い込む感触に中也が青くなる。
     口内にある錠剤を押し出そうとする中也の舌を太宰は絡め取る。
     重力に従い喉の奥に落ちていき、溢れそうになる互いの唾液ごと、中也はそれを嚥下した。
     こくん、と中也の喉が小さく動いたのを確認して、太宰は唇を離す。
     同時に、食い込んだ肉も離れ、ナイフからは僅かに血が伝う。

    「あッ……なに、のませやがった……!」

     手の甲で唇を拭う太宰が淡々と、

    「抑制剤だよ、まだ今日の分飲んでないのでしょ」

     その言葉に、中也はサイドテーブルへ視線を向ける。
     そこには、置いてあったはずの瓶が無かった。

    「大事な薬なのだから、床に叩きつけようなんて思わない事だね」

     太宰は云いながら、小さな瓶を元の場所に戻す。
     そのまま、部屋を出ようとしたのか背を向ける太宰に、

    「太宰ッ!」

     何故か、中也は咄嗟に止めていた。

    「何?」

     何の感情も浮かんではいない瞳で太宰は応える。
     何故呼び止めたのか、自分の行動を理解出来ない中也は、その後に続く言葉が出てこなかった。

    「あ、そうだ、今日は森さんから任務があると伝えてくれと頼まれたのだよ」
    「……それだけか」
    「他に何かあるの?」

     意地悪く口元に笑みを作る太宰から中也は視線を逸らす。
     収まらない熱の発散方法がわからなくて、シーツを握り締める中也に太宰は近付き、頬に触れる。

     その手は、もう冷たくて先程の熱さが嘘のようだった。

    「私に抱かれたいなら、中也から云ってね」

     何の余韻も残さずに、太宰は部屋から出て行った。
     パタン、と静かにしまったドアの音が勘に触る程に大きく感じた。


     
     





    *   *   *

     目が覚めて、眠ってしまっていた事に気がついた。
     意識が無い間も手離さず握り締めていたナイフに気付いて、中也は上体を起こし見つめる。
     刃先に僅かに残った血は既に赤黒く乾いていた。
     ベッドから出ると、血を流す為に洗面所に向かい、乾いた血を洗う。

     透明な澄んだ水が刃に当たるのを眺めている内、それが真っ赤な鮮血に塗り替えられる幻覚に変わり、中也は喉を引き攣らせてナイフを手放す。

     カラン……と静かに硬質な音を立てて、ナイフは洗面台に転がる。
     頭を打ち付けたせいか、抑制剤の副反応なのかわからないが、込み上げる吐き気に口を押さえその場に蹲る。

     無意識にぽろ……と涙が溢れていた。
     熱い雫が流れる感触に、中也は乱暴に頬を拭う。
     泣いても何も変わらない。
     
     立ち上がり、洗面台に転がるナイフを見ると、あり得ないはずなのに真っ赤な血に染まっていた。

    「ッ……!」

     頭の中の厭な想像を掻き消すように一度目を伏せて、ナイフを見れば、それは透明な水に濡れているだけのものに戻っていた。

     ナイフを手に取ると、いつも手にしているはずなのにやけに重く感じて、手が痛む。

     震えそうになる指を止める為に力を込めれば、中也の熱で温まった柄が人肌の温もりになり、当たる雫がまるで人体から溢れたばかりの血の暖かさのような錯覚を起こす。

     その錯覚も幻覚も、全て現実の感触になる。
     中也は部屋に唯一ある、時間を知らせる置き時計に視線を向ける。

     それは、夕方から夜に塗り替えられる時刻。
     ポートマフィアが絶対的に君臨する夜に、時は進み続けていた。
     
     ナイフを握りしめ、中也は時計を睨む。
     止まる事は出来ない。

     太宰を殺す。

     それしか中也が進む道は無かった。










    *   *   *

     太宰が立てた作戦を、中也は完全に無視をした。
     怪しまれないようにインカムからの声には応答したが、その指示には一切従わない。
     
     正確には、太宰が何を云ってるのか中也の脳は判断出来ずにいた。
     耳から入ってくる太宰の声に、抑制剤で抑えているはずの熱が疼き、平静を保つだけで精一杯だった。
     作戦を実行する思考など微塵もなかった。
     中也の脳内を支配しているのは、本能と理性のせめぎ合いだった。

