馬術大会にて 騎士という職業に馬はつきものだ。
読んで字の如く、騎乗して戦う者が騎士の語源であり、この世界でもそれは変わらない。騎士になる為には剣術、槍術、弓術に加えて馬術を修める必要がある。
目の前で繰り広げられているのは騎士団によるデモンストレーション。ただし、互いに武器を手に戦うような模擬戦ではなく、今回の披露はオリンピックでも競技にされている障害飛越と馬場馬術だ。
障害飛越は横木を落とさないように人の背丈程の障害物を飛び越してコースを回るスピードを競う。馬と人間の豪快で勇ましい姿を存分に楽しめるもので障害をやっている会場側からは時折歓声が聞こえてくる。
対する馬場馬術は真逆で、馬場と呼ばれる囲われた砂地を決められた動きの通りに馬を動かす競技で、優美さを競う。この辺も「俺」の世界とのリンクなのか、あまり変わりがないらしい。
問題は選手控えのスペースに正装姿で白馬に跨がる幼馴染がいる事だ。
騎士団長自ら馬場馬術を披露するとあって普段は障害に負けている馬場の会場がいつもより賑わっている。人々がさわさわと囁き合うのはやはりオルテガの話だ。
普段、こういった場は部下達に譲っているが、何を思ったのか今回は競技前の特別枠で参加すると言い出した。そして、騎士団長自ら参加するという話はあっという間に広がり、異例の大盛況。
俺は宰相ということで公務として来ているリンゼヒース王弟殿下サマと共にVIP席に案内され、高い席から両方の競技場をゆったりと眺めている次第だ。
「あいつ、妙に張り切ってるよな」
呆れたようなリンゼヒースの言葉に首を縦に振る。他の人が見ても分かりにくいだろうが、なんでか知らないがオルテガ自身がテンション高くてノリノリなのだ。いつもならこういった場で注目を集める事を好まないのだが、今回はどういった心境の変化なのか。
「やっぱり素敵よね、ガーランド様」
「あの逞しい腕で守られたいわ」
下の方から年頃のお嬢さん達の声が聞こえてきてついつい聞き耳を立ててしまう。そうだろうそうだろう、俺のオルテガは世界一良い男だ。
「婚約者はいらっしゃらないようだけど、どなたかとお話しが進んでいるんでしょうか?」
「さあ? ……でも、今度お父様に頼んで婚約の話を打診してもらおうと思っているの」
「まあ!」
一人のお嬢さんの話にギクリと心臓が跳ねる。チラっと見遣った先に居たのは可愛らしい女性だ。頬を染めながらオルテガについて話す姿は恋する女性そのもの。
そして俺はそんな女性を見てモヤモヤしてしまう。彼は俺のものだと喧伝したいけれど、いまだに公的に彼を独占する権利を俺は有していない。
もし、有力貴族がオルテガの婚約者に立候補してきたら?
そんな状況を想像して胸の中がざわついて仕方がない。
「リア?」
悶々としていれば、リンゼヒースに急に声を掛けられた。驚いて小さく肩を跳ねさせれば、彼は苦笑しながらすまないと謝ってくる。
「話聞いてたか?」
「……すまない。聞いてなかった」
「やっぱり。お前も大概フィンにメロメロだよな」
「うぐ……」
改めて指摘されると小っ恥ずかしいが、悔しい事に全く否定出来ない。しかしだな、正装姿がまためちゃくちゃ格好良いんだよなぁ!!
