仕舞い込んだ、この想いは暴君ヴァルバトーゼと月光の牙フェンリッヒ。
そのふたりがいつの間にか手を組み、更には主従関係までも結んでいた。
魔界でも震撼されたその出来事は、いつしか過去のことにされていった。
主のヴァルバトーゼが魔力を失ったという噂が流れたからだ。
最初は血眼になってその首を獲ってやろうと、捜していた悪魔たちも、姿が見えなければ次から次へと興味をなくしていく。
ふたりの結んだ覚悟の下、共に地獄へ堕ちたことなど誰も知らぬまま。
そんな魔界での栄光も、すでに数百年前になった頃。
現在、ふたりは閑職でもあるプリニー教育係となって暮らしていた。
多忙ながらも日々確実に邁進している。そう思っていたのは、どうやら主の方だけだったようで。
「─俺から、離れたい?」
「………はい」
深刻そうな顔で立つシモベは、復唱された質問に頷いた。
ふたりは、月が輝き続ける限り仕え、仕えられるという約束を結んだ関係でもある。
約束はまだ、果たされていない。と言っても、今や自分勝手によって魔力を失ってしまったヴァルバトーゼに、強く言える理由もない。
「理由はなんだ」
「言えません」
「俺相手でも言えぬと言うのか」
「はい。…いかなる罰も受ける所存でございます」
そう言って頭を下げたフェンリッヒの表情は見えない。
だが、言葉を取り下げる様子にも見えない。
こうなったシモベは頑固だ、とヴァルバトーゼは小さくため息をついた。
「…フェンリッヒ。いかなる罰も受けると言ったな」
「はい」
「約束出来るか」
「…何をお考えですか、閣下」
「質問に質問で返すな。俺の質問に答えろ。約束が出来るか、と聞いている」
真っ直ぐ射抜かれる目に一瞬萎縮する。
フェンリッヒは分からぬまま、ゆっくり頷いた。
「…かしこまりました。お約束致します」
「言ったな?─なら、理由を話せ」
「…っ!!」
「普段のお前なら、こんなこと予測出来ただろうに。動揺したか?」
ククッ、と満足気に笑うヴァルバトーゼ。
やられた、とフェンリッヒは軽く息を吐いた。
「今お前は、俺と結んだひとつの約束を反故にしようとしている。俺に、これ以上約束を破らせるつもりか?」
「……いえ。どの道、どうせ最後になるのなら、話しておいた方が楽ですね」
姿勢を正すと、フェンリッヒが今度はヴァルバトーゼの目を真っ直ぐ見据える。
「─わたくしは、シモベとして…悪魔として、あるまじき気持ちを覚えてしまったのです」
「あるまじき…?」
「わたくしは─貴方様を、お慕いしております」
「……!」
「……お慕いしている、なんて随分綺麗な言葉ですが」
「なるほど、つまりお前は俺に対して邪な気持ちがあると?」
「…少し、違うような気もしますが」
邪な気持ちだけではないが、好きだの恋だのは悪魔には綺麗すぎる言葉だ。
居心地悪そうに目線を背けるシモベを見て、主は顎に手を当てて考える仕草をする。
「そういうことですので─」
「そういうことなら─」
一緒に言葉を発した直後、シモベが言葉の続きを言えず、主の言葉が続く。
「─何も問題は無いな」
「………は?」
聞き間違いか、と呆けた顔を返す。
驚くフェンリッヒに、さらに言葉を続ける。
「俺も同じだから問題は無いな、と言っている」
「同じ…?すみません、ちょっと意味が…」
「だから、俺も同じ気持ちだと言っている」
同じ気持ち、という言葉に更に困惑するフェンリッヒ。
ヴァルバトーゼは立ち上がると、彼の前へと立つ。
「…ヴァル様、ご冗談はお止め下さい」
ようやく意味を理解したフェンリッヒがそう言うと、「ほう?」と少し不服そうな声を出す。
「冗談?俺がそんな冗談を言う悪魔だと思っていたのか?確かにお前を失うのは惜しいが、それだけでこんなタチの悪いことは言わん」
「ですが、急に言われても信じられませんよ」
「…その言葉をそっくりそのまま返したいがな。…どうすれば信じる?お前を組み敷けば信じるか?それとも─」
フェンリッヒの手を掬い上げたヴァルバトーゼは、己の腹へその手を誘導し、さするように当てる。
「─ここに、お前を受け入れれば信じるか?」
「……ッ!!」
相手が主だということを一瞬忘れ、手を振り払ってしまう。
顔が真っ赤のその様子を見て、ヴァルバトーゼは喉奥を鳴らして笑った。
「…揶揄っておいでですか、ヴァル様」
「確かに面白いが、揶揄ってなどおらんぞ。俺は本気だ」
あまり人を揶揄うようなことは言わず、冗談も好まず素直で実直。
悪魔らしくない主の性格を考えるのならば、これも確かに冗談などではないのだろう。
まさかの返答に返す言葉に迷うフェンリッヒを見上げ、ヴァルバトーゼは不敵に笑う。
「…それで?俺から離れたいという理由はそれで終わりか?」
「は?え、あ…はぁ」
「して、お前はどうするのだ?」
「どうする、とは?」
「…混乱しているのか?この場合、どうするという問いなどひとつしかなかろう」
混乱していても、何を言いたいかは分かる。だが、フェンリッヒにはその先を言うことが中々憚られた。
いつもハッキリと物を言うシモベに痺れを切らし、ヴァルバトーゼが先に言う。
「─お前はどうしたい?お前が欲しいものは、なんなのだ?」
「…わた、くしは─
……わたくしは、貴方が欲しい」
「それが答えであろう。…全く、主にここまで膳立てしてもらわぬと言えんとは…困ったシモベだ」
「…返す言葉もございません」
「ククッ、お前がこういう時にポンコツだというのは初めて知ったな。面白い発見に免じて許してやるとしよう」
「有り難き幸せにございます」
ゆっくりと、ヴァルバトーゼがフェンリッヒの首に手を回し、引き寄せる。
そのまま唇が重なり、離れて額を合わせる。
「覚悟し、共に地獄に堕ちた者同士。最期まで共に狂うのも良かろう」
「ええ。あの誓いがありますからね。離れたくとももう離れませんよ、ヴァル様」
「俺は最初からそのつもりだ。お前こそ、怖気付いて逃げぬことだな」
「はい。もう二度と。フェンリッヒは、死ぬまで貴方と共に在ります」
「そうだな。俺もだ。“約束”しよう」
「良いのですか?そのように簡単にお約束をして」
「今回は構わんだろう。どうせ、俺もお前も逃がす気などないのだからな」
「フフ、そうですね」
想い慕い、執着する。
最期に眼に映るのはお互いの姿なのだと、悪魔らしいようで悪魔らしくない、ふたりの誓い。
ここまで共に堕ちたふたりの、固い絆から生まれた約束が今、交わされたのであった。