     αに、太宰に抱かれたい。と本能が叫び、理性が、太宰を殺せと命令する。
     打ち付けた頭が痛み、疼く熱に体が震える。

     この苦しみから逃れる方法は、生まれた時から運命づけられていた。

     「……私の作戦を無視するなんて、いい度胸じゃないか」

     待っていたかのように、太宰は涼しい顔でそこに居た。
     意表を突いた攻撃が出来る可能性など、皆無だとわかっていた。
     中也の関与していない所で、太宰は作戦指揮の全てを部下へ委譲する手筈を済ませ、当たり前のように此処に居る。
     
     遠くで複数の銃声が響く。
     それが敵のものか味方のものかわからないが、今はその音のお陰で、太宰と対峙しても脳の芯の部分は冷静さを保つ事が出来る。

    「却説、此処なら任務の最中に太宰は死んだ。と、云い訳が出来るね、おめでとう中也」
    「太宰……」

     インカムを投げ捨て、中也はナイフを構える。
     太宰相手に最大の強みである異能は使えない。
     太宰が何を企んでいようと、やる事は一つ。

     太宰を殺す。

     一瞬、異能を乗せた足は目では追えない速度で二人の距離を詰め、迷いが生じる暇を与える事なく、標的である太宰の心臓を正確に貫いた。

     貫いて、それ以上は中也は動けなくなった。
     太宰の胸からは僅かに血が滲み、それが、幻覚で見た血に染まったナイフの映像と重なる。

    「あ………」

     絶対、何かあると思っていた。
     太宰が大人しく殺されるわけがない。
     そう確信していたのに。

     ドサリ、と真横に倒れた太宰の表情は分からないが、臓器を損傷した事により口元から細く血を流す。

    「だ、ざい……?」

     殺せば解放されると思っていた。
     太宰さえ死ねば、運命から逃れられると思い込もうとしていた。

     そうして待っていたのは、半身を失ったような痛みと、心臓を奪われたかのような空洞だった。

     体から力が抜け、立っている事すら出来ずに、中也はその場に膝をつく。
     そのままへたり込み、息苦しさに込み上げる塊を吐き出すように、嗚咽した。

     地面にポロポロと落ちる雫に、中也はそこを殴りつける。

     太宰を失って残った感情は、純粋にたった一つのものだった。
     
     最初に会った時から変わらない。

    「……ずっと好きだったんだ、太宰……」

     『運命の番』なんて関係ない。
     あの日から、中也は太宰に焦がれていた。
     



















    *   *   *

    「なぁんて、びっくりした?」

     むくりと起き上がり、太宰は云い放った。

     何が起きたのか理解が追いつかない中也は目を白黒させ、呆然とする。
     涙の跡をくっきりと残し、ぽかんとした顔で太宰を見る。

    「……………………は?」

     かろうじてそれだけを云えた。

     よいしょ、と立ち上がる太宰の胸にはナイフが深々と突き刺さったまま。
     だが、当の本人はそれを気にも止めない。

     中也に近付き、伸ばされた手で中也の頬に触れる。
     いつも通りの冷たさだが、確かに生きている人間の温もりがある。
     涙の跡をぐいぐいと不器用に拭い、太宰は嬉しそうに顔貌を崩す。
     
     その顔にも瞳にも、冷徹さも嗜虐さも無い。
     ただ、純粋に太宰は笑みを浮かべる。

     その笑みを見ている内、中也の中にあった全てが溶けていく感覚があった。

     Ωだと宣告された時、自身の全てを否定されたようで、何かに当たらなければ狂ってしまいそうだった。
     
     『運命の番』はそんな中也にとって都合のいい八つ当たり場所だった。

     太宰は、中也なりの甘える場所を用意してくれただけだった。

    「太宰……」

     名前を呼べば、太宰はにこりと笑い応えた。

    「私の勝ちだね、中也」

     その言葉で中也の沸点が一気に下がった。
     握り締めた拳を、思いっきり太宰の顔面に叩きつけた。







    *   *   *

     白を基調した部屋の一角。
     その片隅で中也は気を失った太宰を眺めていた。

     どうにも真意が見えず、中也は複雑な心境で太宰が目覚めるのを待っていた。

    「おや、いつまで寝たふりをしている心算なのかね?」
    「は?」

     ひょこっと顔を出した森の言葉に、中也は太宰の瞼を上げた。

    「やぁ、中也」

     ぎょろり、と視線が合い、中也は喉の奥で悲鳴をあげる。

    「あーぁ、全く……もう少し私の身を案じる中也の顔を堪能したかったのに」

     上体を起こしながら、太宰は欠伸をする。
     そんな太宰に、森は呆れ混じりに溜息を吐き、

    「作戦は上手くいったのだから、そろそろ任務に戻り給え。ポートマフィアはまだまだ人手不足なのだからね」
    「わかってるよ、森さんにはお金も人望も無いものねぇ」

