ブルーコスモス崩れのテロリスト共に捕まり、救出されてから十日。薬を使われたらしく、意識がハッキリしてからは一週間。ラミアス艦長とフラガ大佐に始まり……チャンドラ達AAクルーは分かる、アスカ達パイロットもまだいい、なぜかエリカ女史、一応行方不明中のはずのキラとクライン嬢、さらにはアーガイルにハウ、果てはザラを連れたカガ……アスハ代表まで来た入れ替わり立ち代りの見舞い攻勢が終わり、とは言え脚が折れているので動くこともできず、さすがにそろそろ時間を持て余してきた頃。
体調を確認され、朝食を終えたところで部屋に人が入ってくる。今居るのはラミアス艦長、フラガ大佐、元々居た医務官、それから……。
「おはようございます、ノイマン大尉」
見知らぬ金髪の男。
「おはようございます。えーと……」
一番に挨拶をされたが、残念なことに名前がわからない。
「アルバート・ハインラインです。ミレニアム所属の技術大尉の」
「ミレニアムの。……すみません、わからなくて」
「いいえ」
ミレニアム所属ということはコノエ大佐の部下か。トライン少佐やマグダネル中尉とはそれなりに交流があるし、コノエ大佐も含めて見舞いには来てもらったが彼のことは記憶にない。
「コノエ大佐の代理として様子を確認しに来ました。お加減はいかがですか?」
「問題ありません。お気遣いありがとうございます」
「それは良かった。貴方は素晴らしい操舵手です。今後に影響が出てはコンパスの一大事。お大事になさってください」
「どうも……」
初対面なのになんでこんなに持ち上げてくるんだ。
「それでは私は失礼します」
「えぇ。……ありがとう」
「いえ」
さっと艦長達に敬礼してあっさりと出ていく。
一体何だったんだ、あの人。なんであの人がコノエ大佐の代理だったんだ?代理なら普通トライン少佐なのでは?なんで技術大尉が?
そもそもの話、どうして全く知らないんだ?この十日の間に配属されたわけでもない限り、全く知らないなんてことありえなくないか?艦長達の反応を見る限り、以前から居るようなのに。
「艦長、大佐」
ベッド脇にいる二人に声を掛ける。
「ハインライン大尉は何者なんですか?」
そう尋ねると、二人は顔を見合わせてうなずいた。艦長が医務官に視線を送ると、彼は心得たように部屋を出ていく。
扉が閉まって三人だけになったことを確認して、艦長がベッド脇の椅子に座り大佐がその斜め後ろに立つ。二人とも深刻な顔をしている。
なんだろう、自分はそんなに重大な事を訊いたのだろうか。
「信じられないと思うけれど、正直に話すわね。ハインライン大尉は貴方の恋人よ」
「………………………………は?」
予想外の方向から答えが返ってきた。
「今貴方は記憶障害を起こしているの」
それは、あるかもしれない。何せ、捕まっていた間の記憶がほとんどないのだ。他にも異常があっても不思議ではない。ないのだが……。
「これまでのハインライン大尉に関する記憶を全て失っていて……さらに、眠って目を覚ますと前日に得た情報も会ったことも忘れてしまう状態よ」
「え……恋人?全部忘れている?本当に?」
動揺のあまり敬語が抜けた。
残念なことに全く自覚がない。
「本当よ」
「付き合い出したのは半年前だ。俺達に報告に来たのがその一月後」
「え」
「ちなみにコンパス内公認だぞ。お前らの知り合いは大体知ってる」
「え」
「喧嘩した時なんかはチャンドラ中尉を捕まえて愚痴ったりしていたわね」
「え」
「ちなみにミレニアムのクルーは勿論、コノエ大佐もご存知よ」
「え」
「あっちはあっちでハインライン大尉が色々と相談してるらしいからな」
「えぇ……」
嘘だと言って欲しい。思わず頭を抱える。
なんでそこまで筒抜けなんだ。プライバシーはないのか。でもチャンドラに愚痴はやりそうだ。
二人が嘘を吐く理由も無いし、どうやら恋人だったというのは信じなければならないらしい。
「……障害はいつからですか?」
「一週間前、意識が戻った時からよ」
「!じゃあ、”眠って目を覚ますと前日に得た情報も会ったことも忘れてしまう”って分かっているのは」
「えぇ。ハインライン大尉が毎朝貴方に会いに来ているからよ」