普段から紳士的で格好良い男だが、服装が整うとまた一段と良い男だ。今日は髪型までセットしているようで普段とは違う色気が漂っているのが目に毒だ。かといって目を離したくないので隣で話すリンゼヒースの声も碌に頭に入って来ない。
心無しか会場にいる女性達の視線も熱い。気持ちは分かるぞ。格好良いよな。他の人が彼に見惚れるのは心底妬けるけど。
悲喜交々な感情を顔に出さないように必死になりつつ、用意されていた良く冷えたアイスティーを口に運ぶ。良い香りだ。オルテガが先んじて手配してくれたこの紅茶も俺が好む物でちょっと気恥ずかしいな。そして、その辺の事を全部分かっているリンゼヒースが隣から寄越す視線が痛い。
そうこうしているうちに障害飛越が終わって競技が馬場馬術に移るようだ。ある程度人の移動が終わるとヴィエーチルに跨り、シルクハットを被ったオルテガが馬場の中に入ってきた。
立派な体躯をした白馬と騎乗する美丈夫はそれだけで絵になる。優美なその姿に会場は静まり、オルテガに視線が集まっていた。
速歩と呼ばれる軽快な足取りで馬場に入ってきたヴィエーチルは俺とリンゼヒースがいる正面で止まり、オルテガがハットを取って馬上で一礼する。こういった部分は紳士のスポーツらしく厳かだ。
オルテガの優美な所作に会場から感嘆の声が漏れる中で彼の馬術が披露されるが、それは圧巻の一言だった。
淀みのない誘導で歩を進めるヴィエーチルは様々な歩き方をしたり、馬場の中に円を描いたりと次々に美しい動きを見せる。いまいち馬場馬術のルールがわかっていない俺でもオルテガが素晴らしく上手いであろう事だけは理解した。
会場中の視線を釘付けにした男は全ての経路を終わらせると再び中央に馬を進めて深々と一礼をする。その際、見惚れていた俺の方に視線を寄越すのも忘れないのだから参ってしまう。
「……何となくアイツが出たがった理由が分かったな」
会場の女性が挙げる黄色い悲鳴を浴びながら馬場を退場するオルテガの姿を見送っていれば、リンゼヒースが呆れたように溜め息を零す。何だろうと視線を隣に向けるとリンゼヒースがだらしなく椅子の背凭れに凭れた。
「おい、姿勢くらいちゃんとしないか。今日は王弟として来ているんだろう」
「皆フィンの話題に夢中で此方なんて見てない。それより、お前だよ。今のうちに覚悟しておけよ」
「何のだ」
「直ぐに思い知る」
いきなり何の話だと訝しむが、それ以上話す気がないのかリンゼヒースは次の者の競技が始まった馬場の方へと視線を向けてしまう。何なんだ一体、とモヤモヤしていた俺は直ぐに彼の忠告を思い知る羽目になった。
三名程馬術の競技が終わった頃合いに王族用の観覧席にオルテガが来たのだ。
シルクハットは脱いだ状態で帯剣しての登場だが、正装である事に変わりはなく、先程は遠目だったのが間近に来た事で俺の心拍数は爆上がり状態。直視したら目が潰れそうだ。
「お疲れ。お前がこういう場で演技するなんて珍しい事をしたな」
「たまには良いだろうと思ってな」
リンゼヒースと話しながらオルテガがチラリと俺の方に視線を向けてくる。あ、これはもしかして俺に良い所を見せたかったとかそういうアレなんだろうか…!? やっとオルテガの思惑らしき事に気が付いた俺は顔が熱くなるのを感じて慌てて手で頬を隠す。
「全く、公的な行事を私的に利用するんじゃない」
俺の反応を見たリンゼヒースがオルテガを嗜めるが、奴はどこ吹く風といった様子で俺の隣に来る。
「どうだった?」
「な、何が……」
少し身を屈ませながら甘い声で訊ねてくるからついどもってしまう。取り繕わなければならないが、本当にオルテガが直視出来なくて視線も泳ぐ。
「服装も振る舞いもお前の好みだろう」
悪戯っぽく微笑みながらそんな事言われてみろ。悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい気分だ。
「っ……! ふざけていないでちゃんと職務を全うしろっ」
悪態をつくが、照れ隠しである事が分かっているオルテガに効果はない。むしろ、嬉しそうに笑みを零すと俺の左手を取って薬指の指輪の上に口付けを落として来た。
流し目で笑みを向けるとオルテガは何もなかったように身を離してリンゼヒースの方に行く。この場にいる一応の名目が王弟の警護だからだろうが、この男ときたら本当に!!
「少しは加減してやれよ……」
「もう手加減しないと言ったからな。攻められる時にはどんどん攻めさせてもらうさ」
言葉も出せずに悶絶する俺やうんざりした様子で呟くリンゼヒースとは対照的にオルテガは楽しそうにそう宣う。
…コイツは俺を殺したいのだろうか?
この時の俺は兎に角羞恥やら歓喜やらで一杯いっぱいだった。
そして、そんな俺達のやり取りを周りにいた貴族達が見聞きしていた事。それに尾鰭背鰭ついて盛大に広がる事で時間差で更なるダメージを受ける羽目になると、俺は後々に思い知るのだった。