     鬱陶しそうに手を振る太宰と森を交互に見て、中也は現状のやりとりを理解出来ずにいた。

    「太宰、作戦って……」
    「え? まだわからないの? 中也って本当に脳筋なのだね」

     やれやれと溜息を吐く太宰にイラついて、中也は無言で胸倉を掴み上げる。

    「待って待って、暴力反対! 私痛いのは厭なのだよ!」
    「落ち着き給え中也くん」

     森の言葉に、中也は太宰の胸倉を掴み上げたまま森へ視線を向ける。

    「首領……」
    「全て私と太宰くんで仕組んだ事なのだよ。君達が『番』になる運命なのは決まっていたけど、中也くん、最初から太宰くんは駄目って云うのだもの」
    「それは……」

     視線を逸らす中也に、太宰は、

    「ちゅ、中也、そろそろ離して……しま、締まってるから……」
    「あ、あぁ、悪ぃ」

     ぱっと離すと、ゴホゴホと太宰は咳き込む。

    「まぁ、それで中也から私の番になると云い出すようにしよう、とした訳なのだよ、理解したかな? 蛞蝓中也くん」
    「あぁ、したよ。本当に手前をぶっ殺しておけば良かったと思ってるとこだ」
    「ツンデレも度が過ぎると愛想を尽かされるよ」
    「はいはい、イチャイチャしない」

     パンパン、と森は遮るように手を叩く。

    「これで中也くんの懸念は解消されたわけだし、仕事は山積みなのだからね」

     用事は済んだ森はさっさと医務室を退出しようとする。

    「あ、太宰くん」

     云い忘れていたように森は振り返り云った。

    「中也くんのナイフ、返してあげ給えよ」

     その言葉に、太宰の心臓を刺したトリックが瞬時に頭に浮かんだ中也は再び太宰の胸倉を掴み上げた。

     その声を背後に聞いて、森は苦笑を浮かべてその場を去った。









    *   *   *

     遠ざかる足音を背後に、太宰は中也に云った。

    「いつまで照れ隠ししてる心算なの?」
    「は、ぁ?!」

     胸倉を掴み上げ、顔を真っ赤にする中也はそのまま固まる。
     固まった中也の手を胸倉から外し、太宰は照れに赤くなっている中也の頬に触れる。
     触れる太宰の手は中也の頬より熱くて、中也の肩が跳ねる。

    「うっ……」

     どうしていいか迷う中也の視線は忙しく動き、太宰と視線が合わない。
     それに苛立った太宰は中也の顔を両手で掴み、無理やり視線を合わせる。

    「はっきり云ってあげる」

     既に、太宰に触れられ見つめられるだけで、中也の体は熱に疼き、抑えた欲に目は潤み出していた。

    「私、中也を抱きたい」

     中也が何かを答えるより前に、開いた口を太宰は塞ぐ。
     一瞬、逃げそうに腰が引けたが、その必要が無いことに気付いて、中也は太宰の首に腕を回す。

     更に深くなった口付けに、太宰の目は嬉しそうに細められる。

     ベッドに中也を押し倒し、唇が離れると互いに互いを見つめ視線が交差する。

     太宰を見つめる中也の瞳には抑えきれない程の欲が露出し、それが涙となって溢れシーツに流れる。
     その熱い雫を太宰は優しく拭い、溢すように囁いた。

    「愛してるよ、中也」

     真っ直ぐな言葉に、驚きに目を見開いた中也は、次には嬉しさに綺麗に笑った。

     純粋な好意だけを伝える太宰の、普段は隠れている双眸を見たくて、顔半分を覆う包帯に手を伸ばす。
     ゆっくりと落ちていく包帯の向こうに現れる瞳は、ただ愛しいと中也に伝えてくる。

     照れくささよりも満たされる暖かさに中也は両手で太宰の顔に触れ、告げた。

    「俺もだ、太宰……抱いて欲しい」

     その言葉に、太宰は中也に覆い被さり深い口付けをした。

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