やっぱり。
一週間。一週間もの間、毎日恋人が自分を忘れていることを確認しに来ているというのか、あの人は。
「そんな……」
愕然とする。
知っている人物に、知らないものと見られることは経験がある。その相手が恋人だと言うなら。
「私達も止めたのよ。……あんまりにも残酷だもの」
当然ラミアス艦長は知っている。それがどれだけ辛いことか。
大佐が艦長の肩に手を置く。
「だが、”障害の状態を確認するにはこれがもっとも確実で正確だ”って言ってな。”正確な診断を下してこそ正確な治療が望める”って引かないんだよ」
それは正しいことかもしれないが。
「もしかしてこの会話も……」
「えぇ。明日には覚えていない可能性も充分あるわ」
ゾッとする。
これだけ話したことも、驚いたことも、全て忘れてしまうのか。
でもきっとそうなるのだろう。自分は今しがたあの人を初対面だと思ったばかりなのだから。
「大丈夫。もし忘れてしまっても何度だって話すわ」
艦長が柔らかく微笑む。
「それに……」
また二人が視線を合わせる。
「そろそろ大丈夫なんじゃないかって思って」
大佐も後ろでうなずいている。
「貴方の意識が戻った時、ハインライン大尉は傍に付いていたのだけど、貴方が覚えていなかったことに動揺していたわ。事情を知らなければ不審に思いそうな態度だったのだけれど、貴方は興味を持たなかった」
初日は、まだ少しぼうっとしていた気がするから、特に違和感を覚えなかったのかもしれない。
「二日目も同じだった。彼は動揺していたし、貴方は興味を示さなかった」
二日目は、だいぶマシになっていたと思うがそうでもなかったんだろうか。
「けれど三日目と四日目、貴方は彼が退室した後、じっと扉を見つめていたの。彼は平然としていたのにね」
きっとその頃には覚悟の上で会いに来ていたのだろう。自分も周りを気にする余裕が出てきたのだろうか。いや、そういう流れではない気がする。
「昨日、一昨日は私達に何か聞きたそうにしていた。三日目以降は毎日全く同じ会話をしているのに」
同じことの繰り返しなのに、明らかに変わる自分の反応。
「そして今日、とうとう私達に尋ねた」
ベッドに投げ出していた手をそっと包まれる。
「記憶は残らなくても、積み重なるものがあるんじゃないかしら。あるいは戻っているものが」
そうなんだろうか。そうであれば、少しはあの人も報われるだろうか。
「ちょうど昨日の夕方に詳しい報告が上がってきたことで当時の状況もだいぶ分かって、障害の原因についてもおおよそ見当がついた。だから決めてはいたんだ。もしお前さんが聞いてきたなら話そうってな」
そう言って、大佐の個人用端末を渡される。画面には、今回の件の報告書。
「まず、ヤツらの狙いはハインライン大尉だった。理想は本人の確保、次点で始末。現実的なところでは研究内容や彼の持つ知識を知ること。最悪は……なんでもいい、とにかく大尉に関する新たな情報を得ることだった」
報告書にはなぜあの人を狙ったのか、いかにあの人が優秀なのかが書かれている。……確かにこれなら標的にされるのも納得だ。
「そういう意味では捕まったのがお前だったのはマズかった」
どんな情報でもいいのであれば、恋人というのは有用だろう。まして所属組織が同じなら、仕事とプライベート両方の情報を持っていることになる。格好の獲物に違いない。
「ヤツらはたまたまだったがお前は自覚があったんだろうな。”何をしても一言も話さなかった。呻き声さえ上げなかった。手強かった”だそうだ。そこでヤツらは最終手段に出た」
画面をスクロールされて、示されたのは見覚えのある薬の名前。
「強力な自白剤。上手く行けばペラペラ喋るが、少しでも分量を間違えれば廃人にしちまうヤツだ」
知っている。本来の用途ではないが、上手く調整して投与すれば非常に優秀な自白剤となる。ただ、その調整がとても難しい代物だ。
「ヤツらは薬のこともきちんと説明した、脅しとして。それでも口を割らなかった。だが、打たれちまえば喋らずにはいられないし、失敗を期待するのは無謀だ。だから恐らくお前は自分で自分に暗示を掛けた」
その状況でできる唯一の抵抗。
「”アルバート・ハインラインなんて人間は知らない”ってな」
場が静まり返る。
鼓動がうるさい。これはなんの汗だろう。
「……結果は成功。ヤツらは何一つ情報を得られず、さらには時間が掛かったせいでアジトがバレて一網打尽。お前も救出された」
戦果としては申し分ない。面倒な連中を潰せたし、自分も五体満足で戻れた。骨折も綺麗に治ると言われている。たった一人の心情だけを無視すれば。
「記憶障害は、薬のせいもあってその自己暗示が効きすぎちまったんだろう、ってのが医者の見解だ」
「……忘れることで、守ろうとしたのね。大尉を」
艦長の慈しむような声が染み込んでくる。
「俺……俺、どうしたらいいんでしょうか」
声が震える。自分でやったことなのに、自分では解決できないなんて。
「考えられる方法は三つ。一つ目はカウンセリングを受けること。二つ目は催眠療法を行うこと。三つ目は自然と戻るのを待つこと」
「結局のところお前さんの潜在意識の問題だからな。どれが上手くいくか、どれも上手くいかないか。確実なことは言えん」
外傷性のものではないだけに、はっきりとした治療法はない。試すなら、洗脳の解除と同じ方向性ということだ。
どうしたらいい。考える。自分だったら何が効く。どうすればやめる。
……ふと、思い付いた。
「あの……一つ、思い付いたことがあるんですが」
「何かしら。なんでも言ってちょうだい」
艦長がこちらに身を乗り出してくる。
「失敗したら、今よりもあの人に迷惑を掛けると思います。でも、試してみたいんです」
一か八かの賭けになる。でも可能性はあるんじゃないかと思う。
「ハインライン大尉と話をさせてください」
昼休憩の時間になるとすぐに訪問者があった。……昼食は食べたのだろうか。
その人を確認し、医務官が出ていく。
「来てくれてありがとうございます、ハインライン大尉。お忙しいところすみません」
「いえ、今は大した案件もありません。お気遣いなく、ノイマン大尉」
嘘だ。今彼はAAの後継艦に関する確認作業が山ほどあるはずだ。
そんな大変な時期に毎日自分に会いに来てくれていた。よく見るとうっすら隈が見えるしどこかくたびれた印象を受ける。
なのに平然と言ってのけるこの人のことを思うと胸が詰まる。
「話がある、と伺いましたが」
「はい。本題の前に、まず、俺と貴方は恋人だと聞いたんですが…」
「その通りです。私と貴方は正式に交際関係にありました」
予め知ってはいたが、本人から言われると思ったより衝撃が大きい。具体的にはちょっとドキドキする。
高揚感を抑えて、努めて冷静に口を開く。
「その上で、一つお願いがあります」
これは残酷な頼みだ。彼にとっては辛いことに違いない。
「今夜俺が眠るまで、一緒に居てくれませんか?」
自分を忘れた恋人と長時間一緒に過ごせ、なんて。
「考えたんです。俺が貴方を忘れるのが貴方を守るためなら、貴方が安全だと分かる状況で眠れば、忘れずにいられるかもしれない」
正直に言ってこれは分の悪い賭けだ。
上手くいく保証は無いし、失敗した時の代償は期待した分だけ大きい。しかもその代償を払うのは自分ではない。
「……いえ」
これまでと違う小さな声が返ってきた。
やっぱりだめか。
いくらなんでもこの方法はこの人の好意に甘え過ぎている。
そう思って取り消そうとした時だった。
「”眠るまで”ではありません。そういう事であれば、”目が覚めるまで”居ましょう」
心なしか柔らかくなった声に顔を見上げれば、少しだけ目元が緩んでいる。
「でも、それは」
上手くいかなかったら、この人はまた恋人に忘れられた事実を突きつけられることになる。
「構いません。どの道状態の確認に来ますので、もし忘れていたとしても知るのが多少前倒しになるだけです」
「大尉……」
優しくてでもどこか切なげな目で自分を見てくる。
あぁ、この人は本当に俺の恋人なんだ。
「ではまた夜に伺います」
「はい。よろしくお願いします」
真っ直ぐに伸びた背中を見送る。
……どうか、上手くいってくれ。
夜になって、約束通りハインライン大尉がやってきた。いつもは当直のある医務官も、今日は既に自室に戻っている。
「こんばんは、ノイマン大尉」
「こんばんは。お疲れ様です、ハインライン大尉」
大尉は寝巻き、と言うほどではないが多少ラフな格好である。
「明かりを消しても?」
「はい、お願いします」
パネルを操作してフットライトだけを残し、一晩泊まるということで横付けしておいた隣のベッドへやってくる。
「失礼します」
二人並んで天井を見上げる。
「……眠れそうですか?」
「……すいません、無理そうです。少し緊張しています」
「貴方にとって私はほぼ初対面の人間。無理もありません」
複数人部屋だったり雑魚寝だったりと他人の気配があることには慣れているが、恋人だという相手と無言で二人きりはさすがにちょっと気まずい。
「何か、話を?」
「えー……じゃあ、ラミアス艦長のことどう思いますか?」
失敗した。
「素晴らしい指揮官だと思いますが……なぜラミアス大佐の話を?」
「いや、その、共通の話題が思い付かなくて……」
今の自分はこの人のことを何も知らない。好き嫌いも分からないし、かと言って仕事の話をされても着いていけないだろう。
「なるほど。では大尉はコノエ艦長のことはどう思われますか?」
なんと乗ってくれた。間違いなく恋人の会話ではないが、話が続くだけありがたい。
「頼もしい方だと思います。特にあの、共同作戦の時の。あのタイミングでホーク中尉に狙撃用ライフルの指示を出すのは中々できることではないと」
「そうですね。そういった読みは非常に長けていらっしゃる方です」
そんな風に、お互いの知っている人物の話をしばらく続ける内に段々ぼんやりしてきた。
「……そろそろ眠れそうですか?」
「そうですね……たぶん」
このまま身を委ねれば、数分の内に眠れるだろう。
ただ、それを躊躇う自分がいる。
「あの……すごく情けないんですが」
「なんでしょう」
「手を、握っていてもらえませんか?」
右手を、大尉の方へ伸ばす。
「これから記憶を失くすかもしれないって考えたら、正直少し……怖くて」
足元が急に透明になったような、落ちるはずがないのに落ちるような、そんな落ち着かなさがある。
「勿論です」
大きな手、すらりとした長い指が躊躇いもなく自分の無骨な手を包む。
これも、忘れてしまうんだろうか。
「おやすみなさい、ノイマン大尉」
「おやすみなさい、ハインライン大尉」
優しい声に促されてゆっくりと目を閉じる。
覚えていたい。
忘れたくない。
この人のことを。
この温もりを。
信じてもいない神に祈りながら眠りに落ちた。
「おはようございます、ノイマン大尉」
「……」
目に映るのは金の髪をした男。折角の美しい顔なのに、目の下には隈がある。
何かを探すようにこちらを見つめていた青い瞳が、わずかに力を失って。繋いでいる手からも力が抜けて、離れかけた熱を……しっかりと握り直す。
「おはようございます…………ハインライン大尉」
「っ」
息を呑む音が聞こえた。強く手を握り返される。
「ノイマン大尉」
「はい」
「私のことが」
「はい、分かります。以前のことは思い出せませんが、少なくとも昨日のことは忘れていません」
俺がそう答えると、涙が一筋流れ落ちた。
あの平然とした態度の裏で、この人はどれだけ傷ついていたんだろう。
「大尉」
何とか上体を捻って、空いている左手で頬に触れる。
「俺は……こんな風に、貴方と朝を迎えたことはありますか?」
やっとこの人のことを……俺達のことを聞ける。
「アーノルド……!」
耐えきれないというように掻き抱かれる。
その体温に、泣きたくなるほど安心している自分がいる。
「俺達、どんな話をしたんですか?一緒に出掛けたことはありますか?」
本当は昨日の夜も聞きたかった。でも全部忘れてしまうことが恐ろしくて聞けなかった。
「教えてください。俺、今すごく貴方のことが知りたいんです」
「勿論です。全て話します。全て……覚えていますから」
初めて見た笑顔は涙に濡れていて、でもとても美しかった。
「ですが少しだけ……少しだけこのままで」
また強く抱きすくめられる。感極まっているようで言葉が出てこない。
でも今はそれで構わない。
きっと明日になっても忘れないのだから。